【Hare&Hounds】 (4)
「それで……」
レイチェルは本気で凍死でもさせる勢いでヒューに冷ややかな目を向けていたが、ふと話題の本質を思い出し、視線を少女へと切り替えた。
無論、今度は柔らかな視線で。
ヒューにとっては完全な命拾い。
これ幸いと、さりげなく運転席側へわずかに身を戻し、距離をとってレイチェルと少女の会話の聞き役に回ろうと画策する。
首尾は上々。
レイチェルは少女との会話に集中し始めた。
「さっきの話、もう少し詳しく聞かせてもらえないかしら。カンジキ……ティルに私たちじゃ勝てないとか、博士が上の人を信用してないとか、分かりやすく教えてもらえる?」
「ティルはあたしたちの中でもすごく強いの。だからおんなじウサギじゃないと、ただ殺されちゃう。だから、博士はあたしについていけって。上の人はお姉ちゃんたちだけで戦わせて、ティルを逃がしちゃうって。博士は上の人はあたしよりもバカだからだって言ってた」
少女のこの物言いには不意をつかれたせいもあって、レイチェルは再び吹き出しそうになり、必死に口元を手で塞ぎ、笑いを堪えるので精いっぱいだった。
しかしなお、みぞおちの辺りを押さえて、クックッと切れ切れに笑いを漏らす様子からして、よほどに少女の言葉はレイチェル好みのジョークと取れたのだろう。
改めてレイチェルが少女に質問するまでには、軽く五秒以上の間隔を必要とした。
「……ったく、あのクレメンスらしいわね。まあでも当たってることだからジョークとも言えないわ。実際そうよ。というより、上層部のバカどもと比べちゃあ失礼ね。博士の言う通り、おチビちゃんのほうが間違い無くお利口よ」
みぞおちをくすぐられるような笑いに乱された呼吸を整えつつ、レイチェルは話の続きを少女に求める。
「で、上の連中がバカ野郎だってことと、私たちじゃティルに勝てないっていうのは分かったけど、それでおチビちゃんはどうして博士についていけって言われたの?」
「ティルを殺してこいって言われたから」
今度の答えに関しては、レイチェルは先ほどとはほぼ真逆の反応を示した。
露骨なほどの嫌悪。
もちろん少女に対するものではない。
明らかに少女の後ろに見えるクレメンスの影にその感情は向かっている。
「ティルを殺せ、ね……」
「うん」
「博士がそう言ったの?」
「うん」
「……確かに、想像くらいはしてたけど、まさかそこまではっきりした命令してるとは思わなかったわ。でも……」
レイチェルは露の間、何事か考える素振りをすると、言葉を続けた。
「おチビちゃん自分で言ったわよね。ティルはおチビちゃんたちの中でも一番強いんだって。そのティルに、おチビちゃんは勝てるの?」
「……勝てない」
奇妙な光景だった。
少女はヒューやレイチェルではティルに勝てないとはっきり明言した。
だから自分はここに来たと。
つまりは本来ならティルへの対抗力に確実性が伴っていることが必然のはずである。
にもかかわらず、少女は伏し目になって小さくそう言った。
勝てないと。
いよいよもってクレメンスの意図が見えない。
「分からないわね。おチビちゃんでも勝てないなら、わざわざ私たちに同行させる理由が意味不明よ。死体を二つから三つに増やしたいってことなのかしら?」
自分の膝に頬杖をつき、少女を眺めてレイチェルが漏らすように疑問を口にする。
すると、
「勝てないけど……勝てるかもしれないから……」
つぶやくように発せられた少女の言葉は、事態の把握に苦慮していたレイチェルに再び嫌悪の感情を浮かばせた。
「それは……つまり勝てる見込みは無いわけじゃないから、それに賭けて戦えって、そういう意味?」
「……よく分かんない」
「ふうん……」
少女の返答に、レイチェルは嫌悪と苦慮で顔を歪ませ、溜め息にも似た声を上げる。
「まだ推測しか出来ないけど、下手をするとこのおチビちゃんもティルの当て馬なのかも知れないわ。けど、そうすると変よね。クレメンスは自分の作品の性能を是が非でも上に示したいって思ってるはず。だとしたら、普通はプロトタイプの性能よりも改良したおチビちゃんたちの能力に見せ場を作るのが正常でしょ。これじゃ、順序が逆だわ」
必死に思案しながら、ぶつぶつと自分の見解をつぶやくレイチェルの姿を見つつ、ヒューも話の概要を自分なりに理解しようとした。
考えようは無いわけではない。
例えば、自分とレイチェルだけでは勝率ゼロのところを、この少女ならば何パーセントか確率が上昇するという考え。
しかし、それでも疑問は晴れない。
そこまでの強敵だとすれば、何故この少女単独で自分たちに同行させたのか。
