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すべてへ  作者: 気象情報
15/15

14.すべてへ(For everything, to everything)

 八月ももう下旬になった。俺たちは昨日から補習と称して学校に集められ、通常授業を受けている。

 期待していたわけではもちろんない。だけど補習最初のホームルームで、光原は転校した、と有働先生が短く告げたとき、俺は本当に落胆した。貴司も灰原も対馬も、いくらか同じような気持ちだっただろう。亮だって休み時間にでも貴司あたりから聞いただろうし、家に帰って未来にもその旨を告げたけどやっぱり何も言わず、少しだけ悔しそうな顔をした。

 俺たち以外のクラスメイトはみんな聞くなりざわついて、休み時間になるやいなやその知らせは人から人へ、クラスからクラスへと伝わっていった。思ったよりもさらにたくさんの人が呪いについて認知していたことに驚いた。そしてだんだんとまた、澪が俺たちのもとを離れていくような気がして、好き勝手言う奴らのことが無性に腹立たしかったが、そんなざわつきも放課後までにはすっかりおさまってしまっっていた。


 例年、何もない夏休みというのはとかく無気力になってしまいがちなものだが、あの日以降の俺はそれ以前の問題で、ただひたすら宿題をしたり走りこんだり、とにかく何も考えられなくなっていた。でもそれでも料理をしたりたまに外出したりもしたから、そのたびに何もかもからあの日のことや澪のことを思い出して、心が潰れそうなほど苦しかった。

 みんなはできるだけ暗くしないように努めてくれて、貴司は頻繁に走りに行こうぜと誘いに来たし、あのとらえどころのない亮もたびたび家に遊びに来た。灰原はよく電話をしてきて、五人の中で唯一直接的に俺を励ましてくれた。灰原らしいな、と思った。対馬も数度家を訪ねてきて、主に未来とだがしばらくしゃべっていったり、俺からはモスキートーズのCDを借りていったりした。澪のことを思い出すようなものはできるだけ避けて過ごしていた俺だけど、対馬がCDを返しにきてくれてからは、それだけはレコードの時代だったらすり切れてしまうくらい聴いた。そして未来は、必要以上に明るくしようと努めてくれた。お菓子作りをねだったり、暇なときにはゲームをしようと誘ってきた。でもそれが本心じゃないってことくらい、未来が生まれてこのかた十五年のつきあいなんだから解る。夜中ひとりの部屋で泣いていたことがあるだなんてことも、ちゃんと知っている。そこまでの気づかいを妹にまでさせていることが、ひたすら心に痛かった。

「大丈夫、大丈夫……」

 大丈夫じゃない中でもさらに大丈夫じゃない、そんな最悪の状態のときに限って、澪のあの言葉がやけにはっきりとした輪郭を帯びて頭の中でしきりに響く。

 ほら、俺の言った通り、大丈夫なんかじゃないじゃんか。

 そんな言葉を伝えられるその相手も、もちろん今はもう、いない。

 せめてもう一度だけあのとき、好きだと言えていたなら、と今も未練がましく思ったりしている。


 澪の携帯はまだどこかに存在するのではないか、と灰原が言っていた。家ももぬけの殻になり、学校にもどこにも澪がそこにいたという証拠となる品物は何もなかったけど、もちろん澪がいなくなったという証拠となるものもないし、灰原が電話をかけても、それは存在しない番号ではなくただ誰も出ないだけであるようなのだという。決定的なのはメールアドレスで、全く同じものが存在することがどう考えてもあり得ない中で、何通送ってもアドレス不明で返ってくることはなかったらしい。

