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カンジキウサギは闇夜に踊る  作者: 花街ナズナ
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【Red Rover Red Rover】 (8)


「ご苦労だったなヒュー。とりあえず君は無事なようでなによりだ」

「部長たちこそ、よくまあ無事で……」

「事前に施設内へ爆発物が仕掛けられたことが分かって命拾いしたよ。さすが相手が相手だけあったと言うべきかな。まさかCIAの中でも特に秘匿情報として処理されている秘密施設の情報が、外部に漏れているとは予想もしていなかったからね」

「情報漏れということは、つまり……」

「内部に相手方のエージェントが潜入していた。まったく、スパイを扱う組織がスパイされてたなんて話、ジョークでも笑えんな」

「……俺は、別の理由でとても笑えませんがね……」

「分かっている。レイチェルの件は聞いたよ。で、様子はどうなんだ?」

「至近距離でベレッタM93Rを乱射されたんですよ、無事なわけないでしょうが!」


すでに、原型すら留めないほどに瓦解した己の理性を必死に掻き集めていたヒューは、フランシスの質問に対し、反射的に怒りを暴発させた。


しばし、沈黙が場を支配する。

間が置かれ……。


ヒューは大きく深呼吸すると冷静に自分の様子を見続けるフランシスに改めて報告を始めた。


「すいません……ボディアーマーのおかげで致命傷こそ負わずに済みましたが、左腕に2発、それと左胸付近に9発喰らいました。しかも集弾していたせいで、9mm弾のくせに危く貫通する一歩手前でしたよ」

再び頭をよぎるハート・プラザでの出来事に、ヒューは顔をしかめて続ける。


「医者の見立てによると左腕の銃創は綺麗に抜けていたそうで、骨や神経も無事だから大したことは無いそうです。あとは左の肋骨二本を骨折してました。内臓へのダメージは今のところ見られないし、命や後遺症の心配は当面無いと言ってましたんで、そういう意味では運が良かったのかも知れませんね……」

「そうか……それでヒュー、君自身は怪我は無いのか?」

「相棒が盾になってくれましたんでね。この通り、かすり傷ひとつありませんよ」

対象の多さに、方向の定まらない怒りを込めてヒューがつぶやくように言う。


強烈な怒りの感情の確かさだけは嫌というほど自覚出来たが、それを一体どこへ向けていいのか、混乱した意識の中でその作業をおこなうのは不可能に近かった。


テロリストやそれに加担した一部の軍関係者やVICに対する怒り。

事態を未然に防げなかった要因のひとつ、CIA内部に潜入していたスパイに対する怒り。


そして結果としてレイチェルが盾になったことで傷ひとつ無くこの場にいる自分自身に対する怒り。


「さて、これで相手は本気でこちらを潰すつもりだということは分かった。だが、我々もただやられっぱなしというわけにはいかん。ヒュー、すまないが君の危惧していた最悪の展開だ。悪いが、大規模な戦闘を覚悟しておいてくれ」

「覚悟しろって……そりゃ、こっちはとっくにそのつもりですけど……」

「相手の所在はどこなのかって言いたいんでしょ?」

突然、フランシスとの会話にカーラが割って入る。


「ガブリエル・ハウンドの潜伏場所は特定できたわ。VICの医薬品工場のひとつよ。そこが奴らのアジトになってる」

「それは俺でもなんとなく想像はついてたさ。さすがに、軍施設にテロリストをかくまえねぇもんな。で、その工場ってのは?」

「ここ」

クリップボードに挟まれた地図を持ちながら、カーラが一点を指差す。


「……おい、これ……」

「驚いたでしょ。VICミシガン・ディアボーン工場。所在地はディアボーン。まさに私たちのいるデトロイトの西隣りよ。そりゃあこれだけ素早く先手を打たれるわけね。文字通り、敵の懐の中で私たちは動いてた。完全に灯台もと暗しだわ」

「なるほどね。で、ひとつ確認だが、その情報……」

「大丈夫よ。今回のことでCIA内部に潜入していた敵性エージェントは全て洗い出しが完了した。もう偽情報で罠にかけられることは無いわ」

「それが一番聞きたかった……」

ここまでの経緯からもっとも恐れていた可能性を否定されたおかげで、ひどく久しぶりに安心したような錯覚を覚える。


もちろん、それはヒューにとってまさしく一時の安息に過ぎなかったが。


「ところで、俺らが聞いた話によると、軍のほうはJSOC司令官のハイマン少将とかいうのが中心になって動いてたらしいんですが、そっちの始末はどうするんです?」

「それはティルに片付けさせる。奴らが喉から手が出るほど欲しがっていたそれで命を奪う。奴らには相応しい趣向だろ?」

フランシスへ向けた言葉を横からクレメンスが掠め取る。


いつも通りの薄ら笑いで。


少し呆れながら、その案には気持ちで大いに賛成しつつ、フランシスへと目を向けると、苦笑で答える。つまりはフランシスもこの案で賛成ということらしい。


「で、そうなると俺が心配すべきはガブリエル・ハウンドの始末だけってことですね。それに関してはどういった作戦が?」

「作戦自体は単純だ。敵の潜伏する施設内にウサギを放出。敵を殲滅する。ヒュー、君は施設外で逃亡する敵を片付けろ」

「内容は了解しましたけど、施設の出入り口は複数箇所あるでしょう。もし同時に異なる場所から逃亡されたらフォローしきれまんよ。ウサギってのは、あのチビ以外にも何人だか都合はつけてもらえるんですか?」

