17-13.変わりゆく世界(2)
「「「神々に乾杯~」」」
酒場では上機嫌な男達が、なみなみとビールが注がれたジョッキをぶつけ合う。
それは王都の「塔」から近い場所にある酒場で、ここ最近よく見られる光景だった。
「ぷっはー、今日もビールが美味い!」
「枝豆を食べながら飲むビールは最高だぜ!」
大陸西方のガルレオン同盟から輸入されたというビールは、エールの何倍も高価だったが、エールにはない喉越しの切れとすっきりした美味さに惚れた探索者は多い。
あぶく銭を持つ探索者達の財布の紐が緩くなるのも仕方のない事だろう。
なお、ビールの大量生産と輸入にエチゴヤ商会が大きく関わっている事は公にされていないが、多くの国民がその事実を知っていた。
普通じゃない事が起こったら、だいたいエチゴヤ商会か勇者ナナシかペンドラゴン伯爵家のいずれかが関わっている、というのが王都の人々の常識だったからだ。
もっとも、それらの全てが同一人物によるものだと知っている者は少ない。
なお、ビールの生産に成功し、富豪となったジョンスミスという少年は、シガ王国北部にあるセーリュー伯爵領へと向かって旅をしているらしい。おそらく、新しい商売の種を探しにセーリュー市の迷宮に行ったのだろう、とはジョンスミス醸造所の留守を預かる番頭の話だ。
「お代わり持ってきたよ」
「おお、待ってました!」
「それじゃいくぞ――」
男達がビールのジョッキを掲げる。
「「「神々に乾杯~」」」
「おいおい、何度目の乾杯だよ」
「いいじゃねぇか、こうして神々に感謝を捧げれば魔物も弱くなるし」
「俺達も楽に稼げるってもんだ」
男達が顔を見合わせてどちらからともなくガハハと笑い合う。
「この罰当たりどもめ!」
「まあまあ、神官様。もう一献どうだ?」
「ふんっ――いただこう」
神官も本気で咎めるつもりはないらしい。
今回の塔の一件を機に神殿への寄付も増え、神官達は塔を攻略する探索者達からも大人気だ。
彼のように安全に階位を上げたい神官にとっては、まさに願っても叶わないような状況が続いている為、多少の不謹慎な発言を罵倒一つで収める程度には機嫌がいい。
「た、探索者の旦那! 俺も仲間に入れてくれ」
「なんだ、お前?」
「お、俺はタヘレ。昔は迷宮都市で探索者をしてたんだ」
タヘレと名乗ったボロボロの服を着た少年が、床に這いつくばって懇願する。
周りの酔客の一人が「ゴミ浚いのタヘレ」だと呟いた。ゴミ浚いとは王都の浄水場の近くにあるゴミ集積所から、使えそうな品を拾い集める者の蔑称だ。
「装備は?」
「ぶ、武器ならここに!」
少年がぼろ布に巻いてあった剣を取り出す。
ゴミ集積所で拾ったのか、赤錆が浮かんだ剣は半ばほどで折れていた。
「これじゃあ、紫ゴブは斬れないな」
「だ、だったら、荷物運びでも雑用でも何でもする!」
「いいだろう。一度、使ってやる。戦えるってところを見せてみろ」
すかさず別の提案をした少年に男は満足そうに頷く。
ここで言い訳をしてふてくされるような者も多いのだ。
「ありがとう、アニキ! 絶対に役にたってみせるよ!」
こんな風に、底辺での生活から抜け出したい前向きな者達が、探索者への道を歩むのもまた塔の周りではよく見かける光景だった。
◇
「うおっ、広っ」
「すっげー、話には聞いてたけど、向こうが見えないくらい広いや」
王都にほど近い塔の一階フロアで、探索者として初めて塔に挑戦する二人が、都会に出てきたお上りさんさながらの様子で周囲を見回す。
「おい、行くぞ」
「さっさと並ばないと、列ができちまう」
