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すべてへ  作者: 気象情報
2/15

2.僕は君を知らない(You can change me)

「おかえりー」

 ふたつ下の妹、未来がその声に応える。

 斉藤家は俺と未来の兄妹に父親と母親、という家族構成だが、父親は単身赴任で家にいることはほとんどなく、普段はその父親を除いた三人で生活している。そのうえ母親も週四回パートに出ているので俺より帰りが遅くなることもざらで、今日も多分その日だったはずだ。

「カレー温めたところだからすぐに食べられるよ」

 居間でテレビを見ながら、未来がそう声をかける。わかった、とだけ返して部屋に戻り、荷物を置いて着替えを済ませたあと自分でご飯をよそってカレーをかけ、食卓についた。

 多めによそった三分の一ほどを食べ終わったところで水が足りなくなって注ぎに立ったら、もう一度戻ってくるのと同時に未来もこちらにやってきた。

「未来はもう食べたんだろ?」

「食べたよ」

 言いながら未来は、“何でこっち来るんだ”という俺の意図はおそらくわざと汲まずに、長方形の食卓のはす向かい、一応設けられている父親の席にこしかける。

「じゃあそのまんまテレビ見てりゃいいじゃんか」

 俺がそんな憎まれ口を叩くと、未来は逆になんだか嬉しそうな顔をした。

「今日はいつもにまして愛想がないね。なんかあったの?」

「うるさい」

「ほらまたそうやって。モテないのも当然よね」

「はいはい」

 昔から、それこそ物心ついたときから未来は何故だか必要以上に俺にべったりだ。

 家を空けるくせにやたら心配性な母親のせいでふたりでまとまって行動させられることが多かったからだとか、原因は思いつくには思いつく。だけどそれならなおさらケンカとかするようにも思えるし、中三にもなれば反動で嫌われたりしてもいい気もする。

「だからさ、和也は……」

「そうやって兄きのこと下の名前で呼ぶのもいい加減にやめない?」

 そこまで語調は厳しくないにしてもこんな感じで平均以上にはぼろくそに言っているわけで、でもそんな時少しだけ口を尖らせた後の未来の笑顔が一番楽しそうな感じがして、それってどうなんだろうと思う。例えばクラスメイトが男子でも女子でも実はこんなだったとかだったら、たぶん俺は確実に引く。二歩ぐらい。

「いーじゃん、外国人みたいで。ハウアーユー、カズヤ?」

「アイアムジャパニーズ」

 俺がそう返すと未来は何故か大笑いした。俺もそれがなんだかおかしくて、少しだけ笑う。

 まあ別に、完膚無きまで嫌われているとかよりは確実にいいんだろうけど。


 TRRRR……

 未来が座るすぐ後ろに置いてあるチェストに置いてある電話が鳴って、俺たちのその笑い声を断ち切る。話している間に食べ終えてしまっていた俺は、未来が出たのを見届けて水を飲み干し、台所へ席を立った。

