並行世界
輝が考えた作戦は非常に単純なものだった。
テロリストの背後から不意打ちをする。そして、生まれた隙を瑞希につかせる。
これなら瑞希の足手まといにはならない……と思う。あくまで隙を作るのが目的であって、自分が格好良くテロリストを倒すわけではないのだから。
「行くぞ、俺……」
銃撃戦はまだ続いていた。策はある。時間はかかったが、瑞希と撃ち合うテロリストの背後に回り込むことも成功している。あとはこの物陰から出て、テロリストの気をこちらに向けさせるだけだ。
「……」
ふと自分の手を見つめた。もう震えてはいない。――走り出した。
「……っ!」
テロリストよりも先に瑞希がこちらに気づいた。僅かな間視線が交錯する。輝は右手を掲げ、自分が何をするつもりなのかを瑞希に伝えた。
しかしそこで流石と言うべきかテロリストも背後から迫る人の姿に気づき、銃口をこちらに向けた。
「って、気づくの早すぎんだよっ!」
それは輝にとっては完全に予定外だった。もう少し接近するつもりだったのに、こんな段階で発見されては危険度がグッと上がる。
とは言え、見つかってしまったものは仕方ない。輝は先ほど瑞希に手渡された手榴弾をテロリストに向けて投げつけた。
「……っせい!」
テロリストはその動きを目で追い反射的に身構えるが……しかしそれは地面を転がっても輝の狙い通り発煙することはなかった。何も起こらないという、予測できなかった事態にテロリストは対応できず、全ての動作を止めてしまった。
――そして、それは瑞希が突撃するには十分すぎるほどの隙だった。
「はあぁぁぁぁぁ!」
その光景を見届けると、輝は瑞希の射線に入らないように右に進路を変えて走る。
テロリストが慌てて瑞希に銃口を向け直そうとするが、それはあまりに遅かったようだ。
輝が目を戻すと飛び込んできた光景は、地面に伏すテロリストと、悠然と佇む瑞希の姿だった。
「あんた、ホンッとに馬鹿だったわね!」
その後、輝に待っていたのは瑞希の叱責だった。当然とも言うべきだが。
「一度逃げたのにわざわざ戻ってくるし、それにあたしはそんなつもりでアレを渡したわけじゃないのよ!」
「……耳が痛い限りです」
長い間瑞希の説教は続いたが、輝は甘んじてそれを受けた。
「……で、結局何で戻ってきたのよ、あんたは」
最後に投げやりな調子で瑞希が尋ねた。
時間が過ぎるのを待つのが嫌だったからと言うわけにもいかないので、輝はもう一つの理由で答えることにする。
「お前が俺を助けようとしてくれたから、俺もお前を助けたかったんだ」
「……そんなことは身の程を知ってから言いなさい。手榴弾のフェイクは悪くはなかったけれど、あんたには百年早いわよ。ヒーローにでもなりたかったの?」
「知るか。ただな、助けられてばかりで何一つ返せないなんてのはゴメンなんだよ」
そう告げると、瑞希は目を丸く見開き、そして笑い出した。しかも、お腹を抱えて。本格的にツボだったような反応をされて、輝は釈然としない気分になる。
「……あんたって、結構意地っ張りよね」
瑞希が顔を上げて言った。
「意地を張って何が悪い。俺は個性を前面に押し出していく性質なんだよ」
「そ。ふふっ」
何が面白いのか瑞希はまだ笑っている。その表情は今まで銃を握って戦っていた人ではなく、あどけない笑顔を浮かべる同年代の少女そのもので、輝は思わず目を奪われた。
「さ、その話はそのくらいにしとこうかしら」
笑い疲れると、瑞希が表情を引き締めたので輝もそれに倣った。雰囲気が一気に変わる。
「で、あんたハイダーだったの?」
「はい、たー?」
漂白剤?
