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カンジキウサギは闇夜に踊る  作者: 花街ナズナ
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【Hare&Hounds】 (9)


何事にも言えることだが、時間というのは本筋以外の部分に費やされるのがほとんどである。


デトロイトのCIA施設からフリントの現場までの移動には時間がかかった。


一時間、二時間単位での移動。

それに対し、戦闘は大きく見積もっても三十分とかかっていない。


そして帰路。


帰り道だけを考えるならば、行きと大差無い時間で済んだろうが、そこに予定外の行動が組み込まれ、結果としては大いに時間を食うことになる。


帰りがけに立ち寄った最も近い場所にあった総合病院のER(救急外来)で少女の治療に費やされた時間は驚くことに四時間。


命に関わるような手合いの外傷でなく、かつ緊急性を伴わないと判断されると、ERでの待ち時間は最悪だと丸一日に及ぶことすらある。


三時間が経過した時点でレイチェルが理性を失い、気の毒にも、近くを通った看護師の胸ぐらをねじ上げていなければ、もしかすればさらに数時間待たされたかもしれない。


痛々しく、両手に包帯を巻かれた少女を伴ってレイチェルとヒューが施設へ帰還した時には、すでに朝の五時を軽く回っていた。


施設のある廃ビルの前に到着した時には、ヒューは堪え難いほどに重たい、車内の空気(そのほとんど全てはレイチェルから発散されていたものだが……)からようやく解放されるという安心感から、肺に満たした空気を一滴残らず吐き出したほどだった。


「ともかく……いい意味じゃ決して無ぇが、作戦は一旦終了だ。あとは中でこれからの指示を聞くことにしようぜ」

わざとある程度余裕でもあるような言葉をかけ、ヒューは車を降りる。


内心ではいろいろな意味でいっぱいいっぱいだったが。


作戦の事実上の失敗。

その原因と言っても差し支えない想定外の敵の来襲。

予想の範囲を完全に超えていたティルと少女の能力。

戦力としては優秀なのは認めるが、あまりに情緒が不安定なレイチェルに対する困惑。


数え出したら、きりが無い。


そのため、ヒューはあえてここは積極的に逃げた。

どう考えてみても、今自分が直面している問題の数々はひとりで解決出来るような代物だとは思えない。


無論、これがチームとして成り立っているなら、他のメンバーからの助言などといったものも期待できる。


しかし残念ながらこの三人はどう甘い基準に照らしても、まっとうなチームとしては成立していない。


三人のチーム内のうち、ふたりが完全な個人プレイ主義者。

チームワークを重視するヒューが頭を抱えるのは当然と言える。


だから素直に逃げた。

逃げて、助けを外部に求めることにした。


作戦の失敗という事実がある以上、良い顔はされないのは覚悟していたが、それよりなにより自分自身の精神衛生上、これ以上あのふたりと三人だけでいるのはあまりに負担が大きい。


廃ビルの入り口まで進むと、片側スライドのドアからレイチェルと少女が車を降りるのを横目で確認し、そそくさと施設へ向かう。


秘密施設ならではの込み入った手順を経て最後のドアに辿り着いた時、ヒューは内心で(レイチェルとクレメンスは顔合わせたら即座にケンカだろうな……)と、ふたりには聞こえないように小さく溜め息をついた。


ただし、これは並の人間とは比べ物にならぬほど、知覚の鋭敏なレイチェルと少女に対しては悲しいほどに無意味な行為ではあったが……。


そんな細々したことで精神をすり減らしていたヒューがドアを開けたその瞬間、

頭の中を満たす。


(世の中というのは良いほうと悪いほうのふたつの道があった場合、まず必ず悪いほうに転ぶのは何故だ?)


そして目の前の光景に肩を落とす。

どうしたものか、この最悪のタイミングに施設の入り口で待っていたのは話題の人物。


いつもの薄ら笑いを浮かべたクレメンスだった。


「さて、まずはご苦労さまと言っておこうかな。いろいろと大変だったようだね」

これまでの経緯を知らないクレメンスからすれば、十分に普通の対応だったが、事情の只中にいるヒューは、空気を伝える間すら無く顔を合わせたこの現実に、額を押さえて天を仰いだ。