――はい、はい、ちょっと待ってください。

「和也ー、デンワー。みつはらさん、だって」

 さて食器でも洗うかな、などと思っていた俺は完全に面食らってしまった。

 みつはらって。光原かよ。

 不自然なほどの早足で受話器をひったくり、しっしっ、と未来を追い払いながら電話に出た。

「も、もしもし」

「あ、光原です。今の、妹さん?」

「そうだよ……えーと、どしたの?」

 なんだか弱みを握られた気分になって、少し焦った口調になってしまう。

「名簿で番号、調べたの」

 いや、そういうことじゃなくって。

 どうして電話かけてきたの、だなんて聞いていいものなんだろうか。

 でも意図が分からない以上、めったな返事はできない。

「え、えーっと……」

「あのね」

 ひたすら口ごもっていた俺だけど、光原のほうが口を開いてくれて、少し助かった。

「明日の放課後に、この前と同じ所に来て欲しいの」

「体育館、裏?」

「そう」

 体育館裏。

 学生をやってれば日常の中で出てきてもいい単語だが、やっぱり今はその単語ひとつとってもなんだか違う響きがある。

「わかった」

 ここで深くは聞くまい。もともと解らないことだらけの光原のことだし、しかも多分、明日になれば解ることだ。焦ることはない。

 そこからは適当なやりとりをして、電話を切る。やっぱり気にはなるけど今はそれどころじゃない。

「ねーねー和也、今の誰? ダレ?」

 とりあえず後ろでまとわりつく未来から、なんとかしないと。


「だからさ、別になんでもないんだってば」

「なんでもないのに和也に女の人から電話あったりしないでしょ?」

「いや、だからあったんだって」

 電話を終えて食器を洗い片付ける間ずっと、そしてその後俺がそそくさと部屋に引き揚げてからも、未来はそんな不毛な物言いを続けながらつきまとってくる。

「隠すことないじゃない」

 俺の部屋の隅に居座って、未来はまだそんなことを言う。

「隠してないよ。別に何もないんだから」

 そしてむう、としばらく黙り込んだので安心したら、今度はポケットから携帯を取り出して言う。

「もういいもん。タカシさんに聞いちゃうから」

 幼なじみの貴司だから当然未来とも面識があって、というかむしろ普通に仲が良くてふたつ違うのに普通に友達していて、ちょくちょくメールもしている節もある。大したことじゃないが、未来の携帯のアドレス帳にはちょっとしたタイミングの問題で両親や俺より早く、自宅の次に貴司の名前がある。でもまあ、そんなことはどうでもいい。

