【Hare&Hounds】 (8)
「しかし……終わってみても結局、何が何やらさっぱりだな……」
乗ってきたスポーツセダンを完全にスクラップにされたため、残されていった敵のミニバンの中から最も破損の少ない一台を拝借した三人は、ヒューの運転でひとまず施設まで戻り、状況の確認をすることにした。
実際、確認したいことが山のようにある。
何故、カンジキウサギに関する情報が外部に漏れたのか。
何故、対テロ部隊であるデルタフォースが自分たちにまで攻撃を仕掛けてきたのか。
「ともかく、カンジキウサギは捕獲も抹殺も出来ず、作戦は完全に失敗。ま、その辺はデルタフォースの連中が横からしゃしゃり出てきたのが悪いってことで、責任転嫁するのはそう難しく無いと思うけど、それにしてもあいつら、滅茶苦茶だったな」
「そうね。こっちにまで攻撃してきたっていうのは、情報伝達の不備が原因だとも考えられなくはないけど、あの装備はさすがに理解の外よ。軍部の連中に常識を求めること自体おかしいのかもしれないけど、それにしたってあれは完璧にイカれてるわ」
行きに乗ってきたスポーツセダンとは比べ物にならぬほど広々とした改造ミニバンの後部座席に少女とふたり、腰を下ろしたレイチェルがさも呆れたような口調で言う。
反論の余地は無い。
誰の目からしても完全に異常だった。
ただ、それを言う場合、あの場の全てが異常だったとも言える。
想像の範疇を逸脱したティルと少女の能力。
それに霞んでしまい、どうも目立たない印象はあるが、レイチェルの射撃能力も十分常人離れしたものだった。
彼女自身が施設の射撃場で言った通り、弾道を狂わす要因は無数にある。
その中でも、飛行中のヘリに対する狙撃は最も難しい。
例えば今回のヘリ、MD500の空虚重量……即ち、乗員や貨物、燃料を含めない機体自体の自重はそれだけでも約五百キロ。
それを軽々と宙に浮かすだけの揚力を、機体全体を包み込むように、メインローターから生み出す風力によって得ている。
見方を変えれば、飛行中のヘリは銃弾に対し、常に風の防護壁に守られていると考えることも出来るため、目標とするのは射手の立場からすれば勘弁願いたい部類のものだ。
もちろん近距離から大口径のライフルで超重量の強装弾を用いれば、精密射撃が絶対に不可能というわけではないが、少なくとも拳銃による狙撃などはもはやジョークにもならない。
にも関わらず、レイチェルはそれに近しいことをしてのけた。
常人ならば、弾を命中させることさえ不可能な状況で、狙い通りに弾を命中させた。
それだけでも非現実的なはずが、その神業すら霞ませる。
ティルと黒髪の少女。
ヒューは、そんなふたりの人造人間が繰り広げた常識外の戦闘の様子を思い出すと、軽く肩を震わす寒気に襲われた。
そんな中、
ゆったりとした車の後部に座るレイチェルは、少女の些細な奇行に目をつける。
戦闘の終了後。
新たな車の確保後。
そして今、車での移動中。
何故か少女は両手から件の改造銃を手放すこと無く、ずっと持ち続けている。
戦闘前に自ら(これがキライ)だと明言していたその銃を両手に握ったまま、その手を見つめるようにして後部座席でうつむいていた。
不思議に思わないことが逆に不自然。
ゆえにレイチェルは自然に声をかけた。
「……どうでもいいけど、おチビちゃん。もういい加減その銃放したら?」
すると不思議な状況は続く。
少女はレイチェルの言葉に反応し、隣に座る彼女へ顔を向け、答えを返す。
「……放したい」
見ようによっては少し泣きそうにすら見える表情で少女がそう言うと、レイチェルの頭はさらに疑問でいっぱいになった。
「いや、だから、嫌ならさっさと放せば……」
「放せない……」
「……?」
「手がうまく動かなくって、放せないの……」
そこまで聞き、レイチェルは彼女なりの理解をした。
これは緊張からくる、筋肉の硬直だと。
極度の緊張から武器を持った筋肉が硬直し、戦闘後もしばらく手が思うように動かなくなるという現象は、特に新兵等に多い。
経験が少なく、体験したことの無い大きな緊張下での戦闘によって引き起こされることが多いこの現象は、彼らのような職業の人間にとっては割とポピュラーな事柄と言っていい。
「なんだ、おチビちゃんもなんだかんだで緊張してたってことか……いいわ、ほら、私が放すの手伝ってあげる」
