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カンジキウサギは闇夜に踊る  作者: 花街ナズナ
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【Red Rover Red Rover】 (4)


「……あー、めんどくさい……」

ハート・プラザの中をさも面倒そうな足取りで進みながら、着慣れないスーツの襟元を弄り、レイチェルがつぶやく。


この台詞は新たにあてがわれたスポーツセダンの車内でも道中ずっと繰り返し聞かされ続けていた。


ヒューとしてはまさに、耳にタコである。


「あのな、そんなに面倒なんだったら別に無理してついてこなくたってよかったんだぜ?」

レイチェルの、重苦しいほどの気だるさに引きずられそうになりつつも、ヒューは苦い表情を浮かべる。


元々レイチェルの同行をヒューは望んでいなかったが、フランシスの命令で今回の任務はツーマンセルを強要された。


判断自体は妥当だ。相手がエージェントとはいえ、単独での接触は危機管理の観点から避けるべきこと。それは分かる。


しかし、どうしても納得できない部分があるのも事実。


こと戦闘等に限るなら、レイチェルは間違い無く最高クラスの工作員である。

が、諜報員としてはどうか。そこは疑問が大きすぎる。


仲間とまっとうにコミュニケーションもとれない人間に、ヒューミントはどう考えても筋違いとしか思えない。


「大体、なんで指定場所がハート・プラザなのよ。こんな現代アートと奇抜な噴水くらいしか見るものなんて無いとこより、同じ観光地ならモーターシティ・カジノだっていいじゃない。どっちもデトロイトだし」

「あんた……完全に自分の趣味で言ってるだろ……」

明らかに個人的趣味で指定場所への文句を垂れるレイチェルに呆れながら、ヒュー自身もレイチェルの同行とは別件の不満はあった。


「それにしても、たかがエージェントに会って情報提供受けるだけだろうに、わざわざボディアーマーなんてスーツの中に着てくる必要があったのかね。フリントの時でさえ着てなかったし、しかも会うのは白昼街中だぜ。邪魔くせぇなぁ」

「フリントの件は例外よ。想定していた相手がティルだけだったから、銃火器への対策を念頭に入れて無かっただけ。本来、なんらか特別の理由でもない限り、対人接触時には必ずボディアーマーを着る。職務規定にも書いてあったの、読んでないの?」

「非合法活動が主の組織で職務規定は守りましょうってか。どうもおかしな感じだな。ええ、くそっ、シャツん中がゴワつく……」

「これでも昔に比べたら可愛いもんよ。軽いし、薄いし」

「そりゃあ、一昔前のやつは重くてゴツかったからなぁ。確かにあれと比べりゃ、こいつでもマシと思うべきなんだろうけどさ」


ボディアーマーは、基本的に銃撃による致命傷を避けるために開発・設計されている。

ゆえに当然、着心地という観念は存在しない。


ただし、動きを出来るだけ制約しないようにという作りにはなっているため、体を動かすのに大きな支障を感じることは少ない。


その代わり、あくまで致命傷を防ぐということを考えてしか設計されていないため、急所以外の部分はほぼ無防備に近い。


簡単な言い方をすれば、ボディアーマーとは気休めと保険の中間程度の存在である。


それだけに装備するにしてもしないにしても、最終的には個人の価値観による部分が大きい。


(不便をとって、最悪のケースに備える)か、(不便を嫌い、不運な時は諦める)か。


ただし、プロたるものは運に頼らないのが基本である。

そのため、必要な状況では無条件に着用する。


「私なんて逆に不安なくらいよ。こんなんでちゃんと弾が止まってくれるのかどうか」

これもまた、個々人の価値観の差異。

どうせ着るなら、完全な性能を要求するというのもまた自然の思考。


それだけに昨今の複合繊維が主体で出来た軽いボディアーマーは、着用者に妙な不安を与えることもままある。レイチェルの反応はまさにその典型例と言えた。


「ナリは華奢でも、規格は防弾レベルⅡだから平気だろうさ。ライフルで狙撃されるだとか、ダーティハリーが相手ってんなら話は別だが、少なくとも357マグナムでも貫通しないよ」

「ふふっ、イギリス人がハリーを引き合いに出してくるなんて、なんだか面白いわね」

「こう見えても俺、ジェームズ・ボンドじゃなくハリー・キャラハンに憧れてこっちの世界に入ったからな」

「あんたそれ、完全に方向が間違ってるわよ。なんでその流れで刑事にならずにSISに入ることになるのよ」

「仕方ないだろ。成り行き上、気がついたらこうなってたんだから」

「……まあ、坊やらしいっちゃ、坊やらしいわね。ほんと、あんた面白い子だわ」

「好きに言ってろ。ところで話を戻すけど、このアーマー、さすがに至近距離の44マグナムは通っちまうけど、いくらアメリカでもリアルに街中で44ぶっ放すバカなんていないよな」

