幕間:テニオンの巫女長【後編】
サトゥー視点ではありません。
※9/15 誤字修正しました。
「巫女長さま、ただいま帰りました」
以前よりも生き生きとした様子のセーラが、聖域に入ってくる。この子はいつも楽しそうだけれど、こんなにウキウキした様子なのは珍しいわね。
「どうしたのセーラ。いい人でもできた?」
「ち、違います! 士爵様は、いい人なんかじゃありません」
嘘のヘタな子ね。
少し気になったので、その士爵という人物の事を問うてみた。
「炊き出しの手伝いをしてくださった士爵様なんですけれど、不思議と会った事があるような気になったんです。そう、巫女長さまに似た雰囲気の人でした、柔らかいと言うかしなやかと言うか――」
セーラの惚気を聞いてあげながら、大した根拠も無くその士爵なる人物が、この間のナナシさんじゃないかと邪推してしまう。ここのところ、ナナシさんのことばかりを考えていたせいかしら。
老いらくの恋じゃないわよ?
夜が明けてから行なった儀式で、公都に復活していた魔王が討滅されたと神託が下ったの。もちろん、すぐさま公爵様に使いを出したのだけれど、他の神殿の面子があるので公的な発表は、しばらくできないと告げられてしまったわ。もちろん国王陛下には、伝えると確約してくださったので、遅くとも春の王国会議には魔王討滅が宣言されるはず。
「巫女長さまだって、何か幸せそうですよ? 恋人でもできましたか?」
「うふふ、ナナシさんと仰る方に夢中なのよ」
反撃したつもりみたいだけれど、まだまだ甘いわね。わたしの冗談にそんなに動揺するなんて。うふふ、本当に恋でもしているみたいに心が浮ついているわ。魔王の季節がおわったのなら、そろそろ巫女長を引退する時期なのかもしれないわね。
セーラに限って務めを忘れるとは思えないけれど、念のため健全なお付き合いの範囲で済ますように釘を刺しておかないとね。処女性を失ったら神託は受けられなくなってしまう。10代の少女には酷かもしれないけれど、魔王の季節が終わったと神託が降りるまでは、待ってもらわないといけないのよ。
◇
公爵城で、セーラの想い人――候補と付けた方がいいかしら――の少年と出会ったわ。少女達に囲まれて大人気の様ね。あらあら、セーラったら。そんな顔をしていたら彼に笑われてしまいますよ?
それにしても、いい香り。砂糖の甘さだけじゃないわね。品切れしてしまうのもわかるわ。
でも、この声。
ナナシさん、そっくりなのだけれど。彼の双子の兄弟なのかしら?
レベルは半分以下だし、スキル構成もまったく違う。同じなのは年齢と、声と髪の色、それに背格好くらいかしら。
ティスラード様にお祝いの言葉を贈っているところに出くわしたパリオンとガルレオンの古馴染みも一緒だから、直接問わずに囁くようにカマをかけてみたのだけれど、動揺もせずに困惑していた感じだった。これは違ったようね。
少し、ナナシさんの事を考えすぎたのかしらね。
うふふ、セーラの事を茶化せないわね。まるで恋する乙女みたいだわ。
◇
「こんばんは、巫女長様」
本当に、神出鬼没な子ね。
どうやって、侵入しているのかしら? 空間魔法のような感じは受けなかったから違うと思うのだけど。
「今日は、魔王の神託についてお伺いに来ました」
「あら? アナタが退治してくださったのでしょう?」
「きっと、通りすがりの勇者が倒したのでしょう」
あくまで自分ではないと惚けたいのね。
「魔王が討滅されたと発表しないのですか?」
「公爵閣下には直接お伝えしたけれど、他の神殿の神託では『討滅』と出ていないそうなの。だからテニオン神殿だけが魔王討滅を発表する訳にはいかないのよ」
恐らく、各神殿は、公都の地下にいた魔王ではなく、「各々が予知した魔王」が討滅されたかを問うたのでしょう。
つまり、今期の魔王の季節は終わっていない――その場所に、もう公都が含まれないのが不幸中の幸いかしら。ナナシさんのお陰ね。
念の為、その事をナナシさんに告げたのだけれど、彼もそれは予想していたみたい。淡々と「やはり、そうですか」とだけ呟いただけだったわ。「魔王なんて何体来ても怖くない」といった雰囲気だったの。見えない仮面の奥の表情を想像するのは、とても楽しいわ。
ナナシさんが充填してくれた蘇生の秘宝を首にかける。本当に凄いわ。この20年近いお務めを徒労に思えるのは年寄りの僻みなのかしら。
「ありがとう、ナナシさん」
だけど、感謝の心は忘れてはダメよね。
彼にペンドラゴン士爵について聞いてみたけれど、「奇跡の料理人という若い貴族ですね」と答えてくれただけで、詳細は知らないみたいだったわ。その知らないという態度が、彼とそっくりだったのは気のせいかしら?
