必然の範囲
眼が覚めると、そこには普段見慣れない風景が広がっていて、それは絶え間なく動いている。何でだ、俺はこうして止まっているのに。何かが、
そこまで考えて、自分は電車に乗っていた事を思い出す。まだ寝ぼけ気味だし、このままではもう一度寝てしまいそうだ。
窓の外に視点を移す。知らない風景。知らない町並み。俺の中でなんともいえない不安が高まる。そんな不安を知ってか知らずか、電車は少しずつ速度を緩めて、止まる。
目に映るのは、自分の知らない駅。
うん。
電車が動き出す中、僅かな希望に賭け、時計を見たところ、九時を回るか回らないかといったところ。無論授業は始まっている。
完全に学校の最寄り駅過ぎたわこれ。
今更な焦りと落胆。それに続いて脳内で自分を責める言葉を投げかける。今から戻って、ううむ、何時学校に着くだろう。乗った電車が間に合うギリギリのそれだった事を考えると、大体八時ちょいまえから、、つまり都合一時間は電車に乗っているわけで。今から戻っても大体十時前後といったところ。
サボってしまおうか、という考えが頭をよぎる。特に目立ったことは今日は無かったと思うし。一人の人間が居なくなっただけで、何か害を受ける人間なんて居やしないのだから。
いや、無理に理由をつけるのも馬鹿馬鹿しい。正直、今日は学校に行こうとは思わない理由が別にある。
椅子に腰掛け直す。時間的にも、交通的にもピークを過ぎた電車には人はまばらで、定期的な揺れだけが響き、静かだった。そんな場所だからか、つい昨日の出来事を思い出してしまう。
彼女――新藤 奈々――に告げられた言葉も。その意味も。
あれはやっぱり、そういう意味なんだろうなあ。
ずっと引き摺っているの馬鹿馬鹿しいのだが、どうするべきなのか、未だつかめずにいるのだから、始末に終えない。
馬鹿らしくてアホらしくて情けない逃避に違いない。そんなことは分かりきっているけれど、溜息をついた。
「間も無く、アリシに到着いたします――間も無くアリシに到着いたします」
アナウンスが流れる。どこかで聞いたような駅の名前。はて、なんだっただろうか。学校で流れた噂で聞いたか、はたまた芸能系か、どちらにせよ自分は詳しく無い。知らないのもわかるのだが。
そうこうと考える間に、電車は止まる。『有矢』って書くのか、ここ。
折角だし、降りて見ることにしようか。一応財布を確認する。乗っていた時間から考えても、まあ帰ることが出来そうな程度は入っている。よしよし。
乗り越し清算をし、改札を出る。
気付いた事は、とりあえず空気がおいしいということだ。
うむ。
うむ。
……形容しようが無い光景というのはこういうことを言うのか。いや本当に。なんだよここ。家はあるとは言ってもまばら。軽く見回すと無造作に生えた草が出迎え、少し先にはいかにもな雰囲気のどこか薄気味悪い林。
何も考えずに引き返したくなるところだが、となると電車代が惜しくなってくる。先程までは考えもしなかったが、今月最後の小遣いなのだ。溝に捨てるような真似はしたくない。
こんな経験この一度だけにしようと心に刻みつつ、少し歩いて見ることにする。何かあるかも知れないし。なんていう控えめな希望を抱いて、進む。
というわけで、林へと体を向け、歩こうとしたところで携帯が鳴る。時刻表示から丁度一限の休み時間だな、何て事を思いつつ、歩きながら通話に出る。
こちらが何かを言う間もなく、電話先の人物は切り出した。
「やあ門司、学校をサボって限りある時間をふいにするのは楽しいかい?」
クラスメイトの矢倉 東吾だ。実にご挨拶である。
「俺が実際に風邪か何かだったらどうするんだよ」
「君は風邪を引いて学校を休むとなったとき、学校に電話もせず、掛けられた電話にワンコールで」
「分かったもういい、俺が悪かった」
ああいえばこういう。正直に言ってこういう人間である。無駄に回る頭を嫌味を言うために回す。いつものことだ。とはいえ、陰口を叩いたりしているのを聞いた事はないので、そのような嫌味は本当に挨拶代わり。本心からのものでは無い事を、俺は知っている。
