3.光るものめがけて(Still I'm on your side)
それから二週間が経って、もう七月になった。期末テストも近い。
光原の言った通りメールはあまりしなかったし、電話だって番号を教えたきりになったけど、教室でもちょくちょく話すようになったし、体育館裏でも予定通り二度会って話をした。
意外にも、と言っていいものか会話の主導権は光原が握って、概ね明るく話してくれた。
一度目は友達の話だった。
取っかかりは貴司と灰原のことで、灰原がよくのろけ話をするということだった。
俺は貴司もそうだと言って、ありのままを伝えた。似たものカップルだという話になったけど、どうも灰原のイメージと合わない。あの揺るぎない感じ、絶対一輪車とか得意なタイプだ。特に根拠はない。
次に対馬の話になった。共通の友人という表現が最もよく当てはまるのが実は対馬かもしれない。光原とは中二の時、通っていた個人塾で知り合ったらしい。その塾というのが対馬の家の近くで、光原の家はもう少し遠かったが方向が同じで、よく一緒に帰ったりしていたらしい。一緒にジュースを買って飲んだりもしたらしいが、対馬はどうしても炭酸が飲めなかったという。
俺はなまりの話を振ってみた。知り合った時にはもう標準語だったという。転校してきた時よりはとれていたが、それでも小学校卒業のころはまだばっちりなまっていたはずだから、中一の間に直ったのか、直したのか。そんなに急な話でもないだろうが、そんな風に直るものなのか。多少無口になった気がするのと、何か関係はあるのか。そんな疑問もいくつか生まれたけど口には出さないでおいて、それからそれぞれの友達の話、昔の友達の話をいくつかした。
そしてそのあたりで最初の時と同じ、一時間くらいが経ったので俺たちは話を切り上げた。そのくらいでちょうどいいかな、と思った。自分としても先輩の補習が終わる前に部活に出られる、なかなか都合のいい時間でもある。
別れ際の光原の、まなじりを下げた顔が印象に残った。
二度目は家族の話をした。
この前電話に出たのは妹だと改めて説明すると、一度会ってみたいかも、と言われた。嫌な予感がしたので話を広げまいとしたけど、光原にはバレてしまった。
「そんなこと言うんだったら、絶対会いに行きたくなるなあ」
光原のあんないたずらっぽい顔を俺は初めて見た。すぐになんかちょっとすまなそうな、普段よくする表情に戻ったけど、光原もあんな顔するんだ、としみじみ思った。
そして俺の父親が単身赴任中だという話の後で、光原も同じように話してくれた。
父親が離婚でもとでいないこと。母親とふたり暮らしをしていること。
母方の家系がそこそこの資産家でその関係で家が大きく、でも母親は必要以上に親や親戚に援助を受けることを嫌い、キャリアウーマンで働きづめであること。
家が広すぎるんだよね、せめてきょうだいが欲しかったかな。
そう言って作った笑顔に、いつもの輝きはなかった。
人が背負える闇なんて、このくらいが精一杯なはずなのに、それなのに、まだ。
「テスト終わったらさ、遊びに行くよ。妹も連れてさ」
言ってしまってからさてどうしよう、と頭を抱えている俺がいます。
テスト前日になるから来週は体育館裏では会わない、と決めたはいいものの、そのせいで言い訳をするタイミングもなくて、メールするのも電話するのもなんか悪い気がして、だけど未来にいきなり言うのもハードルが高すぎて結局八方ふさがり、そんな状況になってしまったので、いきなりながら最後の手段で貴司に相談してみることにした。
『折り入って相談があるんだが』
未来が母親と話し込んでいるのを確かめ、大してするつもりもないテスト勉強のノートを閉じてメールを打つ。貴司もああ見えて小心者だから、一応机には向かって、だけどヒマしているところだろう。
『金なら貸さん』
案の定すぐにメールが返ってきた。出られることがわかったから、電話をかける。
キャリアが同じで、しかも指定先にしているから電話はタダだ。まあ、色気のない話ではあるが。
「もしもーし」
「うい、どしたの」
やる気なさげに貴司が出た。
「いや、ちょっと多少面倒なことになってさ」
「なんだよ、言ってみな」
声のトーンが少し上がる。なんか面白いことだって察知してやがる。
「いやさ、光原と話してて、なんかあいつ家ではひとりのことが多いみたいなんだけど、それで未来の話したら、会ってみたいって言われて」
「随分と普通の話してるんだな」
「まあ……で、ちょっと、未来連れて遊びに行くって約束しちゃって」
