辿り着いた場所で
「かはっ……」
宇宙のただ広い空間を彷徨っていた意識が体に戻るような感覚を覚えて、輝は目を覚ました。
「……っぐ」
途端に頭痛が襲ってきて、頭を押さえようとする。しかし、その手が上手く動かない。まるで他人の体になってしまったかのように、神経が通っていない心地がする。
暫くするとようやく感覚が戻ってきて、輝は身を起こすことに成功した。
「ここは……屋上か?」
目に飛び込んできたのは見慣れたはずの景色だったが、どこか違和感を覚える。――空が、赤い? 輝は慌てて立ち上がり手すりに駆け寄った。
「何が……どうなってるんだよ……」
絶句した。
異常。一言で表すならばただそれに尽きる。
街が、燃えていた。
街が、壊れていた。
何よりもまず大地震が起きたことを疑ったが、そうではないと即座に理解させられる。――それは一発の銃声。そして吹き飛ぶ屋上の扉。
振り返ることさえできない中、足音が近づいてくる。
「手を上げなさい」
凛とした女性の声。それに輝は背を向けたまま、のろのろと両手を上げた。
「まさか……一般人? 何でこんな所にいるの?」
「それより俺はここが本当に日本なのかを聞きたいよ……」
「質問をしているのはこっちよ。……ゆっくり振り返って。妙な動きを見せたら容赦しないわ」
「……」
その命令に逆らえるはずもなく、輝は両手を上げたまま後ろを向く。
そして、振り返った先にいたのは
「嘘……」
何故か目を丸くした、一人の少女だった。
――風が強い、と場違いにも輝は思った。ここはいつだってそうだ。少女の栗色を軽く帯びた髪が揺れる。二つに縛った後ろ髪が横から顔を出す。
「何で……あんたが」
強気そうな瞳に驚愕の色を浮かべながらも、銃口はピタリとこちらを向いている。年は輝と同じくらいだろうが、黒光りする銃は不思議なくらいに彼女に似合っていた。
「おーい、できれば状況の説明くらい頼む。このまま死ぬのはあまりに救われん」
輝が声をかけると、少女はハッとした表情を浮かべ銃を握り直した。
「状況って……テロリストの攻撃を受けているのよ。避難命令も出ているでしょ! 何であんたはこんな所にいるのよ!? バカなの!?」
「なっ……!」
訳の分からないことをまるで当然の如く言われ、ついに輝の混乱はピークに達した。
「……そんなの初耳だ! 何だよテロリストの攻撃って! ってか初対面のヤツに馬鹿呼ばわりされてたまるか!」
「っ!」
一瞬、少女の表情に怒気ではない何かが浮かんだような気がした。しかし、少女は銃を下ろしながら背を向けてしまったため、それが何かは分からない。
「おい、お前……?」
「お前じゃない。あたしの名前は凪流瑞希よ。……ついてきて。あんたをシェルターまで連れて行くわ」
有無を言わせない調子で少女は歩き出す。その後ろ姿からはもう何も読み取れない。
「早く。まだここは危険よ」
どうやら選択肢は一つのようだ。
「……久遠輝だ」
輝は覚悟を決め、少女――凪流瑞希の背中を追った。
「なあ瑞希」
「……普通いきなり名前呼ぶか」
「いきなりでもないだろ。俺には聞きたいことがある。そして、それは全く解決してない」
「そういう意味じゃない。馴れ馴れしいと言っているのよ」
「……」
そっちか、と輝は言葉を詰まらせた。馴れ馴れしい――いきなり名前で呼び捨てだからだろうと気づく。
輝はマンションの階段を下りながら、目の前を先行する少女の背中を見つめた。
言われてみると確かに、自分は彼女に対して警戒が薄い気がする。銃口突きつけられて、突然妙なことを言われて、しかも軽く拉致されて。割と……というか、かなり理不尽な扱いだ。警戒して当たり前なほどに。
――でも、と輝は思った。二つに分けて縛られたセミロングの髪から華奢な肩が見え隠れする。その背に言葉を返した。
「なんとなく、そっちの方がしっくりきたからだと思う。……不快だったなら謝る、ごめん」
「……別に良いわ。あたしに強制する権利はないし。好きにすれば良い」
「ああ。ありがとう。じゃあ改めて……瑞希、聞きたいことがある」
「何?」
「色々あるが、とりあえず、いつから日本の銃刀法は改正されたんだ?」
まずは手近なところからと思い、瑞希の手に収まっている銃を指差し、輝は尋ねた。
「何よその法律? そんなの知らない。ってなわけで、あたしはあたしの中の法律に従うわ。銃オッケー」
「フリーダムかっ!……まあ良いや。ひとまずそれは置いておこう。
で、俺、エレベーターに乗ってからここ数分の記憶がないんだけど、いつの間に街が火の海になっているのは何でだ?……かなりヤバいだろ」
一体どれだけの被害があるのかなんてのは知らない。それでも、輝にだって安否が心配な人はいる。できるのならば、一刻も早く確かめたい。
「さっきも言ったじゃない? いよいよお隣の国が牙を向いたのよ。さんざんニュースにもなってたけど」
そうだっただろうか、と疑問に思い輝は記憶を掘り起こそうとするが、そもそもニュースをあまり見ないから分かるはずがなかった。
「どうやら本当に知らないようね。その無知さには呆れるしかないわね」
自分の顔にはその様子がありありと浮かんでいたらしい。本当に呆れた調子で嘆息する瑞希に、輝は少しムッとして言い返した。
「じゃあ、何でお前はここにいたんだよ?」
「あたしがシーカーだからに決まっているでしょ。九割はこちらが制圧したけれど、まだ残りの一割は息を潜めているわ。今戦わないでいつ戦うのよ」
シーカー? また耳慣れない単語だ。自衛隊の部隊の名前か何かだろうか?
