【Plaything】 (4)
「ちょい待ち!」
取調室でクレメンスから役に立つのかどうか疑わしい話を散々聞かされ、さて、具体的な作戦はどうしたものかと思案しつつ、部屋を出たレイチェルに向かい、ヒューがまたも陽気に声をかけた。
「坊や……分かってるだろうけど今は作戦のことで頭がいっぱいなの。下らない話なら後にしてもらうわよ」
「分かってるさ。俺だって頭ん中は作戦のことでいっぱいだよ。ただいかんせん具体案が浮かびそうに無いけどな」
「……その点だけは同意見ね。私もよ」
そう言い、早足で階段へと向かうレイチェルの前に、ヒューは素早く立ち塞がる。
「だから、ちょっと待てって」
笑顔で立ちはだかるヒューに対し、大きな溜め息をつく。
「分かった。今後のこともあるから好きなだけしゃべりなさい坊や。で、綺麗さっぱり吐き出して、すっきりしたら消えてちょうだい」
「……」
レイチェルのあまりに冷たいあしらいに、さすがのヒューも一瞬、話をする気力を完全に失ったが、それも一時のことだったのはヒューの図太さを賞賛すべきなのか。
そこは判断に迷うが、とにかくヒューはわざとらしく咳払いをひとつし、改めて口を開いた。
「さっきはまともに聞いてもらえなかったからな、今度はきっちり自己紹介させてもらうぜ。俺はヒュー・マッケン。87年生まれで25歳。血液型Rh+O。イギリス国籍。SIS地域課所属」
「……最悪。ほんとにまだ坊やなんじゃないの……」
「歳で人を判断するのはよしてくれよ。経験と能力が必ずしも比例するわけじゃないだろ?」
「その例外に自分が含まれてると思ってる時点で、十分に察しがつくわよ」
「おたくについても今回チームを組むってことが決まってから、ちゃんと資料へ目を通しておいたよ。レイチェル・ノディエ。80年生まれの32歳。血液型はRh+B。アメリカ国籍。CIA対テロ・センター所属」
「……三行程度の資料は覚えられるみたいね」
ここに至り、ヒューはようやく理解したことがある。
レイチェルという女に、常識的なコミュニケーションはおよそ不可能なことだと。
フランシスやクレメンスとの会話を聞いていた範囲でも、それはもっと早く気づいてもよかったかもしれないが、ともかく、レイチェルは自覚の有る無しに関わらず、人との会話を円滑に進めようという意思がまるで無い。
生来の一匹狼気質とでもいうのだろうか。
異常なまでのコミュニケーション能力の欠如。
自分なりに人との関わりは大切にしてきた自分とはまさに真逆の存在。
しかしヒューもまた、己の意思についてはレイチェルに負けず劣らず、頑なであった。
「よし、分かった。もうちまちまとした小細工は無しだ!」
意を決したようにそう言うと、ヒューは急にレイチェルの左手を掴むと、強引に階段の向かいにある射撃練習場へと引っ張ってゆく。
「……何よ」
「いいからいいから、ちょっと付き合えって」
「ちっとも良くないわよ。大体、このおチビちゃんはどうするつもり?」
「外に置いてて差し支えないだろ。大丈夫、大人しく猫と遊んでるだろうさ」
人に無関心とばかり思っていたレイチェルが、クレメンス言うところの人造人間らしき黒髪の少女へ変に気をかけたことは、ヒューには少々意外だった。
が、本当の意外はその他にあった。
この時レイチェルはヒューの、一般的に見てもかなり強引な誘いをさほど強く拒絶しなかったのである。
それはヒューも予測していなかったレイチェルの持ついくつかの性質のひとつ。
諦観。
もしくは限りなくニヒリズムに近い思想。
運良くというべきか、そうしたレイチェルの性質が、言葉の不足を行動で補おうというヒューの目論見に味方する形となり、首尾良く射撃練習場へ彼女を引き込むことまでは成功した。
取調室と同じく、二重の扉。
それを素早く抜けた先に、お待ちかねの射撃練習場があった。
出迎えは染み付いた硝煙の匂いとまだ新しいペンキの香り。
射撃場としては中規模程度。
近距離射撃訓練場としては極めてオーソドックスな造り。
一見しても、あくまで日々の練習、銃器の扱いを忘れぬための施設。
とはいえ、そこらの民間射撃場よりは格段に設備が整っている。
「で、こんなとこに連れてきたのはどういう理由なのかしらね坊や」
「その坊やって呼び方を改めてもらうための、ちょっとした趣向だよ」
「……どういうこと?」