言って、レイチェルは少女が銃にかけている指を一本ずつ引き剥がした。
そう……まさに、
(銃から指を引き剥がした)のである。
引き金に接していた人差し指の皮は、そのまま引き金の金属部分に付着し、カーボン製らしきグリップを握っていた他の四指と手のひらも、皮膚が焼きつくことこそ無かったものの、全体が赤黒く変色していた。
「!」
思い込みから一転、事態を正確に理解したレイチェルは瞬間的な驚きに声の無い悲鳴を上げると、怒鳴りつけるように運転席のヒューへ指示を飛ばす。
「坊や、行き先変更。この辺りで一番近い病院、飛ばして!」
「な、なんだよ急に!」
行きに続いて帰りも不慣れな運転を強いられていたところに突然レイチェルの不可解な指示。
当惑も露わに、同じく大声を張り上げたヒューに、レイチェルはどこか苦しそうにも聞こえる声音で返答した。
「おチビちゃんの手が……ひどい火傷なのよ……」
呼吸の仕方を一時的に忘れたような声。
だが、ヒューの反応は意外にも静かなものだった。
「……ああ、やっぱりな」
「やっぱり……?」
妙に落ち着いたヒューの返事に、レイチェルはどこか怒りに近い感情を含めて問う。
「何せあのバレル長だ。マズルフラッシュの熱がもろに手を焼くかもとは思ってたよ。しかも弾は強装弾。銃身も相当加熱してたろうし、火傷は当然……」
「知ってて、この子にあんな銃使わせたの!」
後部座席でレイチェルが凄まじい勢いで怒鳴った。
その声にたじろぎ、一瞬、ハンドル操作を誤りそうになったヒューは、慌ててバックミラーを覗き込むと、そこには鬼のような形相でこちらを睨みつけるレイチェルの姿が見える。
怒りが凝集した視線が突き刺さるように背中を射る。
たまらず、ヒューは諭すようにレイチェルに説明を始めた。
「いや……まさかほんとにそうなると分かってたわけじゃねぇんだ。だってさ、仮にも特注品だぜ。そこは計算して作ってると思ったさ。しかも大口径だとはいえ、強装弾を使うことまでは完全想定外だ。まあ……ただ可能性はあったのにそれを言わなかったのは悪かったよ……」
ヒューの話を聞きながら、ゆっくり目を閉じたレイチェルは、少しして落ち着きを取り戻すように深い息を吐くと、依然、微かに怒りで震える声を抑えつつ、言葉を返す。
意識的にヒューに視線を向けずに。
向ければまた怒りに我を忘れると思ったからである。
「……こっちこそ、悪かったわ坊や。この件に関してはどう考えてもこんな装備を用意した奴が全面的に悪い。八つ当たりしてごめんなさいね……」
そう言い、再び少女の隣へ腰を落とす。
見れば少女は手放した二丁の銃を席の脇へ置き、両手のひらを上向きにしてレイチェルを見つめていた。
無表情にも見える中に、どこか気遣うような雰囲気を漂わせ。
そして話す。
「心配ないよお姉ちゃん。あたしたちはすごく怪我の治りが早いの。このくらいすぐ治るから大丈夫」
「大丈夫って……じゃあこの手、痛くないの?」
「痛いよ。すごく。熱かったし、痛かった」
「……今も?」
「うん、とっても痛いよ。こんな手、いらないって思うくらい痛いの」
ふたりの会話が気になり、ちらちらとバックミラーからその様子を探っていたヒューは、その時、信じられないものを目にした。
レイチェルが泣いている。
少女の腕を掴みながら、痛々しく、赤黒く変色した両手を見つめ、泣いていた。
「ごめんね……おチビちゃん。私たちが……もっとしっかりしてれば、こんな辛い目に合わせずに済んだのに……」
このレイチェルの台詞が、彼女の意図しないところでヒューに大きな精神的ダメージを与えたのは皮肉なことである。
彼女は別段、深い意味無く発した言葉だったが、ヒューはこの言葉で今日、自分がただの一発も銃を発射していないという事実を嫌というほど責め立てられた気がした。
意識的に発したとすれば最上級の嫌味。
しかしそれが底意の無いものだと分かっているだけに、ヒューはただ、うつむき気味で運転を続けるしか出来なかった。
そうして、しばしの沈黙。
最寄りの病院へと到着するまでに車内に響いた声は、ただの一声。
レイチェルの、まるで地獄から響くような言葉。
「……クレメンスの奴、もしこのことを知ってたとしたら、絶対に……殴り殺してやる……」
これもまた、ヒューの心胆寒からしめる一言。
救いは唯一、
その対象が自分で無いことだけだった。