「ヒュー。断っておくが、カンジキウサギもあの黒髪のウサギも、あくまでもまだ試作段階の代物だ。今回の作戦で使うことになっただけでも特例中の特例。他のウサギまで駆り出すのは無理な注文だ」

「それじゃあ……狙撃班とかでも用意されてるんですか?」

「ここのメンバーで狙撃手の出来る人間は、君かレイチェルくらいしかおらんだろう」

「いや、だから他の部署に応援を……」

「ヒュー、上層部は正直なところ、我々について良い感情を持っていない。そこにきて今回の件だ。諜報任務の失敗に加えてレイチェルの負傷。さらに、敵エージェントの工作による秘密施設の喪失。他部署からの協力などとても望めんよ」

「つまりは殲滅というのは建前。実際はある程度の頭数、仕留めれば御の字と、そういうことですか」

「その通りだ」

「……個人的には納得しかねますがね……」

フランシスの返答に、あからさまな不満を顔に出してヒューがつぶやく。


理屈としては理解している。


今回、ここでアメリカ国内のガブリエル・ハウンドを完全に一掃しても、連中の本拠地はあくまでヨーロッパ。組織を完全に潰せるはずは無いし、殲滅に固執する必要も無い。


逆に数名の逃亡者が出てくれたほうが、それを追跡してヨーロッパでの連中の動きを監視する助けにもなる。


CIA、SISともに望んでいる形はそちらだろう。

それはヒューもプロとして分かっているつもりだ。だが……、


「とにかく装備を整えろ。注文の品は届いてる。HK33SG/1のカスタムメイドと弱装弾装填済みのマガジンが十本。それにレベルⅢのボディアーマー」

「おお、こりゃ……装備も無事とは、とりあえず幸運の女神がそっぽを向いちゃいないってのは幸いです」

「しかし確か相手のFN P90ではこれでも貫通する危険性があるんじゃなかったのか?」

「ご心配はありがたいですが、貫通までは覚悟の上ですよ。問題は致命傷さえ喰らわなけりゃいい。それに相手のボディアーマーもレベルⅢ。こちらの銃も弱装弾とはいえ、至近距離ならうまくすれば抜けますよ。ま、俺は奴らの頭をぶち抜きますから、関係ありませんけどね」

