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相手の名前は、須藤直樹といった。須藤エージェントという、日本でも有数のIT企業を率いる社長の息子である。
生まれた時から散々教えこまれたマナーとルールに従って、奥に通された部屋へと上がる。それから初めて、ぼくは彼を見た。
広い輪郭の中に収まる顔立ちは大人らしく、炯々と鋭い瞳は知性と若さを兼ね備えている。髪は爽やかにオールバックにしていて、取ってつけたようには見えない威厳があった。話を聞けば、まだ二十五歳だという。
大輔のような野犬じみたワイルドさはなく、どちらかと言うと飼い慣らされた、血統書付きのドーベルマンといった感じだ。
悪くはない。
「噂に違わず、美しい方だ」
どこから流れた噂だというのか甚だ疑問だったが、須藤は気障なセリフをさらりと言った。ぼくは軽くはにかんで受け流した。
「朝倉家のご令嬢とこのような席を共にするとは、嬉しい限りです」
ぼくの家よりも須藤の方が格上のくせに、皮肉のつもりなのか目の前の好青年は余裕ぶった風に笑っている。愛想笑いを浮かべながら、ぼくも適当に世辞を返す。
これが、ぼくの婚約者。
胸が締め付けられる。よく分からない不思議な違和感に、ぼくは水に似た恋人を一瞬思い出した。しかしその影はすぐに光の中に消えていく。
目の前の男はぼくに関心を示したようで、料理が運ばれてくる間、ぼくにあれこれと聞いてきた。変にぼろを出したくないから、ぼくは必要最小限の返事をする。
「まだ現役の大学生だよね? 部活やサークルは、どうしているのかな」
「サークルには所属していません。高校の時の部活は、バスケットボール部に所属していました」
「へぇ、意外だね。私は高校生の時はサッカーをしていたよ。私がいた時のチームはなかなか強かったけど、関東大会で敗退して、悔しい思いをしたなあ」
「はあ」
「休日は何をして過ごしているんだい?」
「本を読んだり、洗濯物をしたりしています」
「読書か。なにを読むの?」
「プラトンやスタンダールといった、西洋文学を少々」
「ああ、んー……そういったのはあんまり読まないな。太宰や芥川、夏目漱石は好きなんだが」
「……そうですか」
話していくうちに、口調が砕けていくのが分かる。彼がぼくに気を許しているのだと思うと、不思議と親近感が湧いた。けれどぼくの方からは、決して踏み込まない。だから質問を返しはしない。
それになんとなく、ぼくと彼では持つ性質そのものが違う気がした。
そばに控えていた親たちは、やがて部屋を出ていく。二人っきりになって、気まずい沈黙が流れた。ぼくは料理に手をつけずにじっとしている。そのせいか、須藤の方も暇を持て余しているようだった。
「……外に、散歩にでも行こうか」
程なくして切り出されたその言葉に、否定する理由もないぼくはすかさず「はい」と頷いて立ち上がる。
靴を履く時、さりげなく手を伸ばされた。紳士のエスコートかと何気なく手をとったぼくは、それが妙に湿っていたことに気付いた。




