【Plaything】 (2)
ドアが開き、まず最初に姿が見えたのは、紫のスーツに同色のフレームの眼鏡を掛け、赤みがかったブロンドをポニーテールに結わえた若い女性だった。
「遅くなるとは思ってたけど、想像以上ね。ヒュー、また下らないおしゃべりで時間を食ってたの?」
「お前までそれを言うかよ……」
ヒューと言葉を交わしつつ、スーツの女性……カーラはドアを大きく開け放つと、室内へ三人を招き入れる。
「始めましてノディエさん。私はカーラ・ベックフォード。詳しい経歴についてはすでにミルトン部長からお聞きと思いますが、今回はどうぞよろしくお願いします」
「レイチェルでいいわ、カーラ。狂人のお相手ご苦労さま。さぞ疲れたでしょ」
「あ……ええ、まあ。多少面倒ではありました……」
「お察しするわ。このマッドサイエンティスト、まともに相手したら一日でこっちが心を病むからね」
無遠慮この上無いレイチェルの言動に、カーラはやや気後れ、続ける言葉に詰まった。
と、部屋の中央に置かれた机に頬杖をつき、こちらの様子を楽しげに眺めていた男……クレメンスが気さくに声をかける。
「やあ、随分と久しぶりだねラシェル」
クレメンスの挨拶に、レイチェルはこの日、もっとも強い不快感を露わにした。
「……レイチェルです博士。人の名を勝手にフランス語読みするのは止めてください」
「おや、三年振りの再会だというのにつれないねぇ。ま、そういうところはいかにもフランス系の気難しさなのかな?」
「博士も、頭がおかしいのは相変わらずのようで、なんとも懐かしい気分ですよ。反吐が出るくらいに」
「君のその口汚さも相変わらずでうれしいよラシェル」
態度と言動こそ今までのそれ以上にひどいものであったが、ファーストネーム自体を呼ぶことには拒否を示さなかった点から察っせられる通り、レイチェルは他のCIA職員……特に上層部の人間に対するのとは違い、クレメンスには多少なりと心を許している感があった。
それは彼女がフランス系アメリカ人であるということをネタにしたニックネームで呼ぶクレメンスの態度からも、ふたりが程度の大小はあれど親密であることをうかがわせた。
「さてと、メンバーはこれで全部かい?」
「ええ、これで全員です。今度こそ無駄口は抜きで先ほど私に説明して下さった通りにお三方へ再度の説明をお願いします」
「お二方の誤りだね。残念だがウサギには複雑な作戦内容を聞き、それを理解するほどの能力は無いよ」
「……?」
レイチェルとヒューはクレメンスの発した言葉の意味が理解出来ず、疑問を含んだ沈黙を顔に浮かべた。
「無駄口は無用と言ったはずですよ……」
「はいはい、間違いの指摘も許されんとは窮屈なことだ」
カーラの再三にわたる注意に、ようやくクレメンスはまともに話を始めた。
「よし、ではこれから今回の事態の発生からその収拾方法についての具体的な説明を始める。ラシェル、ヒュー、ふたりとも机の資料を見ながらよく私の話を聞いてくれ」
そういうと、クレメンスは机の上に散乱した資料を、一定の規則性でまとめ上げ、五つほどのグループに分けて説明を開始する。
「ことの発端はラシェル、君なら知っていると思うが、フレッシュ・スミスの進めていたある計画が元になった」
「……フレッシュ・スミス……」
フレッシュ・スミス。
それは(Flesh Smith……肉の細工職人)の名が示す通り、CIAの有するいくつもの研究機関の中でも特に生体科学を専門としている。
そして、その名はレイチェルにとって、特別な場所の名でもあった。
「ああ、確かもうかれこれ五年前だな。君を作り出したあの研究所さ。(プロジェクト・マジシャン)。私も参加し、君という優秀な特殊工作員を生み出した計画……」
「何が優秀な工作員だ!」
突然、クレメンスの話を引き裂くように、レイチェルが怒鳴り声をあげる。
「クレメンス、あんたの言う通りもし私が本当に優秀だったとするなら、何故、CIAは私を見限った!」