「なるほど。状況は飲めた」
つまり、と貴司が続けたので、つきあい長いとツーカーだからいいよな、なんて思っていたら。
「あとは約束の当日ひとりで押しかけて『妹は熱出した』とか言って上がり込めばいいわけか。そこからあとは、保健の先生にでも相談するか」
「あー俺保健室とかあんまり行ったことないからいきなりそんな相談しに行くのも怖いなあ……って、アホンダラ」
「ノリツッコミ上手くなったな」
貴司はうってかわって冷静な口調で、そんな相槌を打った。
「ちったあ黙ってろ。俺はお前に協力を仰いでるの。直接未来には言いにくいから」
「解ってるよもう情けねえなあ。ちゃんと正直に『彼女の家に遊びに行くからついてきてくれ、気まずいから』って言えばいいのに。そしたら『うんわかったー、おにいちゃんだいすき』、って」
「蹴るぞ」
貴司はこういうことをしなつくって演じるので気持ち悪さも倍増だ。
「彼女? おにいちゃんったらいつの間に……でもおにいちゃんは未来のものなんだから、絶対渡さないんだから!」
「あのな、未来ももう中三になったんだが」
「ああおにいちゃんだいすき……って、そろそろやめていいか?」
「誰もやれって、頼んでないんだけど」
貴司は大げさに笑って、言っといてみるから、と付け加えるように言った。
心配は尽きないが、まあ結果として伝わるならいいか、と思ったんだけど。
がちゃっ、と部屋のドアが開いたのは、その十五分後だった。
「和也?」
未来の『おにいちゃん』はあの日限りで終わっていて、それがせめてもの救いだ。
「なんだ」
「タカシさんから聞いた。この前の電話の人のこと?」
貴司はどう言ったんだろう。判らない。でも、この調子だしここまで短時間で来られると、きっと凄く適当にやらかしたんじゃないかと思わざるを得ない。
「いや、あのな。光原とその……話す機会があって、あいつ父親いなくってさ、母親とふたり暮らしで、家ではひとりのことが多いらしいんだよ」
それで? という風に未来は黙って俺の目を見たまま首を傾げる。
普段があんな感じなだけに、こう黙られると結構堪える。
「で、未来の話も――ほら、この前電話出ただろ?――したんだけど、そしたら会ってみたい、って言われてさ。そういう流れで『今度連れて遊びに行くよ』って言っちゃったというか……」
少しうつむいたまま言った俺が顔色をうかがうために目線を上げると、未来はふーん、と長くのばして言って、表情を緩めた。
「なあんだ、和也意外といいヤツじゃん。いつ行くの?」
「テスト終わって、補習までの間のつもり」
「じゃあさ、早めに日どりと時間決めて教えてよ。多分いつでも大丈夫だとは思うけど」
そういっておやすみー、と部屋を出ていく。なんとか嵐は去った。
俺がその後貴司に電話をかけてもう一度文句を垂れたのは言うまでもないが、貴司がこんな感じのときは、意外に何もかもうまくいってしまうのが不思議なところだ。
翌日、あの緊急ミーティングの日以来何故か貴司と登校することが習慣になってしまった俺はその例に漏れず貴司と一緒に登校し、まだ人影のまばらな教室で無駄話をしていた。
「お前と未来ちゃんは、口元が似てると思うんだ」
「どうだか」
話がひと段落したころに灰原がやってきた。オーバーアクションで出迎えようとして蹴られた後、貴司は灰原の髪型を褒めちぎっていた。やっぱりマメな男のほうがモテるのだろうか。そんなことはどうでもいいか。
「今日はいつにもましてテンション高いわねえ……どしたの?」
「いやさー、いいことがあったんだよ、和也に」
「はい?」
片ひじをついてぼんやりとふたりの夫婦漫才を眺めていたのに突然話を振られて面食らってしまった。
そして別に俺の返事を待つでもなく貴司が一部始終を伝え、灰原は勝手に喜んでいた。
「へぇー、斉藤頑張るねえ。当日もしっかりね」
俺が黙ったまま溜め息をついたのに、ふたりはまだきゃっきゃ言っている。
そうか似たものカップルか、なんて俺がなんとなく考えていると、今度は対馬がやってきた。今日は早いね、と適当に挨拶をすませた後、灰原はあれだけ騒いでおいて何を今更隠すことがあろうか今度は耳打ちで、対馬におそらく一部始終をすべて伝えた。聞いた後で対馬は俺のほうに二、三歩歩み寄り、俺のほうを見て内容についていくらか困惑気味に言葉を発しただけだった。そうだよな。普通はそんなこといきなり言われても困るだけだよな。
「でさあ、行って何するの」
「えっ、えーっと……」