もし彼とナナシさんが知り合いだった時のために用意した「免罪符」は無駄になりそうね。
あの第三王子がナナシさんと出会ったら、どうなるかしら?
嫌な予感しかしないわね。陛下もこんな大変な時に厄介ごとの種を送り込まないでほしいわ。
違うわね。
あの陛下がそんな失敗をするはずが無いわ。あの喰えない陛下なら、確実に3手以上は先を読むはず。
そうか、王子は厄介払いされたのね。
陛下は迷宮都市に魔王が出現すると読んでいるんだわ。不確定要素の王子を公都に押し付けるなんて。国王には直接会って文句を言ってやらないと。
受け取ってくれるかは判らないけれど、ナナシさんが、粗相をした第三王子を排除したときの為に、「免罪符」を渡しておきましょう。
本当ならテニオンの鈴を預けたいのだけれど、彼の不興を買うのが怖くて言い出せなかったの。少し、私らしくないわね。
◇
世界の危機は意外に早く訪れたわ。
絶望? その言葉さえ、この光景よりは希望に満ちていると思うの。
聖域から見える公爵城。その傍らに現れた巨大な召喚陣から現れる大怪魚。ヤマト様の時代に世界中の国々に死を齎した破滅の化身。大魔王の使役していた空中要塞。遠くてステータスは見えないけれど、あまりに圧倒的な姿に言葉が出てこないのよ。
ナナシさんさえ居ればなんて、甘い考えだったのかしら。
私は、外出していたセーラを気遣う余裕さえなく、ソファーの上に崩れ落ちたわ。
ただ1匹だけでも公都を滅ぼせる魔物が、何匹も召喚陣を抜けて闘技場の上空を遊泳しているの。
7匹もの大怪魚。
シガ王国どころか、この大陸中の国々が無くなってしまうわ。
ああ、国を滅ぼしてでも天竜を招くしかないのかしら。フジサン山脈に住むヤマト様の朋友を。陛下の頭上に輝く竜呼の王冠に託された、ただ一度の召喚権を使っていただくしか無いようね。
まるで魔王が7体現れたかのようだわ。
闘技場の応援に駆けつけたいけれど、ここを動くわけにはいかないの。恐らくナナシさんは、自分の仲間達が亡くなった時の保険の為に、蘇生の秘宝に魔力を充填しておいてくれたのだから。
怯える小さな巫女見習い達の頭を撫でながら、公都の最期を看取るわ。聖域の防御魔法を超えて被害が出るようなら、地下に避難しても何の意味も無いはずなのだから。
それは閃光。
輝きが消えると、そこには切断されて落下する大怪魚の姿。それも、空を拭き取るように空に溶けていく。いえ、消えていくと言うべきかしら。
公都を突然襲った終末は、出現した時よりも唐突に消え去ったわ。
あっけなく、ただ一人の被害も出さずに。
ナナシさん、貴方なのかしら。
まるで神託を受けたかのように、そう確信したの。
ああ、テニオン様。
あの方を、この地に遣わしてくださった事を感謝いたします。
今回はやや短かったので、ミーア視点の食事制限SSを配信します。