日の出前に王都を出た意味がないと、リーダーがボヤく。
「ごめん、アニキ」
「うわっ、凄い行列だ」
20本ある柱の内、16本の柱それぞれに30人前後の行列ができていた。
「アニキ、アニキ。何本か誰も並んでない柱があるけど、あそこはダメなのか?」
「あれは下り専用だ。見えない壁があって中には入れないんだ」
誰もが一度は疑問に思う事なのか、リーダーは少年が見ている柱に視線を向ける事なく答える。
「そろそろ俺達の番だ。ロープの節にある輪っかに腕を通してから掴め」
「何コレ?」
「いいから言われたとおりにしろ」
新人二人が首を傾げながらも、言われたとおりにしてロープを掴む。
「こうしてれば俺達は一つの団体だと塔が理解してくれるんだよ」
「塔が理解?」
「そうだ。同じ階段を抜けた先が必ずしも同じ階じゃないって話は知っているか?」
リーダーの問いに新人二人が頷く。
最初期の塔には無かった仕組みだが、塔に挑戦する探索者が激増した頃から、いつの間にか増えていた仕様らしい。
「何もしなきゃ、塔は八人ずつで一つの団体だと勝手に判断して、別の階層へ飛ばしちまうのさ」
最初の頃は、一人だけ分断されて途方に暮れる者が続出したらしい。
「おい新人、最後のヒモは垂らすな。必ず残りは自分の腕に巻いて先端を握っておけ」
「なんでさ」
古参の一人が言った言葉に、最後尾にいた新人が意味を問う。
「潜伏スキル持ちの悪党が一緒についてこないようにさ」
高価な装備を持つボンボン貴族や見目麗しい新人探索者を狙った悪党や、弱そうなパーティーを狙った初心者狩りの小悪党が、こっそりとロープの端を掴んで一緒の階層に紛れ込んでくる事がある。パーティーごとに別階層へ飛ばされる事を悪用した裏技だ。
もっとも、一つのフロアが一つのパーティー専用というわけではない為、塔の中で他のパーティーに遭遇するという事はそれなりにある。
「白鼻」
リーダーが白い毛の犬人に合図する。
頷いた犬人が鼻をヒクヒクさせて、通路に残る臭いから魔物の方角と数を割り出す。
聞き取り辛い声で話すのを嫌ってか、犬人は手信号で魔物を見つけた方向と数をリーダーに伝えた。
「右の通路の先に紫ゴブが一匹だ。左と正面は何もいない」
リーダーが手信号の意味を二人の新人に伝え、先頭に立って右の通路を進む。
「ゴブだ」
「本当にいた」
「危なくなったら助けてやるから、最初のは新人二人でやってみろ」
「うん」
「分かった」
新人少年と新人中年の二人が棍棒を持った紫色のゴブリン――尖兵小鬼に向かう。
二人は鎧こそ身に着けていないが、厚手の服に身を包み、リーダーから貸し与えられたゴブリン・サーベルという片刃剣とゴブリン・バックラーという小盾を装備している。どちらも、塔のドロップ品だ。
――GWOOOOBZN。
ゴブリンが雄叫びを上げて襲ってくる。
「うおおおおおお!」
「でりゃああああ!」
その叫びに釣られた新人二人もやけくその声で叫びながらゴブリンに斬りかかった。
ゴブリンの振った棍棒が新人中年に当たったが、同時に二人が振り回したサーベルもまたゴブリンの腕や肩に命中し、紫色の肌に浅く傷を刻む。
数合の戦いを経て、血まみれになったゴブリンの体力が尽きた。
ギャともギュとも聞こえる短い悲鳴を上げて、ゴブリンが暗紫色の靄になって消える。
かつては正規訓練を受けた兵士達が苦戦した尖兵小鬼も、神々の加護に守られた今では、迷宮探索者を引退していた少年や力自慢だけが取り柄で戦闘訓練をろくにした事がないような中年男性でも勝てるほど弱体化していた。
「よくやった、二人とも」