 そして少しの間黙ってメールを打った後、未来は満足したのかぶつぶつと誰に言っているのか解らないような捨てゼリフを吐きつつ部屋を出て行った。

 まさか貴司も、そのあたりの空気は読んでくれるだろう。勝手に教えたりは、きっとしない。

 いくらか安心して、宿題でもやるか、と鞄を開いたとき、がちゃっ、ともう一度ドアが開いて未来が顔を出した。

「タカシさんも知らないってどういうことよ。もうつまんない。知らないっ」

 がちゃん。またドアが閉まる。

 いつからあんなに高飛車に、とため息をつきながらもう一度机に向かうと、貴司からメールが着信した。

『おい! 光原さんから電話あったってどういうことだよ』

 やれやれ、今度はこいつか。

 机に片ひじをつきつつアドレス帳で貴司の名前を呼び出し、受話器のボタンを押す。

 プップップッ、という音がやたら長く続いたあとコールが始まり、ワンコールで貴司が出た。早い。

「もしもーし」

 メールの中の“!”はどこへやら、間延びした声で貴司が出る。

「もしもーし、じゃねーよ。速攻出といて」

 俺がそう突っ込むと、貴司は少し笑って、答えた。

「ん、まーいいじゃん。で、光原さんはなんだって?」

「明日の放課後、体育館裏だってさ」

「またかよ」

「まただよ」

 何を考えているのか何も考えていないのか、貴司はうーん、と長く伸ばしてから言った。

「それだけ?」

「それだけ。そんな大したことじゃねーよ」

「大したことじゃ、か。お前が大したもんだよ」

「そうか? “大丈夫”、なんだろ?」

 俺が冗談の口調で言うと、貴司はだって美人だぜ、と答える。そういう奴だ。

「とにかく、大丈夫大丈夫。俺はそれより未来を何とかして欲しい」

「未来ちゃんの何がいけないのさ」

 直接話している時なら確実に身を乗り出してきているような口調。何様だよ。

「だって人の電話の内容やたら知りたがるし、お前に聞いてダメだったら俺に当たるし、やたら食うし皿洗わないし、俺のこと下の名前で呼び捨てするし」

「聞き飽きたよそのグチも。じゃあなんだ、おにいちゃんっ、なんて呼ばれたいのか」

「そっちのほうがまだマシだね」

 俺がそう返して、ふたりでははは、と笑う。

「ま、明日だな」

「だな、それじゃ」

「おう」

 そうして電話が切れた後なかなかテンションが戻らずに、部活の疲れか気疲れか、宿題もそこそこにシャワーを浴びて寝てしまった。

 眠りに落ちる直前に、少しだけ光原のことを思い出した。

 意外なほど平常心を保っている自分に、少しだけ驚いたりしてみる。

 随分早く寝たことになるのに、目覚めたのはいつもと同じ時間だった。


 翌日。

 どこかしらツンとしている未来と、いつ帰ってきたのか知らない母親に食卓越しに見送られ、俺は随分早い時間に家を出た。

 何故か、貴司が迎えに来た。

「一応、根掘り葉掘り聞いとかなきゃダメだろ?」

 貴司はそんな意味不明な言い訳をする。何をだ。

「俺にも協力させてくれるんだろ?」

 なんでだ。

「多少早かったのは謝るからさあ」

「……何なんだよあの言い訳。“緊急ミーティング”って」

 チャイムを三度鳴らして俺を呼んだ挙げ句、緊急ミーティングだから、と言ってすぐに貴司は食事を終えたばかりの俺を家から連れ出しやがった。

 ああいう言い方だから、多分未来と母親は陸上部まわりだと思うだろう。もし追及されても、キャプテンが足を折ったとか、顧問の先生の引率ができなくなったとか、そういう口から出まかせの言い訳ができる奴だ。

「だからさ、緊急の……ミーティングだよ」

「わかってる」

 さすが、助かる。そう相槌を打って貴司は口を開いた。

 朝、通勤ラッシュが訪れる前の道路の左側を、速いペースで並走する。

 実は一番誰かに聞かれる心配の少ない、この過ぎていく町並みの中、学校まではあと十分ちょっと。

「昨日あれから、なんか悪い気もしたけど凜に話したんだ。お前らのこと」

凜。灰原凜。

 クラスメイトの女子で、貴司の彼女。

 背は平均より高めですらっとしていて、一言で言えばスタイルがいい。ぱっちりとした二重で、鼻も高く顔は小さい。それほど注意を向けていなくても笑った顔がいやに目を引く、光原とは系統が全く違うがこちらもいわゆる美人だ。男どもの評価で言えば愛想がない(、と捉えられている)光原よりも、呪いの件を差し引いて考えても確実に高いだろう。スポーツはそこそこ万能、頭も悪くないらしい。去年はクラスが違った上にもともと面識はなく、学校以外での繋がりがあるわけでもない。貴司と付き合い始めたのは去年の冬ごろで、まったくどこで引っかけてきたんだか、といった感もある。

「なんでもしゃべるのはいつものことだろ。別にいいよ」

 容姿も悪くない程度、強いて言えば背が高いくらいでいつもただヘラヘラしているだけの貴司とは釣り合わないというのはもはや一般通念にもなりつつあるが、周りが目を離すとふたりは羨ましくなるほどにべったりで、そんなことも気にする素振りも見せない。

 そんな事情もあるから別に何をしゃべっていても不思議ではないし、むしろそう、いつものことだ。

 しかも灰原は光原と仲が良い。よく知っているわけではないが、見たところ親友レベルだ。だから貴司なりに、何か考えがあったんだろう。

「うん、そしたらさ、凜もやっぱり光原さんに相談受けてたんだって」

 俺は相槌を打たずに、ちょっと息をのんだ。貴司はそのまま続ける。

「凜はさ、呪いとかそこまで信じてるわけじゃないみたいで、『澪も彼氏欲しくなったんじゃない?』なんて軽く言ってたんだよ。まあ俺はそこまでの話じゃないと思うんだけど」

 貴司と近いからその繋がりで、俺もクラスの他の男子よりは灰原と話す機会が多い。確かに言いそうな気もする。話を簡潔にまとめてはきはきと話す、きっと小学校の頃は学級委員か何かだったに違いない。