クレメンスが話した内容からすれば、この少女と同じ(ウサギ)とやらは、まだ複数存在するはずである。
だとすれば、数を繰り出して戦うほうが圧倒的に有利なはずだし、複数の個体別に戦闘データが取れる分、こちらのほうがどれをとっても得に思える。
無論、ヒューはいまだ、この少女の能力とやらを信用していない。
ゆえにこの推測も単に(普通なら)という思考以上ではなかった。
だが、そうした彼の疑問はどうやらレイチェルも抱いていたらしく、少女に対する質問を再開した。
「おチビちゃん。聞きたいんだけど、おチビちゃんと同じその……ウサギっていうのは、全部で何人くらいいるの?」
「ティルとおんなじヘアっていうウサギは全部で三つ。あたしとおんなじラビットっていうのは全部で五ついるよ」
「そう……ところで、別に構わないんだけどその、自分たちのことを物の数みたいに言うの、あんまりよくないわよ」
「だってあたしたちはお姉ちゃんたちや博士と違うから。ただのウサギ。だから一つ二つって数えるの」
「……」
あからさまにレイチェルから怒りを伴う不快感が噴出し始めているのを察知し、ヒューは身をさらに運転席側へ引いて、とばっちりの回避に努めつつ、会話の続きに耳を向け続ける。
「分かったわ。その数え方については今度ゆっくり話すとしましょう。で、質問なんだけど、おチビちゃんは何で他のウサギたちと一緒に来なかったのかしら。どうせなら、お仲間が多いほうがティルを倒せる可能性も上がるでしょ?」
「ウサギは、みんなひとりで戦うようにって言われてるの。ウサギは他のウサギと仲良く出来ないからって。すぐにケンカしちゃうから、一緒はダメだって」
「……なるほど、ね」
レイチェルは少女の答えに妙に納得すると、またぶつぶつとつぶやきを始めた。
「聞いたことはあるわ。確か本物のウサギって、縄張り意識がものすごく強くて、下手するとお互いに殺し合いすることがあるって。でも確かそれってオスだけだったような気がするんだけど……」
「……殺し合い?」
急に聞いたことも無い話を聞かされ、ヒューは反射的にレイチェルへ問いかける。
正確には問いというよりは、至極純粋な疑問の言葉を。
「意外に思うでしょ。あんな大人しそうな顔してても、実際は案外に凶暴だったりするのよ。よく臆病者のことを(Hare hearted)なんて言うけど、臆病だからこその凶暴さっていうのもある。その証拠に、草食動物は総じて気が荒いのよ」
「はー……」
知らぬことを具体的に説明されると、人間は肯定や否定とは異なる、ただ音としての声を吐くくらいしか出来なくなる。
それが興味の範囲ならば感嘆の声となるだろうが、ヒューにとっては、この説明はそこまでの興味を持つものではなかった。
が、関心が一切無いというわけでもない。
となるとこうした中立的な声が出る。
人間の精神的反応というのは、まことに奥深い。
「さて、と」
呆け面を晒すヒューをそのままに、レイチェルは話題を本線へ戻す。
「そうなると、私もおチビちゃんたちも、単独任務を想定されて造られたってとこまで一緒なわけね。ほんと、よく似てるわ。だけど、それじゃあティルを倒すったって、どうしたものかしらね。確率で考えれば私と坊やだけで戦うよりは高くなるんだろうけど、それだけじゃただの分の悪い賭けよ。どうにもクレメンスの考えてることが分からないわね……」
ともすれば頭を抱えたくなる衝動に駆られつつ、レイチェルはまたも思案に暮れた。
と、
「そこの……そっちのケース」
急に少女が声を発する。
「ケース……ああ、そういえば現場に来たらこっちのケースをおチビちゃんに渡せって言われてたわね」
自分たちのことで手一杯だったため、すっかり忘れていた出掛けに出された指示を思い出し、レイチェルは座席の下へ置いていたもうひとつのアルミケースを持ち上げると、そのまま少女に差し出した。
預けられた時にも感じたことだが、端末機器の入ったケースと比べ、かなり重い。
「これも考えればおかしな指示よね。作戦に使うものなら、隠し立てする意味無いし、出る前に渡しても現場で渡しても結果は同じなんだから、なにも現場で渡すように指示しなくたっていいのに」
素直な疑問を口にしつつ、少女にアルミケースを渡すと、予想外に少女からその疑問への返答が戻ってきた。
「これ……キライだから。あんまり持ってたくないの」
「嫌い?」
「うん。ウサギはみんなこれがキライ。うるさいし、すごく重いし。でも、ティルに勝とうと思ったら、これが無いと勝てないから、我慢するの」