正直考えていなかったから、だしぬけに発せられた灰原のその質問には答えられなかった。
「ええ? 決めてないの?」
「しょうがねーじゃん。勢いで言ったんだから」
心底信じられないといった調子で灰原が聞き返してきた。そこで貴司がさっと助け船を出す。
「別にいいじゃん、そんなの。愛を確かめに行くんだから」
火にアブラ。油製の船なんて聞いたことないぞ。あれか、天ぷら油を固めるナントカか。
蹴ってやろうかと思ったが、既に灰原が蹴っていたのでやめた。よくやるよ、本当に。
そこからみんなに意見を仰ごうとしたけど、聞く前に予鈴が鳴り、ほぼ同時に光原が現れたので立ち消えてしまった。しかし、来る時間きっちりしてるなあ。電車で来てるわけでもなさそうなのに。
「「おはよー」」
「おはよございまーす」
「おはよ」
俺たちが四者四様の挨拶をすると光原もこちらに寄ってきて、笑顔を作っておはよう、と言った。
家に遊びに行く話を出されたらどうしようかとも思ったけど、三人ともその辺はちゃんとわきまえているようで、いつも通り貴司が調子づいたことを言って、灰原に今度は足を激しく踏まれていた。貴司は俺にしきりに助けを求めて、灰原は対馬にもう片方の足も踏むように命じていた。だけど俺たちは聞かずに、半歩だけ離れて笑っている。
そんな小学五年生みたいな状況を見て、光原は言った。
「なんか……あれみたい。グループ交際」
あのバカップルには聞こえなかったらしい。俺は笑いながら、なんかそれは違うんじゃないかとか、単語がちょっと古い気が、とか口に出さずにツッコミを入れていた。
「やだあ……澪、それはないってばぁ」
「そ、そうかなあ」
やたらと対馬が反応していたが、少しして授業が始まったあたりで気づいた。そうか、奴らが付き合ってる訳だから、俺と対馬が残るんだ。もうちょっと反応してしかるべきだったのか、俺としても。
でも俺はずっと、光原の笑顔の方に引っぱられていた。
あれだけ見てたら、どこにもおかしい部分なんかないのに、と思った。
二時間目の後の休み時間、地歴の教室移動を済ませた後で対馬が話しかけてきた。
対馬とは選択科目がすべてかぶっていたりして、その関係で話しかけられることは少なくない。でも、今日は違った。
「ねえねえ……本当はさ、澪んち行って何するつもりなの?」
私にだけはこっそり教えてよ、とでも言いたげな口調。小学校の頃はまさしくこんな感じの、いたずらっぽい奴だった気がする。
「いや、本当に決めてないんだってば。何かいいアイデアない?」
ほんとぉ? と茶目っ気の入ったうたぐりの目を少しこちらに向けた後、うーん、と考えるしぐさを見せて対馬は言った。
「じゃあさ、料理でもしてみたら? 家でも結構したりする、って昔言ってなかったっけ」
そんなこともあったんだろうか。そう言われれば同じ班になったことも何度かあったな。
父親の単身赴任が小五の春から。そこからは少しずつ、湯が沸かせるようになり、ラーメンが作れるようになり、そうめんが茹でられるようになり、夏休みが明けるころにはチャーハンやオムレツまで身につけていた。レシピを見ればある程度何でも作れるようになるのにも、さほど時間はかからなかったと思う。遠足の日の弁当も未来とふたり分を作ったことがあるけど、ただそれは「色どりが足りない」と不評だった。
「でも俺が作る料理って、なんか所帯じみてるし」
「そんなあ、大丈夫だよ。クラスの男子とか見てみてさ、所帯じみた料理作れる人、いそう?」
未来にせっつかれればケーキを作ったりもするのは秘密にしておこう、うん。
「いなさそうだね」
「しかもさ、ひとりでご飯食べるのって、結構寂しいよ?」
そうなのかな。
自分のことを考えてみると、タイミングはずれてもいつも未来としゃべったりしているから解らない。
「うーん」
「いいトコ見せちゃいなよ。未来ちゃんもいるんでしょ? 気まずくもならないって」
「どうかな……」
俺はまだ渋る。
「だって、光原だって料理できるじゃん。弁当だってほら、自前なんじゃないの?」
「だからこそ、誰かに作ってもらいたいってのも、あると思うよ」
結局押し負けたような形になった。まあ、結構いいアイデアだと思うけど。
「なんか今日、しゃべるね。なんかいいことでもあったの?」
ちょっとだけ貴司の真似のつもりで、おどけて聞いてみた。
「毎日生きてればたまには、いいこともあるよ、そりゃ」
対馬はそんな風に答える。答えたところで、チャイムが鳴った。
おどけた口調だったのに、語尾が少し消えていく感じだったのが少し気になった。
