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どうやって家に帰りついたのか、記憶にない。
でもいつの間に、ぼくは自分の部屋にいた。
そばには切り裂かれた白いワンピースが落ちている。しっちゃかめっちゃかになった部屋で、ぼくは窓から夕陽が沈んでいくのをぼうっと見つめた。暗い水の中で、赤い金魚が悠然と泳いでいるみたいだった。
呆然としながら「誕生日おめでとう」という声が聞こえてくるのを期待したけど、案の定隣は静かなままだった。
開き直って、ぼくは手にしたグラスに視線を落とす。
カラン、とグラスの中の氷が鳴く。彼がウイスキーを飲むのに愛用していたそれはあまりにも透明で、グラスを通して見えたぼくの部屋はぐにゃりと歪んでいた。
ぼくが酔っているのか、透明なフィルターを通した世界が正しいのか。
まあそんなことどうでもいいやと考えて、グラスに口をつける。琥珀を思わせるような液体を喉に流し込んで、焼けるようなアルコールを味わった。
彼が好きだったスコッチは、感傷的になったぼくをすぐに酔わす。しばらくその感覚にふわふわ泳いでいたけれど、ある時思い切って、残ったスコッチを一気に飲み干した。
次の瞬間、ぼくは空になったグラスを氷が入っているのも構わずに壁に向かって投げ付けた。
耳に響く綺麗な音を立てて、脆いガラスは白銀の蝶になる。一瞬の間ひらりと舞って、それからすぐに奈落の底に落ちるように散って行った。
貴方が大好きだったのに。どうしようもなく愛していたのに。
自然と、もう何度流したか分からない涙が零れてくる。彼とこの部屋で過ごした一つ一つを思い出すたびに、目から雫が流れて行った。拭いても拭いても溢れる涙は止めどなく、やがてはぼくの胸をいっぱいにしていく。抑えつけるものはなく、とうとう耐えきれなかったぼくは誰もいない部屋で、幼い少女みたいに声をあげて泣いた。
彼の感触を思い出す。彼の温もりを、仕草を、声を、表情を思い出す。
その記憶はガラスと共にひび割れた。裏切られ、裂かれた痛みを訴えるようにひたすら泣いた。
けれどその慟哭は、誰にも届かない。
やがて夕日がビルの向こう、地平線の果てに消えていく。終焉を告げるような夏の赫は拭いきれなかった涙を攫っていく。絶望に身を投げるようにして、声が枯れるまで泣き続けた。
ぼくの初恋と十代最後の夏は、こうして幕を閉じた。




