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すべてへ  作者: 気象情報
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8.わたしたちの“友達”(Even if you are only my friend)

「覚えてるか? 俺が落としたあの……落ち葉とか集めたりする」

「ああ、鋤簾?」

「たぶん、それ」


 それは多分、よくあるひとコマだった。

 六年四組で人気のある掃除場所といえば体育倉庫で、先生もなかなか見に来ないし掃除自体も比較的楽だし、昼休みグラウンドで遊んで近いところにあるし、何より暗くていろいろな物があって秘密基地感覚で楽しくて、じゃんけんでそこを勝ち取った班長はとにかくヒーローになった。

 俺の所属していた班は通算で三回当たった。運は良かったと言っていい。その中で一度、対馬と同じ班のときにも当たった。

 やたら高さのある体育倉庫ははしごで上るつくりの三階まであって、俺みたいなちょっと頭のゆるい奴にとってはそれは楽しくて仕方なかった。そしてその三階から掃除の途中、俺はその、鋤簾を落とした。

 それは二階に引っかかって跳ね、下の壁に立てかけてあった竹馬に直撃、しゃがんでちり取りを使っていた対馬にぶつかった。

 珍しく真面目に掃除をしていたときのことで、それはいつも誰かがする作業だった。あれは確実に、事故だった。

 ただ、その事故を起こしたのは、俺の不注意だったから。

 とっさに発した俺の声で上を向いた対馬の、その鼻の上のほう、両目の間よりは、少し下。はっきり見えた。はっきり覚えている。顔に当たるとしたら比較的幸運な位置だろう。目じゃなかったし、硬いところだ。

