新しい一日
「流石にアレはヤバかった」
輝と瑞希は第二漁港から離脱に成功していた。
今は近くの路地裏でようやく一息をついているところだ。
「爆風より速く動けるなんて、あんたの舞煉ってどういう仕組みをしてるのよ?」
瑞希が半ば呆れたようにため息を漏らした。
輝が電気信号を巡らせて身体能力を極限まで高めた結果、その速度は迫りくる爆風の手からも逃げおおせた。神崎の自爆は結果として無意味に終わってしまったということだ。
「舞煉の仕組みが解明できたら世紀の大発見だ。……それに、この力には代償もある」
事実、体中が悲鳴を上げていた。先ほどのような無茶は多用できない芸当だ。
「ねえ、あいつ……死んだと思う?」
「どうだろう? こっちはこっちで手一杯だったから確認はできないし」
言いながらも神崎の話した事情について輝は思いを巡らせる。妻を人質に取られていたということに何も感じないわけではない。まして現界の輝では自分よりも遥かに衝撃は大きいだろう。
「こいつには言わないでやってくれるか?」
自分の胸を指しながら輝が瑞希に言った。
「……分かった」
瑞希は僅かに怪訝な顔を浮かべたが、輝が真剣に言っていることを察し神妙に頷いた。
「それじゃ、そろそろ交代する時間だな」
「……そう。聞きたいんだけど、今後もこういうことはあるの? あんたが意識を交代するようなこと」
「余程の事情がなければない。所詮俺は残り滓みたいなものだから」
「じゃあ、もう一つ質問……同化について話す気はない?」
「それは俺の“縛り”に影響するから、悪いができない」
「…………」
瑞希が複雑そうな面持ちを浮かべるが、輝はあえて振り切るように言った。
「こいつのこと、頼むな……って自分で自分のことをお願いするってのも変な気分だけど。
まぁ、現界と鏡界では育った環境が違うから、こいつと俺は全く別の人間ちゃあその通りだ。でもやっぱり俺としては一番身近な存在だから、多少の身内贔屓はしたいということで」
「ホントに変な話。まあ良いわ、分かった。……それから」
「?」
「現界じゃなくて、鏡界のあんたに礼を言っておくわ……ありがとう」
「……ああ」
頷くと、輝の瞳がふっと閉じられる。数秒の後、身体が軽くよろめいた。
「……っと、うおっ」
手をばたつかせてバランスを取り戻し、状況が全く掴めないと言うように辺りを見回す輝。瑞希は鏡界の輝が人格を手放したことを確信した。
「何がどうなってんだ、これ……?」
「…………」
さて、どうやって事情を説明しようかと思案しつつも、瑞希は自分でも不思議なほど穏やかな心地を覚えていた。
何はともあれ、自分達は生き延びた。
……恐らくこれで終わりではないだろう。
現界の輝と鏡界の輝の同化についても気になる。
全くもって問題は山積みだ。考えるだけで眩暈がしそうになる。
だけど。
だけど、今だけはそんな難しいことは忘れてしまっても良いと思った。
音楽の授業の発表も近い。あの吹奏楽部の女の鼻をあかしてやろうじゃないか。
瑞希はふと顔を上げる。
路地の入口から光が細く差し込んでいた。
そのまま視線を空まで上げる。
夜明けが街を包んでいた。
――新しい一日が始まる。
輝が身体の所有権を変えるのと同時刻。
「まさか、こういう結果になるとはねえ」
第二漁港には二人の男の姿があった。
一人の男が気だるげな表情で、地面に伏せているもう一人の男を見下ろしている。
倒れた男の身を包むスーツはボロボロになっていて、どうにか生きてはいるが一目で重傷だと分かるほどだった。
「雷の舞煉……使い方を知っていたということは」
顎に手を当てしばし考える。
「やっぱり、同化していると見て間違いない。
となると、問題は“割合”がどのくらいかってことか」
男はさも困ったような口調で、だが楽しげに言う。
「……っ」
「おぉ? まだ息があったのかな」
倒れた男の上げた呻き声に反応し、思索にふけっていた男は現実に戻る。
「……君の事情は文字では知っていたけど、まさか自爆をしてまで任務を遂行しようとするとは思っていなかったよ。それだけは良い意味で予想外だ。
悪いけれど、もう少しだけ頑張ってもらおうか」
地面から男を抱え上げると、二人の男の姿は夜と共に消え去って行った。
[第4話 嘘吐き達の葛藤 完]