怒鳴り声に始まり、
「何故、欠陥品の烙印を押して追い出した!」
罵声は言葉を続けるうち、
「何故……今さら捨て犬を拾うような真似をするんだ!」
次第に勢いを失い、最後の語気を強めるのが精一杯となった。
声を振るわせ、うっすらと目に涙を滲ませて。
クレメンスはその心痛を察するように、今までの顔つきを一転して急に真剣な表情を浮かべ、同席したヒューとカーラも、細かな事情を知らぬことはさておき、そんな彼女の様子から彼女の叫びの意味、胸中の思いを酌んで一時、部屋に奇妙な沈黙が訪れた。
すると、クレメンスは急にことさら大きな息をひとつつくと、諭すような柔らかな口調で話を再開した。
「……ラシェル、君が怒るのはもっともさ。そう、少なくとも君は上層部の無能連中に怒りを向ける権利がある。君ほどの成功例を見せつけてもなお、あのボンクラどもはその意味を一切理解せず、失敗作と断じた。私だって同じ気持ちだったよ」
「あんたに何が分かるってんだ!」
「分かるからこんなことを起こしたんだよ」
当然といった顔をし、冷静にクレメンスが言葉を返す。
が、発した言葉の意味合いは彼の態度とは反比例して恐ろしく重い。
何かがぷつりと切れるような感覚に突然見舞われ、今まで語気を荒げていたレイチェルは一瞬思考が停止した。
「クレメンス……あんた、なんて……?」
「言った通りだ。私は君の怒りの代弁のために今回の事態を起こした」
振り絞った質問の答えに、レイチェルはさらに考えがまとまらなくなる。
クレメンスはそんなレイチェルの反応に、ただ淡々とした口調で自身の思いを語った。
そう、始めこそは。
「(プロジェクト・マジシャン)は、確かに全面的な成功と言えるような代物でなかったのは認めるさ。なにせ三百名を越える対象者の中から結果的に生み出せたのは君ひとりのみだったからね。とはいえ、だ。それでも成果は成果。正当な評価を下されてしかるべきものを、クソ忌々しい上の無能どもは唯一の成功例であった君すらも計画ごと破棄した」
話が進んでゆくにつれ、クレメンスの声はスピーカーのボリュームでもひねるように、次第に大きく、そして荒い口調に変わってゆく。
「私は怒ったよ。ああ、自信をもって言えるが君以上に激昂したとも。長い歳月をかけて生み出した大切な私の作品を、あのクズどもは己の愚かさから計画全てをひっくるめて失敗と決め付け、貴重な多くの研究成果をドブに捨てた。私が奴らに対し、何度この件で食ってかかったことか、もはや思い出したくもない!」
その場のレイチェル、ヒユー、カーラの三人は、無言で荒らぶるクレメンスを見つめていた。
レイチェルはクレメンスの言った言葉の真意を聞くため。
ヒューは単純に差し挟む言葉が無いため。
カーラはそれまでに見せた事の無いクレメンスの怒気にひるみ、少なからずうろたえたことが理由で。
机のひとつも蹴り倒しそうな勢いだったクレメンスがそれでもなんとか自分の感情と折り合いをつけたのは、しばしの間を開けてからだった。
普段、あまり出し慣れていない大声を張り上げたせいで息を上げたクレメンスは、やおら瞑目して呼吸を整えると、最後にふっと大きめの息をひとつ吐き、落ち着きを取り戻して再び話を続けた。
「そこで私は新たな計画を上に提出した。それが今回の事態の核心、(プロジェクト・ホムンクルス)だ」
言って、机に並んだ書類の山のひとつを指で叩く。
書類には大きく(Top Secret……最高機密)の文字がある。
アメリカにおける機密情報のレベル分類は大まかに三段階に分けられる。
セキュリティ・レベル1……一般に公開されると国家安全に損害を与える危険性があるもの。
セキュリティ・レベル2……一般に公開されると国家安全に深刻な損害を与えるもの。
セキュリティ・レベル3……情報の内容もしくは情報の収集手段が一般公開されると国家安全に甚大な損害を与えるもの。
クレメンスの示した書類はその中でもセキュリティ・レベル3。