 そしてふたりして黙る。でも、交差点を曲がったり車をよけたりしているので気まずさはない。

 学校までもう少しのところで、やっと俺は口を開いた。

「呪いでも呪いじゃなくても、理由が何であれ悪い奴じゃなさそうなんだから普通に接してみてもいいでしょ? 前も言ったけどさ」

「俺もそのつもりだよ」

「過剰反応する奴もいるだろうけど、その辺は完全無視の方向で」

「……さすがだな」

 何が。

 校門を通り抜け、がらがらの自転車置き場に自転車をとめる。

 貴司と学校に行くことも、こんなにがらがらの自転車置き場も俺にとっては滅多にないことで、まだ静かな校舎とあわせて妙に新鮮な気分だった。


 教室に着くと、まだ誰もいなかった。

 ある程度早い時間であるにしても、さすがに誰かいるだろうと踏んでいたのだが。

 中央列一番後ろにある自分の席について、そういや宿題やってなかったんだった、今日は朝練いいや、とノートを取り出した。

「それにしても未来ちゃんから聞くことになろうとはね」

 自分の席に荷物を放り出した貴司は窓側の誰のだか判らない席に横座りし、何やら携帯をいじりながら言った。

「俺もまさか、未来から伝わることになろうとはね」

「あれっ、未来ちゃんからメール来てる」

 俺がはあ!? と表情だけで表してみせると、貴司は文面を読み上げはじめた。

「『おはようございます。和也、怒ってますか』だって。怒ってる?」

「怒ってはないんだよ。怒ってたのは未来のほうだったんだってば」

「ちょっと怒ってるよ、と。送信」

「おい」

 ちょっと身を乗り出したがすぐにやめた。大したことじゃない。

「おにいちゃんのことが好きで好きでたまらないんだろうね。あっ、『どうしたらいいですか』だって。どうしてほしい?」

「どうもこうもないよ、普通でいい。いつものことじゃん」

「そっか、ふーん……」

 そう言いながら画面に目を落とし指を動かしていた貴司は、しばらくしてははッ、と小さく笑った。何をたくらんでいるのだろうか。

「まあ、まず下の名前では呼んで欲しくないわけだ」

「うまく言ってくれたの?」

 家では四六時中一緒にいる俺より一応他人である程度の尊敬も勝ち得ている貴司が言ったほうが聞くだろうから、だとしたら助かる。

「一応、な」

 でもまあ、過度な期待はかけないでおこう。


 始業時間が近付くにつれて、教室にだんだん人が増えてくる。

 始業十分前、一度目の予鈴がなった直後、人混みに紛れて光原も教室に入ってきた。

 人が増えてきていたので俺の隣の席に移動してきていた貴司が何故か手を振って、それに気付いた光原がこちらを見た。戸惑いながらもちょっと表情を明るくして首だけでお辞儀をすると、笑顔で返してくれた。

 その笑顔に安心して、俺は終わりそうもない宿題にまた目を落とす。貴司はずっと光原を目で追っていて、しまいには灰原に気付かれて蹴られていた。バカな奴。でも、なんだかんだでいい関係だと思う。ふたりとも、笑っているから。

 少しして、貴司が座っている席の主もやってきた。対馬冴だ。

 俺と同じ中学校から来た奴は何人かいるが、対馬もその中のひとりで、しかも貴司を除けば唯一小学校も同じで、五、六年とクラスは同じだったが、その五年の秋に転校してきたのでそれほど付き合いは長いわけでもない。