懸念するフランシスに、ヒューは笑顔で答える。


実際、命中精度と扱いやすさに重点を置いた銃の選択とカスタマイズ。

確実に相手の頭を撃ち抜くつもりだというのは、決して安っぽい言い回しのつもりでは無い。


自身、実際に連中の頭を撃ち抜かなければ気が済まないと思っていた。


仇討などと堅苦しいことを言うつもりは無いが、感情では奴らを血祭りに上げたい気分で堪らなかった。


と、


「随分とおっかない顔してるな、ヒュー。君でも作戦前には緊張するもんなのかい?」

渡された装備を確認していると、またもクレメンスが普段通りの軽い口調で質問をしてくる。


正直、いらついた。


現場で死線をかいくぐっている自分たちと違い、安穏と研究とやらにご執心の人物には、今の自分が感じている憤りなど理解すら出来ないだろう。


ましてや、相棒を病院送りにされる気分など……。


「あんた……レイチェルとは親しいんだよな?」

「ふむ、まあ人の見方にもよるだろうが私としてはそう自覚してるつもりだよ。それがどうかしたかい?」

「心配じゃねぇのかよ、そのレイチェルが蜂の巣にされたってのに……」

睨みつけるような……いや、完全に睨みつける視線でクレメンスを見ながら質問する。


この場にあって飄々とした軽い態度を見せ続けるこの男に、少なからず怒りが湧いたのが原因である。


が、その台詞を聞いて、珍しく妙に無表情になったクレメンスから発せられた言葉は、ヒューにとって、予想外にして致命的だった。


「……君は、私に殴られたいのか?」

「……え?」

「心配や怒りを噛み殺さないでいいと言うのなら、私はまず君を殴らなければならなくなる。そう言ってるんだよ」


静かに問い返し、答えたクレメンスに、ヒューは自分の手前勝手な考えと、見当違いな怒りを向けた愚行に気付き、自分で自分を殺したくなった。


詫びの言葉すら出てこない。


ことここに及び、自分にどんな謝罪が出来るというのか。

冷静に考えれば分かるはずのことも、怒りに曇って導き出せなかった。


クレメンスがレイチェルを心配しない理由などあるはずもない。

何故なら今回の一件は全て、彼が彼女の復権のために起こしたことなのだから。


いっそ、気の済むまで殴りつけて欲しい。


心からそう思った瞬間、突然強烈な脱力感が襲った。


張り詰めていた神経が音も無く切れる。

完全に潰れた心を絶望と無力感が満たした。


夢遊病者のように据え付けのベンチへ向かい、腰から倒れるように座り込む。


背を丸め、胸に顔がつくほどにうなだれ、脱臼したように両の肩が落ちた。


すると、今まで辛うじて残されていた理性の消失に伴い、塞き止められていた取り止めの無い思考が、ほとんど無意識に口をついて溢れ出る。


「……レイチェルにさ、言われたんだよ。なんでハリーに憧れた人間が、刑事にならずSISなんかへ入ったのかってね」

「……?」

「ガキの頃に見て憧れたんだ。ダーティハリー。S&W M29を振り回して、44マグナムをぶっ放す。最高にかっこよかった……その影響からだよ、俺がガンマニアになったのは」

ヒューの様子がいつもとはかけ離れていたことが原因か、それとも他の何かが要因か、理由は当人にしか分からないが、何故か普段は饒舌なクレメンスが、静かにたたずんだまま、ヒューの言葉に耳を傾けていた。


「でもさ、同時に感じたんだ。法では裁けない悪ってやつが世の中には溢れかえってるって。だから俺はあえて時には法すら犯して悪を裁ける立場を求めた。結果がこれさ。世の中を良くすることを望んでSISに入ったが、実際にはこの通り、形ばかりの正義の味方だ。力不足もいいとこさ。結局平和なんて大層なものどころか、仲間ひとりもまともに守れやしない、どうしようもない能無し野郎だよ……」

「力不足は理由にならんよ」


聞き終えた途端、クレメンスはヒューの泣き言を仮借無く断ずる。


「力が足りないなら、それを補う手段を考えろ。君の思う正義とやらを守りたいと思うなら、手段を選ぶな。あらゆる手を使ってそれを貫徹してみせろ」


言い返す言葉も無かった。

あまりにも言われた通りだ。


法に縛られず、悪を裁く道を選んだ時点で、自分には言い訳の余地は無い。

それに、言われれば確かに自分はまだどこかで手段を選り好みしていたように思える。


正義を守り、罪無き人を守り、そして仲間を守るのに、手段を選んでいた。


自分のバカさ加減に、情けなくって涙が出そうになる。


手段を選ぶのは強者の特権だ。それなのに、

弱者の分際で手段を選んだ結果がこのざま。救いようが無い。


しばし、己の愚かさに瞑目し、無言でベンチにより深く腰を落とすしか出来なかった。

ベンチで固まってしまったヒューをしばらく見てから、クレメンスはその場を離れようと踵を返す。


すると、後ろを向いたまま急にしゃべり始めた。


「ひとつだけ……君に言っておくことがある。今回の作戦、敵の殲滅を目的としてるが、実質はガブリエル・ハウンドの逃亡も織り込み済みだ。しかし建前とはいえ名目としては敵の殲滅が目的。さて、ヒュー。君としてはこの作戦、どうこなす?」

「……?」

「組織の立場を考えれば、ガブリエル・ハウンドの逃亡をわざと見逃す。これが正道。しかし君の気持としてはどうなんだ。レイチェルを病院送りにした連中を見す見す国外へと逃げ延びさせる。それで君は納得出来るかい?」

「……博士。あんた、一体何が言いたいんだ……?」

「別に。ただなんとなく思ったことを口にしているだけさ。作戦の遂行は君の仕事。が、繰り返すが建前としては敵の殲滅が目的だ。本音は横に置いておいてな。で、君ならどうするか。というか君次第さ。作戦遂行は命じられたが、それをどうこなすかまでは命令されていない。君の考え次第。分かるかな?」

「……俺に、仇討でもさせるつもりか?」

「言ったろう。君次第だ。君が作戦をおこなう。全ては君の考えだよ」

「……」

「ちなみに軍のほうの始末に関してだが、私は今回の主導者、ハイマンとやらを楽に死なせてやる気は無い。ティルにもそう命じてある」

「そんな、それってまるで……」

「私怨で動いてると責めたいか?」

言いながら、クレメンスはゆっくりと後ろを振り返る。


その顔には、フリントで見たカンジキウサギのそれと見紛うほど、禍々しい笑顔が張り付いていた。


ただ一点、その笑顔の源泉が、喜びではなく、怒りであるという違いはあったが。


「博士……」

「ん?」

「あんたのことは今だに理解出来ないが、それでもいくつか分かったことがある」

もはや根でも生えてしまったようにすら思えていたベンチから、身を引き剥がして立ち上がると、ヒューは笑顔でクレメンスに言う。


「あんたは俺の知る限りの人間の中でも、最高のクソ野郎だ」


対して、クレメンスも満面の笑みで答えた。


「いい答えだ。さっさと行け。そして君の考える正義とやらを押し通して来い」



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