三時間目が終わって教室に戻り、すっかり“いつものメンバー”になった面々と合流すると、もう対馬はさっきのようには陽気に話すこともなくなって、いつものようにおとなしい対馬に戻った。
言いたいことはもっと、伝えたほうがいいんじゃないかな。
そんなことを思ったけど、当たり前のこと、伝えられるはずもなくて、なんとなくぼんやりしている間に放課後になってしまった。今日は木曜日、週明けからテストなのに。
放課後、世界史のプリントを一枚無くしていたことを思い出したので職員室にコピーをもらいに行くと、光原が有働先生に質問をしているのを見かけた。世界史の竹下先生がコピーの待ち時間に小言半分グチ半分の話をしてくるのを聞き流しつつそちらに目をやると、光原は随分親しげに話しているように見える。いつも質問しに来ているのだろうか。職員室にはあまり来ないから知らない。授業の後でつかまえて質問をしているのは見たこと歩きもするけど。
やっとコピー機が空いてプリントをもらえ、小言からも解放されて職員室から出て行こうとしたところで、ちょうど光原と一緒になった。
「おす」
「うん……どうしたの?」
「いや、世界史のプリントもらいに来てた」
「そう。板書は大丈夫なの?」
「ノートはとってるから」
成績はいいらしいだけあってさすがに勉強の話になると何か雰囲気が違う。平均点とれたらいいや、な俺とは大違いだ。
そんな話をしながらしばらく歩き、帰りついたドアを開けるとがらんどうの教室が俺たちを迎えてくれた。
「テスト前ってこんなに人いないっけ」
「そんなことないと思うんだけど」
言いながら光原も荷物をまとめている。帰って勉強するのだろう。
「あのさ」
電話やメールで邪魔するよりは、今のほうがいいかな、と思って俺はその光原に言った。
「今度お前んち行くって話、妹も行きたいって言ってるからさ。いつがいいかな?」
「そうね……妹さんの夏休みはいつからなの?」
「俺らのテスト最終日からだったと思う」
俺がそう言うと光原は手を止めて、左手の中指を口元に当てて考えるしぐさをした。
「うーん、じゃあ、その次の日の終業式の後にする?」
「そうしようか」
言われると、都合が悪いわけでもないしそう言わざるを得ない。
「待ち合わせとか、どこにする? 家とかわかんないし」
「あー、それがあるか。どうしよう」
「あ、佐野塾だったらわかるんじゃない? ほら、私と冴が通ってた」
そんな感じで意外と光原がちゃきちゃき決めてくれたので助かった。
時間も決まって光原がまた荷物をまとめ始めたころ、俺は思い出した。そうだ、料理するってことも言わないと。
「それとさ……」
俺は言いかけたところで教室の前のドアが開き、男子がふたり顔を出した。
「松崎いねえ?」
「いないよ。見てない」
話の腰を折られて、むっとして俺は答えた。無言のままでドアが閉められる。
糸口をつかみ損ねた感じで沈黙が流れた。
「あれ光原だったろ? ほら……」
「また来るかのな、呪い」
掃除の後で窓を閉められた廊下によく響く、さっきのふたりのものと思しき声。
俺は前のドアをじっと睨んだ。光原はひとつ、溜め息をつく。
「ごめんね、私のせいで」
隠すつもりもなかったのだが、ああいう奴の手にかかるとどんな話だって響きが悪くなってしまう。そこまで含めての発言かもしれないけど、でも。
「謝るなよ」
「でも」
「あんなのひとりで我慢しちゃダメだよ」
自分はそんなに、格好いいこと言う奴じゃないって解ってた。
でもおくびにも出せないけど、“当事者”ならなおさら俺がその辺は守っていかなきゃいけないんだよなって、その時初めて思った。
それで勢いがついたのか、料理の件はその後事もなげに伝えられて、何かあったら連絡くれよ、なんて言っちゃって、今日のところはそこで別れた。
それからテストが始まって、結構自分なりに頑張ったつもりだったんだけどできはあんまり良くなさそうで、貴司は「光原さんに教えてもらえばよかったんだよ」なんて言いやがった。まあ確かに行って作るメニューを長時間考えていたこともあったけど、それはそれでまあ、絶望的なほどできなかったというわけでもなさそうだから良かったということにしておく。
サブタイトルのサブタイトル(英字部分)の文法に関してはあまり自信がありません。
英語は得意科目であり英検も2級を持っていますが、やはりネイティブスピーカーではないので。
その他にもおかしい部分等あれば、笑って見逃していただくかあるいは指摘していただけると幸いです。