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短編

愛底

作者: 月蜜慈雨
掲載日:2026/03/26

 




 ハンバーガー屋にいた。

 広い飲食スペースの端のほうに、君はいた。

 長めの髪を億劫そうにかき上げて、頬杖をついて、夜景を眺めていた。



「おまたせ」


「ありがとう」



 彼女の口調はとても特徴的で、ポツリ、ポツリと言葉が零れるかのように話す。

 綺麗な桜色のネイルがされた手に、彼女の珈琲を手渡す。

 少しの沈黙を挟んで、君は「それで」と言った。



「別れたいって、なんで?」


「それは…」



 君は僕を見ていた。大きな瞳で、責めるでもなく、不思議そうにするわけでもなく、ただ見ていた。

 正直、僕たちは上手くいっていたと思う。

 お互い、流れるようにして付き合った感は否めないけど、僕たちなりに思い出を積み重ねてきたつもりだ。



「こんなこと、言いたくないんだけど…」


「うん」



 心臓がズキズキと痛い。



「癌が見つかったんだ。もう余命も幾許もないって」



 膵臓癌だった。あちこちに転移して、もうどうにもならない。

 あとは対処療法で、付き合っていくしかない。

 こんな驚天動地な現実が襲いかかってきて、本当に人生は理不尽だ。

 最初に医者に聞かされて思ったのは、そんなどこか諦めにも似た傍観者じみた感想だった。



「そう…」



 彼女はそこで初めて目を伏せた。



「出ようか」



 店内を出ると、深く柔らかい夜風が身体を吹き抜けた。

 このまま巨大な不安をまるごと連れ去ってくれればいいのに。

 君と連れ添い歩く。

 この時間もやがて無くなると思うと、自然と歩く速度がゆっくりになった。

 二人が別れる駅のホームまで、もう手を繋いで歩くこともない。



「ねえねえ」



 君がまた、ポツリと言葉を零す。



「なに」


「やっぱり別れる必要、ないと思う」


「えっ」



 風がざわめきを増した。

 君は夜を見渡して言った。



「今夜は夜桜が綺麗だから」



 なんだそれ、と思いながらも、川辺の桜を見る。どこまでも散っていく桜が、綺麗だった。

 去年も見た。一昨年も見た。この桜を。

 来年も見られるだろうか。

 見られたらいい。

 君と見たい。

 君と見たいよ。

 君は僕の腕を抱きしめた。

 僕の目には、桜色の水模様しか見えない。

 溺れているのかもしれない。

 こんなに綺麗なら、溺れるのも悪くない。



「夜の底みたいだ」


「きっと寄り添えるから、だから」


「うん」



 僕たちはしばらく佇んだ。







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