【Red Rover Red Rover】 (5)
「早速で悪いんだが……」
男が言いかけると、ヒューは分かっていると言わんばかりに持参したビジネスバッグを開け、中身を確認させようとした。が、
「いや、金の確認は後でいい。こちらが気にしてるのは盗聴……録音の有無だよ。基本として情報提供はオフレコ。それは承知だろ?」
言われて少々拍子抜けしたヒューだったが、男の言い分ももっともである。
情報提供者の身元を秘匿することが条件となっている以上、相手がそこについて神経質になるのは自然なことだ。
「というわけで、おふたりさん。まずは持ってる携帯電話の電源を切ってくれないか」
「?」
「なに、俺の持ってる盗聴探知器具は微細な電磁波にも反応するもんでね。携帯電話も誤認して反応しちまうんだ。だから一旦、電源を切ってもらいたい」
レイチェルとヒューは、言われるまま手持ちの携帯電話の電源を落とす。と、
「……よし、確認。すまないな、ありがとう」
「気にしなさんな。おたくの要求は至極当然さ。で、これでもう話はできるのかな?」
「もちろんだ」
目深に被った帽子に隠れ、ほとんど見えない顔から唯一はっきりと見える口元に笑みを湛え、男はうなずいた。
それから立ったままの男。ベンチに座るヒュー。その間で、横向きに両者を見つめて立つレイチェルという、不思議な配置で会話は開始された。
「さて、おたくらが一番知りたいだろう情報を話すのは簡単だ。軍とガブリエル・ハウンドのパイプ。そっちでも、もう見当はつけているとは思うが、医薬関連企業のVIC。そこで強く繋がってる。で、問題は三者の利害関係だ。何故この三つが手を結ぶに至ったか」
「こっちの予想としては軍部はガブリエル・ハウンドと手を組むことで、対テロ関係の情報網を強化し、他の対テロ組織より頭ひとつ抜きんでることで、自分たちの立場を優位にしようと画策した。代わりにガブリエル・ハウンドは軍部から装備の横流しを受け、他のテログループより組織を強化できる。だが、直接両者が繋がる形は万が一、関係が表沙汰になった時、軍部は大ダメージだ。そこで仲介役にVICを立てた。筋道はこんなところかな」
「おおむね合ってるよ。しかしこれも気が付いてるとは思うが、ここにVICの思惑が絡む。CIAが抱えてる研究所のひとつ、フレッシュ・スミスは裏の世界じゃ相当名の知れたところでね。特に(プロジェクト・ホムンクルス)に対するご執心ぶりはVIC、軍部ともにすごいものがある」
「(プロジェクト・ホムンクルス)か。人造人間とやらに、そんなにも軍やVICが興味深々だってのはどういったわけかね……」
「今回の件を主導した軍部の主要人物は、ゲイリー・ハイマン陸軍少将。保守派の中でも特に好戦的な性格でね。肩書きがJSOC……アメリカ統合特殊作戦軍司令官てこともあり、現場感覚が強いんだ。対テロに限らず、特殊部隊の運用ってのは如何に優秀な人員を確保できるかによる。作戦がどれほど無茶でも、変な話、無尽蔵に有能な人員を繰り出せると仮定したら、失敗する作戦なんて逆に考え付かないだろう?」
「つまりは、上等な消耗品を大量入手する手段としての(プロジェクト・ホムンクルス)ってわけか。いかにも軍人が考えそうな話だな……」
