千円ちょうどの買い物
瑞希とナチュラルに一緒に登下校をすることになったが、輝にはわざわざ口に出して指摘する気はさらさらなかった。そもそも彼はオープンな性格であるという自負があったし、この数日で瑞希の性格も掴めてきた。……言ったら多分銃を突きつけられる。
そこで輝はこの時間を鏡界についての質問タイムにあてることにした。自転車がなかったため徒歩通学だったが、こうして話ができるという点ではこちらで良かったと思う。
「結局お前の言ってたシーカーってのは何なんだ?」
「ああ、シーカーってのは国際的な軍隊みたいなものよ。まあ、正確には組織そのものじゃなくて組織に属する人のことを言うけれど、組織の名前がないから結構ごっちゃになってるわ。
いくら戦争がないと言っても、ああいったテロとかはある。その対処がシーカーの役目よ。あたしもその一人ってわけ」
「……まだこんなに若いのにか?」
「審査に年は関係ないのよ、シーカーってのは。意志さえあれば何歳でも加入することができる。いつからそうなったのかは知らないけど」
「へえ」
瑞希が言うからにはそれが常識なのだろう。不意に頭をよぎったが、彼女が何を思ってシーカーになったのかは軽々しく聞いてはいけない気がしたのでやめておこう。
「良い輝、覚えておきなさい」
「ん、何を?」
「絶対にあたし以外のシーカーには目をつけられちゃダメよ」
「……それは何でまた?」
「それは……」
続く言葉を待っている時だった。
「危なぁあああい! そこのカップルどいてくださぁあああい!」
微妙に勘違いの混じった悲鳴を上げながら、一台の自転車が猛スピードで輝と瑞希に向かって突撃してきた。
「うおっ!」
間一髪のところで輝と瑞希がそれを避ける。自転車が二人の間を通過していった。
「申し訳ないっす!」
数メートル先でブレーキをかけ続けていた自転車がようやく止まったらしく、持ち主はその場で両手を合わせて頭を下げてきた。通り過ぎた時にちらりと見えた姿からして学園生だろう。スカートがめくれまくっていたような気もするが、一瞬だったので分からない。
その学園生は相当急いでいたらしく、再び自転車にまたがると先ほどよりは少しだけ遅いスピードで残りの坂を下って行った
「……今の俺ってピンチだったよな?」
「あたしもよ」
乱れた髪とスカートを直しながら瑞希が呆れた調子で言った。
「今みたいなケースではキャンセルは発動しないわ。キャンセルの発動条件は“故意に人を傷つけようとした時”だから、事故や自分の不注意での怪我は起こり得るの。……もちろん、それが原因で死ぬ人がいないわけじゃない」
「そうなのか……てっきり何でも身を守ってくれる万能なものだと思っていた」
「その辺まだ詳しく説明してなかったわね。でも大事なことだから覚えておいて。あたしたちは不死じゃないの。絶対に人を殺めてはいけないわ」
「おう? そりゃあそうだな」
瑞希の言い方に何か引っかかるものを感じたが、言っていること自体は何も間違っていなかったので輝は神妙に頷いた。
瑞希と別れを告げた後、輝は一人本屋に向かった。
参考書や問題集よりも一年の教科書を買った方が良いのかと悩んだが、教科書は明日にでも誰かに借りることにして、参考書を買おうと決めた。
さてレジに向かうかというところで、輝よりは十歳は年下の少女が本棚の上の方にある本を取ろうと必死に背伸びしている光景が目に入った。運悪く店員は近くにいないようだ。
「どれが欲しいんだ?」
輝が声をかけると少女はビクッとして後ずさった。輝はしゃがむと視線の高さを合わせて、身を縮こまらせる少女にできるだけ優しく聞いた。少女の片手には全財産であろう千円札が握られている。
「あれ……」
やがて少女がおずおずと指差したので、輝は立ち上がり本棚に目を向ける。
「うーん、これか?」
「ちがう、となり」
「どっち側? お箸を持つ方、それともお椀を持つ方?」
少女は自分の手を見つめ、宙でその動作をすると右手を掲げた。
「おちゃわん持つ方!」
「左利きだったか……ほら、取れた」
