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カンジキウサギは闇夜に踊る  作者: 花街ナズナ
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【Hare&Hounds】 (3)


すでに運転席へ座り直していたヒューは急に背後から聞こえてきた声へ反射的に体をひねって声の正体を捉えようとしたが、その時には声の主とレイチェルが向き合っている状況だった。


後部座席の左右。

左にはレイチェル。

右には黒髪の少女。


少し考えればすぐに理解出来る事実。

車内で機械以外から声が聞こえてくるとすれば、音源は三つしかない。


レイチェル、ヒュー、そして先ほどまで眠っていたはずの少女。

消去法が導く声の主は自然、黒髪の少女となる。


「ちょ、おい、お前しゃべれたのかよ……」

驚き戸惑うヒューの反応とは異なり、レイチェルは至って冷静に少女を見つめていた。


「まあ、知能が云々とは言ってたけど、しゃべれないなんてクレメンスは一言も言ってなかったからね」

「うん。あたし、しゃべれる。でも、他のウサギはしゃべれないの」

「ウサギ……ああ、おチビちゃんや、その他の子たちのこと?」

少女は大きくうなずくと、そのまま言葉を続けた。


「あたしは他のウサギと違って今回のために特別にお話できるようにしてもらったの。だからお姉ちゃんたちのお話もちゃんと分かるよ」

ヒューはとっさに何事か少女へ質問しようかと思ったが、今はその役回りはレイチェルに任せるのが得策と思い、黙って後部座席のふたりを観察することにした。


「それで、さっきおチビちゃんが言ったことだけど、(博士は必要なウソはつく)っていうのは、具体的にどういう意味かしら?」

「博士は最初からえらい人たちのこと信じてないの。だからあたしにお姉ちゃんたちと一緒に行くようにって」

「?」

「お姉ちゃんたちじゃあ、(ティル)には勝てないから」

「ティル……?」

「お姉ちゃんたちがカンジキウサギって呼んでるウサギ。博士はちゃんとお名前つけてくれてたの。ティル・オイレンシュピーゲル。長くて言うの大変だから、いつもあたしはティルって呼んでる」


その名前を聞いた途端、今まで静かに少女の話に耳を傾けていたレイチェルは、急に過去クレメンスがよく口にしていた話を思い出し、目を見開いた。


「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯……」

「へ?」

いきなりレイチェルの妙なつぶやき声を耳にし、ヒューはつい間の抜けた声を漏らす。


が、当のレイチェルはそれを単純な疑問の声と受け止めたらしく、運転席から身を乗り出したヒューへ説明を始めた。


「以前クレメンスに聞かせてもらったことがあるのよ。ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯。ドイツの童話。故郷ではよく祖父母が話してたって言ってたわ」

「ドイツの童話……故郷?」

「クレメンスはね、元々ドイツ人だったのよ。今でこそアメリカ国籍を取得してCIAに在籍してるけどね」

「あれが元ドイツ人……どうもしっくりこないな」

「よく分かるわ。私も最初に会った時からまさかドイツ人だなんて思いもしなかったからね。なにせあのふざけた性格だもの。ドイツ人ていうよりは、イタリア人辺りがお似合いだと常々考えてたわ」

そう言うと、レイチェルはうっすら微笑みを浮かべ、何やら昔を懐かしむように話を続ける。


「クレメンスがアメリカ国籍を取得した理由は、いまだヨーロッパ圏で根強いドイツに対する敵愾心や憎悪感情にうんざりしたことがきっかけみたい。まあ、分からなくは無いわね。もう第二次大戦から六十年以上も経過してる上、彼自身は何の罪科があるわけでもないのに、いちいちドイツ人だってだけで、どこへ行っても白眼視されてたら、そりゃ誰でも気が滅入るわ」

「……言っとくが、俺はそんなケツの穴の小さい奴らみたいなことはしたことないぜ」

「あら、そういえばあんたイギリス人だったわね……ふふ、でもあんたの言うところのケツの穴の小さい連中に、あいつは相当参らされたみたいよ。なにせオックスフォード大学……まさにあんたの国の大学だけど、そこで学んでいたクレメンスは、医学博士号を取得した後すぐにこっちのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)へ移ってきたの。で、そのまま早々にアメリカ国籍を取得したくらいだから、よほどイギリス人の嫌味は堪えたんでしょうね」

「……」

「ともかくそんなことがあってクレメンスはUCLAで才能を見出されてね。生命科学、生命工学、遺伝子工学の分野で具体的成果をいくつか上げたみたいよ。で、そこをCIAにヘッドハントされて現在に至る。そんなところかしら」

「なるほど。あの博士の歪んだ性格は少年時代のトラウマが原因と、そういうことかね」

「どうかしらね。まあそれも要因のひとつかも知れないけど、クレメンスに限れば私は生まれつきの異常性格だと思うわよ」

「ははっ、言うねぇあんたも」


どういった状況、形にせよ、噛み合う会話は心地が良い。


特にヒューにとっては。


しかし、それは会話する者同士の知識や思考が近い時のみにしか起こらない。

逆を返せば、話題が変われば即座にそうした機会は綺麗に消え失せる。


そう、例外無く。


「それにしても……」

「?」

「つけるに事欠いて、ティル・オイレンシュピーゲルとは、わざとなのか、それともあいつに自覚が無いのか、どうにもふざけてるわね」

ヒューにとっては望まざる話題の切れ目。


急にわずかながら眉をひそめたレイチェルの表情は、まさにその合図だった。


「……なあ」

「ん?」

「知らないことが多くて悪いけどよ。その、なんだ、ティルなんとかって。一体、どういう話なんだ?」

「ああ、そうね。話を知らなきゃ、この名前の意味も分からないか」

レイチェルはしばし唇でも押さえるように人差し指を口に当て、なにやら考えを整理したようで、再び口を開いた。


「簡単に言うと、とんちの利くイタズラ好きのペテン師の話。何十、何百って話があるらしいけど、私がクレメンスに聞かされたのは二つ、三つ程度。その中でも特に特徴的なのを教えるわね」


ある時、ティルが道を歩いていると、馬車が一台、ティルの前へ止まった。

そしてこう訊ねた。

『次の町まではどのくらいかかる?』

すると、ティルは馬車をよくよく見定めて、こう言った。

『そうさな、ゆっくり行けば四、五時間。急いで行けば一日ってところだな』

馬車の男は、からかわれたと思って怒り出し、鞭を振るって大急ぎで馬車を走らせた。

すると、二時間ほどで馬車の車輪は壊れ、町についたのは夜中過ぎだった。


「……?」

「何?」

「あ、いや……どうも意味がよく分からなくってさ……」

話を聞いたヒューの感想に、レイチェルは頭痛すら伴う苛立ちを覚えた。


「あんたね……ほんとにそのおつむはちゃんと動いてるの?」


返す言葉も無い。


実際、こうしたある程度の頭の回転を必要とするジョークというのは聞き手を選ぶ。

何とも言えず、ばつが悪いといった顔をしたヒューに対し、レイチェルは片手で頭を抱える。


「はー……とんち話の解説なんて興醒めもいいとこだわ。つまりね……ティルは馬車を見定めた時に、ああ、こいつは無理をして急がせたら馬車がいかれちまうだろうなと思ったわけよ。で、そこをわざと言わずに予測だけを馬車の男に告げた。結果、馬車は壊れ、ティルの言った通り一日がかりで次の町へ着くことになった。分かった?」


細かい説明のおかげで、得心がいったヒューは何度も深くうなずいたが、レイチェルの曇った顔は依然、冷たい視線でヒューを見つめていた。


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