 聞いてみると、未来も亮も貴司も対馬もあれから一度以上、澪の番号にかけてみたりメールを送ったりしてみたことがあったという。

 それを聞いて俺も、何度もメールを送ったりダイヤルしたりしようと思った。けど、できなかった。


 俺がそうすることで、本当にすべてが終わってしまう気がした。


「タイム、上がってるな」

 放課後、気が進んだわけではないが他にすることもないのでまっすぐ足を運んだグラウンドで体力のチェックのためにひと通り走ってみると、自分でも驚くようなタイムが出た。

「ああ」

「貴司だってそこそこ上がってるじゃん」

「俺は少しだけ、な」

 他の仲間や先輩が聞いたら驚くだろうタイムにも、貴司は驚くことも喜ぶこともうまくできていないようだった。無理もない。俺が抱えている事情を全部、知っているんだから。

「どのくらい走りこんだんだ?」

「覚えてない」

 校舎に近いグラウンドの隅の木陰でそんな会話をしつつ、水分補給と足回りの軽いストレッチを済ませる。さあ戻るか、と言って貴司が立ち上がって、俺も続いて立ち、もう少しヒザを曲げ伸ばししていた。

「あのう」

 不意にそのとき、後ろから声がした。

「陸上部のかたですか?」

 振り向くと、そこまで若くはないだろうがぴしっとした感じで小柄な、それでいて綺麗な女の人が立っていた。

「そう、ですけど」

 数歩ぶん近い位置にいた貴司が、それに応じる。

「木田くんと斉藤くん、ってのは」

「俺らですけど」

 俺もすすっ、と寄っていき、答えた。

「失礼ですけど、どちら様ですか」

 おずおずと貴司が聞く。

 ごめんなさい、と焦りながらも笑顔を見せたその女の人に、何か引っかかるものを感じた。


「…………です」

 最初はよく、名乗った名前が聞き取れなかった。

「「えっ?」」

 俺と貴司が同時に発したその声に応えるように、その女の人はもう一度名乗った。


「光原怜といいます。光原澪の、母です」


「うそ……」

「あ、いや、もう転校したと聞いていたものですから」

 俺が反射的に発したひと言にその女の人は不思議そうな顔をして、それを見た貴司が慌てて取りつくろう。

「ええ」

 その女の人は、そう言って優しい笑顔を作った。俺はまたさらに、ひどく動揺した。

「ごめんなさいね、いきなりで。突然ですけど、私が体を壊して実家に帰ることになりまして、澪も転校、という形をとることになったんですよ。親ひとり子ひとりなのに私が働きづめで、あの子に寂しい思いもさせて、そのせいで体も壊して……びっくりしましたよ。気付いたらいつのまにか、自分の娘があんなに立派になっていて」

 呆然と目をしばたかせたり互いに顔を見合わせたりしながら何も言えずにいる俺と貴司に構わず、その女の人は続けていく。

「……そんな中でいろいろよくしていただいたみたいで。実家に帰るといってもその実家には誰もいないんですが、また私の都合で……私は仕事をやめるんですが、それでその、前の夫と、あの子にとっては父親になりますが、復縁とでもいいますか、ね。それで養ってもらって……」

 父親の話まで出て、貴司は全部間違いなんじゃないかとでも言いたげな目でまたこちらを見た。でも俺は、何もかも全部これで正しいんじゃないのかな、となんとなく思った。

「……大学に入ったらあの子もまたこちらに戻ってきたいと言っていますし、そのときはまた娘をお願いします。それまでまだ一年半ほどありますが、便利な世の中ですから連絡もいろいろできますでしょうし、電車に乗れば会うことのできない距離じゃないですしね」

 その女の人はそう言って、実家の場所を俺たちに告げた。ひどく遠いように聞こえたが、電車に乗れば二時間はかからないのだという。

「本当にありがとうございます。ごめんなさいね、話ばっかり長くなって」

 いえいえそんな、と貴司が言った。俺は尋ねる。

「それでその、澪さんはいま」

「ああ、ごめんなさい。それがいちばん大事よね。お昼前まで実家のほうにいたんですが、ついさっき戻ってきて職員室で先生方に挨拶させていただいて、それから……そうだ。玄関のところで担任の先生と話していましたね」

