やまない雨
輝が学園に通うことになって二日目の朝。今日は瑞希が何か用事があるようなので、一人での登校になった。
「眠ぃ」
今日の授業の予習をしようと思ったが、予習ができる前提条件すら理解できないまま足掻いた結果、眠りについたのは午前四時近くになってしまった。しかも内容はほとんど理解できなかったという結果。……流石に徹夜する気力はなかった。
中途半端な眠気と戦いながら通学路と歩いていると、長い襟足にツンツンの髪の学園生に出会った。昨日の本屋の店員、萩村深有だ。
向こうもこちらに気づいたようで、軽く会釈しながら近づいてきた。
「あれ、久遠先輩じゃないっすか。どもです。……って、どしたんすか? 随分と眠そうすけど」
「深有か。おはよう。いや、昨日買った本を読みふけってたせいで、寝不足なんだ」
「なるほど……確か買われたのは参考書でしたよね? 勉強っすか?」
「そんなところ」
欠伸を噛み殺しながら答える輝に、深有が感嘆の息を吐いた。
「は~、二年生ともなると大変なんすね。自分らはまだ入学して一か月なんで、ちょっと今後が心配になってきました」
「うん、まあ……基礎は大事だと思うぞ」
俺が言えた義理ではないが、と輝は心の中で付け足す。
「肝に命じとくっすよ。ところで先輩、ちょろっとお聞きしたいことがあるんすけど」
「ん? 何だ?」
「先輩って、椎名先輩とか華秋先輩とどうやって仲良くなったんすか?」
「ああ。一年でそんなことが噂になってるんだっけ」
輝は昨日聞いた話を思い返しながら、どことなく固い表情を浮かべる深有を見た。
「そっす。別に広めるつもりはないんすけど、やっぱ気になるんで、もしよろしければ教えて欲しいっす」
「……うーん」
話すこと自体は構わないが、鏡界と現界の出会いや親しくなる過程が異なる可能性もあるため、口にすることが憚られた。
「ダメっすかね……?」
横を歩く深有が輝を覗き込むように見ていた。
「……三百円分だけな」
「はい?」
「何でもない。良いよ、話す。って言ってもそんなに大した話じゃないんだけどな」
「ホントですか、ありがとうございます」
不安げな表情から一転して、弾けるように笑顔が浮かぶ。
「まず、出会いが早いのは椎名健……シータケだな」
飴を舐めながら幸せそうな顔をする健を思い出しながら言う。
「五年生の時だったかな、ヤツが俺の通っていた学校に転校してきた。シータケは誰の話も真面目に聞かないし、授業中も抜け出すようなヤツだった。……いや、今でもそうか。とにかくシータケは最初こそ気に留められていたが、そんなヤツだから次第に誰も声をかけなくなった。
まあ、俺は最初から話しかけようともしなかったが、ふとしたきっかけがあってアイツと話すようになったんだ」
「ほうほう、昔からそんな感じだったんすね。で、きっかけって何すか?」
「飴」
「はい?」
「だから、飴」
「あのお空から降り注ぐ天然のシャワー……」
「酸っぱい方の飴じゃなくて、甘い方の飴」
「酸性雨とかけたんすか……面白いっすね」
「なら笑えよ」
「……自分、不器用なんで」
「何で急に人と接するのが苦手な相撲取りっぽくなってるんだよ」
「で、きっかけが飴ってどういうことっすか?」
「急に話を戻すなよ。……まあ、飴って言うか、キュービィ○ップだったな。……あ、キュービィ○ップって分かるか?」
「ええと、小さい立方体の飴っすよね。小包装に二種類のフルーツ味の飴が入った」
「そうだ。あれは遠足の日だったな。当然のごとくあぶれたシータケは偶然俺らの班に入ることになったんだ。で、当日。どこに行ったかとかは忘れたが……昼食の時だった。シータケはキュービィ○ップをおやつに持ってきていた。それは良い。だがな、アイツは信じられない食べ方をしたんだ」
「……と言いますと?」
「一粒ずつ食べたんだよ。信じられるか?」
「はあ……はい?」
深有は頷きかけて、首を傾げた。
「だから、二粒入りのキュービィ○ップをいっぺんに口に入れず一粒ずつ舐めやがったんだ」
「それで……?」
深有はとりあえず頷いて先を促すことしかできない。
「ムカついたから喧嘩を吹っかけた」
「大人気なっ!」
「そら子どもだからな」
「ってか、小さいっすよ先輩、器が」
「あの頃はやんちゃだったんだよ」
「……それで、どうなったんすか? お前なかなかやるな。お前こそ。って感じすか?」
「いや、喧嘩が終わった後、俺はキュービィ○ップを二粒舐めることによって生まれるシンフォニーの素晴らしさをヤツに説明したんだ。初めは半信半疑だったシータケも試しに二粒舐めてみた。……ヤツはシンフォニーの虜になった」
「最早意味が分からないっす……」
「アイツは言った。僕は今まで一袋に同じ味が二粒入ったものを楽しみにしていた。でも、今知った。アレは邪道だと。あってはならない存在だと。
そして、俺らは友達……いや、同志になった」
「前後がまるで繋がらないっす、先輩。ってか同志て。キュービィ○ップから生まれる同志て……」
「シータケとはそれ以来の仲だ。シータケは飴好きだったから俺はたまにアイツに飴をやってたら、知らない内に何か懐かれてた」
「完全に餌付けしてますね、先輩。すげぇっす」
「たまにキュービィ○ップって二つくっついてるのあるよな。あんな感じで、俺らも仲良くなったんだよ」
「今日一番の意味不明な発言いただきました。……って言うか、まさか、華秋さんの場合もそんな感じなんすか?」
「んー、和奏は氷で俺が手って感じだな。乾いた手で触ったら剥がれなくなるんだけど、水で濡らせばあっさり剥がれる関係。
そもそも、和奏と出会ったのは……」
「どうかしましたか?」
「あ、いや。そっちは秘密にしとくわ」
「そんなご無体な……」
「ま、きっかけなんて大したものじゃなくてもさ、あの二人だって人間なんだ。そりゃあ、親しい相手がいてもおかしくないだろ」
「そうですかねえ。先輩が特別だからな気がしますけど……」
「人間関係に特別も何もねぇよ。そういうのは、遠慮せずに一歩踏み出せばいくらでも広がるもんだって」
「……それも、また才能ってね」
輝の耳にも微かに聞こえるくらい小さな声で、深有は呟いた。
「? 何か言ったか?」
「いえ、何でもないっす。ってか、先輩めちゃくちゃ耳良くないっすか?」
「……やっぱ何か言ったんじゃねぇか」
「おっと、失言でしたね。なに、先輩を素直にお褒めするのが恥ずかしかっただけっす」
「……良く分からないけど、ありがとう、と言っておけば良いのか?」
のらりくらりとやり過ごす深有に、輝は少しだけ首を捻りながら通学路を歩いた。
その後、輝が瑞希とも話す姿を深有に見られ、再びその出会いを問われるのはまた別の話だ。