アンサンブル
景悠学園には、学年共通の選択授業というものがある。
書道。美術。音楽。家庭科。茶道。選択肢はそれなりにある。学園生はこの中から一つ選び、クラス混合で授業を受ける決まりになっていた。
一番人気なのは、家庭科。次いで、物珍しさからか茶道。
そして、一番不人気なのは音楽だった。
この授業が不人気な理由は、参加した生徒は自作の曲を作ってそれを演奏しなければ、赤点扱いになってしまうためだ。
当然、そのような難しい講義を選択する生徒は、吹奏楽部に入っていたり、小さいころにピアノを習っていたりする人がほとんどで、他は……よっぽどの物好きだ。
そんなよっぽどの物好きが、この教室には割と多くいたりする。
椎名健、華秋和奏、凪流瑞希、そして久遠輝。人の目を引くような雰囲気の持ち主であり、孤高な存在。明らかに“浮いている”四人の姿がそこにはあった。
「今日から本格的に楽曲制作に入っていただきます」
異様な空気の漂う教室で、教師が前に立ち授業の説明をしていた。
「一人一曲でなくても構いません。もちろん、一人でも良いですが、誰かが曲の軸となる物を作り、何人かで各パートのアレンジして合奏することも認めます。一人でやるか何人かでやるかは基本的に自由です。とにかくこの授業では最終的にその演奏のできによって成績を評価しますので、それだけは覚えて取り組んでください。
ピアノは話し合いで時間を区切って使用するように。それでは作業を始めてください」
その言葉に生徒は三々五々に作業を始める。とはいっても作曲にそこまで自信がない人、一人で演奏して発表することが恥ずかしい人、というのが大半だ。多くの人が何人かで班を作り、合奏形態の曲を作ろうとしているようだった。
「さて、どうするよ?」
出遅れたけど、と輝は隣の和奏に話を振った。
「どうもこうも、あまりこういうのは得意ではありません。やれと言われれば、できないこともありませんが……凪流さんは?」
「あたしも作曲とかはできないわね……と言うか、こんなことをしなきゃいけないって知っていたら、間違いなくこの授業は選択してなかったわ。椎名は?」
瑞希が健に尋ねた。彼にしては珍しく、和奏や瑞希を特別無視することはないようで、その問いにも素直に答える。
「ん~、僕は楽器ならできるけど、曲を作るのはちょっとな~」
「なるほど。期限はいつまでだっけ?」
「一か月後が発表です。この授業は週に二回ですから、今日も含めてあと十回ですね」
「決して長くはないわね」
どうやら一人一曲とか言っている場合ではないかもしれない。このままでは全員落第だ。
「ま、あたしは適当になんとかするわ」
「私もそうさせていただきます」
「僕も~」
「…………」
輝は思わず頭を抱えた。この三人には協調性というものはないのだろうか。普通そこは「じゃあ、一緒にやらない?」「うん、良いよー」の流れだろう。
「……まあ良いか」
幸い、輝は作曲の経験がある。困ることはないだろう。
この三人がどうするのかも気になるが、無理に干渉するべきではない。輝はそういった距離の保ち方は心得ていた。
「ちょっと、そこどいてくれる?」
不意に席の後ろからハスキーな声が聞こえて、四人は振り返った。
そこにはウッドベースがあった。最近のウッドベースは人語を話す……わけではない。人の大きさ近くあるウッドベースの陰に隠れて、誰か運び手がいるのだろう。
四人は席を立ちあがり、机と椅子をどかした。
「悪いわね。手伝うわ」
瑞希がそう言い、ウッドベースに手をかける。
「……ありがとう」
横に回り込み、二人で運ぶ。
「ここで良いわよ」
指示された場所でウッドベースを下ろすと、反対側から女子生徒が現れ、礼を言った。
「凪流さんだっけ? もしかしてあの人達と一緒にやるの?」
「いえ、別にそういうわけでは」
移動させた机の上に座っている三人を見、瑞希は首を横に振った。
「そうなの? 自覚ないかもしれないけれど、あなた達ってこのクラスで浮いてるわよ」
正面切って言われるとは思わず、瑞希は肩を竦めるだけに留めた。
