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きっと人はそれを『運命』と呼ぶ  作者: 緋風 希望
19/30

一緒に、背負うから

「ただいま」


いつものように帰ると、今日もまた歩美は勝手に澪のアパートに上がり込んでいた。


「おっかえり! 今日はカレーを作ってみましたー! 今ねー、余熱で煮込んでみてるから待ってて~」


「おぉ~、美味そう。歩美も仕事大変なのに、ありがとうね」


澪は気配りを忘れない。


こういった小さなことが大切だと思うからだ。


「疲れてるねぇ」


「そういう歩美は、元気だねぇ」


「おっさんっぽいよ?」


いつもと変わらない。


いつもと変わらないかのように見えるのだが、澪はどことなく腑に落ちない。


本当に些細なことだ。


些細なことなのだが、気になって仕方がない。


「歩美」


「なーに?」


「何か隠してるでしょ?」


女の勘がすごいのも知っているが、ふっきれた澪の直感も負けたものではない。


瞳孔の動き、表情や身振り、手振り、声のトーンや大きさから相手の様子を見るのだ。


「何も隠してないよ」


歩美は、微笑みながら左下を向く。


「嘘」


「嘘じゃない」


「分かるよ。歩美は、何か誤魔化そうとする時に限ってそうやって左下を向くんだ」


「澪は、私のことなんでも知ってるんだね」


「知らないことの方が多い。歩美は宝箱みたいなものだからね」


澪は、鍋へと顔を背ける歩美へと近づく。


近づいて、体を密着させて、そのまま逃がさないようにと片手を壁に押し当てるのだ。


「教えてほしい」


けれど、強引にではない。


澪らしいやり方で、優しく、優しく問い詰めていくのだ。


「嫌」


「どうしても?」


「うん」


「それは、どうして?」


「澪に、心配かけたくないから」


「俺、役に立てることはしたいんだ。だからね」


澪は、壁に置いていた手を戻して、歩美の顎を掴む。


掴んで、顔を近づけ、囁く。


「言わないと、キスをします」


唇同士が触れ合うまで、


5センチ――


「澪が、したいだけじゃないの?」


「そうかもね。そうかもしれない」


4センチ――


「澪って、誰かの為ならそうやって、強引になれるもんね」


「キスもしたい。歩美が隠してることも知りたい」


3センチ――


「どうして?」


「好きだから」


2センチ――


「こんな近くで」


1センチ――


「そんな真顔で、こんなに焦らして」


澪は、真直ぐ歩美の目を見つめる。


少しだけ戸惑いのある、困った目を見据える。


見据えて、逃がさない。


歩美の後頭部に手を回して


「そんなの、ずるいよ」


唇を重ねた。


数秒――いや、一分だろうか。


ゆっくり口を離すと歩美はふてくされながら


「ムードもなにもない。ムカツク」


その言葉を無視して、澪は歩美を抱き締めるのだ。


「何があったのか、聞かせて。聞かせてくれたら、嬉しい」


「……お婆ちゃんがね」


「うん」


「お婆ちゃんが、倒れたんだって」


***


「すっごく大事な人だから、どうしたらいいんだろうって悩んでる」


「そんなに大切なんだ。おばあさん」


「うん。お姉ちゃんや弟くらい、大事な人。私、おばあちゃんっ子だったんだ」


歩美はそういって、澪のシャツを両手で掴み――


「昔は、お父さんとお母さんと、三人でアパートに住んでたんだけど、お母さんが死んじゃってからね、おばあちゃんがよく家に来てくれたの」


そして、澪の胸に頭を鎮める。


「お父さんには殴られちゃったりしてた私のこと見てね、あなたは何をやっているのって、お父さんのこと叱ってくれてたなぁ。風俗に行くって決まったときもね、そんなことやめなさいって言ってくれたんだよ。あなたは何も悪くないんだからって」


歩美の声は、普段の穏やかさや元気も徐々になくなっているようだった。


声のトーンも、大きさも、小さく、小さくなっていく。


「あなたは、何も悪くないのに、どうしてそんなことをしなきゃならないのって、泣いてくれたりもした」


シャツを掴む指に力が入ったのを、澪は見過ごさない。


「お前は俺の娘なんだから、親を幸せにしろって言われて、殴られて育ったからさ。何が良くて、どうすればいいのかも分からなかったの」


実父の暴力。


それは、どれほど子供の心を病ませるものか分かるだろうか。


子供は、親の道具なんかじゃないだろうが――!