 だけど血が出ていた。少なくとも、傷にはなったわけだ。

 五時間目に大幅に遅れてきた対馬の傷には、大げさなガーゼが貼ってあった。

「冴ちゃん、跡にならないといいけど」

 誰が言ったのだろう、そんなセリフもはっきりと覚えている。

 そして大げさに心配する対馬の友達のせいでなんとなく謝るタイミングを逃し、俺は今でものうのうと、対馬の隣にいる。


「大丈夫なのに、全然」

「すぐわかる、ってことは、意識のすみにはあったんだろ」

 対馬は黙ってしまったが、俺は構わず続ける。

「その眼鏡も……」

「それは、違う。跡は見てもほとんどわかんないの。だから大丈夫」

 そう言って対馬は薄い眼鏡を外した。薄暗いというのもあるが、正直解らない。

「そう、よかった。本当にごめん。ずっと言えなくて」

「私のほうこそ、ずっと覚えててくれて嬉しいよ。ありがとう」

 そして、斉藤くんってば大げさよお、と対馬は笑う。心がすうっと、軽くなる。

 なったのに。

「そうだ。見た目には多分わかんないんだけどさ、触ったら多分、解るよ。触ってみる?」

 対馬はそんなことを言い出した。

「……っ!? 触っ?」

「いやっ……いや、なんでもないの。ほらこのあたり、ちょっとだけ、ね」

 大げさに慌てて発言を撤回した対馬は、少し俺に顔を近づけてまた眼鏡をとり、傷の位置を指し示した。

 灯りから離れて薄暗かったからか、対馬の言う通り見たくらいじゃ解らないからなのか、結局傷跡は俺の目には映らなかった。

「慣れちゃってたせいもあると思うけど」

 俺が夜空を見上げながらそう口を開くと、対馬はなに? と首を傾げる。

「やっぱりその眼鏡、あんまりしっくり来ない」

 振り向いて見た対馬の目元で、長いまつげが少ししばたかれる。

 でもかけないと困るときあるし、コンタクトは体質的に合わないらしくて、という返事までに少し、時間がかかった。


「ごめーん、遅くなっちゃった」

 それからまたもう少し経って、光原が戻ってきた。

「こういうお祭りって、なかなか普通の飲み物って売ってないのね。ラムネならあったんだけど、冴は炭酸飲めないでしょ?」

「いいのに、私のことなんか」

「そういうわけにもいかないって」

 結局外の自販機まで行っちゃったから、と光原は抱えてきたペットボトルを一本ずつ俺と対馬に手渡し、自分のペットボトルのふたも開けた。

「ありがとな。ごめん、気、つかわせちゃって」

「ん……私なら大丈夫。斉藤くんはどう?」

 微笑みに少しだけ深刻な調子を混ぜて、光原は尋ねる。俺がもう落ち着いたから、と言うと、光原はもう一度、笑顔になった。

 平気だよ、と示すために、すっくと立ち上がる。

 目で合図して、三人でまた歩き始めた。

 すぐに貴司と灰原を捕まえることができて、口では邪魔くさく言っていたけど、ふたりともなんだか嬉しそうにしていた。


 それからまた、今度は五人でしばらくあちこち回り、そして誰が言い出したわけでもなくぼちぼち帰るか、という雰囲気になった。

「じゃ、またね。また多分、呼ぶと思うから」

 最初と最後はやっぱり灰原が仕切って、そしてみんなも思い思いの別れの挨拶で続いた。

 灰原は歩いて来れるほど近くに家があるらしく、貴司は自転車を置かせてもらっているのだという。時間差で来たのは作戦だった、と貴司がさらっと言い、灰原に蹴られかけていた。光原はバスが出ちゃうから、と取り急ぎもう一度挨拶をして駆けていき、貴司と灰原も並んで歩いていった。


「対馬は自転車だっけ」

 また対馬とふたりきりになってしまって、ちょっとぎこちなくなった俺は、知っているのにそんなことを尋ねたりしてみた。

「そうだよ、公園のところ。斉藤くんの自転車もあった気がしたんだけど」

「あたり」

 どちらからともなく、公園のほうへ歩き出す。ふたりきりで並ぶとなおさら、対馬は光原よりずっと背が低くてなんだか落ち着かない。

 灯りの少ない公園は、だけど祭りの人の波を逃れた親子連れが遊んだりしていて、少しだけにぎやかだった。俺も、そして対馬も特に何も言わずにそんな光景を眺めながら歩いていった。


「ねえ、ごめんね、さっき」

 もうすぐ自転車置き場に着くというところで、ようやく対馬は口を開いた。

「何が?」

 どちらかというと心配もしてもらい、苦し紛れに昔の話もほじくり返した俺だから、どちらかというと自分のほうに負い目があったつもりだったので素直にそう聞き返した。

「触って、なんて変なこと言って」

「冗談くらいでそんなに謝らなくても……まあ、びっくりはしたけど」

 自転車置き場に着いて、ポケットから鍵を取り出して差し込み回し、ロックを解除する。

 スタンドを蹴る前になんとなく後ろを振り向くと、対馬はそこに立ったままだった。


「違うの」

 見たこともない複雑な表情で、対馬は斜め下を向いてうつむいていた。

「冗談じゃ、なかったの」

「ごめん。そんなに傷のこと、気にしてたんだ」

 俺がおどおどそう尋ねると、対馬は違う、違うの、と言ってうずくまり、顔を覆った。

「私が斉藤くんに、触って欲しかっただけ」

 しばらく俺が何も言えないでいると、対馬はゆっくりとまた立ち上がった。

「対馬……?」

「私、やだ、私、わたし……」

「対馬!」

 俺がそう強く呼びかけると、対馬はびくっと体を震わせた。我に返ったような表情になる。

「あれっ、私ってば何言ってるんだろ」

「なんでもいい。どんな話でもいい。俺はちゃんと聞くから、だからちゃんと話してくれ」

 もう一度強く言って、対馬の目を見る。対馬はさっ、と軽く目を逸らし、またうつむいた。さらに灯りのまばらな自転車置き場に、沈黙の風が吹き抜ける。

 対馬が唇を噛みしめて、わかった、と言うまでに、また少し時間がかかった。


「私ね、こっちに引っ越してくるまでに三回、引っ越して転校してたの。最初は幼稚園の時で、はっきり覚えてはないんだけど大泣きしてたんだって。兵庫に引っ越したんだけど、小学校に入って半年くらいで大阪、二年生の夏に広島。毎回お父さんは『もう引っ越ししないから』っていうんだけど、またか、またか、って。そのたび寄せ書きとかもらってさ、お別れ会とかして……シャレにならないよね。携帯もないし、手紙書いてまでテレビやマンガの話、しないでしょ? 年賀状とかだって一年経てば来なくなるし、本当にお別れになっちゃうんだもん」

 近くにベンチがあったので、俺と対馬はそこに座った。端と端なんかじゃないけど、電車だったら平気で人が座るくらいの距離は保っている。

「だから私ね、こっちに引っ越してきた時もすごいスネてたの。広島にいたのが長くってさ、ちゃんとクラスでうまくやってた。親友って呼べる友達も、いたつもりだった。でもやっぱりみんなと、“お別れ”になっちゃったの」

