SS:ティファリーザ
※エチゴヤ商会所属の奴隷ティファリーザ視点です。
※2015/9/25 誤字修正しました。
「ティファリーザ、クロ様からのご連絡はまだかしら?」
「まだです」
今日のエルテリーナは様子がおかしい。
いつもは沈着冷静で威厳のあるエチゴヤ商会の女支配人なのに、今日は鼻歌交じりに踊り出しそうな雰囲気だ。
彼女がここまで浮かれるぐらいだから、よほど良い事があったのだろう。
ここで、「何か良い事でもあったのですか?」と聞けるような対人交流技能があれば、奴隷に落ちることもなかったのだろうが、意識しても性格はなかなか変えられない。
執務室の中央に人影が現れた――私の主にしてエチゴヤ商会のオーナーであるクロ様だ。
「クロ様! おかえりなさいませ」
白い髪の主の下にエルテリーナが素早く駆け寄る。
私も他の幹部達もクロ様に好意を持っているが、さすがに彼女ほどではないと思う。
だけど、いきなりクロ様の手を握るのは、従業員としての節度が足りないのではないだろうか。
クロ様が気にしていないとはいえ――指! 指まで絡めるのはやりすぎでしょう!
エルテリーナが指を絡めた手を胸元に――早く、阻止しなければ!
「クロ様、優先度の高い報告書です。ご確認を」
「分かった」
クロ様がエルテリーナの手を振りほどいて、私の差し出した書類を受け取る。
エルテリーナから恨めしそうな視線が突き刺さるが、これは仕方がない事――あなたはやり過ぎたのです。
◇
「クロ様、少し宜しいでしょうか?」
報告が一段落したところで、エルテリーナが顔を赤らめながらクロ様にお伺いを立てる。
「なんだ?」
「私事で申し訳ないのですが、私の縁談の件で少しご報告したい事がございます」
エルテリーナのいう縁談とはお隣のサトゥー・ペンドラゴン子爵との事だろう。
ミスリルの探索者にして、宰相閣下の肝いりで創設された観光省の副大臣。そして王太子ソルトリックの同腹の妹であるシスティーナ第六王女を婚約者にした将来有望な若手貴族だ。
「ペンドラゴン卿の事だな」
「はい、このたび無事に破談となりました!」
実家の寄親である大貴族から持ち込まれた縁談とかで、いつも憂鬱そうにしていた。
それが破談になったから、あんなに浮かれていたようだ。
「喜んでくれてなによりだ」
クロ様の言葉に、私は僅かに眉を寄せた。
それではまるで――。
「クロ様が手を尽くしてくださったのですか?」
「そうだ」
喜ばしいことなのに、胸がモヤモヤする。
――これは嫉妬、なのでしょう。
迷宮修業の初日の事が脳裏を過ぎる。
あの時もクロ様に抱き上げられて運ばれるエルテリーナや他の幹部達を見て抱いたものと同じ。
そして、私自身が抱き上げられた時に感じた駆け出したくなるような恥ずかしさと歓喜。
――やはり、エルテリーナと同様に、私もクロ様に恋心を持っているようです。
「クロ様!」
両手を広げてクロ様に抱きつこうとしたエルテリーナの腰帯を掴んでしまうほどに。
「――ティファ?」
「クロ様のお話はまだ途中です」
私の行為に不思議そうな顔で振り返ったエルテリーナに、さも初めからそれが理由だったかのように告げる。
「我のこの姿が真のものではない事に気が付いているか?」
クロ様の問いかけを、エルテリーナと一緒に肯定する。
普段は完璧だが、年末頃の眠そうにしていた時に、頬傷の場所が少しズレていたり、縫い目の数が違ったり、言葉遣いがほんの少しだけ違う時があった。
たぶん、気が付いているのは私とエルテリーナの二人だけだろう。
「この姿はしがらみなく行動できるように作った姿だ」
「やはり、クロ様は勇者ナナシ様と同一人物だったのですね」
「そうだ」
クロ様の答えにエルテリーナが歓喜に震える。
自分の想い人の正体が救国の英雄だと聞けば、そうなるのも判る。
だが、私は勇者ナナシというのも、クロ様の普段の姿と同様に仮の姿だと思っている。
「そして、この姿が本来のオレの姿なんだ」
「なっ! う、うそ!」
エルテリーナが目を見開いて後ずさる。
もちろん、醜いわけではない。
少し起伏の少ない顔だが、顔なんて薄皮一枚だけのもの。異性を引き寄せる要素の一つでしかない。
絶句してしまったエルテリーナに代わって、彼女が言いたいであろう言葉を代弁する。
「クロ様はペンドラゴン子爵だったのですね」
「ああ、騙していたみたいで、ごめんね」
クロ様の仮面の下から現れたのはペンドラゴン子爵だった。
確かに、二人には共通点がありすぎる。
短期間に頭角を現し、欲らしい欲も無く、権力志向がないのにいつの間にか権力の中枢に居場所を作っている所、そして強さの底が見えない所。
――周りが女性だらけなのも同じですね。
「ク、クロ様……え、縁談を断わったという事は、その、わ、私の事が――」
「嫌いだから断わったわけじゃないよ。今は妖精の女王様に求婚中だから、他の人との縁談を進める気がないんだよ」
妖精の女王?
エルフを始め、ほとんどの妖精族が長老達の合議制だから、王政で該当するのはスプリガンやレプラコーンの国くらいしかない。
いずれにせよ、同族でないのだから、相手が求婚を受け入れる可能性はないはず。
もっとも、婚約者として発表されているシスティーナ王女以外にも、公爵家令嬢の聖女セーラ様やペンドラゴン子爵を抱えるムーノ伯爵家の令嬢で「孤高の美女」カリナ様……エルテリーナのライバルは多い。
エルテリーナへの同情は禁じえないが、奴隷である私にはあまり関係がない。
「――聞いてる? ティファリーザ?」
「すみません、少し考え事をしていました」
「なら、もう一度言うね。君を奴隷から解放しようと思うんだ。これからはエチゴヤ商会の幹部として働いてほしい」
――奴隷から解放?
「私は犯罪奴隷ですから、解放は不可能だったはずです」
「陛下から許可証を貰ってある。もちろん、ネルの分もだ」
慌てる私の言葉に、クロ様が笑顔で返す。
「わ、私は――解放、されたくありません」
その笑顔に抗って、私の望みを伝える。
「どうしてか、聞いていいかい?」
困惑するクロ様に首を横に振って拒否する。
――私は卑怯者だ。
クロ様はこれから、もっともっと大きな事業を起こしたり、高い地位を得て活躍の場を広げていく事だろう。
自分の才覚一つで立つエルテリーナと違って、私にできるのは書類整理くらい。
私には奴隷という絆なしに、クロ様の近くにいる自信が無い。
それに、私はエルテリーナのように自分の好意を素直に伝える事ができない。
クロ様にベッドに運んでもらった時に、彼の手を引いて誘うことさえできない“いくじなし”だ。
「今はまだ。いつか――」
――まっすぐ想いを告げられるほど、自分に自信が持てたら。
その時こそ、奴隷の身分を捨てて恋という戦場に足を踏み出そう。
いつか尊敬すべきエルテリーナと並んで、その道を歩みたい。