褒められた二人がへらっと笑う。
「へっぴり腰だったが、ちゃんと目を開けてたし、逃げずに斬りかかったんだから合格だろう」
「そうだな。刃筋もまあまあ立ってたし、いいんじゃねぇ?」
たった一度、最弱の尖兵小鬼を倒しただけだというのに、二人は汗みどろになって地面に座り込んだ。
「骨は折れてないな。打ち身だけだ。次からは相手の攻撃はちゃんと避けろよ」
「ああ、分かった」
応急手当を受けた新人中年が頷く。
手当をした探索者が礼の一つもない事に文句を言おうとして、相手が初めての戦いを経たばかりの新人だという事を思い出して、鼻を一つ鳴らすだけで済ませた。
「初めての戦利品はちゃんと拾っておけよ」
「うん、アニキ!」
新人少年が地面に落ちているであろう魔核の欠片を探す。
「見つけにくいだろ? 乱戦の時以外は、相手を倒した時に拾うようにしておけ」
「うん、分かった」
地面に這いつくばった少年が、見つけた魔核の欠片を拾い上げ、アニキに差し出す。
「よし、次に行くぞ」
「ええっ? もう行くのか」
「休み足りないなら、もっと休んでいていいぞ」
リーダーは不平を漏らす新人中年にそう言い、すたすたと犬人が示す方向へと歩いていく。
「も、もう大丈夫だ」
置いていかれては堪らないと、新人中年は震える膝にむち打って仲間達の後を追った。
◇
「あれ? 調理用の魔法道具を入れたのか?」
「ふふふん、良いだろう」
酒場に食材を納品に来た配送業の青年が、真新しい魔法道具を見て目を丸くした。
「探索者相手の酒場って儲かるんだな」
「まあな。安酒ばっかりだが塔から帰ったら毎晩しこたま飲んで食っていってくれるから、下町で酒場をやっていた時よりは稼げるぜ」
「でも、調理用の魔法道具って、すっげぇ高いんじゃないのか?」
「最近はそうでもないぞ。魔核の値段が下落しているから、魔法道具も安めなんだと」
「ああ、塔で採れるからか」
「そうそう。まさに『塔』様々だぜ」
今までは迷宮で産出される魔核が主な供給源だった為、高い価格で安定していたが、最近では塔から過剰供給される魔核の欠片や魔核のお陰で、等級の低い魔核なら半額近い値段まで下落している。
「俺も探索者をやろうかな。一階のゴブなら子供でも狩れるって言うし」
「止めとけ、止めとけ。酒場をやってりゃわかる。一晩に何十組も探索者パーティーが来るが、いつもメンバーが一緒の連中は半分くらいだ。後はしょっちゅう人が替わるし、二度と来なくなる奴らも多い」
青年の呟きを聞いた酒場の主人が忠告する。
探索者とは命を賭けて行うギャンブルなのだ、と。
「別のパーティーに移ったか、他の店に変えただけじゃ?」
「中にはそういうやつらもいるかもな」
すがるような青年の言葉に、主人は言外に見かけなくなった多くの探索者は塔の中で死んだのだと告げる。
「考え直してみるよ」
「そうしな」
そう言って去っていったが、数日後には配送の担当が別の人間に替わる。
酒場の主人はその事に言及する事なく、青年の無事を祈りつつテーブルを拭いた。
こうして頻繁に人が入れ替わるのも、塔ができてからの日常だったからだ。
◇
「あれ? もう店じまいかい?」
王都の露店が並ぶ市場を歩いていた主婦が、目的の店の主が帰り支度を始めているのを見て、困った顔になる。
「ああ、今日の分は売り切れだ」
「ずいぶん早いね」
「そうでもないさ。最近は好景気で、このくらいの時間に売り切れる事はざらさ」
店主が言うように、周囲の露店の幾つかが売り切れ寸前になっている。
「三軒向こうのゴンツの露店はまだやってるはずだ」