「椎名なんていつもボーっとしてるし、華秋さんは……何でもできそうだけど、妙に人を見下すような態度だし、久遠は何か暴力的だし……。
ねえ、凪流さん、良かったら私達の班に入らない? 私達、ジャズの曲をやろうと思っているんだけど、今三人しかいないからパートがどうしても足りなくて。……あなたなら入れてあげても良いかなって」
入れてあげる、ときたものだ。どっちが人を見下しているのだか、と瑞希は内心鼻で笑い飛ばしたくなる。
和奏とは数日前、健とはこの授業で、どちらも輝を通して知り合ったばかりなので強くは言い返せないが、こんな風に陰口を叩かれて黙っていられるほど瑞希は優しくはなかった。……というか、正直に言うと腹立たしかった。
「お誘いは嬉しいけれど、あたしやっぱりあの三人と一緒にやるから。ごめんなさいね」
「……え、でも、さっきは……」
「ええ、そうよ。だって、たった今決めたんだから」
「で、でもっ、あんな人達となんかより私達の方がっ……大体、彼らがロクな曲が作れるわけがないじゃないっ」
まさか断られるとは思っていなかったらしく、明らかな動揺を浮かべ女子生徒が食い下がってきた。
「曲の良し悪しなんて作ってみなければ分からないわ」
「ふざけないで、私達は吹奏楽部なのよっ?」
「だから何? 彼らよりも実績がある? それともどこかの大会で賞でも取った?……ああ、吹奏楽部の出るコンクールとかって出場者全員が銅賞を貰えるんだっけ?」
「あなた……っ!」
「言わせてもらえば……大きなお世話よ。他人の評価なんて馬鹿らしい。あたしは、あたしのやりたいようにやる。望まないお仲間ごっこに頭下げて入れてもらうなんてのは、こっちから願い下げ」
顔を赤くする女子生徒にそう言い捨て、瑞希は踵を返した。
「ぜ、絶対に後悔させてやる! そこまで言ったからには覚悟しなさいよ! 格の違いを見せてあげるわ!」
背後から何かが聞こえてくるが、その声はもう瑞希の意識に入ってなかった。
思考を巡らせながら瑞希は三人の下へ向かう。問題は、あの一癖も二癖もある連中をいかにして説得し、四人で曲を作るかということにあるのだから。
「良いんじゃないか? もともと俺も四人でやれれば、と思っていたし」
「私は別に構いません」
「僕もどっちでも大丈夫だよ」
瑞希の予想に反し、三人は合同での曲作りにあっさりと賛成をした。
「本当に、良いの?」
「良いっての。それよりパート決めるか」
「僕はドラム!」
輝の言葉に、健が真っ先に反応した。それに和奏が続く。
「私はピアノなら少しだけ」
「あたしは……」
と、そこで瑞希は言葉を詰まらせた。実を言うと、瑞希は楽器の類を演奏することは得意ではないのだ。小学校の頃に鍵盤ハーモニカやリコーダーを授業で多少齧った程度で、五線譜も読めなければリズム感があるわけでもない。
「特に希望がないのなら、ベースを頼んでも良いか?」
そんな瑞希の様子を察してか、輝が提案した。
「……弦楽器なんて触ったこともないわよ」
「それでも良いさ。一か月もあればそこそこは弾けるようになる。分からないことがあったら教えるし」
「それなら……分かったわ」
むしろこの場合はスタート地点がゼロの楽器の方が良い、と輝は考えたのかもしれない。瑞希は甘んじてその情けを受けることにした。
「で、輝。あんたは何をやるの?」
「編成的にギターかな。あと、曲作りは俺に任せてくれないか?」
「あんたが……できるの?」
「ああ、まあ一応。全員のパートの土台になる楽譜を次回までに作って来るよ。ダメそうだったら、また考え直せば良いし」
「……じゃあ、お願いするわ」
「和奏とシータケもそれで良いか?」
「異論はないです」
「うん。良いよ~」
和奏も健も賛成し、方向性があっさりと決まる。
あまりにも話が都合良く進み、瑞希は肩透かしを食らった気分になる。
しかし、やる気だけは削がれていなかった。――きっかけはどうあれ、一度やると決めたからには全力で。それが瑞希のモットーだった。
闘志は燃える。
静かに。しかし、強く。