放ってなんかおけないから
場所を移した澪と由奈は、会社からそう遠くはない居酒屋に足を運んだ。
座席でテーブル越しに向かい合った二人に店員が近づくと、澪は「とりあえず生中。それとカシスオレンジ」とメニューも見ずに注文してしまう。
「覚えててくれたんだ?」
「一応ね」
由奈は酒が強くはないフリをしている。
のだが、一杯目は慣れがほしいということから、弱めのカシスオレンジを注文するのがセオリーとなっていた。
数年のブランクがあるのだが、どうやら変わっていなかったようで澪は少しだけ肩を下ろす。
「ここに来て、こうして飲むのも、久しぶりだね」
「そうだなー。あれだ、新入社員歓迎会のとき以来だ」
「懐かしい。そうそう、歓迎会で飲んで、その後何人かでカラオケ行って、それでここにきたんだもんね」
「あー、あの時は散々皆のことからかってたなー」
「澪は調子にのってたもんね」
「由奈のことも散々からかってたもんな。年上を敬えよっ! て言われた気がする」
「言った。普通にからかってくるんだもん」
店員に差し出されたおしぼりで、丁寧に手を拭きながら由奈は答える。
「何したっけ、俺?」
「頬ツンツンしてきた」
「う……」
「脇腹くすぐってきた」
「あ……」
「頭撫でてきた」
今更ながら、何をしていたんだと澪は過去の自分に問いかけてみた。
気はあった。可愛い人だと思ったことは違いないのだが。
「ムカついたから、日本酒何杯飲ませたかな」
そう、若さゆえの無茶振りを強制されたのだ。
その思い出はまだ消えていない。
JR新宿駅のトイレ。最奥の便座は未だに親友だとすら思う。
「あれって、その仕返しだったのか!?」
「年上をからかった仕返しです。本当にムカついてたんだから」
「まぁ、ムカついてただろうなーとは思ってたけどさ」
「でも、だからなのかな」
運ばれたカシスオレンジを受け取り、店員にありがとう」と告げた由奈は、軽く一口飲んでから、
「裏も表もなかったから、不思議とすぐに打ち解けあえたし、何でも言えた」
視線を僅かに逸らして告げる。
しかし、その直後にはパァっと子供のような笑顔を作り「ムカついてたけど、澪ってすごいな~って思ってたし」と言うのだ。
「すごくなんかないよ。色々やってたら疲れてきたし、最近なんか、コミュニケーションとることすら面倒って時もしばしば」
澪はビールをゴクゴクと一気に半分ほど飲み干す。
あまりアルコールは飲まないほうだが、由奈が相手となれば別だ。
一度、ベロベロになるまで酔っ払った中でもある。
だからこその安心感を感じていた。
けれど、あくまでも今回は由奈をたてなければならないという使命感もある。
さて、どうしたものだろうか。と澪は思うのだが、やはり信頼を取り戻すことが第一条件だ。
それには、自分の愚かさや馬鹿さ加減を再認識してもらうのがいい。
「くっはー、うまーい! この一杯のために生きてるー!」
「コミュ障?」
「うっせ!!」
「でも、わかるかも。面倒くさいって気持ちは」
つまり、由奈は今、会社にもあまり言い出しにくい何かを抱えているということではないだろうか。
少しアルコールの入った澪の頭でも、それくらいのことは推測できた。
人というものは、付加がかかりすぎるとできていたはずのことができなくなってしまう。
由奈は、コミュニケーションという点において面倒だと思わせるような節はなかったはずだ。
それが、この数年で何が変わったのか。
まぁ、それはそれとして――澪は思う。
人生は一度きりなのだ。後悔もしたくはないし、言い残すようなこともしたくはない。
「由奈、今だから言うけど俺、お前のこといい女だなって思ってた」
「何で今更言うの?」
「何となく。けど、いずれは実家に帰らなきゃならないってのもあったし、彼女作りたいってよりも、色々学びたいとか、そういう気持ちの方が強かったんだ」
「人生、損するタイプだよね。澪は」
「多分ね」
「楽しまなきゃ損だよ?」
全くをもってその通り。澪は心の内で呟いた。
実際、東京に来てから5年という歳月。その殆んどを勉強か仕事で費やしている。
近場に夢の国や東京タワー。観光地もざらにあるはずなのに、楽しめてはいない。
「ウッス! ご忠告、痛み入ります!!」
澪が空手部員のように挨拶すると、由奈の「フフッ。バカじゃないの?」という柔らかな声が耳に触れた。
何気なく顔を戻す澪の視線。その先には、何故か頬を濡らす女の子が一人。
目を閉じた澪は――
やっぱり、何かがあったに違いない。
けえれど、それを土足で踏み込んでいいのか?
いいや、踏み込むべきだ。
どうして?
面倒だってのは分かってるはずだ。
ではなぜ?
当たり前だ。
友達一人の力になることなんか、当たり前のはずだろ、俺
――僅かな時間、自問自答して決意し、目を開けた。
「由奈。何で、泣いてるんだ?」
「うん、分からないけど、なんで私泣いてるんだろね」
「冗談でいうけど、俺と飲めるのが泣くほどに嬉しかった?」
「バカッ!」
涙を拭いながら、由奈は「澪のせいだ」と口にする。
澪は、何がどうなっているのか分からない。事情などはこれっぽっちも知らない。
情報など、何一つもないのだ。
だが、関ると決めたことに揺らぎはない。
「じゃあ、責任は取らないとな。俺にできることはある?」
「澪は……私を助けてくれる?」
由奈は再び俯いた。
助けるというのは、どういうことなのか。
それがサッパリ分からない。
何をどうすればいいのかも分からない。
分からないのだが、澪は「すごく冷たいことを言う」と口に出す。
こういうのは、ケジメが大切だと思うのだ。
何をするにも、決意と覚悟が重要。
それが、澪が澪らしからぬ理由なのだから。
「正直、今の由奈は面倒だ。うざいって感じもする。それに、助けられるとかそういうのは知らない。自分が勝手に助かるだけだ」
唇を引き締めた由奈は苦しそうな声で「そうだよね。そんなもんだよね」と言い放っていた。
人というものは残酷だ。
目の前にある真実よりも、時に甘い嘘を求める時もある。
きっと、嘘がほしかったんだろうなと、澪は思う。
仮初の、すぐに壊れてしまうようなものでも、一時的に縋ることで幸福を感じる時があるのを、澪も分かっている。
けれど、それではダメなのだ。
だからこその、布石でもある。
自分の感情を伝えるのは、大切だと思うから。
「だけどな、放ってなんかおけるか。大切な友達だ!」
「本当、澪はズルイ人だよ。酷い。最低。女の敵」
「あぁ、自覚してる。俺は最低な奴だよ」
「加えて、チキンでしょ」
「こーけこーっこー」
「むっかつく!!」
「ムカつく時は飲め飲め。でもって、吐き出しちまえよ。明日は休みなんだろ?」
軽口を叩きながら、澪はビールが入ったジョッキを差し出した。
「澪、覚悟してよ。私、今日は本気で飲むからね」
澪の差し出したジョッキに、由奈はグラスを重ねる。
カンッという軽い音は、缶蹴りというゲームでも始めるかのようだったと、澪は思っていた。