「おはよ、ごめんごめん」

 貴司がそう言って立ち上がる。必要以上の笑顔、相手が女子になると途端に愛想がいい。

「大丈夫。まだ使う?」

「うーん、もういいや。時間ないし」

 そう言いながらもう一度笑顔を作って、俺に目くばせしてから席に戻っていく。

 あっ、灰原が行った。蹴られてる。……好かれてるなあ。

 そんなことをぼうっと目で追いながら考えていると、対馬に軽く肩を叩かれて少し驚いた。

「ねえ、今日教室移動あったっけ」

「ああ、理科があるだろ。何とってるんだっけ」

「生物。一緒じゃん」

「じゃあ今日は教室だな」

 しかし、小学校の頃と比べて対馬は変わった。顔立ちや背格好は当然だけど、中学の三年間と高一で同じクラスにならない間に、いつだか知らないが眼鏡もかけるようになっていたし、そして何よりしゃべりが標準語になっていた。どこ出身だったかは覚えてないが、確か西日本系のなまりがあったはずだ。これまでもたまに話しかけられることはあったけど短い会話の中ではなかなか判らなくて、今年になって同じクラスになり、席替えで隣の席になったこともあってたまに話したり、話しているのを聞くようになって、妙に違和感を覚えたものだ。

「そっか。ありがと」

 その声を合図にするかのように始業のチャイムが鳴り、クラス担任の女性教師、有働先生が教室に入ってきた。皆に挨拶させ、連絡事項を伝え始める。

 話半分に聞きながらペンを走らせ、なんとか宿題を終わらせた。


 意外と早く放課後になった。

 早く行きすぎるのもどうかという不必要な気遣いから教室でうだうだしていると、貴司に捕まった。

「まだ行かないのか?」

「ちょっと早いだろ。光原は今週掃除当番だからまだ生物教室にいるはずだし」

 そんな会話をしていると、灰原がこちらにやってきて割り込んできた。

「斉藤、聞いてるよ」

 そう言って、独特の力のある眼差しで俺の目を見てくる。俺は小さくうん、と答える。

「呪いは、信じてるんだっけ」

「わかんない。でも、呪いがもしあったとしても、光原自身は悪くないんだと思う。ちょっと話しただけで解った。普通だった」

 聞いて灰原は、少し安心したように笑った。やっぱり、結構な美人だ。

「斉藤がそう思ってくれるなら、澪はきっと変わると思う。ありがとう」

 そう言って、背中を向けて去っていく。

 将来的にはキャリアウーマンだな。上司にいて欲しいタイプだ。

「じゃあそろそろ行けよ。時間あるなら、部活も来いよ」

「おう、わかった」

 俺と一緒に立ち上がった貴司は、たかたかと灰原を追いかけていった。

 うーん、あのふたりの力関係がよく解らない。


 体育館裏に着くと、光原はもう来ていた。ちょっと遅かったかもしれない。

「来たよ……待った?」

「ううん、今来たところ」

 そんなどこかで聞いたことがあるような会話をした後、いきなりで悪いんだけど、と前置きをして光原は聞いてきた。

「ねえ斉藤くん、男の子って、私のことやっぱり、怖がってるのかな」

 どこかちょっと、聞きにくそうだった。

「怖がってる……とは違うんじゃないかな。本当に信じてる奴って、多くはないと思うよ。貴司みたいにある程度信じて受け入れた上で、ヘラヘラしてるのもいる。まあ、あれは例外かもしれないけど」

 そこまで言って俺は地べたに座り、壁にもたれた。光原は隣で立ったままだ。

「木田くん?」

「ああ、ちょっと話したんだ。この前のこと、少しだけね」

 突っ込まれるかと思ったが、光原はそれ以上何も言わなかった。

「そう、ごめんね。変なこと聞いて」

「大丈夫。俺もひとつ、聞いていい?」

 うん、と相槌を打ちながら、光原も俺の隣にしゃがんできた。

「光原は男のこと、怖いの?」

「どうして?」

「だって、裏を返せばお前は……消しちゃった奴の分だけ、自分も傷ついてきたってことじゃないの?」

 光原は、そうかもしれない、と答えて、さらに続ける。

「でも、消えた人を必要としていた人も、消えた人と仲が良かった人も、きっと傷ついたはずだから。そんなの全部集めたら、私ひとり分なんて」

 それは……

 それは。

「おかしくないか?」

「おかしくなんか……」

「俺はもっと、光原に自分のことも考えてほしい」

 と、思う。そう付け加える前に光原が静かに泣き出したのに気付いた。初めはすすり泣き程度だったのが、途中で泣きじゃくりに変わる。激しく嗚咽しながらいくらか出そうとした言葉の中に、「ありがとう」と聞こえた気がした。


