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夏が暑いのは、冬の寒さを理解するためのものだと思う。
しかしそうは思っていても、七月でこの暑さはかなりしんどいものがある。
熱から逃れるように、行きつけのカフェテリアのドアを開ける。つかの間涼しい空気がぼくを満たし、道中かいた汗はすぐに冷えていく。
いらっしゃいませ、とウエイトレスが丁寧な、しかしマニュアル通りの挨拶をする。その横を素通りして、ぼくはたくさんある席の中で大輔の姿を探した。どうやら彼はまだ来ていないらしい。
店の奥の方に空いているボックス席を見つけて、そこに座る。彼が来るまでカフェラテを飲みながら時間を潰すことにして、ぼくは家から持ってきた本を広げた。
そうするうちに、しばらくして不意に視界に翳りが差した。見上げると、そこには見知った人がいた。
「ごめん、お待たせ」
大輔は笑う。時計を見ると、ぼくがこの店に来て五分も経っていないことが分かった。全然待ってないよと言うと、大輔はまた静かに薄く笑みを浮かべる。
「それで、話ってなに?」ぼくはアーモンド形の瞳をのぞき込む。「先に大輔から話してくれないか」
実を言うと、お見合いのことをどう言えばいいのかまだ分からなかった。母親との不仲だとか祖父の勧めだとかを含めて、どこまで言えばいいのかうまくまとめられない。ほとんど口を付けていないカフェラテをストローでかき回す。頭の中で絡まる言葉をくるくると弄ぶように。クリームで汚れた氷が、なにかの楽器みたいに音を立てながら渦を巻く。
大輔は神妙に頷いた。
「なんて言ったらいいのか分からないんだけど、ちゃんと聞いてくれる?」
そして念を押す。向かいに座る彼に首を傾げながらも、ぼくはこくりと頷いた。
「妊娠したんだ」
単刀直入すぎた言葉に、ストローをいじる手が止まった。プラスティックの管に氷が当たって、コップの中の流れは急にせき止められる。
「昨日電話が来た」
「……誰から?」
辛うじて残った理性を繋ぎ止めるのに必死だった。
「シオン、覚えてる? 去年の秋に俺が合コンに行ったときのこと」
そういって切り出したのは予想もつかないほど突拍子な言葉だったが、瞬間その記憶が鮮明に蘇った。
覚えている。
確かきみから連絡が来ないのを、ぼくはいつまでも待ち続けたんだ。
無言のうちに、大輔は話を進める。
「それで……さ。隣の子に飲まされちゃって、すっかり酔っ払って。翌朝気付いたら、その子とホテルにいたんだ。服は着てたから、なにもないと思った俺たちはそのまますぐに別れたよ」
優しい声が耳に張り付き、やがて固まってはこびりついていく。
「それで結局彼女とは今まで一度も連絡を取らなかったけど、俺の携帯から盗み見たんだろうな。昨日電話がかかってきて、妊娠したって……俺の子、だって」
顔を上げることができなかった。テーブルに乗せた大輔の手が目に入る。ぼくが去年誕生日にあげた腕時計が光っていた。
「今まで黙っててごめん。言う勇気がなかっただけなんだ。……それでね、昨日彼女と話をしたんだ。子供を堕ろすから、今後一切俺に関わらないでくれって」
堕胎――。
少し考えて、途端に背筋に寒気が走った。
「……何ヶ月前だよ」
「え?」
「その娘と寝たのは何ヶ月前だ。半年はゆうに経っているだろう?」
俯いた先で、テーブルの木目が視界に入る。周りの音がうまく聞こえない。ぼく一人の声が淡々と鼓膜を震わせる。
「いや、もう十ヶ月は経つじゃないか……ということは、もうすぐ産まれるよな。だったら流産でもさせるのか?」
「ああ、そうだな」
「大輔、お前、本当にそれでいいのか?」
「それでいい」
医者の卵はアクセントの欠けた声でそう言った。目を見開く。緩んだ唇の裏で歯を食い縛ったせいで、ぼくはその言葉の続きを遮れなかった。
「なんならその子供を施設に預けるという手もある。俺たちではまだその子を養うことは出来ない。それに、シオンの両親が経営する病院で堕ろせばなんとかなるだろう」
なにを言っているんだ、彼は。
視界の隙間で彼の腕時計を睨みつける。その時計はぼくのより二、三分ばかり進んでいた。
あの日買った時計の針はもう既に狂い出している。
「だからシオン、まだ俺と付き合っててくれる?」
途端に、ぼくの思考は焼き切れた。