 クラスの朝の会で自己紹介をしたときの対馬のことなんてうすぼんやりとしか覚えてないけど、だんだんクラスに馴染むにつれて印象が変わっていった覚えはなんとなくある。

「お父さんもお母さんももともと大阪の人でさ、関西弁に広島も混じってわけわかんないしゃべり方だったから、ちょっと私、からかわれたりしてたでしょ。それにスネてたのも重なって、もう五年生ってのも、あったのかな。友達もあんまり……できないっていうか、ぎこちなくって。学校つまんないな、って思ったりもしてた」

 少しずつ、ゆっくりと噛みしめてから吐き出すように話す対馬の表情はひどく大人びて見えて、過去を懐かしく、そして愛おしく振り返っているようでもあった。俺の中にあった昔の思い出にも、少しこれまでと違う色がつく。

「でも人間ってさ、そんなにずっとスネてられないじゃん。なんとかそれでも友達とうまくいくようになってさ、それでなまりも直そうと思ったんだけど、直そうとすると余計にまたからかわれるの。『男子ってみんなコドモ!』って、友達は言ってたけど」

「まあ良く聞く話だけどな」

「でも、みんなそういうわけじゃないじゃん。……十一月の席替え、私はっきり覚えてる。斉藤くんたちとはじめて、一緒の班になったの」

 五、六年と担任の先生が同じだったのだが、その先生の席替えのやり方というのが少々変わっていて、男子だけ、女子だけを教室に残しそれぞれで好きに席を決めさせ、後で“対面”させるというものだった。座席によって六人ずつに班が決まるから俺はいつも同じふたりと班を組んでいた。そのふたりとは六年に上がるときのクラス替えで離れてしまったが、六年になっても二年ぶりに同じクラスになった貴司ともうひとりと、同じように一年間通した。結局のところどの班も男女別に三人のグループが出来上がっていて、組み合わせの問題だけだったようにも思う。

「で、何かのとき……給食、だったかな。私が『そんなに変かなあ?』みたいな感じで聞いたら、斉藤くんは『解るから大丈夫、直しても直さなくても一緒』って言ってくれたの。覚えてる?」

「覚えてない」

 聞かれていたのなら多分そう答えていたと思う。俺の友達はおおかたどこか抜けていて人のしゃべり方なんてさして気に留めない奴らだったから、そういうことを言いやすい雰囲気もあったのかもしれない。

対馬は、覚えてないかあ……とオーバーアクションで言って、また続けた。

「ちょっとマヌケな話かもだけど、気付いたの。こういう人と友達になれば楽しいんだ、って。六年になって同じクラスになれて嬉しかったし、同じ班にも何度かなれた。あんなこともあったけど、本当に傷も大したことないし、斉藤くんは、ある意味恩人だから」

 覚えてないのにそんな、と俺は恐縮したが、対馬はそのまま続ける。

「しばらく校区のこととかも解ってなかったから、またしばらくして同じ中学に進めるって知った時も、嬉しかった。中学では一度も、同じクラスにはなれなかったけど」

「クラス多かったもんな」

 俺の相槌にうん、と返して、対馬はさっきまでよりも少し長く、間をとった。

「でも、びっくりしたよ」

 何が? という感じで隣の対馬を見る。視界には入っているだろうが、対馬は夜空を見つめたままでいる。

「毎日話してる間じゃなくて、あんまり話せなくなってから、好きになんかなっちゃうんだよ?」

 だんだん思考が重たくなってきて、焦点もなんだか合わなくなる。

 好き、誰が。対馬が、誰を。

 俺を?


「いつからかわかんないけど、ずっと好きだったの。中学の間にもね、何度か言おうとした。でもね、違うクラスで話す機会がないってのもあったし、それに」

 だしぬけに話を止めた対馬のほうをぱっ、と見ると、何かをちょっと考えているような、思い出しているような表情だった。しばらくそれを続け、俺が目を切って夜空に向き直ったころ、対馬はおずおずと口を開く。


「中学に入ってすぐな、うち、なまり直してしもたから……好きなんよ、ってのと好きです、ってのは、なんかえらい、勇気が違うてから」

 丸っこい感じのそのなまり口調は、なぜか俺の心に必要以上にりんと響いて、少し俺の中身に痛みを生じた。


「直すのはさ、なんか拍子抜けするくらい簡単でね、でもそれが、そうやって足かせになった。『直さなくていい』って言ってくれた斉藤くんへの、小さな負い目。この傷と、ちょっと似てるかも」