分類されることはまず無く、それゆえ目にすることなどほぼ皆無といっていい最高機密文書。
目配せするクレメンスに気付き、レイチェルは書類の山を取り上げると丹念に目を通しだす。
それを確かめたように、クレメンスは口述での説明も開始した。
「パラケルススという人物をご存知かな皆さん。今から五百年ほど前のイカれたドイツ人医師であり、自称錬金術師。まあ、パラケルススという名も自称だがね。彼が錬金術とやらで生み出したと主張した人工生命体。それがホムンクルスさ。(プロジェクト・ホムンクルス)はそこから名称を拝借した。いわば人工の特殊工作員を作り出す計画。つまりは人造人間製造計画といったところかな」
「……あー、集中してお話してるところ悪いんだが、博士」
次の言葉を発しようと息を吸うクレメンスに、今まで無言で通してきたヒューが口を出した。
「あんた、頭はほんとに大丈夫か?」
眉をひそめ、己のこめかみを指でつつくしぐさを見せながら、正直な疑問をぶつける。
「たいていの話なら黙って聞くが、何を話し出すかと思えば、言うに事欠いて人造人間だぜ。どう考えたって映画やコミックの見すぎだ博士。頼むから真面目に話をしてくれよ」
「君の言いたいことはよく分かるよヒュー。だがね、残念ながら現実の科学は君の想像より、ずっと進んでるんだよ。君は人造人間なんてものが本当に存在するのか、疑わしく思っているようだが、私に言わせれば人造人間なんて程度の差こそあれ、とっくの昔に各国で開発に成功している。ただ単にそれが表沙汰になっていないだけのことさ」
「へええ、そりゃまた、ご大層な秘密をお聞かせいただけて、光栄の極みだね」
なお話を信用しないヒューに対し、それでもクレメンスは口を閉じない。
「表沙汰には出来ない理由は山ほどあるが、その中でも特に厄介なのは二つだ。まずは人権の問題。果たして人造人間に人権は存在するかどうかの議論だ。これは相当に面倒になる可能性が高い。そして宗教。知っての通り、世界最大の信者数を誇るキリスト教において、神の被造物たる人間が神の真似事をすることは絶対的な禁忌だ。いくら探究心の強い科学者といえども命は惜しいからね。世界人口の約三分の一を敵に回すような行為を声高には発表出来ないってわけだよ」
穏やかだが、確信に満ちた口調の説明に、さしもの疑り深く話を聞いていたヒューも、否定の信念が揺らいだ。
さらに、畳み掛けるように与えられた事実が、揺らいだ信念を次の瞬間には完全に押し倒す。
「最初に作り出したのが(Hare)シリーズ。今、君たちの横でまさにチョコバーを食べている(Rabbit)シリーズのプロトタイプに当たる」
突然にそう言われ、レイチェルもヒューもまるで殺気でも受けたように先ほどから同行している奇妙な少女へ体と視線を向けた。
四人の輪から完全に離れ、部屋の右隅に座り込む少女。
チョコバーをくわえながら、肩へとよじ登ろうとする猫を、困った顔で膝に押し戻そうと身をよじる黒髪の少女。
ふたりとも驚きに言葉も無い。
見た目は明らかにごく普通の少女のようにしか見えない(これ)が、まさか人造人間であるなどとは考えもしなかったことだけに、当然といえば当然である。
「そして今回、クライスト博士が逃亡させたのが(Hare)シリーズのうちの一体、コードネーム(Snow Shoe Hare……カンジキウサギ)です」
カーラの補足説明にクレメンスは笑顔を見せながら軽くうなずき、話を続けた。
「(Hare……野うさぎ)の名を冠するヘア・シリーズはプロトタイプということもあってとにかく物理的性能を重視して作られた。が、いかんせんその名の通りの性質でね。まさしく(野うさぎ)だったよ。それはもう忠誠心……というより命令実行能力が絶望的なまでに欠けていた。そこで改めてヘア・シリーズを雛形に作り直されたのが、そこにいる(Rabbit……飼いうさぎ)の名を冠したラビット・シリーズってわけさ」
と、急にクレメンスは思い出し笑いでもするようにクスクスと声を漏らす。
