もう少しこのままで
卒業の日のドラマチックな告白で始まった恋は、伝説みたいには続かなかった。
二年続いたが、結局、喧嘩ばかりで別れてしまった。まあ愛想を尽かされたのだと思っている。
高校を卒業してから、その街に帰るのは四年ぶりだったが、すぐにまた、今夜の電車で帰るつもりだった。
俺は駅前のバスロータリーのあたりをゆっくり歩いていた。地元の友人と会う予定がなくなって、時間を持て余してもいた。携帯が鳴った。
高校の同級生からだった。別れた彼女の友達でもある。名前は知っていた。
「今日、会えませんか」
用件は書いていなかった。
詩織のことかと思った。
それなら、そう書けばいい。
※
指定されたのは、駅から少し歩いたところにあるカフェだった。
白い窓枠に囲まれたガラス張りの店で、中には背の高い観葉植物が見えた。
窓際の席にいた。頬杖をついて外を眺めていて、まだこちらに気づいていない。
小柄で、ベレー帽をかぶっている。
「美樹原さん?」
表情がほどけて、小さく手を振った。
「変わらないね。すぐにわかった」
彼女は、小ぶりな焦茶のバッグをどけて斜め隣を空けた。
店員さんが水を運んできて、それぞれ飲み物の注文をとる。
「ムク、元気?」
可愛がっていた犬の名前をだす。
彼女と目が合った。
「ムクのことね。もう十二歳。寝てることが多くなったかな」
軽く頬杖をついた。
「わたしのこと、ムクだけ?」
彼女のベレー帽を指す。
「これ? 好きだから」
帽子の縁に指をかけた。
「いまさら、もう似合わないかな?」
白いベレー帽に、淡い色のジャケット。その下は膝の隠れる白いワンピースだ。
焦茶のロングブーツを履いていた。
「いや」
俺は言葉を探す。
「……昔を思い出しただけ」
彼女は頷いた。
「ああ、高校生のころから、わたしはこんな感じの帽子が好きだったし、あなたは…」
高校生のころから。
俺は低い声になった。
「あいつとは連絡はないよ」
「そう」
「今も会うの?」
彼女は、少し考えた。
「今日話せるのは、わたしのことだけかも」
俺は、高校時代の美樹原の印象を思い出そうとしていた。
急な雨が降ったとき、一本の傘で一緒に帰ったことがあったような。
彼女が傘の下で何を話したかは、今はひとつも思い出せない。
彼女はゆずシトラスティーのストローを回す。
「彼氏もいたけど」
一瞬、意外だと思ったのが顔に出たらしい。
「卒業してから」
彼女は苦笑した。
「別れちゃった。うまくいかなくて」
ストローに口をつける。
「面倒くさい女なんだ、多分わたし」
口を挟もうとしたが、彼女は話したいようだった。
「自分から会いたいとか、あんまり言えないくせにね」
ストローの袋を指先で折りながら言った。
「会いに来てくれないと、すごく嫌になるとかね」
俺は頷いて言った。
「学校帰りに好きな子を待ち伏せるとか」
「べべつにそんなことはしてないけどわたし」
目を泳がせた。
日は傾き始めていた。俺たちはカフェを出た。
「お土産、この先にいろいろ売ってるところあるよ」
指さす先にカラフルなお城のような建物があった。観光客にも人気のテーマパーク型ショッピングセンターだった。
一階で菓子やなんかを見た。
「三階まであるよ」
彼女はエレベーターに乗り込み、ボタンを押した。
三階に上がると、カフェコーナーの一角を指で示した。足湯がある。
「これ知ってたの?」
「うん? 入っていかない?」
彼女はベンチに座った。
ロングブーツのファスナーを下ろして脱ぐ。
靴下も脱ぎ、くるくると丸めてブーツに入れる。
焦茶の革バッグをベンチの端に置いた。
その横にブーツを揃えた。
白い足が床につかないように、彼女はつま先を少し浮かせた。
それから白いワンピースの裾を、膝の上までたくし上げる。
「……入らないの?」
「あ、入る」
自分のつま先ばかりを見つめながら、俺は足先を湯に浸した。
話さない。
身体を起こす。小さな竹垣の向こうに、夕闇へ溶けていく街並みが見えた。
湯の中で白い足先が近くにある。
どうかすると触れそうなほど。
彼女はときどき足先を動かす。水面が揺れる。その揺れがこちらまで来る。
「わたしと二人でいるの、変な感じする?」
「……なんで?」
「だって、昔はなかったから」
俺も足先を湯の中で揺らした。
「美樹原は?」
「思ってたより、しないかな」
「こういうの、あいつに言う?」
彼女が一瞬、びくっとしたように見えた。
表情は穏やかなままだった。
「どうして?」
彼女はしばらく揺れる水面を見ていた。
「詩織とわたしって、中学生のときからずっと仲が良かった」
俺に目だけを向けた。
「でもね、あなたのいいところ、詩織にはじめに教えたの、わたしなんだから」
「……どういう意味?」
彼女は足を少し湯の中で動かした。
「そのままの意味だよ」
湯の中で、足を組み替えた。
水面が揺れて、俺の足首まで届いた。
携帯はカバンのポケットにあったが、それももう別によかった。
電車は、一本遅らせてもいい時間だった。