答えが返ってきたこと自体はうれしい反応だったが、残念ながら言っている内容はといえば、この時点ではまったくもって意味不明である。
だが次の瞬間、
少女がアルミケースを開いた途端、そうした些細な疑問は吹き飛んだ。
「……これ、何?」
開け放たれたケースの中身を見て、レイチェルはまるで前衛芸術の作品でも見せられたような気色の悪さに見舞われた。
それはこれまでに見たことも無い形のリボルバー式拳銃。
まったく同じものが二丁、ケースの中で銀色に輝きながら、綺麗に収まっていた。
しかし、言いがたい違和感に襲われたのは、そのリボルバーの基本的な形に見覚えが無いことだけが原因ではない。
銃身……バレル長が極端に短いのだ。
目算に間違い無ければバレルの長さは弾倉部分からわずか二、三センチあるか無いかである。
「おいそれ、まさか、レ・マット・リボルバーか?」
気づくと、横から覗き込んできたヒューが、驚きを込めた声を上げている。
「知ってるの、ガンマニア坊や?」
一瞬レイチェルの言い様にカチンときたが、顔を上げ、目を合わせた彼女の顔が真剣そのものであるのを見て、発した言葉自体には悪意の類が無かったことを察し、ヒューは発火しかけた怒りを押し殺すと、この奇妙な物体について語り始めた。
「レ・マット・リボルバーっていうのは、今から百年以上前、南北戦争時代にレ・マットってフランス人が作ったリボルバー拳銃のことだよ。ただ、これ自体は間違い無くそのレプリカだろうがね。現存する本物はいくらなんでも危なっかしくて使えない」
言いながら、ケースから一丁を取り出し、さらによく観察しながら話を続ける。
「リボルバー式拳銃の中でもこいつは特に変り種でね。まず普通のリボルバーが六連発が基本なのに対して、これは42口径弾9発を装填でき、しかも……ちょっと見にゃあ分かりづらいが、この弾倉はシリンダー軸が……いや、逆か。中央弾倉がシリンダー軸になっていて、そこに16番ゲージの散弾1発を装填できる。ほら、激鉄部分にレバーがあるだろ。こいつで42口径弾と散弾とを撃ち分けできる仕組みさ」
ヒューの細かな説明に対し、レイチェルは素直に感心した。
正直、戦力として数えるには力不足の感が否めないが、少なくとも限定的な分野の知識に関して彼は役に立つ。
その点については彼の同行にいくばくかの価値が見出せた。
「……しっかしまあ、こいつはなんとも面白いね。本物のレ・マット・リボルバーはシングルアクションだったが、こいつはしっかりダブルアクションに改造されてる。しかも弾倉ごと弾の再装填もできるようになってるし、相当に実戦的なカスタムメイドだぜ」
「だけどそれ……」
「ああ、分かってるよ。この異常としか思えない銃身の切り詰めだろ。確かにこのせいで他の有用な改造全てが台無しだ。こんな銃身の銃じゃまともに撃っても二メートル先の目標だって当たるかどうか怪しいもんだ」
首を傾げてそういうヒューに、レイチェルも同意のうなずきを返した。
すると、
「当たるよ」
またしても急に少女が言葉を発する。
ヒューはその言葉に、最大級の呆れ顔をし、少女を乱暴に諭した。
「おいおい、いいかチビ、言っとくがこいつは口径からしてもお前なんぞに扱えるような代物じゃねえ。仮に撃てたとしても、反動でひっくり返ってお空に弾飛ばすのが関の山だ。大体、お前のおつむじゃ分からんだろうが、こいつの銃身長じゃ誰が撃っても……」
「目の前のものを撃つなら、狙わなくてもいいでしょ?」
「……はぁ?」
「的が目の前ならどんな銃でも必ず当たるよ」
続けざまに理解不能な返答をしてくる少女に半ば辟易とし、ヒューは無意識に、苦々しく噛み合わせた歯の間から溜め息を漏らした。
「あとね」
「?」
「それ、レ・マットじゃないよ。ルマ」
「ル……え?」
困惑するヒューへ助け舟というわけでも無かったろうが、レイチェルが横から補足を加える。
「レ・マットのフランス語読みのことよ坊や。(Lemat)。フランス語読みでは最後のTは発音しないの。だからルマ」
「……もう勘弁してくれ……俺は工作員であって、学生じゃないんだぜ……」
「それも博士から教えられたの、おチビちゃん?」
「うん」
「いかにもクレメンスらしい仕込みね。まったく、いちいち人の神経を逆撫でしてくる……」
「ほんとだせ」
「とはいえね」
「?」
「仮にもSISの工作員が語学に弱いなんて、笑えないわよ」
レイチェルからあまりにもまっとうな指摘を受け、ヒューは一言、
「……フランス語は、苦手なんだよ」
言って、しばらく眉間にしわを寄せた。