「なかなか皮肉の効いた、いいネーミングだと思わないかいカーラ。君のお国では無謀で実行不可能な計画のことを(Hare)と言ったりするんだろ?」
言われたが、カーラは無表情のまま半眼でクレメンスを睨むだけだった。
「……失敬、また余計な話をしたな。悪かったよ」
口先だけの反省の弁を述べつつ、クレメンスの話は続く。
「命令実行能力は大幅に上がったよ。さすが(飼いうさぎ)というほどにね。ただ問題もまだまだある。これはヘア・シリーズもラビット・シリーズも共通していることなんだが、彼らはその能力のほとんどを戦闘能力に振り分けているせいで知能はお世辞にも高いとは言えない。贔屓目に見てもまあ、犬か人の三歳児程度と考えていいだろうな」
「犬並み……?」
明らかな疑問からレイチェルがささやきのような声を漏らす。
「ああ、だから複雑な命令を理解させるのはまず無理だ。よって、少数のターゲットに対する暗殺命令もしくはごくごく単純な命令……例えば、今カンジキウサギに与えている命令だが、ただ、(自分に対して危害を及ぼそうとするものを確実に抹殺しろ)というものだ。この程度を覚えさせるのが現実にはせいぜい限界だよ」
レイチェルはクレメンスが与えた命令の異常性にも大きく気が入ったが、それ以上にその程度の知能で果たしてまともな作戦の遂行など出来るものなのか、自分の額を軽く中指で小突きながら考え込んだ。
だがクレメンスはレイチェルの思考を待つ気はさらさら無いといったように、説明を続ける。
「計画のコンセプトは単純明快だった。外国の要人暗殺用に特化した工作員の製造。そのために容姿は相手の油断を誘うため、少女のような姿に設計した。まさか年端もいかない娘が暗殺者だなどと思う人間は、そうはいないだろうからね」
「……まあ、ね。確かに、私も想像がつかないとは思うわ」
「しかも万が一、作戦中に死亡したり証拠品などを現場に残すようなことがあったとしても、まったく心配をする必要が無い。何せ指紋やDNA照合をおこなっても、身元が判明することはありえないからね。ここがまず存在しないという前提がある人造人間のメリットのひとつ。さらに姿形こそこの通りだが、能力は折り紙付きだ。少し専門的な話になってしまうが、彼らは素晴らしく機能的なんだよ。まず、小さく華奢に見えるこの体も、実際は物理的なメリットが多い」
「おチビちゃんのメリット?」
「大きな体と筋肉組織は現実の作戦行動では必ずしも優れているとはいえない。激しい運動は多くの老廃物を燃焼するため、筋肉は多くの酸素を必要とする。しかし、筋肉の収縮によって筋肉の毛細血管が破壊されると、血液中の酸素濃度は急激に低下し、力を出すことが出来なくなる。これは精神力でカバーできるような話ではなく物理的に筋肉がその機能を失うんだ」
興味深げに話へ耳を傾け続けているレイチェルとは対照的に、ヒューは完全な専門外分野に話がいくや、さも辟易した顔をして首を軽く傾げた。
「その点、筋肉量の少ない子供や女性は長期的に見た場合、必要酸素量が少ないためスタミナの面で有利といえる。だがこの点は結局、上の連中の理解は得られなかったよ。何せこれが君を手放さなければならなくなった最大の理由だったからね。まったく……何年経っても連中は動きもしない脳みそを頭蓋骨に埋めたままだ」
いかにも不愉快そうにクレメンスは首を横に振ってみせる。
当のレイチェルはといえば、その点に少なからず思うところがあるのは確かだったが、あえてそこは無言で通した。
「さて、上層部の無能連中どもに理解出来なかった能力については余計な話だったかもしれんが、これも相手の大きな特徴であり、長所のひとつだ。よく覚えておいてくれ」
カーラの叱責を牽制するように一言付け足し、クレメンスはまた新たな書類の山へと指を滑らすと、室内の全員をひとりずつ見つめた。
「そして、ここからが彼ら……プロトタイプであるヘアを含め、ラビットも有する最大にして最強の能力の説明だ」