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きっと人はそれを『運命』と呼ぶ  作者: 緋風 希望
12/30

先生?

由奈と飲んで別れたのが11時。


そこから電車を乗り継いで自宅に帰る頃には、もう次の日になっていた。


少しアルコールに酔いながら鍵を差しこんで回すのだが、鍵は開けられている。


そういえば、歩美に合鍵渡したんだっけ。もしかして来てるのかな?


澪はそう考えてから、ドアを開けた。


「ただいまっと」


澪の視線に映ったのは、黒に近い髪に戻した歩美がシャツを顔に近づけているところだった。


リンゴのように真っ赤な顔を向けながら。


「こ、こほん」


わざとらしく咳払いをした歩美は「おかえり。澪。2週間ぶり……くらい?」と何事もなかったかのように、出迎えの挨拶をする。


「今の行動について、理由を聞こうか。歩美」


「何のことかなぁ、飲み会に行ってお土産も買ってきてくれない人には――ん?」


「そもそも、今日来るなんて一言も」


聞いていない、と言いかけた澪の言葉を「女の匂いがする」という歩美の言葉が遮った。


「嗅覚は犬並みか……。確かに、女の子と飲んでたよ」


「私という女がいるのにー!」


「とか言いながら、少し喜んでるよね。歩美」


「分かる?」


「うん」


「何々、エッチしてきた? 避妊って大事だよ!!」


嬉々として訪ねる様子。それはどういうことなのか。


歩美という人間は、開ければ色んなものが出てくる底なしの箱だと、澪は思う。


「高校生レベルですか」


「してないのかー。このチキンー!」


「あのなぁ……昔、好きだった女の子だよ。鬱になってるみたいで、少しは気持ちの捌け口になればいいなーって思ったんだ」


ジャケットを脱いでスマートフォンを確認すれば「澪、今日はありがとうね」という言葉が入っていた。


「無事に帰れたかよ。とにかく、前向きに行こうぜ」とだけ返した澪は、改めて歩美を視界に入れる。


「鬱かぁ。多いよね。最近そういうの」


鬱なんてのは、心と体のバランスが上手くかみ合わなくて不調をきたす、元々あった人間病の一種じゃないか。


パーソナリティー障害とか何とか難しい言葉でいうけど、他者との線引きが上手く言っていないんだから、自分は自分でいいんだって、そう簡単に伝えてあげればいいのに――そう澪は思うのだった。


