【Oranges and Lemons】 (4)
三階への階段を途中まで駆け上がったところで、ヒューは自分のうかつを心底後悔することになる。
一階から二階への際とは違い、今度の敵は知恵が回った。
階段を駆け上がりながら、踊り場近くまで至ったところで、踊り場の陰へと隠れていた敵が、前進しすぎて身を隠す場所もなくなったところを見計らい、ヒュー目掛けて一斉に発砲してきたのである。
射手はわずかに二名だったが、完全に的と化した状態のヒューには、それだけでも十分すぎるほど致命的だった。
とっさに照準へ全神経を込めて二発の弾丸を発射する。
一発目、二発目ともに完璧な狙いで相手の頭部を撃ち抜いた。
が、同時に敵の放った弾丸もヒューに命中する。
左の肩口に一発はかすめ、一発は命中。さらに腹部に三発以上の着弾を感じた。
間違い無く、ボディアーマー無しでは致命傷となる攻撃。
さらに、貫通を防げても着弾の衝撃はもろに響いてくる。
ヒューは受けた衝撃で段差を踏み外しそうになるのを耐えるため、足に力を込めた。
激痛を噛み殺して踏ん張る左足の弾傷から噴出すように血がこぼれる。
それでもなお、ヒューはさらに階段を上った。
度々途絶えそうになる意識を、歯を食いしばって堪えるのがやっとの痛みが支える。
そして、ようやくに三階まで辿り着く。
さすがに最後の階だけあり、歓迎はひとしおだった。
階段を出、廊下の様子を見ようと顔を少し出したその瞬間、左右の廊下から殴りつけるような弾丸の雨あられが襲いかかってきた。
継ぎ目無く続く銃撃。間に入る隙も無い。
あまりの火勢に、ヒューはひとまず階段を数段下りると身を屈め、、敵が顔を出してくるタイミングを待つ体勢を取る。
が、そんな廊下の左右から乱射される弾の雨に、身を乗り出すタイミングを計りかねていたその時、気づかず背後から近づいていた敵によって、ヒューは強制的に三階へと到達することになる。
階段を上りきる手前で静止し、姿勢を低めていたヒューの背中を押した銃撃によって。
そう、見逃してしまった敵がひとり、完全に無防備なヒューの背中を狙い撃ちにした。
まるで背中を爆破されたような感覚。
50発装弾の弾倉が空になるまで乱射は続き、ヒューの体は空中へ、ふわりと持ち上げられるように三階フロアへと押し出された。
一転、重力に引かれて床に叩きつけられる。
つっぷしたまま身動きが出来ない。
発射された弾丸のうち、生身に受けたのは運良く右腰と右手に一発ずつのみだったが、背中のボディアーマーには最低でも十発から二十発以上を喰らった。
受けた打撃の強さに呼吸が止まる。
灰が空気を受け入れない。
喘ぐことも出来ず、半ば窒息しかけた。
しかし、意思の強さは辛うじて肉体の反乱を跳ね除ける。
這うようにして身をよじると、背後からの奇襲をおこなってきた敵に向け、即座にフルオートへ切り替えた銃を乱射した。
目はすでに焦点も定まらない。
うっすらと捉えられる人影を目掛けて弾倉に残った弾を撃ち尽くす。
敵は弾倉の交換中にヒューの発射した無数の銃弾にさらされる形となり、運良く数発が相手の頭に風穴を開けた。
だが、これが限界だった。
廊下の左右からの銃撃を避けるにも、もう体が動かない。
そこでヒューは、仰向けの姿勢で弾倉を取替え、フルオートで狙いもつけずに右手廊下に銃を乱射する。
あわよくば敵に命中することを望み、それがダメでも牽制にはなる。
予想の通り、いくつかの弾が敵に命中する幸運こそ得られなかったものの、左右の敵はしばしの間、銃撃を止め、その場に不自然な静寂が訪れた。
それは実際にはわずかに数秒といった静けさだったが、すでに意識の混濁し始めているヒューにとっては不思議なほど長く感じられた。
冷静に現在の自分が受けている身体的ダメージを思う。
