愛底
ハンバーガー屋にいた。
広い飲食スペースの端のほうに、君はいた。
長めの髪を億劫そうにかき上げて、頬杖をついて、夜景を眺めていた。
「おまたせ」
「ありがとう」
彼女の口調はとても特徴的で、ポツリ、ポツリと言葉が零れるかのように話す。
綺麗な桜色のネイルがされた手に、彼女の珈琲を手渡す。
少しの沈黙を挟んで、君は「それで」と言った。
「別れたいって、なんで?」
「それは…」
君は僕を見ていた。大きな瞳で、責めるでもなく、不思議そうにするわけでもなく、ただ見ていた。
正直、僕たちは上手くいっていたと思う。
お互い、流れるようにして付き合った感は否めないけど、僕たちなりに思い出を積み重ねてきたつもりだ。
「こんなこと、言いたくないんだけど…」
「うん」
心臓がズキズキと痛い。
「癌が見つかったんだ。もう余命も幾許もないって」
膵臓癌だった。あちこちに転移して、もうどうにもならない。
あとは対処療法で、付き合っていくしかない。
こんな驚天動地な現実が襲いかかってきて、本当に人生は理不尽だ。
最初に医者に聞かされて思ったのは、そんなどこか諦めにも似た傍観者じみた感想だった。
「そう…」
彼女はそこで初めて目を伏せた。
「出ようか」
店内を出ると、深く柔らかい夜風が身体を吹き抜けた。
このまま巨大な不安をまるごと連れ去ってくれればいいのに。
君と連れ添い歩く。
この時間もやがて無くなると思うと、自然と歩く速度がゆっくりになった。
二人が別れる駅のホームまで、もう手を繋いで歩くこともない。
「ねえねえ」
君がまた、ポツリと言葉を零す。
「なに」
「やっぱり別れる必要、ないと思う」
「えっ」
風がざわめきを増した。
君は夜を見渡して言った。
「今夜は夜桜が綺麗だから」
なんだそれ、と思いながらも、川辺の桜を見る。どこまでも散っていく桜が、綺麗だった。
去年も見た。一昨年も見た。この桜を。
来年も見られるだろうか。
見られたらいい。
君と見たい。
君と見たいよ。
君は僕の腕を抱きしめた。
僕の目には、桜色の水模様しか見えない。
溺れているのかもしれない。
こんなに綺麗なら、溺れるのも悪くない。
「夜の底みたいだ」
「きっと寄り添えるから、だから」
「うん」
僕たちはしばらく佇んだ。