「あの店は高いからねぇ……ロブソンさんの店に行ってみるよ」
「んあ? ロブソンなら店を畳んだぜ」
「何かあったのかい?」
「探索者になるんだっつってよ、知り合いの日雇い男達と一緒に塔に行っちまったよ」
「あらあら、まあまあ、ロブソンさんも若いわねぇ」
一攫千金を夢見た者達が塔へ挑むのは、最近の王都でよくある話なので、主婦も知り合いの転職にそんな軽口で表した。
「なら、ゴンツの店に行くしかないかしらねぇ」
「今は品が高騰しているから、そんなに変わらねぇよ。早く行かないとゴンツの店も売り切れちまうぞ」
「しかたないねぇ」
主婦がぶつくさ言いながら、別の店へと移動する。
「こう値上がりしちゃ、旦那の給金が上がっても生活はあまり楽になりゃしない」
主婦がそうぼやいたように、徐々にインフレの波が王都に寄せてきているようだ。
◇
「ドゾン様!」
「おう! ぺんどらの小僧か!」
迷宮都市にほど近い塔前の広場で休憩していた大男達に、青いマントを身につけた少年達が声を掛ける。
赤鉄の探索者であるドゾンは、豪放磊落な性格と面倒見の良さから若い探索者達に慕われていた。
「今日はウササ達はいないのか?」
いつも少年達と一緒にパーティーを組んでいるはずのメンバーがいない事に気付いて、ドゾンが尋ねる。
「ウササ達なら姐さんと迷宮に行ってるよ」
「姐さん? イルナかジェナと一緒に、迷宮の魔物を間引きに行っているのか?」
ドゾンはペンドラゴン伯爵が設立した探索者学校の教師の名前を挙げる。
「違う違う。一緒なのはポチの姐さんだよ。『いっぱい肉を狩るのです』って言ってたから、迷宮蛙か迷宮鹿でも狩りにいったんだと思う。ウササ達以外にも運搬人の子達をいっぱい連れてたし」
「ポチって豆鎧――」
ドゾンの脳裏に、短い手足でぴょこぴょこ歩く犬人の姿が過ぎる。
愛らしい回想に思わず口元が緩みかけたドゾンだったが、その犬人が主人と一緒に果たした偉業を思い出して口元を引き締めた。
「――魔王殺しの一人か?」
「うん、そう。迷宮都市の食べ物が高騰して、ご飯が食べられない子がいるってウササ達が先生に相談していたから、それを聞いた伯爵様が寄越してくれたのかも」
「ああ、ペンドラゴンの若様ならお節介を焼いてくれそうだな」
ペンドラゴン伯爵がまだ名誉士爵だった頃、彼が迷宮都市でしていた慈善事業を覚えているドゾンは、さもありなんと頷いた。
「お前達は行かなかったのか?」
「うん、俺達は今のうちに頑張ってウササ達に追いつこうと思って」
「いつも助けてもらってばかりじゃ、このマントを身に着ける資格もないからさ」
「そうか。頑張るのはいいが、死なないように引き際は気を付けろよ」
「うん、解ってる!」
「僕たちぺんどらは探索者学校で、一番にそれを学ぶから」
ドゾンに忠告された少年達が素直に頷く。
「食糧不足か……」
去っていく少年達を見ながらドゾンが呟く。
塔の方が儲かるため、迷宮都市に拠点を置く探索者の多くは、迷宮ではなく塔を主戦場に変えている。
その為、迷宮に挑む者が減り、迷宮都市を支えていた安価な食肉が供給不足になっているようだ。
「仕方ないんじゃない? 塔でも食材を落とす魔物がいるけど、迷宮みたいに倒すたびに死骸が残るわけじゃないからさ」
「まあな……」
黙考するドゾンを仲間達が見守る。
「よし、明日からしばらくは迷宮に行くぞ」
「はいよ」
「まあ、ドゾンならそう言うよな」
「うちの大将はしゃーねーな」
ドゾンの宣言に、彼の仲間達は呆れながらも同意の言葉を返す。