そして、裏を返せば他人をよく見ていて、気が回る人間でもある。
「そうそう、まあ今日は芸能界としては珍しいことあったけど、まあ学校にはそんなに重要なことがあるわけでもなし。でも門司がサボるとは思いもしなかったな。表面上は真面目で通してるのに」
「表面上、は余計だ全く」
「はは、ごめんごめん。どっちかって言うと愚直というか一週回って考えすぎって感じかな?」
それにしたって今日の東吾は絶好調である。何が絶好調っていつも以上に反論し辛い。そのせいでつい溜息をついてしまう。
そしてそれを聞かれる。反応されない筈がない。
「……なんだ、いつも以上に元気が無いというか。何かあった?ていうか、そもそもそこ、家じゃあ無い感じだ」
「本当によく分かるな。そうだよ、電車乗り過ごしたんだよ、悪かったな馬鹿で」
笑い声が入ってくる。そんな声を半ば堪えながら、
「いやいや、門司は馬鹿とは違うよ、こういうのは偶然起こるものだよ」
「偶然じゃあ無いな。それは単に色々な要素がくみ上げられてるだけだから」
「なんだ、いつもの口癖かい。まあ、それはいいとしてさ、どこに居るの?」
つい口をついて出てきた言葉をさらりと流しつつ、東吾が言った。あの寂れた駅を思い出しながら、答える。
「有矢って駅で降りた」
「……って、え、有矢?本気で?」
本気でって何だ。まあ嘘では無いと思うのだが。
「ああ、まあな」
「ちょっと、それは、って、うわ。もう授業かよ、まさかとは思うが、変なことするなよ門司!新藤さんがどうすることか!」
そう言って電話は切れた。奈々がなんだっていうんだか、というか、口ぶりからしてまだ伝わってないのか。
それにしてもあの反応。良かれ悪かれ何かあるらしい。なんとも微妙な感じだの語調で、分からなかったが。あいつが言うことなら、多分そこそこ有名な何某があるのだろう。少し意義がありそうである。
薄暗い林の中。一応整備はされていて、道のような体をなしている部分を探して進む。木漏れ日が差し込んできて、足元の草木を揺らす。絵に描いたように神秘的であるのだが、それにしては人影どころか生き物すら見ていなくて、その辺りは妙に薄気味悪い。
それでも尚進んでいくと、湖に出た。水面は周囲の風景を鏡のように反射し、日差しの下で輝きを放って居る、
月並みな表現だが、綺麗だ。ただ、その綺麗さにどこか深みのようなものを孕ませている原因は、この湖の底がまるで見えてこないからだろうか。どこか、魅かれる。
はっとなって頭を振り、視線を上げると、湖畔には先客が居た。いや、多分ずっと居ただろうから、居たことに気付いたが正しいのだろう。
湖の周りを取り巻く木々、その中の一本にもたれている人物。着ている服は恐らく高級品では無いように思うが、よく着こなされている。顔はというと一目見ただけで好青年と言う印象を与える程度には端整だ。大体二十前半だろうか。物憂うように水面を見ている様は、どこか湖の雰囲気に吸い寄せられているようで、心此処にあらず、なんて様子を、生気が篭っていないよう、と言うのは、一瞬抱いた感情にしてはあまりに大袈裟だったから。ただただ思いに耽っている。なんて表すべきなのだろう。
そう思うことにする。
引き返そうとして、これまでの進行方向とは逆に体を向けて、一歩踏み出す。邪魔をしたくなかった、と言うのは、言いすぎだろうか。
誤算だったのは、踏み込んだ先が土じゃあなくて、柔らかい、落ち葉のクッションだったことと、それに気付いたときにはもう姿勢を崩してしまっていたこと。そして、転ぶ事は無かったもののそこそこに大きな音を立ててしまったこと。
「誰だ?」
そしてそれが、向こうの人に気付かれるくらいのものだった事。仕方ないか。顔を出して、近付き、謝る。
「いや、すみません。ちょっと通りかかって」
何か驚いたような顔、何か面食らっているような。ううむ。
「もしかして顔に何かついてます?あるいは会ったことあったりしました?」
実に様式美と言うか、もうちょっと何か無いか俺。