 しばらくして落ち着いたのか、光原は尋ねてきた。

「ねえ、斉藤くん? 木田くんも、“大丈夫”な人かなあ?」

 さほど考えなしに隣を向くと光原もこちらを見ていて、泣いたあとの赤い目と目が合った。

「ん、大丈夫だと思うよ。俺が保証する。仲良くしてやって」

 ひどくどきっとした。心臓がまだ、焦っている。

 そんな俺の心中を多分知らないまま、光原は立ち上がった。

「本当にありがとう。すっきりした、なんか」

 俺も急いで立ち上がる。

「いや、そんな。礼なんかいいよ」

「うん……あと、これ。私の携帯番号とアドレス。メールってちょっと苦手だから、あんまりしないんだけど」

 そう言って光原は小さいメモを手渡す。メールが苦手とは、つくづく珍しい奴だな。

「わかった。今日帰ったら、番号も付けてメール送っとく」

「じゃあ、よろしくね。ごめんねわざわざ来てもらって。だいぶ時間経っちゃったね」

 大丈夫、と言おうとして視線を光原に向けると、上目遣いで俺の心臓はまた落ち着きをなくした。なんというか、キレイだ。涙の跡まで、全部が全部。

「わざわざなんてもんじゃないよ。俺はいつでも、毎日でもOKだって。……じゃあさ、これからはさ、例えば毎週、今日が水曜だから水曜にとかさ、決めてここで話そうよ。や、もちろん教室とかでも普通に話すけど」

「それ、いいね。そうしよう」

 途中から自分でも意味不明になってきていたが、光原は笑顔で応えてくれた。

「あ、うん」

「ごめんね、気、遣わせて」

 その一言で、なんだか我に返った。

「今度からは、そんなに謝らなくてもいいよ。友達なんだから、当たり前だろ?」

「……ありがと。また明日ね」

「うん、また明日。あと、それと」


「帰る前に、顔洗っといたほうがいいかも」


 聞いて光原はもう一度、ありがとう、と言った。

 別れてから俺はむやみに走りたい気分なって、小走りで部室に向かった。


 ひとしきり走った後、整理運動中に貴司が寄ってきた。

「えらく遅かったんだな。どうしたんだ? いやに気合いも入ってたし」

「いやまあちょっと、いろいろな」

 意外なことに貴司は、それ以上の追及をしなかった。

 そのあと自転車で一緒に帰る途中も関係のない話をしたり黙ったりが続いた。でも、もうすぐ家に着くというところで貴司はぽつりと言った。

「お前のことは、お前が決めろよ。多分、それでいいんだと思う」

 多分貴司が一番、俺のことを解ってくれているんだろう。


 いつもと同じように別れて、ドアを開ける。

 居間につながる廊下の途中にある洗面所から未来が出てきて、俺を出迎えてくれた。

「おかえりなさい、おにいちゃん」

「はあ!?」

「いや、タカシさんがさ、こうやって呼び方直したら機嫌も直るって……かず、じゃないおにいちゃん、昨日はごめんね、あたし……」

「もういいよ、もう」

 そう言って俺は溜め息をつき、一度部屋に戻った。

 とりあえず、さっき見直したのは取り消しておこうか、貴司。


分けたものの、半端に読みにくい長さになっている気がします……

後半になると更に長い章もあったりしますので、できれば諦めずに読んでいただきたいと思います。


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