「すまんな、こういう性分なんだ」
「気にするなよ、大将」
「まあ、塔でがっつり稼いだし、しばらく迷宮でもいいじゃねえか」
「まーな。迷宮にも離塔珠みたいなのがあれば楽なんだけどな」
「言えてる~」
休憩を終えた男達が、酒場に移動しながら笑い合う。
儲けよりも弱者の事を考えてしまうドゾンを、彼の仲間は気に入っているようだ。
◇
「なんだと! 大銅貨一枚でこれっぽっちだと?!」
「仕方ねえだろ、物価が上がっているんだよ」
「こんなしみったれた肉で力が出るかよ」
「嫌なら余所の店に行きな」
「なんだと! 俺様を誰だと思ってやがる!」
激高した男が酒場の店主を殴り倒す。
女給達の悲鳴があがり、店の用心棒達が男を取り押さえようとして駆け寄る。
勇ましく躍りかかった用心棒達だったが、男が振り回す腕にあっさりと叩き伏せられてしまった。
「王都第十三衛兵隊だ! 騒動を起こした馬鹿はどいつだ! 神妙にお縄につけ!」
悲鳴を聞きつけて衛兵達が酒場へと雪崩込んでくる。
彼らは地面に転がった用心棒達に追撃する男の姿と、白目を剥いて微動だにしない店主を視認し、すぐに状況を理解した。
「衛兵だと? 暴れ足りなかったところだ! お前らも血祭りにあげてやるよ!」
「塔で手に入れた力を一般人に振るう愚か者に、我ら衛兵が負けるとでも思うか!」
レベル自体は男の方が高かったが、武術を囓った程度のにわか探索者では、衛兵隊長の指揮の下、練度も士気も高い衛兵達に抗えるはずもない。
男はすぐに衛兵の持つ鉤槍で転ばされ、複数の衛兵に踏みつけられて縄を打たれた。
「まったく、力に振り回される愚か者がっ」
塔に挑む一般人が増え、騎士並みの戦闘力を持つ者が出始めた頃から、この男のように己の力に慢心し、自分の欲求を力で解決しようとする短絡的な愚者が、あちこちで騒動を起こすようになった。
「離せ! くそ衛兵が! お前ら貴族の犬なんかに俺は負けねぇ」
暴れる男がまだ自由だった右手を口元に運ぶ。
「右手だ! 男の右手を縛り上げろ!」
それに気付いた衛兵隊長が素早く指示を出すが、その時にはもう男は口に運んだ丸薬をかみ砕いた後だった。
「うおりゅああああああああああ」
男の叫びと同期して、男の体表に赤い縄状の魔法陣が浮かび上がる。
それは王都の赤縄事件で現れた魔物に見られた防御障壁だ。
「魔人薬か! 捕縛を放棄。抹殺を許可する」
「「「応!」」」
昨今の王都の裏社会では、塔でドロップする魔人薬が蔓延し、それらを常飲する者達の中には、赤縄と同様の防御障壁や身体強化能力を得る者も出てきている。
衛兵達は取り締まりを強化していたが、塔攻略の為に有用な事もあって、禁止薬物と知りながらも摂取する探索者が多いのが現状だった。
「俺は無敵だぁああああああああああああああ」
男は縄を引きちぎって衛兵達を撥ね除けると、一目散に入り口から外に飛び出した。
「――きゃ」
飛び出す男の眼前には、身なりの良い黒髪の少女がいた。
少女を見つけた男の口元が嗜虐に歪み、両の手で左右から少女を掴まえようと囲い込む。
「まずいっ。――間に合えっ!」
それを見た衛兵隊長が、剛力スキルを発動しながら男の背に鉤槍を投げつける。
「えい」
可愛い声と同時に、男の姿がぐるんと一回転し、地面に叩き付けられた。
衛兵達があり得ない光景に度肝を抜かれて絶句する中、衛兵隊長は己の投げた鉤槍が少女の顔面目がけて飛んでいる事を思い出して叫んだ。
「避けろぉおおおおおおおおお!」
少女はにこりと笑って、鉤槍に伸ばした手をくるりと振ると、魔法でも使ったようにその手の中に鉤槍が静止した状態で握られていた。