 俺が顔を見る前に、貴司は俺の背中をバン、と叩いた。無言で玄関のほうをあごでしゃくる。

 俺はその、まだ信じられはしないが澪の母親なのだろう人にお辞儀をして、ひとり駆けだした。


 玄関には、有働先生がひとりで立っていた。息を切らして走っていくと、先生のほうから声をかけてきた。

「斉藤じゃないか。どうしたんだ」

「光原のこと、どうして言ってくれなかったんですか」

「だから言っただろう、転校だって」

「でも光原も、あの話には続きがあるって」

 先生はひとつため息をついて髪をかき上げ、そして言った。

「教師が率先してああいう話を信じるわけにはいかない。これも言っただろう?」

 ああもう、この人にはかなわない。

「それで、光原は」

「今日中にまた向こうに戻って、それでしばらくはこっちには来ないらしいからみんなに挨拶するって言ってたぞ。携帯は引っ越しのときになくしちゃったらしくて、しょうがないからってここから近い灰原の家にまず行ったぞ」

「は、はあ」

「あいつも抜けてるな、意外に。携帯はなくすし、いちばん会いたいのがいちばん近くにいたのにな」

 何をそんな、と焦って俺が言うと、冗談だよ、と先生は笑って、言う。

「行かなくていいのか?」

「行きますよ、そりゃ」

 言いながらポケットに手を突っ込んでみたけど、自転車の鍵は部活中は教室においてある。

「くそっ……どうして澪にちゃんと言ってくれなかったんですか」

 呼びかたが変わったのを聞いて先生は、嬉しそうに眉毛をぴくっ、と動かした。

「どうしてって、聞かれなかったからだ」

「もう、自転車の鍵とってきます」

 俺が先生の横を抜けて校舎に入っていこうとすると、先生は俺の腕をつかんで引き止めた。

「光原は歩きで行ったぞ。自転車はもう向こうらしいからな……なんのために毎日、陸上で鍛えてるんだ?」

 俺は一度足を完全に止めてきびすを返し、校門のほうに向かって駆けだした。

 がんばれよー、という先生の声を背中が聞く。でも、振り向くことはしなかった。

 今はもう、その一瞬さえが惜しく感じられた。


 しかし駆けだしたはいいが灰原の家の正確な位置は解らなくて、大体の方向へただやみくもに走った。極力思い出さないようにしていたあの夏祭りの日、俺は澪を見送ったあと対馬とふたりで貴司と灰原を見送った。その情景もまた、思い出さないようにしていたが、今、あり得ないほど鮮明に蘇る。勘で走った細い路地は、思った通り神社の少し向こうにつながった。

 方向はこっちで、歩いていける距離。地図もない。携帯もない。知ってもいない。聞いたこともない。だけどきっと、導かれる。それだけを信じて俺は走り続けた。ここまで全力疾走が続いたのは、きっと半分以上が走り込みの成果ではない。