「……いや、そんなことはない。悪かったな、こっちも声を上げて」
短い会話。いやまあ初対面だから仕方ないんだけど。話題がそれ以上続かない。幸い、あちら側から振ってくれたが。
「ていうかお前さん、学生か、何か悩みでもあるのか?」
「……いえまあ、無いわけじゃあ無いですが」
まあ、実際問題、昨日奈々に言われたことを引き摺ってたのもあって気疲れしているところはあるように思う。出来事は偶然じゃなくて積み重ね、なんて先程の東吾の言葉も思い出しつつ、大本は此処か、などと思ったりもする。
「ふうん。ま、そうでもなきゃこんなとここないわな」
「こんなところ、ですか。友人もそんなこと言ってましたね。此処って一体何なんですか?」
何の気なしに言った言葉だったのだが、その人にはひどく意外に聞こえたらしい。というか、顔全体で意外を表現してきた。
「え、てお前。ここを何か知らずにきたのか」
「ああ、やっぱり何かあるんですか」
「……いや、考えすぎさ、ただの観光地だよ。変な期待させて悪いな」
なにやら釈然としない。
「まあ、あんまり見すぎるもんでもないさ。いくら観光地ってもね、同じものばかり見れなかったら仕方ない」
まあ、いいか。それよりも、また似たようなことを。
考えすぎ、か。何かと言われるけれど、しょうがないじゃないか、性分なんだから。
そう頭の中で呟くが早いか、再び答えの出ない問いが始まる。
何故彼女に、奈々から怒りを向けられたのだろう。何故そこから自分まで冷静さを欠いてしまったのだろう。
奈々はどうして。
いや、そうじゃないだろう。
その辺りが考えすぎなのだ。今より前のことにこだわりすぎてもしょうがない。考えすぎって、そういうところにあるのだろうか。偶然そんなことを言われていなければ気付かなかっただろう。
とにかく、考えすぎたところで、実際に取れる行動は、出来ることは、一つしかないわけだし。
謝ろう。
それでどうこうなるとは思っていないけれど、何もしないより、余程いいはずだから。
今から帰ったら時間はどれほどだろうか、まあ、多分間に合うだろう。
そうして立ち上がる。
「もう、行くのかい?」
「ええ」
それにしても、拭いきれない違和感がやはりあって、つい聞いてしまう。これは単純な興味というか。
「お兄さん、やっぱりどこかで見た様な気がするんですけど、ううん……」
そんな俺の言葉を聴いたその人は、表情を一挙に崩す。なんというか、馬鹿にしていると言うよりは、分かっていなかったことに得心がいったことから来る笑いのように聞こえた。
「は、は。いや、多分無いと思うよ。……悪いね。何だか色んなことをぼかしてばかりになるけれど」
なんだか、。その笑いっぷりを見ていたら、質問の意味などどうでもよく思えて、
「いえ、構いませんよ」
とだけ返した。
不思議な人だったな、と思う。どこかで見た雰囲気であったり、思わず邪魔したくなくなるような風であの湖と相対している点であったり。
まあ、悪くはない時間だったな、鞄を横において、軽く伸びをする。
ふと前を向くと、知った顔が見えた。
思考から冷たさが失われる。見違うことが在ろうか、新藤 奈々だ。何か差し向ける言葉を考える間もなく、近づいてきて、
「あんた何考えてるのよ!」
正直、ここにこいつが現れた時点で動転してしまっいるが、
「何考えてるも何もだな、電車乗り過ごして面倒だから学校サボったんだが」
自分でも理由になっていないことは重々承知である。
その言葉を聴いた奈々は軽い驚きの声を上げる。今までの勢いを挫かれたように、というべきか。
少しの間を置いてから、言った。やり場の無い怒りをぶつけるように。
「あんた、もしかしてここがどういう場所かわかってない?」
「いや観光名所って聞いたけど」
溜息とともに、返された。
「自殺の名所だそうよ、ここ。特に入水自殺の、ね」
ジサツノ、メイショ。
内容を噛み砕くのと先ほどの空間の意味を理解するのに数秒かかる。そうして頭で理解するとともに、冷や汗が浮いてきた。引き込まれそうな湖。先ほどの男性。