澪は歯を食い縛る。食い縛って、自分の中に芽生えた怒りを抑え込んだ。


澪自身にも暴力を受けた経験がある。


幼少の頃、近所の年上の人から首を絞められたのだ。


――それが嫌だから、絶対に暴力を振るわないと誓った。


澪自身も、祖父母に育てられていた。


それが原因で、実の父親と母親には手ひどくあしらわれた。


言うことを聞かなければ、山に捨てられたり川に置いていかれたりもした。


――だから、自分は優しい人間になりたいと願った。


一番尊敬していた祖父が亡くなった後、自分がどれほど守られていたのかを知った。


――そして、誰かを本当に守れるような人になりたいと心に刻み込んだ。


「お父さんに、レイプされたりもした。それが、躾だって、言われて」


歩美が震えているのが分かる。


怖かったのだろう。


辛かったのだろう。


悲しかったのだろう。


それはそのはずだ。


実の親にレイプなどというものが、許されていいのだろうか。


辛かったよな。辛くないはずがないよな。


澪はそう思うと、視界がぼんやりしていることに気づくのだ。


「どうして、澪が泣くの?」


「悲しいからだよ」


「ほら、やっぱり、澪は、優しい人じゃない」


澪は、歩美をもう一度抱きしめた。


「温かいなー、澪って。抱きしめられるとね、なんだかホワホワするの。安心する。すっごく安心する」


抱かれてきた客の数は多い。


その男たちは、大抵が、自分を性の捌け口にするためだということも、歩美には分かっていた。


だから、なのかもしれない。


心から、自分のことを心配して、悲しんで、苦しんでくれて、何とかしたくて、抱きしめてくれるのだから。


「私、抱きしめられて、こんなに嬉しいって思ったの、始めてかも」


嬉しさもある。その反面、怒りもあった。


自分自身に対する――怒りだ。


ふざけるな、と澪は思う。


気付いてあげられるチャンスなど、何度もあったはずだ。


何か、それらしい仕草だってあったはずだ。


何故、気付いてやれなかったと、自分を責める。


だが、責めたところでどうしようもないのも分かっている。


なら、どうすればいいのか。


簡単だ。


歩美の体を抱き締める。強く―――強く。


一つに重なってしまうように力強く抱きしめて、密着して、歩美の細い顎を上げた。


「そういう過去も全部、乗り越えていこう。俺が一緒に背負うから」


「み――」


澪は、自分の名前を言わせる時間なども与えない。


歩美の後頭部を引き寄せ、唇に唇を重る。


何度も、何度も、何度も。


離れてはまた吸い付くように、そして上唇を舐め、下唇に優しく噛みつき、舌と舌とをゆっくりと絡めあいながら少しずつ移動して――ベッドに、押し倒した。


「み、澪、シャワー」


「黙れよ、歩美」


澪にもう、迷いはなかった。


「もう、手加減も遠慮も、しない。俺が全力で……いや、違う。一緒に、幸せになろう――」


* * *


ベッドの上、生まれたままの姿で抱きしめ合っている二人は、息も落ち着いた頃に会話を進める。


作戦会議だ。


「今は、入院してるの?」


「うん。でも、お金がね」


親父さん――は、宛にできないだろう。いや、したくないだろうな、と澪も思った。


それほどのことをしてきた父親だ。そもそも、金は自分のために使ってしまうだろう。


「また風俗に戻ったほうがはやいかなーって、そんなこと思うんだけど」


「それはダメだ。安易に考えすぎ。歩美が風俗で稼いだお金で、お婆さんが嬉しいと思う?」


そう告げると、歩美は下を向いて俯く。


「でも、お金ないのは事実だし」


そうかもしれない。


風俗時代に稼いだお金は、そのほとんどを借金に当ててしまっている。


貯金も少しはあったというのだが、家具などを揃えることや、就職活動。生活費を考えれば、そう多くを期待するのは難しいだろう。


なら――と澪は思うのだ。


「歩美のアパートって、家賃もそこそこ高かったよね」


「一応貯金もできてるけど、でも1万円がいいところ」


「保険、は期待しないほうがいいね」


「おじいちゃんがいくらかかけてたみたいだけど」


「歩美と遊び始めてからは、貯金減ったけど、それでも3万はできてる。生活費を切り詰めて、ネット解約したりすればプラス1万円くらいは浮くよ」


「え、えっ、ちょっと待って。澪、何考えてるの?」


「俺からも治療費出せないかなって」


さも当然のことのように、しれっと澪は言ってしまう。


「ちょ、いいよいいよ!」


「良くない」