「ハ・イ・ダー!」
「そのハイダーってのは一体何なんだ?」
「……知らない。ってことは、やっぱり……」
ぶつぶつと呟き、
「あんた、この世界では人を殺せないこと、知っている?」
「は?」
人を殺せない? 藪から棒に何を言っているんだ、と輝は思う。
「今日は分からないことだらけだけど、そのセリフが一番だよ」
「そんな……本当に知らないの? 冗談じゃなくて」
顔が密着しそうなほど思いっきり詰め寄られる。その瞳は真剣だったため、輝は改めて姿勢を正した。
「知らない。ついでに、さっきお前が言ってたハイダーってのも何だか分からない」
「……そう」
とだけ言い、瑞希は俯いてしまった。その表情は前髪に隠れて見えない。
そして数秒後に顔を上げた瑞希からは、やはりもう何も読み取れなかった。
「手短に話すわ。あんたにとっては理解できないことだらけだろうとは思うけど……聞いて」
「あ、ああ」
「まず、この世界はあんたの知っている世界じゃないわ。良く似ているだろうけどね」
「待て。その段階で既に俺の頭はついていけない」
「黙って。時間はそんなにないの」
「……分かったから銃を突きつけるな」
「よろしい。で、簡潔に言ってみれば、あんたは、こことは違う並行世界――パラレルワールドの方が分かりやすいかしら――から“跳んで”来た人間なの」
パラレルワールドから? 跳んだ?
「あんたの住んでいた世界……現界って言うんだけど、そっちでは人殺しがあれば戦争もあるでしょう?」
「……そりゃあ、あるな」
「この世界、鏡界――ああ、鏡の世界って書いて鏡界ね――では、それらが一切ないわ。
鏡界では、人を傷つける行為は神に認められていないのよ」
「神? 認められていない? ……いや、思いっきり銃撃戦してただろ、お前ら」
「してたわよ、催眠効果のあるガスを散布する弾でね」
「……は?」
「別にこれは殺傷することを目的としてないのよ。さっきのヤツも、死んでなんかいないどころか掠り傷一つ付いていないわ」
瑞希に促され、先ほどのテロリストが倒れている地点に移動した。
「確かに外傷は見当たらないな……ってか、こんな所で警戒を怠ってても良いのか?」
「一度銃撃戦があった所、しかも仲間が倒れている所なんて何の罠があるか分かったもんじゃないから、その心配は要らないわよ。誰も来ないわ。
それじゃ、一度見せた方が良いと思うからちょっとだけ下がって」
「あ、ああ」
指示された通りに数歩テロリストから距離を空ける。
それを見届けると瑞希はどこからかナイフを取り出し、それを投擲した。
そのナイフは倒れたテロリストに突き刺さる――
「えっ!」
――ことはなく、その五十センチほど手前の空間で、まるで見えない壁に当たったかのように動きを止め地面に落ちた。
「なんだ……今の……」
輝が呆然と声を上げる。今のナイフは手品かと疑ってしまうくらいに不自然な動きをした。
「次、銃でいくわね。これの弾は催眠ガスが入っているから一メートル圏内の人間は強制的に眠らされるわ」
瑞希が今度は銃を取り出し、何の躊躇いもなく引き金を引いた。
「また……」
銃弾は速すぎて見えなかったが、またしてもテロリストの手前の空間でその勢いを殺され地面に落ちた。
「分かった? 今の現象が、“キャンセル”と呼ばれるもので、この世界の住民には誰もがそのチカラを持っているの。……誰にも傷つけられないチカラをね」
「……そして、そのキャンセルとやらがあるから、人殺しができない」
「そう。そんなわけで、銃弾を肩に喰らったあんたは現界から来た人間だってバレたの。キャンセルが発動しないことが証拠となってね。……本来なら殺傷を目的としていない銃弾だったのから、大した傷にはならなかったのが唯一の救いね。銃弾の勢いが止まった瞬間に催眠ガスが散布される設計になってたのもラッキーだったわ」
「ラッキーと言われても……」
ちょっと、何と言うかまだ頭が整理できていない。
要は鏡界には怪我とか人殺しがない。それはキャンセルがあるから。でも、輝は現界から跳んできたからそんなチカラは持っていない。つまり怪我をした=現界の人間。俺死ななかった=ラッキー。――と輝なりに要点をまとめた。
「よし、なんとか整理できてきたかも」
少しずつこの世界の仕組みが理解できてきたような気がする。