男はなおも暴れていたが、少女を微動だに揺らす事もできずに押さえ込まれている。
「……■ 魔力強奪」
少女の魔法が発動すると男の身体を覆っていた赤縄の魔法陣が消える。
なおも暴れる男を、少女が当て身で気絶させて衛兵に引き渡した。
「……あれって、ルルだ」
誰かがぽそりと呟いた。
「ルルってメイド王の?」
「馬鹿野郎! 名前の後に『様』を付けろ!」
「そうだそうだ! ルル様は俺達料理人の憧れの人なんだからよ」
「料理人だけじゃないわ! 私達メイドの憧れでもあるんだから!」
自分を見て騒ぐ人々に見つめられた少女――ルルは認識阻害のベールが外れていない事を確認した後、恥ずかしそうに顔を下に向けた。
「タ、タマちゃん、助けて」
「なんくるないさ~」
ルルが己の影に向けて小さく呟くと、ぴょこんと影から現れたタマの手がルルの足を掴んで影の中へと引き込む。
驚く人々を置き去りに、暴漢退治に協力したルルはタマと一緒に家へと帰還した。
「こいつを縛り上げて連れていけ。魔人薬を使わせないように猿ぐつわと手袋を忘れるな!」
ルル達が消え去った後、衛兵隊長が部下に命令する。
「隊長。用心棒の一人と店長は死亡していました。もう一人も重傷です」
「そうか。重傷のヤツは神殿か施療院に運んでやれ」
「はっ!」
隊長に命じられた衛兵二人が、戸板に乗せられた重傷者を、酔客達と一緒に運んでいく。
「魔人薬を飲む前でこれか……」
「ワタリ様が居合わせてくれて助かりましたね」
ルルの家名を知る衛兵は「魔王殺し」の大ファンで、彼らの事を紹介する本を何冊も読んでいた。
「……全くだ」
もし、あの場で取り逃がしていたら、通りを歩く人々に大きな被害が出たかも知れない。
「後で連隊長名でルル殿に感謝状でも出さないとな」
衛兵隊長はそう呟いた後、部隊を率いて市内巡回へと戻った。
◇
「食糧が高騰しておるのか?」
「はい、都市部では野菜類が、農村部では肉類が不足し始めております」
前者は野菜を作る農夫や野菜を運ぶ人夫が、後者は村に肉を供給する狩人が、それぞれ不足していた。いずれも塔を攻略する探索者になる事が多いためだ。
都市部で肉類が不足していないのは、牧場で飼育されている家畜を卸しているからであって、値段が高騰していないわけではない。
あぶく銭を持った探索者達がご馳走を求め肉類に手を出す為、王都を始めとした都市部でも肉類が高騰を始めている。今の調子で消費が続けば、数年といわず来年からでも家畜が不足する可能性が高い。
「特に、農村部での離農や農作業の放棄が目立ちます」
農地を継承できない農家の次男や三男が、新しい農地を開拓する苦労を嫌がり、村を離れて都市に移り住む事は以前からもあったが、今回はその流れが顕著だと言う。
「村を守る為」という名目で農地の世話を最低限しか行わず、小金を求めて塔の攻略に血道を上げる者も多いそうだ。
都市核の加護に守られて、めったに不作にならないとはいえ、農業は「種を蒔けば勝手に野菜が育つ」というほど簡単な仕事ではない。
「宰相閣下、部下の方がお見えです」
国王付きの小姓が、宰相に声を掛ける。
緊急の用件という言伝を聞いた宰相が別室に下がり、報告内容を伝えに国王のもとへと戻ってきた。
「陛下、マキワ王国で内乱が起こったそうです」
元々、宝珠の杖を持つ四大貴族の力が大きいマキワ王国だったが、当主を失ったばかりのジザロス伯爵領でお家騒動が起こり、新しくジザロス伯爵となった者が独立を宣言して、マキワ王国に反旗を翻したらしい。