声を聞いている限り、いつもの歩美が戻ってきたみたいだ――澪は少しだけ嬉しかった。


「いいって!」


「良くない。だって、歩美にとって大切な人なら、俺にとっても大切な人だ。それに、どうしようもない時には誰かを頼ることも大切だって教えてくれたのは、歩美だよ?」


歩美は、澪の胸に頭を乗せた。


「澪。嬉しいよ。嬉しいんだけどね」


「それ以上は聞かない。黙ってお金出させなさい」


「いーやー! 嬉しいけどいーやーだー!!」


などと言って、澪の胸を叩くのだった。


仕方ない――この手はあまり使いたくなかったけれど、と思いながら渋々と


「分かった。じゃあ、嬉しい。ありがとうって言うまで君を縛ってイタズラする」


また、こんな発言をする。


「ちょっと……澪、変態に磨きがかかったね」


「半分は、歩美のお陰でもあるんだけど?」


「わっ、私のせいにするんだ!?」


澪は一言も返さず、ただニッコリと笑った。


「っていうか、今更なんだけどさ。いっそのこと、一緒に住まないか?」


「えっ?」


「ほら、そうすれば家賃分を治療費に回せそうだろ?」


「あ……うん。そうだけど」


「光熱費諸々含めても、十分にお釣りもでる」


「ねぇ、いいの、私で?」


「俺もう、歩美以外考えられないんだけど?」


「私ほら、高校のときは援交もやってたし、風俗上がりの女だよ!?」


「援交は初耳だったけど、過去は過去だね」


「ヤクザさんにも知り合いいるし、昔の客から適当に言われるかもしんないし」


「ヤクザさんは怖いけど、俺も地元だったら知り合いいるし……あ、でも以前の客に言い寄られたりとかは、ちょっと嫌な感じもする」


「というかね、なんていうか、ホラッ! 澪みたいなクソ真面目でお堅い人とは釣り合わないって言うか」


「それは遠まわしの悪口?」


「そうじゃなくて、なんていうか」


歩美は、躊躇う。躊躇いながらに、ようやく口にする


「私、汚いよ」


自分が一番に好いた女性が、自らを汚いという。


ならば、簡単な話だ――できれば引っ張り上げてやるしかないだろうなと澪は思う。それができないのなら、自分が汚れてしまえばいいだけの話だ。


世界でたった一人の女のために、汚れきってやるのも悪くない。


「汚れてるっていうなら、俺も汚れきってやる。風俗なんかよりも性質の悪い汚れ方してやるさ」


「例えば?」


「そうだな、イスラム過激派に行って奴隷商人になるってのもいいかもだな」


「うっわ、ゲスの極み」


「女子高生の知り合い作りまくって、性開発して売り飛ばすとか最悪だろーな」


「うっわ、本気で最悪だね」


「あとは、お前の親父を殺すってのもある。許せない」


「それは、やめてね」


「分かってる」


「分かってない!」


歩美は、おもむろに澪に覆いかぶさる。


相変わらず、可愛い女性だ――


だからかな。歩美の願い事は、かなえてあげたい。守ってあげたい。


澪は、そう思っていた。


「私はお父さんに死んでほしいんじゃない。澪に人殺しになってほしくないの」


「そっか」


「そうだよ」


「……俺から言えるのはこれだけだよ」


歩美の首元に片手を回して、抱きしめた


抱き締めて、囁いた。


「好きだ。愛してる」


「こんな汚い女のとこが?」


「真っ直ぐな眼。カサカサでボロボロな手。過去に負けてなくて、太陽みたいに穏やかな性格の君が好きだ」


「澪……私も、好きだよ」


今度は、歩美が澪の首に両手を回して囁いた。


「こんな最悪の男のどこが?」


「一生懸命なところ。優しいところ。お月様みたいに癒してくれるところ。あとね、可愛いところも、可愛がってくれるところも好きだよ!!」


ここまで来たら、しっかりと口にしておくべきか。


善は急げとも言うし――と澪は、


「じゃあ、結婚しよう」


簡単に言ってしまう。


これには、歩美も怒りを隠せない。


「ちょっと澪ぉ、全然ムードも何もないじゃない!!」


「今のは予行練習」


「予行練習なんだ」


「本番は、後日ディナー後で」


そう言って、また優しく歩美を抱き締める。


「もうっ! 返品交換なんか受け付けないんだから、覚悟してください!!」


少しだけふてくされながらも、歩美も抱きしめる腕に力を込める。


そして――私、幸せになってもいいんだと嬉しく思っていたのだった。


稚拙な作品ではありますが、感想など頂けると励みになります。

よろしくお願いします!


8/24 加筆修正加えました。

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