「固まってるとこ悪いけどね、心配したんだから」
その言葉を受け、再び奈々を見やる。今度は落ち着いて。少し荒れた髪は、普段の彼女にはそぐわないし、着ている学校の制服も少々乱れている。そんな状態で肩で息をしている。
気になることはまだいくつかあるのだが、ひとまずは謝るべきことが増えたことを、切に感じた。
「何はともあれ、昨日は本当に悪かった」
「ああ、うん。私の方こそ。ちょっとカッカしすぎたね」
そんな反応を返されてこちらは安堵する。一方で、
「と、言うか……あんたがこんなとこに来たせいでいらん心配しちゃったじゃないの」
「東吾にもやたら気にされたんだがな、俺ってそんなに自殺しそうに見えるか?」
「え……随分悪趣味な質問じゃない?それ」
正直彼女に自殺されそうと思っているなら心外なんて言うところを遥かに通り越して素行を見直すことを検討したくなるのだが。ある意味こういう返答は安心できる。
それにしても、ここにきた理由か。
睡眠不足のせいで電車を寝過ごしたからが理由と言えば理由だが、それは言う気にはならない。
じゃあなぜ寝坊したのか?前日の夜を思い浮かべる。確か寝つきが悪かった。じゃあそれは何故。
隣の人物を見やる。
「何?」
「いや、別に」
「あらそう」
なるほど、小さいことの積み重ね、そして考えすぎか。酷く遠回りしたものだ。
と、感慨にふけっている場合でもない。鞄を肩にかけなおし、林の方を見やる。
「ちょっとすまん、一回さっきの場所に戻らないと」
「はあ?何言ってるの」
「人が居たんだよ。あんまり思いつめてる風じゃあなかったけど、正直確認だけしておきたい」
これ以上考えすぎることを増やすなんて、ごめんだった。
俺が前に立って、道を再び進む。程なくして、湖に着く。
しばらく周囲を見ていたけれど、人影は見えず、先ほどと同じような、いや、先ほどよりも深みを増したようにさえ見える水面に移る自分の表情だけが、其処に移っていた。
酷い表情だった。
後日、東吾にニュースサイトの記事を見せられた。
「せめてこれぐらいは知っておきなって、今日の芸能系のトップなんだから」
怖いぐらいだったので見てみた。内容は、有名俳優の自殺未遂。物騒だなと思いつつ見ていると、本人のインタビューも出てきた。それによると、
「自殺未遂なんてほどじゃあないんですがね、未遂じゃあ行動に移して失敗したみたいですし、僕の場合はそうではないんです。ただ、死んでしまおう、と思ったまでは本当で、理由としては、誰からも知られている、そのくせそれは外向きの顔だけで、本来の自分として扱ってくれない。それが怖くて、逃げ出したくなったんです。
けれど、それが自分の思い上がりだって気づいたから、今こうしてここにいます。心配をかけた方には申し訳ありません」
読み終わり、目を離す。そのタイミングを見計らい、東吾が口を開いた。
「普通こういうことって後になってからバラエティー系の番組でやったりするものなんだけどね。この人もなんだか家族に先立たれて、見たいなところもあるみたいで、今回は現場抑えられちゃってたらしくてね。マスコミが騒ぎ立ててるからこういう形になったみたい」
東吾がそう捲くし立てるのを適当に相槌を入れつつ、画面をスクロールする。
その先には、一枚の写真。恐らくその俳優のものだろう。しかしなんというか、違和感を感じた。
「この人」
「……?そりゃあまあ、いくら芸能に弱い門司でも見たことぐらいはあるんじゃない国民的俳優だよ、むしろせめて知っておこうよ」
いや、なんかこう直接的に。俳優、自殺、未遂。
なぜか浮かんでくる、吸い込まれるような水面のイメージ。
「おーい、なに一人で得心いったような顔してるのさ」
「いーや、沈んだんじゃあなかったんだなって」
そもそも死体って浮いてくるんだっけか、いや知らないが、そうなら当たり前かも知れないけれど、とにかく、安堵する。
小さな必然が積み重なって大きなものになる。
……自分が一枚噛んだと思うのは、些か言いすぎだろうか?