左太股に三発。
左脇腹に一発、貫通銃創。
左肩に一発、これも貫通している。
右腰に一発。
右手に一発、これまた貫通銃創。
敵の銃のスペックはよくよく理解していたが、実際撃たれてみると、その破壊力の強さに脱帽する。
命中した部位の肉体を抉る特性のおかげで、苦痛もすごいが出血もひどい。
特に三発喰らったうえ、動かし続けたことが原因で溢れるようになった左太股の出血。
それと跳弾で命中したせいか妙な角度で侵入した弾丸が暴れ回った左脇腹の出血も、これまた相当だ。
左肩、右腰、右手の出血も含めると出血性ショックを起こしかけている危険が大きい。
大量出血に特有の吐き気の症状も出てきた。
意識も半分飛んでいる。
目の焦点も合わず、体も重力が倍ほどになったような感覚。
指先ひとつ、満足に動かせる気がしない。
自分の呼吸が荒くなってくるのを感じつつ、ヒューはこのまま目を閉じて休みたいという強い衝動に駆られていた。
と、
急に足元……階段から、人の気配を感じ、ヒューは残る気力を振り絞るように上半身をわずかに起こすと、その気配の主へ銃を向けた。
瞬間、
「……お疲れ様」
聞き覚えのある子供の声が響く。
目でも見て確認したヒューは、すぐにそのままバッタリと体を寝かした。
ノワールだった。
「……待ちくたびれたよ……というか、危うくお前が来る前に死ぬとこだ……」
「お兄ちゃんが急いで動きすぎるからだよ。でもそのおかげで予定通り、残りはこの階にいるだけになったけど」
気付けば敵がヒューひとりと思い込んだガブリエル・ハウンドは、計画していた通り、ヒューの陽動に見事に掛かり、大半を施設三階に集結させていた。
無論、少数の見逃しは階下に残していたろうが、それらはすでにノワールの手で片付けられているだろう。
作戦を自分好みの形で無理やりにでも成功させるため、ヒューが自ら提案した捨て身の計画。
それは自身を囮にすることでガブリエル・ハウンドの逃亡を防ぎ、確実に敵を殲滅させようという、まさに命懸けの作戦だった。
「安心していいよお兄ちゃん。裏口から逃げようとしたのも、下の階に残ってたのも、ひとりも逃がさなかったから。もうあいつら、ここに残ってるだけで全部だよ」
「そうかい……ってことは、こっちも血の流し甲斐があったってわけか……」
致命傷となる傷はひとつとして受けてはいない。
しかし、あまりに弾を受けすぎた。
ボディアーマーを含め、頭部を除けば被弾していない箇所は無いほど、全身に漏れなく銃弾を浴びた。
手足や脇腹、腰部からの出血はなお、続いている。
「大変そうだね、お兄ちゃん」
すでに身を起こす力も無く廊下に寝そべるようになったヒューを見下ろし、ノワールは言う。
「……ははっ、チビに心配されるようじゃ、いよいよ俺も終わりだな……」
「大丈夫だよ。あたしがいるもん。後は全部、あたしがやっつけるから」
「気持ちはありがたいけどよ……よりにもよってなんでお前、丸腰なんだよ。いくらお前でも素手でこいつら全員相手に……」
すでにしゃべることすら気力を振り絞る必要に迫られたヒューの言葉を遮り、ノワールが返答する。
「あの銃は、ティルが相手だと思ったから持ってきただけ。ただの人間が相手なら、銃なんていらないよ。だって……」
そこまで言い、ノワールは背を丸めるような姿勢をとると、両手をだらりと垂らす。
一見すれば、疲れ果て、身を支えることも適わなくなったような姿。
しかし、ヒューには見えていた。
上半身の過剰な脱力に対しその下半身……右の利き足を大きく後ろへ下げ、左の軸足がまるで強力なバネのように力を蓄えている様を。
そして、
「武器は全部、相手が持ってるもの」
自分の言葉を合図に、ノワールは回避不能な魔槍と化し、宙を飛ぶ。