お彼岸
※ 「紅の秋」企画参加作品です。
虫の音が残る秋の日の早朝、秋生はアパートの箪笥の上にある仏壇の引き出しから小さな米袋と線香、それにロウソクとマッチを手提げかばんの中に入れていた。
「兄さん、新聞紙に花を包んでおいて! 洗面所のバケツにあるやつ。」
「んー」
まだ寝ぼけ声の冬樹が電気カミソリで髭を剃っているジョリジョリという音が聞こえてくる。
秋生は自分の肩掛けカバンの側に線香などを入れた墓参り用の手提げかばんを置いておいた。やかんのお湯が湧いて蒸気が出ていたので、ガスのスイッチを止めて元栓も閉めておく。
緑茶じゃなくて紅茶にしようかな。
水筒に紅茶を入れるとタオルに包んで、ビニール袋の中に飴やガムと一緒に入れた。秋生が出かける用意を整えた時に、冬樹がやっと洗面所から出てきた。
「これでいいのかぁ~?」
新聞紙でぐしゃりと包まれただけの菊の花を見て秋生は溜息をついた。けれど何も言わずに兄から花を受け取って輪ゴムで下を止めると、水が漏れないようにビニール袋に入れて荷物の側に置いた。
兄の冬樹は大手の電気メーカーの研究職についている。会社では優秀な社員らしいが、家ではあんまり役に立たない。
大学二年生の時に突然の事故で両親が亡くなり、兄が秋生の授業料を出してくれて、幼児教育科を卒業させてくれた。その時から秋生は亡くなった母親の代わりに家のことをして、仕事をしている兄に負担をかけ過ぎないようにしてきた。けれどこれからは秋生も本格的に働き始めるので、少しずつ兄に家事を教えていくべきかなとは思っている。
最近は結婚しても共働きが多いから、旦那さんが家事を手伝う人も多いらしい。将来のお義姉さんのためにも少しは兄を教育しておいたほうがいいだろう。
「朝飯は?」
「コンビニで買って、高速のサービスエリアで食べようよ。もう出かけないと帰りが遅くなっちゃうよ。今日は中山さんたちと飲み会だって言ってたでしょ。」
「そっか忘れてた。今日は中山んちで飲むから、おばちゃんにお土産がいるな。SAでそれも買うから覚えといてくれ。」
「わかった。」
高速に乗る前にコンビニで朝ご飯のおにぎりやコーヒー、お菓子などを買った。SAでは散歩エリアで朝食を食べた後にトイレに行った。トイレから出ると、冬樹がお土産コーナーに歩いて行っているのが見えた。
よしよしさすがに兄さんもお土産のことを覚えてたね。
秋生は先に車の所へ戻っておこうかと思ったのだが、屋台からいい匂いがしてきたので、ついついたこ焼きを買ってしまった。
「おい、行くぞ。なんださっきおにぎりを食べたばかりなのにたこ焼きを買ったのか? 太るぞ。」
「こういうとこでは、ついたこ焼きを買っちゃうね。」
「そう言えば母さんもよくたこ焼きを買ってたなぁ。」
もうすぐ三回忌が来るのですぐに涙が出るということはなくなってきたが、在りし日の両親のことを思うとまだ少し胸が苦しくなってくる。
クシュンとした秋生の頭を冬樹はポンポンと叩いて、車へと促した。
「あっちでも母さんはたこ焼きを食べてるさ。」
「そうだね。どっちがたくさん食べたかって言いながら、父さんと取り合いっこをしてるかもね。」
たこ焼きはお墓にあげました後で、家に持って帰って食べることにした。
ふたたび高速に乗って、車は北の町にある父親の実家へと向かっていく。いくつかのトンネルを抜けた後、高原地帯に来たせいか晴れていた空に霧が出てきた。
「うわっ、ガスってるな。こういう時はフォグランプをつけてスピードをゆるめるんだぞ。」
秋生はこの春、自動車免許を取ったばかりなので、冬樹はよくこんな風に運転時の注意をしてくることがある。
しかし車が霧の中へ入った途端にガタガタと揺れ始めて、とても高速道路を走っているとは思えない音が聞こえてきた。
兄の車は四輪駆動で荒れ地でも走れるタイプのものだが、高速でこんなに揺れるのはおかしすぎる。冬樹もそう思ったらしく、ブレーキを何度も踏んで後続車に注意を促しながら、スピードを減速していった。
「秋生、景色がおかしくないか?」
「うん、さっきまで見えてた道路わきの蛍光版が見えなくなってる。」
「変だな、まだ高速を降りてないんだけど……」
秋生が助手席から身を乗り出して車の後方を見てみると、遠く後ろへ微かにトンネルが見えた。
「兄さん、止めて! トンネルを出た所から道がなくなってる!」
「なんだって?!」
冬樹がブレーキを踏んで後ろを見た時には、トンネルが揺らめいて霧の中に消えていくところだった。
「消えた……」
「ああ……」
霧が少しずつ風に流されていって、目の前に現れたのは赤く色づいた森だった。車の前方にも、アスファルトの道路がない。
遠くにそびえたつ尖がった形の山に向かって、背の低い草が生えている草原がどこまでも続いていた。