「……」

「……いないよな?」

「……落ち合う約束の場所はそろそろかしらねぇ……」

「冗談だろ……映画じゃあるまいし、そんなイカれたのがこの国ではそこらをほっつき歩いてんのかよ……」

頭を抱えたくなる衝動を抑え、額に手を当てるに止めたヒューがうめくように言う。


実際、アメリカでは免許さえあれば44マグナム弾程度はたやすく手に入る。

発射するための銃も同様。


それだけに可能性だけで言えば、アメリカ国内では例えボディアーマーを着用していても完全に安心とはいかない。


これまた可能性の話になるが、市販されている弾丸では460ウェザビー・マグナム弾などはアフリカゾウを一撃で殺傷するほどの威力がある。

この場合、仮にレベルⅣのボディアーマーを着ていたとしても無事では済まない。


詰まる所は(人事を尽くして天命を待つ)以外、人の取れる道は無いのである。


「お、あったあった。確かここだよな」

そうこうしながら歩いているうち、ヒューはハート・プラザの一角にあるベンチを見つけると気持ち、早足になって駆け寄っていった。


見どころとなっている現代風の噴水や、左右に分割された金属のリングを思わせる現代アートの周囲はさすがに観光客や地元の人間でそれなりに人が集まっているが、少し横へ逸れると、軽く緊張するほど人がいない。


裏を返せば、観光地としての人目の多さというメリットと同時に全くの逆、人目にはつかない場所があるのは秘密裏に、しかも安全に顔を合わせるには極めて都合がいい。


「さて、じゃあ先方はまだ到着してないようだし、座ってしばらく待ちますかね」

言って、ヒューはベンチに腰掛ける。


しかし、レイチェルはその場に立ったまま、動こうとしない。


「……どした。何かあったのか?」

「……先方さん、とっくに到着してたみたいよ。こっちが来るのを遠巻きに確認してたのね。私のちょうど三十メートル後ろ。人込みから今、向かってきてる」

「えっ!」

「バカ、見るんじゃないわよ。変に思われるでしょ!」

レイチェルの指摘で反射的に動きそうになった体と目を、次いで言われた一言で即座に止め、ベンチに制止する。


毎度のことだが、レイチェルのこうした能力は何度目の当たりにしても驚かされる。


「身長百八十センチ強。髪はブラウンで短く刈り込んでる。カーキの中折れ帽を目深に被り、ベージュのハーフコートを着て、中身はダークグレーのパンツとジャケット」

「おいおい……なんで目で見てもいないのにそこまで分かんだよ」

「見てるわよ。ほら、あんたの座ってるベンチの後ろにある金属の手すり」

今度は特に相手の不審を買う動きではないと思い、そっとヒューは後ろを振り返った。


が、やはり目にしたものは理解不能だった。


確かに金属製の手すりには、わずかながら周囲の様子が映し出されている。

しかし、少なくともレイチェルが口にしたような情報が見て取れるとは思えない。


丸い筒状の手すりに映っているのは、湾曲し、小さく、ごく小さく映し出された光景。


とても彼女が言うほどの内容を読み取れるようには見えない。


にも関わらず、前へ向き直ったヒューの目に映ったのは、レイチェルが語った通りの男が自分たちのベンチへ近づいてくる様子だった。


改めて彼女の能力に無言の称賛を心の中で送っていると、レイチェルはさらに、


「それと坊や……」

「あ?」

「あいつ……コートの中に銃持ってるわよ」

ささやくようにつけ加える。


ヒューは一瞬、言われた内容を頭の中で考えると、ごく一般的な回答を導き出した。


「……まあ、そりゃあ軍を敵に回してこっちに情報流そうってんだからな。銃の一丁やそこらは持ってて当たり前だろ。それにその……あんたの見立てでは、持ってる銃ってのは散弾銃やサブマシンガンてわけじゃないんだろ?」

「ええ……大きさから見て、拳銃サイズだってことは確かだわ」

「だったらごく普通のことさ。気にするほどじゃねぇよ」

「……そうね。ちょっと神経質になりすぎてたみたい」

そんな会話をしている間に、件の男はレイチェルの背後まで近づいていた。


そして、


「やあ、おふたりさん。こちらへは観光かい、それともビジネス?」

そう声をかけてきた。すると、


「いや散歩だよ。ちょっとした散歩。ウィスコンシンから少し足を伸ばしてきたんだ」

「徒歩かい?」

「もちろん」

ここまで話すと、男は無言でうなずく。


実のところ、この会話はちょっとした相手確認の暗号が含まれている。


通常、見ず知らずの人間に地元民かの確認無しで観光かビジネスかを聞くのは不自然である。


加えて、ヒューは散歩と答えると同時に、ウィスコンシン州からだと言い、それに男は徒歩かと問うた。それを肯定。


だが、州をまたいだウィスコンシンとミシガンを徒歩で散歩するなど常識的ではない。


これらが先の会話で交わされたやり取りの本質である。


「OKだ」

一言そう言い、男は手を差し出す。


ヒューはそのまま握手を交わす。


男との長い話はそうして始まった。



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