少女が選んだ本はハードカバーの小説を手渡す。
「そんなの読むのか?」
「…………」
少女は首をぶんぶんと横に振った。
「プレゼント……おかーさんに」
「そうか。これからも親は大切にするんだぞ?」
「……うん。おにーさん、ありがと」
はにかみながらそう言うと、少女はレジの方に走っていった。
「さて、俺もさっさと買って帰るかな……」
レジに向かうと、少女がちょうど会計をしているところだった。その後ろに並ぶ。
「いらっしゃいませー。えーと、千三百円になります」
やる気があるんだかないんだか分からない声色の女性店員が、バーコードを読み取ったその瞬間、輝は、あれ、と思った。少女はレジの上で手のひらを広げて代金を払っているようだ。しかし、確か少女が握っていたのは千円札一枚だった。それでは足りない。
「ちょうどお預かりします。ありがとうございましたー」
プレゼント用だと聞いてしまったからには不足分を払ってやろうと思い輝は前に出かけたが、会計は何事もなく終わり少女は嬉しそうな足取りで去って行った。
「お次の方ー、ってどうかしましたか?」
「いや、別に……」
やたらとトップの毛があちこちに跳ね、襟足が長い髪型の女性店員と目が合う。
ひょっとしたらあの少女は小銭は別に持っていたのかもしれない、と思ったが、その予想は裏切られた。
店員がレジに入れようとしているそれはどう見ても千円札一枚だったのだ。
「……今の会計、足りなかったんじゃないのか?」
「あ、バレましたか」
舌を出して笑う女性店員。化粧はしていないが顔立ちははっきりとしていて、輝とそう年は変わらないように見えた。
「いや、自分のミスっすよ。仕方ないんでこうします」
その女性店員はとぼけた調子で言いながら自分の財布を取り出すと、きっちり三百円をレジに入れた。……とんだ茶番だ。もちろん良い意味でだが。
「さー、お待たせしました。どうぞー……って、あれ久遠先輩じゃないっすか」
「?」
「すんません。気づかなくって。ども、度々申し訳ないっす」
鏡界の輝の知り合いだったのだろうか。どう対処すべきか咄嗟に浮かばない。
「あ、自分、さっきの坂の、ほら」
「ああ! 暴走チャリの!」
「そうです。それです。初めまして、萩原深有です」
どうやら知り合いではなかったらしい、と輝はホッとしながらも言葉をかけた。
「学園生だよな?」
「ぴっちぴちの一年っすよ、久遠先輩」
「ええと、萩原って言ったか?」
「あ、深有で良いっすよ。“みう”じゃなくて“みゆ”なんで、そこんとこだけ注意してください」
「そうか。で、深有。何で俺の名前知ってんだ?」
「あー、気になってたんすよ、先輩のこと」
「……は?」
「あ、決して恋してるとかストーカーとかじゃなくてっすね」
深有はぶんぶんと手を横に振った。
「久遠先輩と言えば、あのお美しくてクールな華秋先輩や、童顔で人に興味ゼロの椎名先輩と唯一コミュニケーションを取れる存在として一年の間では有名なんすよ」
「何だそれ……和奏とシータケと話せるだけで有名人扱いなのか、俺?」
「いやいや、ご謙遜を。久遠先輩だって……っとすみません。後ろにお客さん並んじゃいましたね。会計しちゃいます」
流石にレジで働いている人といつまでも話してるわけにはいかない。輝は本を渡すと手早く会計を済ませ、深有から釣り銭とレシートを受け取った。
「また機会があったら話しかけても良いっすか?」
「ああ。何か俺結構お前のこと気に入ったし、いつでも声かけてくれ」
「お、久遠先輩から自分への好感度が上がりましたね。嬉しいです。では、また」
深有の快活そうな笑顔に見送られ、輝はその場を後にする。
「持ってるんすかね、久遠先輩は……特別な何かを」
その呟きはあまりに小さかったため、集中をしていない輝の耳に届くことはなかった。
[第2話 久遠輝であるために 完]
第2話終了です。
ここ最近もう一作を書き始めたので少し更新ペースが落ちると思いますが、なるべく一週間に一度の更新は守りたいと思います。
気の長い話ですが、よろしければお付き合いください。