「こう見えても、俺は銃の扱いにはそれなりに自信があってね。この腕前を実際に見てもらえれば、少しは俺への態度を改善願えるんじゃないかと、そういうことさね」
「……」
レイチェルの表情がその瞬間、諦めから呆れ顔に切り替わったことも知らず、ヒューは射撃台の後ろに据えられた椅子にレイチェルを座らせると、いそいそと射撃台へと歩を進めた。
射撃台は全部で七つ。
狭いながらも数だけは揃えている。
そして射撃台の後ろには各ターゲット板を拡大して見るためのモニターが置かれた机と椅子。
レイチェルはちょうどヒューが向かった射撃台の真後ろにある椅子に座り、まだ何事も始まっていない時点から、退屈そうに机へ頬杖をつき、ヒューの背中を見つめていた。
一方、ヒューはといえば台に置かれたイヤーマフ(防音防護具)をつけ、空の弾倉を取り上げると、9mm弾を1発ずつ詰め込み、卓上に置かれた銃を手にする。
「こいつはH&K P7。俺が初めてここへ来たとき、置いてた銃は民生品のコルト・ガバメントだったんだが、いくらなんでもそれじゃ練習にならねぇだろって部長に掛け合って、より実戦で扱う銃に近いモデルを取り寄せてもらったのさ」
しゃべりつつ、銃に弾込めを終えた弾倉を差し込む。
確かにそれらの動作は手馴れているようで、無駄口を吐きつつも流れるようにおこなうその手つきそのものは多少の感心を示してもよいものだった。
が、こと射撃についての腕自慢が前提となっている時点で、レイチェルはその顔に退屈そうな表情を隠そうともせずにいる。
「さあ、それじゃあ俺の手並みをとくとお見せするぜ」
言って、ヒューは銃のスライドを引き、卓上のボタンを押す。すると眼前約二十メートル先に人型のターゲット板が跳ね上がる。
ヒューは素早く射撃姿勢をとった。
瞬間、
独特の乾いた発射音が連続して鳴り響く。
正確に7発。
その間、恐らく三秒とかかっていない。
自慢げにヒューが手の中の銃にセーフティロックをかけていると、射撃台の後方に設置された机のモニターへ、今まさに打ち抜いたターゲット板の拡大画像が表示される。
頭部の中心に2発、左胸部周辺に5発、発射された弾丸は全て急所の位置を見事に打ち抜いていた。
装弾した8発のうち7発のみの使用に留め、1発残弾させるところなどはなるほど、それなりに場数を踏んでいることをうかがわせる。
「どうだい、少しは見直してもらえたかい?」
後ろで椅子にもたれ、モニターに映し出された結果を見るレイチェルに得意満面で言い放つ。
しかし、レイチェルはただ無表情のまま一言、
「室内の射撃場で何発、的に当てようが、そんなものは実戦じゃ何の役にも立たないのよ」
そう言って椅子から立ち上がると、まるでヒューを無視するように彼の左隣のにある射撃台へ向かい、やおら弾倉に弾を込め始めた。
「こういった場所で銃を撃つ場合、照準に偏差を生じさせる要因は主に重力に限られるけど、屋外では加えて風、気温、気圧、湿度、数えればきりが無いほどの要因が弾道を狂わす……」
言い終えぬうちに、レイチェルはイヤーマフも付けずに素早く銃を取り上げ、瞬く間に弾倉を装填してスライドを引くと、卓上のボタンを乱暴に叩く。
と、ターゲット板が跳ね上がるやいなや、射撃姿勢をとると同時に凄まじい速さで7発の弾丸を連続して発射した。
まるでフルオートのような速度の射撃。
驚く暇すら無く、ヒューがイヤーマフを通して耳にしたその音は、ほとんど一繋ぎの音にしか聞こえないほどだった。
「言っとくけど、こんなくだらない曲芸を見せるのは今回だけよ」
途端、レイチェルは隣に立っているヒューへ向き直り、そう言って後ろのモニターを見るようにあごで示す。
「……すげぇ早撃ちだな。あんたの人差し指、一体どうなって……」
常人離れしたレイチェルの驚異的な早撃ちを目の当たりにし、少なからず度肝を抜かれて覗き込んだモニターの画像に、ヒューは今度は更なる追い討ちに言葉すら失った。
モニターに映し出されたターゲット板。
それには完璧に7発の弾丸が命中していた。
しかもそれらの弾痕は全て、頭と胴体の間……首の部分を綺麗な横一列の線のように穴を連ねている。
文字通り、呆然とモニターを見つめるヒューに構う様子も無く、レイチェルは一言、
「……お仕舞い」
口を動かすのと合わせるように最後の1発を放つ。
弾丸は的の頭部中央を見事に貫きざま、先に穿たれた七つの穴を境に、ターゲット板の首から上を畳み込むように切り落とした。