闘士と死を望む者
コロッセオの闘士は、戦う定めを持つ者。
戦いの勝ち負けが生死を分ける。
今夜も死闘が繰り広げられる。
「俺は、死にたくない!」
捨て身の突撃。
「悲しいな、死を恐れ、必死になるほどに死に近付く」
男の名は、タナトス。
細身の体からは、想像出来ない力強い剣技でコロッセオでも人気が高い闘士。
突撃してきた男の剣を紙一重でかわし、男の頭を剣でかち割る。
歓声が上がり、タナトスも腕をあげて応える。
闘士達の控え室に戻ったタナトスに待っていたのは、激しい嫌悪と恐怖。
彼は、闘士達にとって死神の様に恐れられていた。
連勝を続けていた彼は、特別扱いを受けて居た。
個室は、その一つだった。
「お帰りなさい!」
元気にタナトスを出迎えたのは、タナトスが知らないまだ幼い少女だった。
「新しい女か、今回は、また幼いな」
少女が苦笑する。
「夜研が無いんだったらガキでも構わないって判断ですよ」
タナトスは、少女の余裕に苛立つ。
「気が変わって抱いても構わないんだぞ?」
「抵抗する自由もありますよ」
少女の余裕の態度は、変わらない。
「死神に抗えると?」
鋭い目付きになるタナトスだったが、少女は、平然と部屋の掃除を続ける。
タナトスは、剣を突き付けようとしたが少女の持った箒が剣を弾き飛ばす。
タナトスの動きが変わった。
相手を殺す為の動きに。
しかし、少女は、僅かな動きでかわす。
「生き残ろうと必死になるほど隙が大きくなる」
気付いた時には、タナトスが床に押し倒されて居た。
「死ぬのは、怖くないでしょ?」
少女の問いかけにタナトスが憤る。
「貴様みたいな小娘に何が解る!」
少女が淡々と言う。
「大切な人を目の前で殺された。だけど自分独りだけは、生き残った。そんな自分が許せない。だけど自分で死ぬ覚悟は、無い。だから、本気で戦って自分の力でも勝てない相手と戦って死にたいそれだけ」
「……」
驚愕の余り声も出ないタナトス。
少女は、箒を持って掃除を始める。
「お前は、何者だ……」
タナトスの問いかけに少女があっさり答えた。
「神名者、八百刃。だから戦い方を見れば何で戦っているかくらい解る」
タナトスがすがる様に乞う。
「ならば、私に救いを……」
少女、ヤオが苦笑する。
「あちきは、正しい戦いの守り手だよ。逃避者に出来る事は、ないね」
「それでも私は、救いが欲しいのです!」
タナトスの哀願にヤオは、答えない。
『あれに何故関わる?』
下働きの女性部屋に戻ったヤオに白牙が問い掛けた。
「別に、もうすぐあちきの出番があるからここに居るだけだよ」
『コロッセオの反乱か、奴隷の反乱は、必然だな。あれも加わると思うか?』
白牙が言うとヤオは、そっけない態度で告げる。
「関係ない。今のままじゃどっちに付いたところで正しい戦いなんて出来ない」
『確かにな』
白牙が納得するなか、ヤオに前のタナトスの担当の女性、ミナスがやって来る。
「タナトス様の様子は、どうでしたか?」
その表情は、一言で言い表せない複雑な思いが浮かんで居た。
ヤオは、敢えて淡々と答えた。
「特に変わった様子は、ありません」
「……それは、良かった」
ミナスの本当に安心した気持ちと表に出せない失望にヤオは、気付いた。
「タナトス様の部屋の鍵、次の掃除まで使いませんから預かって貰えますか?」
ミナスは、僅かに躊躇したが受け取った。
粗末なベッドに横たわるタナトス。
扉が開き、ミナスが入って来た。
「お前か……」
タナトスの残念そうな声にミナスは、胸を痛める。
「タナトス様、随分と気落ちされておりますが、新人が何か粗相をしましたのでしょうか?」
タナトスが自虐的な笑みを浮かべた。
「本音を突かれて、まいってるだけだ」
「タナトス様の本音?」
ミナスが戸惑う中、タナトスがなげやりな口調で答える。
「そうだ。今まで誰にも指摘された事が無かった本音。俺の真の望みだ。そして、それを叶える事が出来るのに俺は、相手にもしてもらえなかった……」
悔しげに壁を叩く。
「私では、その望みは、叶えられないのでしょうか?」
ミナスの言葉にタナトスが飛び起き、ミナスを壁に押し付ける。
「無理みたいだな……」
落胆するタナトス。
ミナスは、そんなタナトスを見詰める事しか出来なかった。
鍵を返すミナス。
「ヤオ、タナトス様の望みって何?」
真剣な瞳にヤオは、即答した。
「敗北による死。そこにしか出口を持ってないんだよ」
愕然とするミナス。
「そんな、どうして?」
「愛した女性を護れなかった。そんな自分の中途半端な強さが許せないんだよ。自分の強さを否定し、勝てる相手を渇望してるの」
「貴女には、それができると?」
疑いの視線を向けるミナスにヤオが苦笑する。
「信じなくても良いよ」
淡々とした口調が逆にヤオの言葉に真実味を持たせる。
「タナトス様を救う方法は、無いの?」
必死な瞳にヤオが答える。
「過去の女性を越える事。それだけがあの脱け殻に明日を見せる事に繋がるよ」
ミナスは、無言で鍵を奪い返す。
「タナトス様、また私が担当になりました」
タナトスの部屋に入り頭を下げるミナス。
「懲りない女だ……」
あきれた顔をするタナトス。
「私は、タナトス様の一番の女になります」
ミナスの言葉にタナトスの目付きが鋭くなった。
