タバコと部長と。
喫煙者は肩身が狭くなっている。
タバコを吸う人にはわかるだろうが、今や会社でも喫煙スペースを取るところも少なく、ましてや都内ではルールを守れない愛煙家には罰する規則すらもあるほどだ。
その中で、澪が勤める会社ではまだ、精神的なストレス緩和の措置を図るためにもスペースの確保をしていた。
テーブル付き吸煙機に缶コーヒーを置きながら、澪はタバコに火を付けながら構想を練っていると
「やぁ、澪君。お疲れ様!」
「部長! お疲れ様です!」
立場上は遥か上にいる人物と話す機会を設けることもできる。
通称では仏とすら呼ばれる妙齢の男性だが、喫煙場という空間では接する時間も多かった。
「何かいいことでもあったのかい? とても爽やかな顔をしているね」
「そうですか?」
「そうだね。君は真面目すぎるところがあったから、私も気にかけていたんだ。いや、だからこそ、早々とリーダーに就任してほしいと、上に掛け合ってもいるんだがね」
「あはは。ありがとうございます」
部長は胸ポケットからタバコを取り出す。そこで察するように、ライターを取り出すのが澪の当たり前だ。
「ありがとう。ついでといってはなんだが、君に少し相談したいことがあるんだ」
「やぶからぼうに。何ですか?」
紫煙を吹いた部長は、少しだけ重そうな口を開け「葉山君は知っているかね?」と澪に問う。
「えぇ。同期ですし。入社したての頃は、軽く飲みに行ったりもしてました」
「そうか……」
と言いながら、部長は苦いものでも食べたような顔をした。
「彼女が、どうかしたんですか?」
「いや、どうやら鬱になってしまったらしくてね」
困ってしまった。部長は表情でそう物語っている。
鬱といえば現代病の一つだ。
病気といえば病気だし、気持ちの持ちようだとも言われればそうかもしれない。
いや、一番の問題は違うのだけれど――と、澪は思う。
「そうだったんですか。気づかなかった」
「君は確か、仕事をしながら心理カウンセリングの学校へ通っていたね。できることなら、力になってあげてほしい」
澪は二年前、元々興味のあったカウンセリング心理学を学ぶ決意をした。
3シフト交代制の中、グループのリーダーや係長にも相談をしたのだが、無論断わられたのは言うまでもない。
しかし、その話を聞いていた部長と課長が後押ししてくれたのだ。
結果、休日出勤の免除。深夜勤務では少し早く退社することが可能となり、現在は民間ではあるがカウンセリングの資格を得ることもできている。
その後は、興味のあるものに指導したり、リーダーへの昇進時行われる研修には、澪が作り上げた資料が使われるようにもなっていた。
簡単な話、カウンセリングの技術というものは相手の話を聴くというものなのだから、リーダーには必要不可欠と会社が判断したのだろう。
「私は、仕事のことはできるつもりだ。だからこそ、今の地位まで上り詰めたからね。しかし、人の心は専門ではない」
誰にも、向き不向きはある。澪自身も、自分はカウンセリングなどには向いているかもしれないが、看護師や医師は先ず無理だと自負している。
完全な理性の化物にはなれない。
人間には、どうしても感情というものがあることを知っている。
本能に赴くままの行動を規制された生き物。そうして発展を続けてきたのが、人間だ。
理性と感情の間で揺れ動き、バランスを欠きやすくなってしまうのも人間としての醍醐味かもしれない。
タバコを吸い上げながら、澪はそう思う。
「これは、社長直々の頼みでもあるんだ。私も、休職などで済むならそれがいいと思うのだがね、辞めたりした後、人生を棒に振ってほしくはないと思うんだよ」
「分かりました。できることはやろうと思います」
「助かるよ。来週には、社内での飲み会があったね。そこに羽山君も出席予定だ。君にも参加してほしい。シフト調整は、私から係長に命じておくよ」
「はい。分かりました」
「すまないね」
「いいえ。俺ができることをしたいだけですから。それに、俺のわがままを受け入れてくださった部長の頼みだから、断われないだけかもしれませんよ?」
「言うようになったね。よし、今度社長を含めて飲みにいこうか!?」
「勘弁してください……二日酔いはもうこりごりです」
部長と飲み会に行けば、翌日はマトモに仕事にならないのが既にセオリーだ。
「話には聞いてるよ。そういえば、あの日は山手線、何週したんだい?」
「それは言わないで下さいよ。部長」
8/18 誤字修正しました。




