残された少年が見上げるのは冬の雪空
この作品は『牢の少女が見上げるのは夏の青空』https://ncode.syosetu.com/n8307ej/のその後の話になります。
読んでみたいと言ってくださった方がいらしたので、書いちゃいました。
また、冬が来た。
もう君のいない冬が。
扉の向こうから、くぐもった叫びと何かが割れる音がする。
通りかかった者達は、そそくさと、関わりたくないとばかりに足早に通り過ぎてゆく。
僕は、扉をノックして、返事を待たずにそっと開けた。
「――何よ!わたしが何をしたっていうの!?どうせあんた達もわたしが悪いって言うんでしょう!」
彼女は、子供のように癇癪を爆発させている。手当たり次第に物を投げ、しかし涙の膜が張った瞳から何も零れないのは、彼女の意地だろうか。
「聖女様!わたくし共は決してそのような事は……!」
「うるさいうるさい!」
……別に、彼女が癇癪持ちというわけではない。ただ、先日行われた僕の元婚約者の処刑の折、遺体が光に変わって天に昇るという奇跡のような光景を、処刑を観に来ていた者全てが目撃した。故に、処刑は間違っていたのではないか、と、果てには、元婚約者の死因とも言える聖女たる彼女にも批判が集まっている。
その顔の美しさ、芯の強さは非凡だが、それ以外は平凡な平民であった彼女が、突然聖女として担ぎ上げられ、僕の元婚約者のみならず、多くの令嬢からの嫌がらせにも耐え、慣れない環境で必死に頑張り、漸く落ち着いてきたところでのこの事件。
気の強いところもあるが、本来ならば我慢強く堅実な性格である彼女が追い詰められ、爆発してしまう程度には、心無い批判に彼女は傷付いている。
見せしめに近い形での処刑がこのような結果を生み、上層部も頭を抱えている事だろう。
「……聖女様」
僕が声を掛けると、彼女は初めて僕の存在に気付いたようで、ぽろぽろと真珠のような涙を零しながら縋ってきた。
「ねえ……ねえ、貴方もわたしを責める?よくも婚約者を死なせたなって怒るの?」
「いいえ。……いいえ、責めはしません。貴女は確かに彼女に嫌がらせを受けていた。罪を裁かれたに過ぎないのです。
真に責められるべきは……」
真に責められるべきは、そう。
僕しかいないだろう。
王都には、あまり雪が降らない。
幼い頃の僕らは、毎年の冬を僕か君の家の領地の屋敷で過ごしていたから、初めて王都に来た時は雪の少なさに驚いたものだ。
2人で同じベッドに潜り込み、侍女に明かりを消させて、飽きる事なく外を眺めていた。
日が沈んですぐに、大きなベッドのある部屋に駆け込んで、『冬の夜闇を鑑賞する』という遊びをしていた僕らは、そのまま寝落ちてしまう事もしばしばで、それても子守の侍女や僕らの両親がうるさく言わなかったのは、既に互いの家で将来の約束をしていたからだ。
薄闇にぼうっと光るような白い雪、空は夜だというのに薄い紫色をしていて、全く暗くなかった。
冬の夜の空を見ていると、何故かわくわくしたものだ。
晴れた夜は遠くの家々まではっきり見えた。
時にはちらちらと雪が降ってきて、王都とは違って華やかな灯りも殆ど無い、しんとした景色を彩っていた。
晴れた朝はまた格別に綺麗に雪が輝いていて、目が潰れてしまわないか心配な程だった。
空気はきんきんに冷えていて、深呼吸をしたら喉が冷たさで痛くなるのだ。
2人で赤くなった鼻を笑い合って、冷たくなった頬をお互いの手で挟む。
その内降り始める雪に君ははしゃいで、手が冷たくなるのも構わずに、空に手を翳して、ふわりふわりと舞い降りる雪を乗せては、瞬く間に溶けてゆく雪の、結晶が見られないと頬を膨らませた。
僕は手袋の上に雪を乗せて、2人で結晶を覗き込めば、君はあっという間に笑顔になったっけ。
雪が本格的に降り始めたら、屋敷に走って帰らなければならないのに、見飽きるほど見慣れた牡丹雪が降る、曇天の空を見上げる君は「埃みたい」なんて情緒のない事を言うんだ。
屋敷の部屋に戻ったら、沈黙が嫌いな君は本なんて読まずに楽器を手に取って歌い出す。
そうして賑やかに、毎年の冬は過ぎて行った。
僕はかじかむ手を独り握り締めて、白い息を吐きながら、うっすらと白い化粧を施された墓前にしゃがみこむ。
積もった雪を優しく払って、冷たい墓に笑いかけるが、笑顔がきちんと作れているのか分からない。
「どうして忘れてしまっていたのだろうね。君はとても寂しがりやで、ずっと僕が見ていてあげなくてはと……ああ、もう雪の結晶が見えない。溶けてしまうんだ、全て……」
笑顔が歪み、啜り泣く声が抑えられなくなる。
何故、僕は忘れていたのだろう。あんなに君が愛しかったのに。
彼女は処刑の前日、何を考えていたのだろう。将来を誓った僕に裏切られて、独房で独り。
喪ってから初めて思い出した僕には、泣く権利などないのだろうけど。
無音の雪がふわりふわりと舞う中で、僕の身体は冷え切り、しかし目元は熱を持ったままだった。