「はい、お水」


「ありがと。で、さっきの続きですけど」


「え、どっちの話!?」


「どっちって、さっき俺のシャツの匂いを嗅いでた時の――」


「何でもない、何もしてない、私は無実!」


自分で無実と言い張ろうが、既に証拠もあった有罪だって。澪は心の中だけで呟き、笑った。


「はいはい。で、何しに来たの?」


「んっとね、こんな時間になって悪いなぁとは思うんだよ?」


「一応、悪気はあるのな」


「うん、でね」


歩美は、バックからクリアファイルに入った書類を見せ付けてた。


「履歴書。来週月曜日に面接なんだけど、履歴書の書き方とか、練習してほしいなぁ……なんて?」


「あぁ、いいよ?」


「そうだよね。こんな時間だもんね。ゴメン」


「何早とちりしてるの。いいよ?」


「いいの?」


「結構酔ってるけど、それくらい見る余裕はある。っていうか、それくらいのメリハリは付けられる」


「じゃ、じゃあさ、ここ! この資格って、どこまで書いたらいいのかなっ」


規則正しい犬のように従順に、テーブルに履歴書を置いて正座した歩美は、とてもうれしそうな表情を澪を向けていた。


「えっと、歩美、資格は何持ってるの?」


「漢字検定3級と、秘書検定準2級。あとエクセルとワードっ! それと大型バイク!!」


「受ける職種は?」


「事務職だよ?」


「じゃあ、それは全部かいてOKだね。ていうか、いつ取ったの?」


「風俗で働いてた時に」


「すごいな。なかなか聞かないよそんな子」


「そ、そうかな。じゃ、じゃあ、この志望動機ってどう書けばいい?」


「その会社の情報収集は?」


「してみたんだけど」


「資料ある? 見せて?」


ハローワークの求人なのだろうが、歩美が希望するのは新宿に事務所を構える証券会社らしい。


設立や人数は、澪が勤める大手に比べててもどっこいどっこいの大手企業。


社会保険や厚生年金。積立金制度もあり、育児休暇などの保証もしている。


事務職に関しては、一般的な時間内の労働であり、資料内の情報を信じるのであれば残業時間も少なめだったのだが。


「事務処理って、大体は正確なパソコン打ちの速度が重視されるんだ。電話対応なんかも多かったりするけど、経験はある?」


「お店で電話番やったり、売り上げの入力とかもやってたよ!」


資格を有し、ある程度触れていることも考えれば、あとは処理に慣れるかどうかという問題点だけのはず。というか、風俗店での売り上げ入力って……


あぁ、どれだけ客がどんなサービスで入ったのか、それをグラフ式にすると分かりやすいか。で、総合売り上げを計算してって、何を考えているんだろうか。


澪は、わき道にそれそうになった自分の頭を振り払い、歩美の志望動機について書くための材料を整理し始めた。


「データ入力してた時、店長とかから何か褒められたりした?」


「うんっ! 正確で助かってるって!」


「それいただき。じゃあ、そうだね」


澪は、メモ用で残しておいたミスプリントの紙の裏側に、今まで集めた情報からそれらしい言葉を考えて、簡単な文章を作成してみた。


以前所属していたサービス業で、データ入力や電話などの対応の経験もあり、店長からは正確な入力で助かっているとの言葉を頂戴しております。

笑顔で接することを私自身の心情としており、多くの人達から信頼を得てまいりました。

持ち前の明るさと、仕事に対する前向きな取り組みを持って御社に貢献させていただきたい一心で志望いたしました。

よろしくお願い致します。


「本当はもっと詳しく書きたいけど……基本はこんな感じでいいんじゃないかな……って、職歴に堂々と風俗店勤務とか書いてるのかよ!?」


「え、ダメかな?」


「ん、んー……あまりいい印象はもたれないと思う。いや、でも待てよ」


風俗に勤務することのメリット。そしてデメリットがあることには違いない。


日の当るような会社では、内心そういった子を受け入れたくはないというのが切実な話じゃないかと澪は思う。


内部の人間の中には、そのことを理由に脅しを掛けて身体を要求する者もいるのではないだろうか。


それならばいっそのこと、オープンにしてしまった方が、会社側としても受け入れるか否かということになる。


元々、会社と個人での面接というのは対等なもののはずだ。


ならば、そこに価値を見出してもいいかもしれない。


「歩美って、どうして風俗で働いてたの?」


「あ、そこ踏み込んじゃうんだ?」


「言い難いことなら、言わなくていいんだけどね。それなら、別のやり方もあるからさ」


「澪なら別にいいよ。それに、在り来たりな話だから。一言で説明すると、お父さんが多額の借金作ったの」


「それは、辛かったな」


「あはは。うちのお父さんほんとクズでさー、諦めればいいのに何度も何度も借金こさえて、結局6年ってわけですよ、はい」


娘が返済している最中にまた借金を作って、という悪循環だったのだろう。


苦笑いをしているのだが、歩美の顔からは吹っ切れた様子は見られない。


「けどね、悪いことばっかりじゃなかったんだよ。そのお陰で、お姉ちゃんもできたし、弟だっているんだ」


「前向きだね」


「それが私のモットーですし! そうだ、時間あったらお姉ちゃんのお店にいこうよ? 私、お姉ちゃんに会って欲しい!!」


「うん、時間が会ったら是非。話脱線したけど、大体まとまったよ。もし勤務のことで聞かれたら、そのまま応えていいと思う。少し言いにくいのですが、父が多額の借金をしておりまして、その返却のため風俗店勤務をしていました。現在は完済してます。とでも言えば、面接官もびっくりすると思うよ」


「そ、そうかな?」


「何かに対して一生懸命なところも伝わるし、勉強もして資格取ったりもしてるから、勤勉さも伝わると思うよ」


澪は、伝わって欲しいなとも思うのだ。


裏や表はあるのかもしれないが、それでも彼女は一生懸命に頑張っているのだから、それを認めてあげて欲しい。


できれば、社員として受け入れてほしいところもあるのだが、それは自分の欲張りなところだなとも、思う。


誰もが皆、平等な社会であるわけでもないのは、澪も知っているのだから。


でも、先ずはできるところからだと考えを改める。


「じゃあ、明日から面接練習と行きましょうか」


「ほい、お願いします先生!!」


「最初はしょうがないけど、何回も間違えたら」


「間違えたら?」


「大人なおもちゃを使っていじめます」


「変態」


冷蔵庫に入っている氷を押し付けられたかのように冷たい声が耳に響いた。


「それくらいされるかもしれないって覚悟を持ってやってほしいってことだよ」


「澪ってさ、すごーく変態だよね。もう汚れって感じ」


澪は、心にグサグサと槍が刺されているかのような痛みを感じる。


それはもう、刺して傷口を抉られるかのような痛みなのだけれど、それも自分なのかもしれないと思えば受け入れるしかない。


受け入れがたい自分も、自分なのだから。


でも今は――まだ受け入れたくはありません。と、誰かに心中呟いた澪は、


「うっさいな」


と抵抗を試みるのだった。


「でも、誰かの為だったら、本当に必死になってくれるよね。そうやって、自分のことけなしてでも」


歩美は、ふと悲しそうな顔をした。


それがどういう意味だったのか、澪には分からない。


分からないのだが、分かりたいとも思うのだが、今はその時期でもないはずだと自分に言い聞かせていた。


「はいはい。そういうのはいいから、さっさと履歴書書いてしまおうね歩美君」


「はぁい。先生!!」


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