 不覚にも少し、対馬が俺に告白する光景を想像してしまった。多分、断ることはなかっただろう。

 全く脈絡のないところから告白されてオーケーした、そんなことも中三のころにあった。ひと月くらいしか持たなかったし、あんまりおおっぴらになったわけでもなかったから、もしかしたら対馬も知らないくらいかもしれない。

「でもね、諦めたの。結構、最近」

 だけどその想像の中での対馬は、なまり口調でやんわりと、昔のままのあの感じで話していた。

「光原のことか」

「諦めた……つもりだったの」

 ちらっとまた対馬をうかがうと、今度はうつむいている。

「澪と斉藤くんが近づいて、しかも斉藤くんの口から好き、って言う言葉、聞いてもね、私あんまりショックとか受けなかった。うすうす解ってたからじゃなくて、思えたからなんだ。“斉藤くんとは、友達でいいんだ”、って」

 そう言って対馬はへへへ、と笑った。突然だったのでぱっ、と顔を向けたら、この状況になって初めて目が合った。

「告白されると、思ってた?」

「……ちょっとだけ」

「返事とかも、考えた?」

「それも、ちょっとだけ」

「聞かせてよ、それ」

 せっかく考えてくれたんだから、ムダにしたくないじゃん? ――対馬はそう言って立ち上がり、座ったままの俺の正面に立った。

「さて……と。ずっと好きでした、付き合ってください。はいどうぞ」

 対馬は早口で言って、やたら恥ずかしそうに顔を押さえた。俺も何だよそれ、と笑ったが、多分周りが明るかったら、顔が真っ赤だったのがバレたはずだ。

「えーと、ごめんなさい。付き合えません」

「それだけ?」


「好きな人が、いるから」


「よく言った!」

 俺のその一言を、対馬はそうやってほめてくれた。

 もともと大人びた顔でもないけど、にっ、と笑ったその顔は、昔のままだったように思う。


「しっかし」

 自転車置き場までまた戻りながら、すっかりいつもの口調で対馬は言った。

「斉藤くん、まんまと告白させちゃうんだもん。まいっちゃう」

「したくなかったの?」

「したかったけど」

 言って対馬は、んもうっ! と俺の二の腕を軽くはたいた。ひどく楽しそうだった。

「この前三人で出かけたのも、凜と木田くんの手引きだったんだよ。木田くんは斉藤くんに気持ちを決めさせるだけのつもりだったらしいけど、凜は私のこういうことも全部、知ってたから……最近凜が妙に張り切ってたのも、多分私のため」

「貴司からはそれなりに話は聞いてたんだけど……灰原は、もっと頑張ってたわけか。あいつらしいね」

「そうだね。で、そういうわけだから、澪に早いとこ、好きって言っちゃいなさいよね」

「うん。でも、対馬は本当に、それでいいの」

 一瞬で少し、対馬はしゅんとなる。またうつむいた。

「そんなこと……」

「ごめんな、ずっと気付けなくて」

 自転車置き場に着いて、俺が立ち止まってそう言うと、対馬は自転車を出しながら答えた。

「でも、これでよかったんだと思うよ」

「どうして?」

「気付いてたら多分、私たち付き合ってた。でも、陽子ちゃんみたいになってたよ、きっと」

 陽子ちゃん。立花陽子。俺の付き合っていた人の名前。

 知ってたんだな、やっぱり。

「そうかな」

「だって、友達だったのが告白ひとつで好きな人になんて、なれないでしょ?」

 立花のことを引き合いに出されると、どうもうまく言葉が出ない。

 好きになろうという努力は、自分には何の意味もなさなかった。

「で、高校生になって、澪と知り合った。もし私と何かあったら、好きにはなってなかったかもよ? 本当に好きな人見つかって、よかったでしょ?」

「そう……だな」

「そういうの、運命って呼んじゃっていいんじゃないの? 斉藤くんってば今も昔も優しいから、そういうのに巡り会えたんだよ、きっと」

 対馬は言って、自転車にまたがった。

 次に会うときは、ほんとに友達だからね。

 CD貸してくれる約束、忘れないでね。


 帰る方向は同じなはずで、それからすぐに俺も帰ったのに、その対馬を見かけることはなかった。


サブタイトルが変わらず3つ連続するのはそれぞれ考えるのが面倒だったわけではなく、かなり気に入っているフレーズなのでこれ以外をこの場面で使う気がしないだけです。多分。

その証拠に、これらの英字部分が実は一番時間をかけてます。いろいろ考えたあげく原案に戻したという始末で空費された時間が。

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