 住宅街にありがちな、きれいな直角で交わる十字路。その中央に足を止めて、右を見る。左を見た。

 その背中が、あった。


 半月以上の間、一度も呼ばないままにしていた名前。

「澪!」

 その背中はぴくっと立ち止まり、そしてゆっくり、こちらを見る。

 その距離のままでしばらく見つめ合ったあと、まだ歩き出さない彼女のもとに、俺は鋭い鼓動と弾んだ息のままで、ゆっくりと歩みを進める。


「和也くん……」

 ひどく懐かしい声がこぼれる。

「どうして」

 俺のその問いかけに、澪はうつむいて目を閉じ、かぶりを振った。

「どうして、またここにいるんなら、最初に俺の、ところに……」

 そこまで言ったところで、完全に言葉に詰まってしまった。

「会いたかった、いちばん……でも、近くにいただなんて知らなくて、まずは凜の家に行って話して、電話も借りて……そうかもう学校、補しゅ……」

 あふれてくるそんな言い訳はもどかしく、だけどむやみに愛しくて。

 俺は小さく動き続ける形のいい唇にもう一歩だけ踏み出して、短いキスでそっとふさいだ。

「そんなの、いいよ。そんなの」

 それだけ必死でしぼり出して、俺はもう一度澪と目を合わせたあと、その背中にゆっくり手を回した。

 もはやずっと昔のことに成り下がっていたあの日よりも、ずっと強く、さらに強く抱きしめて、俺の早い鼓動と澪のゆったりした鼓動が、ふたりの胸にひたすら響く。


 どうして呪いは解けたのか。

 どうして呪いが解けてもまた、ここにいるのか。

 どうしてお母さんまでがまた、現れたのか。


 そしてどうしてこんなにも、俺は澪を好きなのか。


 俺の「好き」が決まったあの日の灰原の言いぐさを借りれば、いつまでも「好き」は「愛してる」に変わりそうもないけど、今はそれでいい。

 きっともう伝えられないと思っていた「好き」が、全部まとめてあふれてきた。

 だけどそれはいつまでも絶えることはなくて、今はただとめどなく、俺は澪のことが好きだ。


 俺の肩のところで、澪がうん、と小さくうなずく。

 うだるような暑さに人影を奪われた八月の住宅街。それを引き起こした張本人、やたらと輝く夏の太陽だけが、じっと俺と澪を見つめている。

 俺たちにとって三回目のキス。俺が知っている二回目のキス。

 そして初めての、“ちゃんとした”キス。

 今度はちゃんと、甘酸っぱい味がした。


 ◆


 気がついたらね、お母さんの実家の、今度私のになる部屋のすみでね、眠ってたんだ。

 それは、いつ?

 それが、昨日の夕方。夕日がキレイだったよ。知らないはずの部屋なのに、なぜか懐かしい匂いがした。

 そう。

 みんなに連絡しようとしたけど、携帯が見つからなくて。探してみたんだけど、お母さんが明日にしなさい、って。

 ふうん。

 そしたらお父さんがね、じゃあ学校に挨拶に行くの、明日にしようって言ってくれて。

 お父さんが。

 初めて見る男の人だったけど、やっぱりすごく、懐かしい気がしたよ――


 ◆


 ふたりでゆっくり歩いてたどりついた灰原の家のチャイムを鳴らすと、すぐに玄関のドアが開いた。

「みんな、来たよー」

 門のところに立っていた俺たちはその意味が解らずにきょとんとしていたが、俺はすぐに気を取り直し、ドアに向けて歩いていこうとした。

 すると、歩く動作で少し下げた右手を、澪の白い左手が握る。


 目で合図してそのまま、ふたりでドアをくぐった。


「遅いぞ、何やってたんだ」

 貴司の声がする。

「やっと来たね、和也も澪さんも」

 明るさを取り戻した、未来の声。

「何しれっと、手なんかつないでんのよ」

 しんじらんない、と灰原は笑った。

「ホント、間に合ってよかったー」

 しっかりピントのずれた亮。

「澪、帰ってきたんだね」

 少しもったいぶってから発せられた対馬のそのひと言を合図に、楽しそうな声は拍手に変わる。

 ふたりで黙って微笑みながら、澪はぎゅっ、とまた手を握ってきた。


「まずは俺の行動の素早さをほめて欲しいね。部活抜けてみんなに連絡して……」

「俺なんかさ、街にいたんだぜ」

「タクシーなんか使ったの初めてだったよ」

「なんにせよ多分、ふたりのラブラブっぷりがよかったのね」

「手、つないだままじゃん」

「バカ離すなよ、見せびらかしとけって」

「もうね、これってアイノチカラだよね」

「運命とか……キセキとか?」

「きっとうん、そうだよ。それでさ、早いとこ奧、入らない?」

 かわるがわるみんながしゃべっていたのを灰原がそのひと言で切って、みんなでどっ、と笑った。

 そして靴を脱いで上がり込むときに、ようやく俺たちは手を離す。

 その、運命とかキセキの恋人とまた少し見つめ合って、俺たちは五人に続いた。

「早く早くーっ」

「そうだぞ和也」

「澪も早くっ!」

 聞けば貴司から連絡を受けて全力で先回りしたというみんなの笑顔と明るい言葉、そして感じた澪のぬくもりと“好き”の心地よさに、俺は今なら一生分泣けるだなんて、冗談みたいなことを本気で思った。


