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 生まれて初めて、スカートを穿いた。

 生まれて初めて、化粧をした。

 生まれて初めて、踵の高い靴を履いた。


 母親に手伝ってもらいながらなんとか着替えたぼくは、鏡の前で目を開いた。そこには見たこともない女がいた。

 母は上機嫌で、ぼくの髪を結いながら鼻歌を歌っている。夏樹はぼくを見るなりぎょっとした顔でトイレへと消えて行った。

 鏡の前で薄く笑ってみる。くらい目をした女が僕に向かって微笑みかけていた。到底彼女が自分のことだとは思えなくて、つい鏡に手を伸ばす。触れた指先は透明なガラスを隔てて、現実にあるぼくと繋がった。子供みたいに首を傾げるぼくの後ろで、母も不思議そうに首を捻っていた。


「なにしてんのよ」


 硬い声にはっと顔を上げる。慌てて振り返ると、奇妙な顔をした母とぼくの視線があった。


「いや……その。なんだかぼくがぼくじゃないように思えて」

「そうかしら。でもさすが私の娘ね。かわいいわよ。これならお相手もすぐに惚れるんじゃないかしら」


 誇らしげにそういう母に、ぼくは面食らった。

 初めて、母に認めてもらえた。その事実に顔が赤くなる。

 やっぱり女の子でいた方が、受け入れてもらえる。

 幸せだった。


 ――大輔との可能性は、もう捨てた。


 というか、あまり考えないようにした。彼には彼の事情と家庭がある。ぼくとの関係は終わったのだ。

 ……ぼくが、むりやり終わらせた。

 そこに一抹の寂しさはあれど、後悔はない。後悔するのなら、最初から可愛い女を演じて、酒に弱いと知っていたのなら行かせるのではなく閉じ込めておけばよかったのだ。そうすれば、いつまでもぼくの大輔でいられたのに。

 もっとも、こうなってしまった以上はもう後戻りはできない。

 仕上げに唇にルージュを引く。薄い桃色はライトの下で艶めいていた。長いまつげが目の周りを縁取り、瞬きに合わせて風に吹かれる枝のように上下する。胸元が広く開いている白いフレアワンピースに身を包んだぼくは、まさに一人の「女の子」だった。

 姿見に映る、いやらしくない程度に露出された足は遥と同じ形をしている。あまり外出しなかったせいで日に焼けていないそれは、白と形容してもいいくらいだった。不意にその足が、夢の中で大輔の隣にいた彼女の姿と重なる。脳裏にちらつく影を追い出したくなってぼくは頭を振ろうとするが、母が「髪が崩れるわよ」と言ってぴしゃりとぼくを制した。


 お見合いは午後十二時半、横浜にある老舗しにせの料亭でり行うことになっている。

 ぼくが生まれた家にとって、このお見合いは重要な意味を持っていた。

 祖父が若い頃に築き上げた企業は、戦後の製鉄会社から始まり、今では学校、食品メーカー、文房具、家電製品などと様々なサービスを家族全体で取り仕切っている。両親が経営する病院もその一端で、しかし六年前に主要であった製鉄所が焼失してからは、少しずつ経営は傾き始めていった。

 製鉄所焼失の際に浮き上がった不審火、莫大な損害から、財閥に対する不安や不信、挙句の果てに麻薬の裏取引をしていたのではないかという噂までも広がる始末。ぼくの家族――財閥の本家とぼくのいる分家を合わせた人たち――は、他の企業と組んで結託し、家族ぐるみではなくそれぞれが孤立した方がいいと判断して、得意の分野で起業していった。

 けれどぼくの家はそれほど力があるわけでもなく、あえていえば母はめかけだった。病院で看護婦として働いていた母は、ぼくの父に見初められたのだ。

 放ったらかしにされた本妻からは非難され、さらには本家からも疎ましく思われている。そのため他との繋がりがないぼくの家は、没落しつつある。


 だからぼくの婚約は、弱くなった繋がりを他の企業に求めて再興することを意味していた。


 有名な財閥一家に生まれたぼくは、曲がりなりともその端くれである。一家全体で束ねられている財閥の末端だけれど、その事実に変わりはない。

 失敗は許されない、と母の目が訴えている。

 ぼくは道中喉に手を当てながら、時折発音を確かめていた。


「わたし、は、シオン。――私は詩音。詩音です」


 不器用な声は、すぐに甘ったるい響きに変わっていった。

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