「さらに中央小国群でも、食糧不足に端を発した小競り合いから戦争に発展した場所があるとの事です」
宰相の報告を聞き終えた国王が深々と嘆息する。
「まったく、王祖様のご活躍で世界に平和が訪れそうだったというのに、魔神も余計な事をしよって!」
「塔のお陰で、王国に供給される魔核の量が激増しましたから、悪い事ばかりではありません」
鉱山や飛空艇に必須な魔力炉の燃料が安価で供給されるという事は、鉱山資源や流通コストが低下する事に他ならない。
さらには、今まで燃料に回さざるを得なかった等級の高い魔核を、錬金術や魔法道具作製に回せるようになったのも大きい。
急激な労働人口の移動で食糧不足が起こっているが、それも「塔」に対する熱狂が終われば、やがて収まるだろうと宰相は考えていた。
「陛下、いいかな?」
「王祖様、ご機嫌麗しゅう」
「ミトでいいってば」
ミト――王祖ヤマトの登場で畏まる国王や宰相に、パタパタと手を振って頭を上げさせる。
「食糧危機が始まっているんでしょ? 非常食が大量にあるから、シガ王国の名前で各国に提供していいかな? 何か政略に使いたいなら言って」
「おおっ、でしたら――」
さっそく政略を言おうとした宰相を国王が止める。
「王祖様のお優しき御心を、政治の都合で穢す事もなかろう」
サガ帝国や西方諸国の国力が激減し、鼬帝国も消えた今、シガ王国は大陸随一の大国となってしまっている。
これ以上の勢力は不要だと国王は言いたいようだ。
「分かった。それじゃ配っておくね。これがサンプル。クロレラの錠剤とフリーズドライした野菜と小魚の粉末を固めた物だから、今一つ食糧っぽくないんだけどね」
本人は食糧っぽくないと言ったが、ミトが差し出したサンプルはシガ王国で一般的な保存食とそう変わらない外見をしている。
小魚の粉末の代わりにクラーケンの粉末を使った非常食もあるのだが、話がややこしくなるのでミトはその事には言及しなかった。
「栄養とカロリーは十分だし、見た目より美味しいから飢える人は出さなくて済むと思う」
「では各国の王達に届ける書状を書きましょう」
国王が口頭で言った内容を書記官が書き上げ、それを部下達が量産する。
「ありがとう。これで各国の王様も、素直に受け取ってくれると思うわ」
書状の最後に足された言葉を聞いて、ミトが口元をほころばせる。
その書状の要点を抜粋すると、『シガ王国は義によりて、貴国の国民に食糧を供与するものなり。なお、食糧支援の対価は国民に餓死者を出さない事を求むる』とあった。
◇
「イチロー兄ぃ、セテから食糧支援の許可を貰ったよ。これが各国の首脳に宛てた手紙」
「『対価は餓死者を出さない事』か、なかなか良い事を書くね」
「うん、さすがはシャロリック君の子孫だけはあるよ」
サトゥーの褒め言葉に、ミトが相好を崩した。
「それじゃ、食糧を配ってくるよ」
「私も行っていい?」
「いいとも。なら、オレはクロの姿で行くから、ヒカルはナナシの格好で」
「はーい」
その日のうちに、世界各地に現れた勇者ナナシとその従者が、莫大な量の保存食を供給して去っていった。
保存食を受け取った国の代表は、それらを可能な限り速やかに飢える民へと配った。
もっとも、中には自分の懐を肥やす事に使う者もいたが、不思議な事に数日と経たずに横領を暴かれて失脚を余儀なくされた。
その陰に何者の暗躍があったのかは、杳として知れない。
ただ、ピンク色の影を見たという噂が、それらの国で囁かれただけだった。にんにん。
※次回更新は5/5(日)の予定です。