 失われた時間を埋めるように俺たちはみんな、ただひたすらに笑顔で話をした。

 だけどこの時間をくれたすべてへ、伝えたいことはまだまだ尽きない。


 きっとそれが俺の、澪の、俺たちの、この世で生まれ、出会い、そして生きていく意味なんだと思う。


 ◆


 蛇足になるかもしれないが、それから後のことも少しだけ、話させて欲しい。


 澪は予定通り、惜しまれつつもその日のうちにお母さんの実家に戻ってしまった。

 六人そろって盛大に見送った後家に帰って、嬉しさにかき消されたままだった一片の寂しさに気付いたころ、夜の八時くらいに電話があった。

 澪からだった。帰ってすぐにお母さんが、段ボールの中から携帯を発見したのだという。

 これでまたいつでも澪と話せるんだ。繋がれるんだ。

 そう思うと、そんな小さな寂しさも、すうっと消えていく気がした。


 でもまあ、あんな事件のせいであふれすぎた愛しさが吹き飛ばしてしまっていた付き合い始めのういういしさを取り戻すかのように俺も澪も少し電話を気兼ねし、時が経つにつれてだんだん、一本の電話に胸がときめくようになっていった。その感覚と少しのもどかしさが、だけどやけに気持ちよかった。

 大学に進んだらこちらに来ると繰り返す澪に、ある日俺は約束をした。

 好きに世界と関われるようになった澪の未来を狭めたくないから、澪の偏差値にあわせた大学に一緒に進もう、と。


 その旨を母親に伝えたところ、金銭的な余裕はあるだろうけど、そこは俺の努力次第だという。ちゃんと勉強しろ、ということらしい。だから先生にも相談したら、ビシバシ鍛えてやる、ということだった。末恐ろしかったけど、頼もしく思った。


 その先生についてだが、なんと十月に入ったころにいきなり、名字が変わったから、だなんて朝のホームルームで言い出して、クラスが大した騒ぎになった。

「え、じゃあ何に変わったんですか」

「渡部涼子だ」

「ダンナさん、どんな人?」

「塾の先生だ。高校の、同級生」

 ひどくびっくりした。そんなことがあっていいものか、と思った。そういえばあのふたりは同い年だ、といつか気に留めたことを思い出した。

 貴司たちがもっと騒ぐかと思ったけど、そう言えば俺と未来と、後で俺から話をした澪以外あのワタナベさんの職業や、もしかしたら名字も知らなかったと思う。

 放課後、ひとりで職員室を訪ねたが、先生は短く、残り物どうしでくっついただけだ、と言っただけで、それきり俺にも何も教えてくれなかった。

 いろいろ解らないことだらけだったけど、先生の男くさい物言いだけは少し、柔らかくなっていた気がした。


 未来は俺があと二年しないうちに家を離れるつもりらしいと聞くと、途端にさらに料理に熱をあげた。いつまでも俺に世話を焼かせるわけにはいかない、と思ったらしい。その未来に料理を教えるのは俺でも母親でもなく対馬で、頻繁に家を行き来して料理をしてみたりお菓子を作ってみたりしていた。未来はもしかしたら澪以上に対馬のことをしたい、もはや姉のような存在ととらえているようにも映った。その対馬の指導もあって、俺以上に勉強が嫌いだった未来が御崎高校に進むことになるのは、もう少し先の話になる。


 亮は相変わらず飄々としている。未来もどうやら、つかまえ損ねたらしかった。

 つくづく何がしたいのか、何を考えているのかそれとも何も考えていないのか全くわからないとらえどころのない奴だけど、貴司と灰原の初めてのひどいケンカ(犬も食わない)の仲裁に一役買うなど、貴司に言わせると「あいつなりにいろいろ考えている」らしい。