が、何事も全てが悪いほうへしか転ばないわけでもない。


「気も無いねぎらいなんぞ聞きたくも無い。そんなことより、一体何がどうなってるのか説明してちょうだい」

ヒューの予想に反し、レイチェルは思っていたよりは冷静だった。


「了解してる。情報漏れとデルタフォースの乱入に関する説明だろう。詳しい事情はベッキー……失礼、カーラ君が説明してくれる。部長室で待ってるから案内しよう」

そう言って、クレメンスはくるりと身を反転させ、廊下を奥へと進んでゆく。


静かに響く靴音に従うように、自然と三人もその後を追う。


「ところでその手はどうした。ひどくカンジキウサギにやられたか?」

振り返りもせず、クレメンスが急に口を開く。


言っているのが少女の手についてだということはすぐに分かった。


だからだろうか。その後のレイチェルとクレメンスの会話はとてもスムーズだった。


「その呼び名はもういいわ。おチビちゃんからあんたのつけた名前は聞いてる。ティルで統一しましょ」

「ほお、意思疎通はうまくいったようだな。それはなによりだ」

「……そうね。おチビちゃんがあんなバカな銃のせいで火傷さえしなかったなら、私も同意見だったわ」

話題が恐れていた部分に触れた瞬間、ヒューは無意識に肩をすぼめた。


「バカな銃?」

純粋な疑問を込めた声を出しながらクレメンスが振り向く。


と、レイチェルは怒りに震えそうになる声を抑えながら会話を続けた。


「使う人間の手を焼く銃のことよ。言っとくけど、比喩じゃないわ。文字通り手に重度の火傷を負わせやがった。医者の見立てでも、指が動くのが奇跡だって言ってたくらいのね」

「それは……銃の問題か?」

「ええ、間違い無く。恐らく普通の人間なら、一発発射しただけですぐ手を放すほどの高熱を出すイカれた銃よ。これの発注と使用の指示はあんたが出したの?」

「……ラシェル。私の性格を知っててそれを聞いてるのか?」


瞬間、レイチェルはクレメンスの言葉に偽りが無いのを理解した。


クレメンスの口調と表情からは、冷静さの中にも抑え込み、それでもなお漏れ出してくる怒りがはっきりと感ぜられる。


思えば、自分の作品に対して異常なまでの感情移入をするクレメンスが、この事態を想定していたなら、間違い無く止めていたはずである。


レイチェルが冷静な思考に達したのとは反比例し、クレメンスは抑えていた怒りのタガが少しずつ緩みだしていた。


「クソッたれどもめ。頑丈だから使いは荒くていいだろうって考えが見え見えだ。まったく、私の作品を使い捨てにでもするつもりか、連中は……」

再び身を返して歩を進めるクレメンスの足音は、明らかに先ほどまでとは違う、乱暴な響きに変わっている。


ここに来て、ヒューにはふたつの感情が付与された。

ひとつはふたりの壮絶なケンカを見ずに済んだということからくる安心。

ひとつは疑問。


今回の件に関し、ミルトン部長から聞かされている内容からすると彼は下手をすると国家反逆罪にも問われかねない重罪を犯した犯罪者という扱いのはずである。


それが何の拘束も無く、ひとりの監視も無く、自分たちの出迎えをした。

そして今、部長室へと自分たちをいざなっている。


疑問を感じないほうが不自然だ。


その証拠に会話の済んだ後も、レイチェルはなんとも釈然としない表情をしている。

だが、疑問に頭をひねっているほど、この施設の廊下は長くない。


気づけばすでに部長室の前である。


「部長は今、所用で出てる。ま、カーラ君は有能だからね。部長不在でも問題は無いだろう」

部長室のドアを開けながら、クレメンスが言う。


見れば部長室の中では、早くもソファの向かい側へ置かれた椅子に腰かけ、深刻な表情をしたカーラがこちらを見ていた。


「レイチェルさん、ヒュー、お疲れ様より先に細かい説明をお求めでしょう。ともかくそちらへ座っていただけますか?」

急いている雰囲気を口調からも態度からも漂わせつつ、三人にソファへ座るよう促す。


クレメンスはそのまま部屋へ入ると、ドアの脇へ背をもたれて立ったまま腕組みし、話を聞こうという様子である。


とりあえず促されるまま三人も室内に入ると、ソファへ腰かけた。

カーラの以上に逼迫した緊張感は、近くで見るとさらに色濃く目につく。


「どうも状況は想像以上に複雑になってしまったみたい……」

溜め息のような口調で一言そう口にすると、カーラは続けて話しだした。


「こちらは当初、カンジキウサギの件がペンタゴンに漏れたために、対テロ活動としてデルタ分遣隊が出動したものと考えていたんだけど、どうやらそれは意図的に流された偽情報だったらしいの」