「で、その話をハイマン少将はVICの現CEO(最高経営責任者)のジョーンズ・バニヤンのところへ持ってった。このバニヤンって人物も保守派として有名だ。それに、純粋に企業の利益を考えても軍部とのコネクションは願っても無い。始めはフレッシュ・スミスそのものを襲撃して研究成果を奪うなんて作戦も考えてたらしいが、それだと正面からCIAと敵対する形になる。さすがにそれは得策とは言えない。大体この手合いの技術は黙っていればお偉方が遅かれ早かれ軍事転用のお墨付きを出してくれる代物だ。が、ハイマン少将はどうもせっかちでね。まだ研究段階のそれをどうしても今すぐ手に入れたかった。だからVICと手を組んだのさ。VICの協力があれば、(プロジェクト・ホムンクルス)を即時、軍事転用することも可能だと考えたわけだ。まあ、現実はそこまで単純じゃあないだろうが、少なくともハイマン少将の考えはそうだった。そして次はフレッシュ・スミスの襲撃計画の再考。ここに来てようやくガブリエル・ハウンドが出てくる。奴らにフレッシュ・スミスを襲撃させ、軍は表に出ず(プロジェクト・ホムンクルス)の研究データを奪取する。予定だった」
男の話す内容に、ヒューは一瞬、眉をひそめて言葉を次ぐ。
「だった、か。つまり予定変更するような事柄があった。そういうわけだな」
「ああ」
「それがフリントの一件か?」
「ご明察」
男は表情も変えずに言う。
「CIAの構成員たちは軍や警察出身者が多い。そのうち、軍出身者からの情報提供によって(プロジェクト・ホムンクルス)のプロトタイプであるカンジキウサギが逃走したことを我々は知った。そこで急遽作戦変更だ。フレッシュ・スミスから、直接研究成果を奪うというのは魅力的である反面、後々を考えるとリスキーだ。ガブリエル・ハウンドと表面上は協力関係を装う意味でも派手に動き過ぎて敵に回らざるを得ないような状況を生むのは得策じゃあない。あくまでもハイマン少将はJSOCの司令官。対テロ作戦を目的とした特殊部隊を多数抱える身である以上、ガブリエル・ハウンドにも一定の慎みが必要になる。となるとカンジキウサギの逃走は願っても無いニュースだった。派手な動きは無しに、プロトタイプを捕獲して直接、生体情報を入手する。これならどこか施設を襲撃するといった作戦よりはいくらも静かにことが運べる。そういう算段の作戦だったわけだよ」
「静かに……ね。フリントの現場にいた身としては、あれを静かだと言われたら、本気で襲撃をかけた場合はどれだけすごいことになるのか想像もつかねぇな……」
「まあ、そこが所詮はテロリストってことだな。こちらから横流しした装備をまさか、ああも無遠慮に使うとは予想外だった。これだから素人は性質が悪い」
まるで他人事のように話す男の口振りにレイチェルがまた突然、激昂しやしないかと内心ヒヤヒヤしていたヒューだったが、幸運というべきか、レイチェルはひどく不機嫌そうな顔をするだけで、妙なことを口走ったり、ましてや手を出すような様子は無い。
男からの情報は間違い無く貴重なものだったし、レイチェルも理性を保っている。
ヒューにとっては、今回のヒューミントは完全な成功と思えた。
そう、そのしばらく後までは。
「さてと、どうだい。俺の話は役に立ったかな?」
「ああ、おかげで今回の事件の全容が掴めたよ。ありがとう、恩に着るぜ」
「いやいや、恩になんぞ着る必要は無いさ。これは単なる俺の流儀だよ」
「……流儀?」
「そうさ。相手には必ず全て話すことにしてる。心残りが無いように。そう、手向けのようなもんだよ。分かるかい?」
男の体が動く。
それは極めて素早い動作だった。
なのにヒューにはそれがまるでスローモーションのように記憶されることになる。
次の瞬間、レイチェルは言葉よりも早くヒューをベンチから引きずり落とすと、プラザ全体に響くほどの大声で叫んだ。
「伏せろ!」
突然、ベンチから叩き落とされたヒューが、突っ伏した顔を上げてその声を聞いた時、すでに悪夢は始まっていた。
響き渡るレイチェルの声を上から掻き消すように、無数の銃声が鳴り響く。
見ると、目の前に背を向けて立っているレイチェルが、硝煙と血飛沫を巻き上げ、後ろへ倒れこむ光景があった。