「あれから聞いたのだな? 無駄だ、あいつ以上の女など居るものか!」
「私は、諦めません。諦めない限り可能性は、あります。私は、その人と違い生きているのですから!」
舌打ちをするタナトス。
「好きにしろ!」
こうして、ミナスのまるでざるで水をすくう様なほうしが始まった。
「お疲れ様」
ヤオが濡れタオルを渡す。
「ありがとう」
ミナスが受け取ったタオルで体を拭う。
「かなり無理して。タナトスの世話以外にも本来の仕事、寝る暇もないじゃん」
するとミナスが微笑む。
「そうね、でも私は、幸せよ。タナトス様のお世話係りを外された時の苦しみに比べたら、辛くないから」
「はいはい、それで勝ち目は、見えてきた?」
ヤオの言葉にミナスは、首を横に振る。
「意識して見てれば解る。タナトス様は、何時も私を通して、私でない女性を見ている。でも諦めない」
タナトスの部屋に向かうミナス。
「もう少し時間をあげたいけど、限界みたいだね」
ヤオの呟きに答える様に鎖に繋がれた闘士達の暴動が始まる。
きっかけなど無かった。
ただグラスに注ぎ続けた水が溢れるように暴動が始まる。
たった一人だった反抗が連鎖し、ダムをも打ち砕く激流に早変わりした。
統治者達は、兵を使い、抗おうとするが、激流の前では、無力だった。
『助力の必要もないな』
白牙の言葉に高見より事の成り行きを見守っているヤオが答える。
「本流は、大丈夫だけど、支流の中には、助力が必要な人も出てくるよ」
その視線の先、タナトスの部屋では、タナトスが淡々と兵から奪った剣を振るっていた。
「強い……」
「やはり死神には、勝てない……」
兵が怯むなか、隊長が怒鳴る。
「恐れるな! 相手は、まだ独りだ、合流する前の今しか倒すチャンスは、無いぞ!」
苦笑するタナトス。
彼自身、反乱等頭の片隅にも無かった。
ただ戦って死ねる、そのチャンスだった為、戦っているだけだった。
そして遂にその機会が訪れた。
タナトスの剣が折れ、兵士の一撃がタナトスをとらえた。
「死神の最期だ!」
兵士の剣がタナトスの命を奪う為に降り下ろされる。
「ようやくお前のところに行ける……」
タナトスが迷いのない顔でその瞬間を迎えようとしていた。
「タナトス様は、殺させない!」
構えた箒の半ばまで斬り込まれながらも受け止めたミナス。
「何をするんだ! 邪魔をするな!」
タナトスが睨むがミナスが微笑む。
「例え恨まれても、私は、タナトス様に生きて欲しいのです」
歯ぎしりをするタナトス。
そんな中、箒が折れミナスが素手になるが兵士を睨む。
「タナトス様には、これ以上手を出させません!」
「余計な事をするな、逃げろ!」
タナトスが叫ぶなか、兵士の剣がミナスに迫る。
「白牙」
ヤオの言葉に答え、子猫の姿から巨大化しながら白牙が兵士を蹴散らす。
「ヤオ……」
ミナスが驚く中、ヤオが苦笑する。
「あんた、本当に変わらないね。あの時と同じで女性に命を護られてる。あの時は、戦い敗れたあんたを瀕死の傷を負いながらあんたを守っていたよ」
「それじゃあの時、俺が助かったのは……」
信じたくない表情でタナトスが言うとヤオが頷く。
「死を目前にしながらあんたを助けようと戦ったあの人の戦いをあちき、神名者八百刃が助けたから。そして、今回も同じだね」
タナトスが叫ぶ。
「ならば何故、もっと早く助けに来てくださらなかったのですか!」
ヤオが肩をすくめる。
「難しい事じゃないよ。ただ単純に貴方が傲慢だっただけ、自分の力だけで護れると過信していた。そんな状況じゃあちきの出番は、無いよ」
タナトスが立ち上がる。
「タナトス様、無理は、お止めください!」
ミナスが止めるがタナトスは、剣を拾い上げ構えた。
「俺は、過信した自分を許さない。だからこそそんな俺を信じた女を今度こそ、自力で守って見せる!」
「白牙、下がりな」
ヤオの言葉に白牙が従う。
タナトスは、獅子奮迅の戦いを見せた。
反乱軍の勝利に終わり、闘士奴隷達の勝鬨を上げるなか、タナトスは、全身に傷を負いながらもミナスを守り抜いて、意識を失っていた。
「タナトス様!」
傷の深さに何もできないミナスに変わってヤオが医者顔負けの手際で治療を施す。
「神名者の能力じゃないからタナトスの宣言は、破られて無いよ」
ミナスは、頭を床に擦り付ける。
「ありがとうございます。全ては、八百刃様のお陰です」
「感謝は、タナトスだけにしなよ。無茶でも貴女を護りきったのは、こいつなんだから」
ミナスが首を横に振る。
「私が感謝しているのは、私を救ってくださった事では、ありません。タナトス様を過去の呪縛から救ってくださった事に対して感謝をしているのです」
ヤオが苦笑する。
「それこそあちきの力じゃない。奉仕を続け、タナトスを信じ続けた貴女の力だよ。あちきは、次の戦いの場へ行くから、二人で新しい人生を送って」
去っていくヤオに何度も頭を下げるミナスであった。
『全ては、お前の筋書き通りって所だな?』
白牙の問い掛けにヤオが難しい顔をする。
「予想より早かったから、給金を貰えなかった、どうしよう?」
白牙があきれた顔をする。
『諦めろ』
「今回は、減給が無かったのに!」
ヤオの虚しい叫びは、勝鬨の中に消えていくのであった。