この言葉に、レイチェルは怪訝な表情で。ヒューは直接的な質問で反応した。


「偽情報って……じゃあ俺たちがドンパチやり合った連中は……」

「もちろん、本物のデルタフォースじゃないわ」

「ちょっと待てよ、本物じゃあないってんなら、ありゃ一体何者だったんだ?」

「ヒュー、貴方もSISの工作員なら(ガブリエル・ハウンド)は知ってるわよね」

言いながら、カーラは苦々しい顔をすると、軽く自分の額を拳で叩いた。


「ガブリエル……まさか、あのテロリストどもか……」

カーラの口から出てきた(ガブリエル・ハウンド)という言葉にヒューはソファから身を乗り出し、目を大きく見開く。


それに答える形でカーラが小さく、何度かうなずくと、ヒューもまた眉間にしわを寄せて額を何度か拳で打ち付け、うなるように息を吐いた。


すると、


「ちょっといいかしら、おふたりさん」

しばらくの間はふたりの会話を静観していたレイチェルだったが、ついに忍耐の限界に達したらしく、口を挟んだ。


「同じイギリス人同士で仲良しこよしはけっこうなんだけど、ここはアメリカ、CIAなの。友だちだけでお話がしたいんだったら、さっさと女王陛下の足元にでもお帰り願いたいわね」

レイチェルの皮肉を受け、ヒューとカーラは自分たちに非があることを自覚しつつも、腹立たしさを抑えるのに苦労しながら、改めて説明を始めた。


「ガブリエル・ハウンドというのは、主にヨーロッパ圏で活動しているテロリストグループのひとつです」

「はっきり言って世界中のテロリストはそれなりに知ってるつもりだけど、そんな名前の連中は聞いたことが無いわよ」

疑問に不機嫌さを加味した表情でレイチェルが言う。


「ガブリエル・ハウンドはその存在自体、ひどく謎の多いテログループなんです。まず、通常のテロリストが持っているはずの政治的信条というものが、まったく分かっていません。これは犯行声明や犯行予告といったことを、一切しないことも理由のひとつですが、最大の理由は連中が他のテロリストたちに便乗して同時にテロ行為をおこなうという特殊性にあります」

「テロの便乗?」

「ええ、彼らは他のテログループが犯行に及ぶまさにそこへ現れては、破壊、暴力行為を拡大させる、いわば(テロ支援集団)とでも呼ぶべき連中なんです」

「なるほど……そりゃそんな目的も分からない上に他人を隠れ蓑に動くテログループなんて、名が知れてないのも当然か……」

言いつつ、危険性の高い集団である限りは何らかの形でマークしておくのが安全保障の原則である。


それをノーチェックで見過ごしていた面についてはレイチェル自身、少なからず粗忽を恥じる感情が湧いていた。


「しかしまあ、予想通り餌に引っかかってきたのは上々の成果だ。姿さえ見せてくれたなら、あとはシッポさえ掴めばいい。まさにCIAの得意分野だな。これでもう目的は半分以上達成だろう」

突然、それまで黙って三人の話に耳を傾けていたクレメンスが、急に口を挟む。


「……クレメンス、あんた一体何言ってるの?」

いきなりクレメンスが口にした話の内容がまったく見えず、レイチェルが驚きを含んだ口調で壁にもたれたクレメンスへ問う。


「私もよくよく考えて思いついた作戦だったからね。そりゃあ、このぐらいうまく話が運んでくれないと困るさ」

「それ、どういう意味……?」

それは全ての疑問を含む問いだった。


ここまでのクレメンスの発言、行動、状態、その他諸々。

そしてクレメンスはそれに対し、極めて簡潔に答えた。


「今回の一連の事柄は、ガブリエル・ハウンドのような連中による国内での大規模テロ活動に即時対応できる組織機能の必要性を示すため、私が仕掛けた自作自演だったと、そういうことだよ」


この言葉には、レイチェルのみならず、ヒューも我が耳を疑った。


しかしカーラはただ、忌々しそうに壁を睨みつけている。


そんな様子をクレメンスは変わらず、薄ら笑いで見つめていた。



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