ひとまず、ほとんどこの戦闘が終わりかけている点に輝は安堵した。
「こっちこそあんたがあそこにいた理由を聞きたい。避難放送にも爆撃音にも気づかないなんて……はっきり言って異常よ」
「……正直、俺にだって良く分からない。バイトの帰りにエレベーターに乗ったところで記憶が途絶えているし。……ただ、気づいたらあそこにいたんだ」
「……怪しい。あんた本当にテロリストの一味じゃないでしょうね?」
瑞希は銃をこちらに向け、誘うように軽く上下に振る。
「違う。それを言うなら、お前だって俺と大して年変わらないのに、そんな物騒なモノを持ってるじゃねえか。怪しい」
銃がピタリと止まり、照準が輝の眉間に定まった。
「あんたと同じくらいの年だからってなめないでよ? これでも実戦経験は両手で数え切れるくらいにはあるわ」
「と言われても、一から十って地味に範囲広くないか……って、実戦!?」
「そうよ、実際の戦闘。……略し方、合ってるわよね? ま、別にいっか」
実戦を経験したと言う瑞希に、納得できる部分もあるかもしれないと輝は思った。彼女からは何か常人にはない、底冷えするような雰囲気を感じていたからだ。
「……!」
次に何を尋ねようかと考えていたところで、急に瑞希が足を止め、輝はその小さな背中にぶつかってしまった。
「急に止ま……っ!」
「馬鹿……! 大声を出すな!」
顔だけ振り返り小声で怒鳴る瑞希。そこで輝は、何やら良からぬ事態が発生しているのだとようやく気づいた。ゆっくりと柔らかい背中から身を離し、何やら手元に集中している瑞希を覗き込む。
「電波の妨害が酷い。でも確かにこのマンション内のどこかに誰かがいる……」
ぶつぶつと呟き、瑞希は携帯のような端末をポケットに入れた。
「誰かって……誰だよ?」
「さあ? 屋上で寝過ごしたわけではないことは確かね」
「ということは?」
瑞希は答えの代わりに銃を撃つようなフリをする。
「ええと、つまり、同じようにこちらの場所を掴み切れない……テロリストさん、とか?」
輝の言葉に瑞希は口の端を微かに上げた。
「寝過ごした割には優秀ね」
「ありがとよ。あと二回も寝過ごした言うな」
一度目はスルーしたのだから。しかも別に寝過ごしたわけじゃない、と輝は心の中でだけ反論する。
「とにかく、位置が判明しない現状ではこちらも迂闊に動けないから、暫くは様子を見るわ。少し黙っていなさい」
「……おい」
「何よ。黙りなさいって言ったでしょ」
「足音がする。数からして多分二人。場所はここから二つ下の階」
「え……」
「お前が誰かいるって言ったんだろ?……耳は良いんだ」
「耳が良いって……そんなレベルじゃない」
明らかに怒りを表した調子の声。全く、清々しいほど感情が素直に表れる人だと思う。
「気持ちは分からんでもないけど、嘘じゃない」
瑞希は輝の真意を探るようにジッと瞳を見つめてきた。こちらも目は逸らさない。
「信じる」
数秒の後、瑞希はそう言うと、輝に先ほどの端末を手渡した。
「これから二手に分かれるわ。あたしがその二人組と接触するから、あんたはここに残ってそいつらの居場所を逐一あたしに連絡して」
そう言うと、瑞希は髪をかき上げイヤホンを自分の耳に差し込んだ。
「待てよ。それなら俺も一緒に……」
「足手まといよ」
「っぐ!」
ストレート、かつ的確な言葉に輝は閉口せざるを得なかった。自分はヒーローじゃない。頭では理解していても、その事実を素直に受け入れることができるほど輝はまだ大人ではなかった。
「まあ、死ぬわけじゃないんだから気楽に構えていなさい」
言い残し、瑞希は猫のような身のこなしで階段を駆け下りていった。