 ただ、当の本人は「放っておいてもなんとかなった」と言って聞かなかったが。


 そんなこともあった貴司と灰原だけど、最も相変わらずなのは多分このふたりで、結局ケンカの後も元のさやに納まり、ふたりで人生設計まで立てているというのろけ話まで聞いた。いつまで続くか見ものだなんて言う友達もいるけど、俺はいつまでも続いてくれればいいと思う。


 呪いのことについても、少し話しておかなければならない。

 呪いが解けた神社でのあの日、ポケットに入れたままのつもりでいた先生から受け取ったあの紙は気付くとなくなってしまっていて、いくら探しても見つからないし未来も誰も知らないし持っていないという。澪の転校についてもやはりしばらくはまことしやかに呪いの噂含みで語られ続けたが、どうやら本当にただの転校らしいと言うことが広まると、なあんだ、といった感じで噂も徐々に収束していった。もしかしたら形としては二十年前と似ているのかもしれない。

 そして空いた澪の机には、高橋という名の転入生がおさまった。話してみると気のいい奴で、もう呪いのことはあまり考えないようにしよう、と思った。ただ、ようやく涼しくなってきたころに街で浪野が不良っぽいいでたちでいるのを見たという話が出て、また少しクラスがざわついたが、一度火が消えてしまった以上灰が舞い上がる程度で済んで、大した騒ぎにはならなかった。


 十一月に入ったころに、御崎高校では文化祭が催された。

 貴司もみんなも澪を呼べとうるさかったけど、計算した電車賃と所要時間にためらってふんぎりがつかず、結局誘えないままで当日を迎えた。

 しかし朝、俺が学校に向かおうと準備していたころだった。

「今から電車乗るところだよ」

 澪からの、いきなりの電話だった。

 ひどく驚きはしたけど、嬉しくないはずなんてない。

 結局本当のところは俺がためらっているということを未来から聞いて業を煮やした灰原と対馬が呼んだらしいが、俺はそれでもよかった。


 にわかににぎやかになり、ちゃちいなりに華やかに彩られた学校へ自転車を走らせる。形だけのホームルームの後で未来も加わり、久しぶりに“いつものメンバー”が六人そろった。

 そしてしきりに茶化されながら、すべてが大切な俺の世界の、だけど確実に他より大きな一部分、光原澪を待った。

 澪が駅のほうから現れるのにそれほど時間はかからずに、その姿が見えると同時に六人は、全力でその“大切な人”を出迎えた。

「おーい」

「みおー」

「久しぶりー」

 現れた澪は少しだけ気恥ずかしそうに、久しぶり、ではなく、ただいま、と小さく言った。


 積もる話もあっただろうけどそこは何とかふたりにしてもらって、笑顔の俺と澪は校内を歩いていく。

 すれ違うのは知った顔ばかりで、その上もうすでにクラスでは俺と澪のことは周知の事実になってしまっていたから、みんな概ね温かく、時には冷やかし半分で迎えてくれた。

 いつの間にかどちらからともなく手を伸ばし、ぎゅっと握りあう。

 言葉にしなかった思いもできなかった思いもすべて、そこから伝わっていく気がした。


 ◆


 誰もが背負う十字架を、呪いと呼ぶことは容易い。

 だけどそう名付けた瞬間に、人はそれを降ろすことを忘れる。

 この世のすべてが呪いなら、僕は君のための十字架になろう。

 せめて闇の中でも明日の後ろ姿が見えるように、

 君といつまでも、離れないように。

                                              <了>


最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

クライマックスにあたる部分なので少しコメントを控えていました。不快さはなかったかと(笑)。


この作品のサイドストーリーを執筆する計画があったりします。受験戦争の魔の手がすぐそこまで迫ってきているので時期的には随分先になるでしょうし、もしかしたら取りやめるかもしれません。


とにかくありがとうございました。

更に感想等もいただければ、それ以上の幸福はありません。


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