【Oranges and Lemons】 (5)
階段から飛ぶように廊下へ出たノワールは、さらに信じ難い身体能力を見せつけた。
廊下へ出た途端、ほぼ直角に左手に曲がりながら跳ね飛ぶと、奥の一室の中に身を潜めていた敵目掛けて恐るべき速さで迫る。
階段から廊下。廊下から部屋の入り口。入り口から室内。
わずか三度の跳躍で敵の懐まで飛び込んできたノワールに対し、室内のもっとも入り口近くにいた敵のひとりは、銃床でそれを迎撃しようしたが、すぐさま相手との圧倒的な身体能力の差を思い知らされることとなる。
まず、ノワールは自分に向けて振り込まれてきた銃床を軽々と身を引いてかわすと、一切の隙を与えずに、銃床とともに横へ張り出された右肘の内側へと左手を差し入れ、同時に右手で敵の左腕を上段から打ち払い、瞬時に敵の手の中からFN P90を取り上げてしまった。
瞬きなどしていたら、
いや、瞬きをしていなかったとしても、目に捉えきれぬほどの早業。
さらに、ノワールは銃を奪った敵を完全に無視し、FN P90を携えたまま一気に敵の銃撃の只中へと踊りこんでいく。
瞬間、
背後に残した敵が爆発した。
ノワールは敵から銃を奪い取った際、さらに敵の腰に装備されていたM67破片手榴弾二つの安全ピンを抜き取っていたのである。
本来、この手榴弾を起爆させるには、安全レバーにつけられている安全クリップを取り外し、T字に曲げられた安全ピンの先を真っ直ぐに戻し、なおかつ、親指と人差し指でスプリングを固定する安全レバーを押さえ込んで安全ピンを引き抜いた上で安全レバーを取り外すという、複雑な手順が必要になる。
これらを片手間……銃を奪うついでにノワールはおこなっていた。
柱や壁の間から雨のように降り注ぐ銃弾を容易くかわしながら、まずは左壁に隠れて銃撃してくる一団に駆け寄ると、固まっていた四人の敵のうち、ひとりの頭を超至近距離射撃によって粉々に吹き飛ばし、次いで、残った三人がそれぞれに近接戦闘を仕掛けてくるのを風のようにかいくぐり、すぐに右手の柱に隠れた敵へ向かって再び駆け出す。
と、再び背後で爆発が起きた。
今度の三人も、自らの手榴弾によって絶命し、ノワールの背景を三色に染める。
即ち、
爆発による白煙。
燃焼による黒煙。
血肉の四散による血煙。
爆風が周囲に細かな金属片、コンクリート片、肉片、血飛沫を飛び散らす。
目出し帽を被り、表情は読み取れないが、ガブリエル・ハウンドの戦闘員たちがその顔を恐怖に引きつらせているのは火を見るよりも明らかだった。
怪物……。
どう足掻こうと太刀打ちできない怪物が、今まさに自分たちに襲い掛かってきている。
絶望という名の現実を目の前にし、それでも一縷の望みに賭け、銃を乱射する柱の陰の敵が、まもなく頭部を失った新鮮な遺体となる。
伝染してゆく恐怖の中、ノワールはただ、最後のひとりまでを屍に変えるために駆ける。
敵殲滅命令。
行動の理由はそれだけのはずである。
しかし不思議な欲望がノワールの心に宿っていたのも確かだった。
それは人の感情に照らすならば(復讐)。
ヒューだけでなくノワールもまた、別の形でレイチェルの復讐を望む感情に支配されていた。
あるはずの無い感情に後押され、ノワールはさらに加速する。
すでにガブリエル・ハウンド全員の死亡という事実以外に、ノワールを止める手立ては無くなっていた。
廊下の左手で展開される異常な戦闘の様子に気づいてか、廊下右手の部屋からも改めて敵が顔を出し始める。
明らかに戦闘の意思が感じられない。
ティルやノワールの戦闘能力に畏怖したものか。
すると、
「まだだよ……」
廊下右手から、左手へ向かおうとする敵に、ヒューは寝転んだまま、銃を乱射する。
予備の弾倉はたっぷりある。
この場からフルオート射撃で、余計な敵を牽制するのが自分の最後の仕事だと、ヒューは腹をくくっていた。
「チビがすぐにてめぇらの相手をしにくる……それまでは大人しくしてろ……」
ぼやけた視界に天井を映し、口元に笑みを浮かべる。
ヒューの意識が途絶えたのは、それからしばらく後、廊下の左手からノワールの気配を感じた時だった。