駐輪牧場
序文
二〇XX年三月三十日。一人のジャーナリストが、都内の病院へと収容された。名前はアタゴ。三年前、古巣の堂森出版社を退社。以降、主に環境問題をテーマにしたルポルタージュで数冊の本を出版。出版関係者並びに読者からもそれなりの評価を得ていた。
簡潔に述べると、アタゴの精神は深刻なダメージを負っていた。最善の治療を施しても社会復帰はまず不可能だろう、と彼の担当医は述べた。
アタゴの異変に最初に気づいたのは、彼の住宅であるアパートに住む、仲の良いコウダ(仮名)という男性だった。三月二十八日、コウダは日課である早朝ランニングを終えて帰宅する途中、駅前の駐輪場の傍で、明らかに挙動不審な人物を目撃した。その人物こそアタゴだった。
コウダは不思議に思った。何故ならアタゴは三月二十五日から地方へ取材に出かけており、帰宅予定日は四月二日になる、と他ならぬアタゴから直接聞いていたからだ。アタゴはしきりに、駐輪禁止のスペースに停められている自転車を触ったり、木の棒でつついたり、時には「おいっ!」などと自転車に向かって叫んだりしていた。コウダは声をかけようと思ったが、大方取材に失敗でもしてヤケ酒でもしたんだろうと推測し、その場は近くの交番の警官に報告し、家路についた。しばらく経てば、アタゴも酔いが醒めて、二日酔いでガンガン痛む頭を押さえながら、ふらふらと帰ってくるだろう、と楽観視して。
しかしその日もその翌日も、アタゴは帰ってこなかった。コウダは心配になって、再び駅前の交番へと足を運んだ。警官の話では、アタゴは連れてこられた交番の中で、しきりに違反駐輪している自転車についてまくしたてたらしい。曰く、なんで早く撤去しないんだ。一刻も早く撤去してスクラップにして廃棄すべきだ。
駅前の違法駐輪及び放置自転車の問題については、自治体の方でも頭を悩ませていることなので、警官は、彼はそういった団体の人に違いないと判断し、酔いが醒めるのを待って、注意だけして帰らせようとした。
だがその時、アタゴは交番の窓に一目散に駆け寄ると、「増えてる。あぁ増えてる。ここでも増えてるぅ!」と絶叫し、呆気にとられていた警官にいきなり掴みかかった。そしてあろうことか、警官の警棒を奪い取ろうとしたため、その警官はアタゴを取り押さえた。
「壊さなきゃ早く壊さなきゃ自転車を壊さなきゃ」と、口から沫を飛ばしわめき続けるアタゴは、どうひいき目に見ても、異常者にしか見えなかった。
少なくともアタゴの精神状態は、三月二十五日に地方に取材に行くまでは正常だった。彼が赴いた地方の名は穿羽市といって、海に臨む地方都市である。私は彼の仕事仲間、そして一人の友人として、彼が所持していた手記を携え、一体何が彼を崩壊させてしまったのか、その原因を探るべく、穿羽市へと赴くことを決意した。
これは私が穿羽市にて体験したことを基に執筆した一種のレポートであり、内容に脚色や誇張表現、そしてもちろんのこと、事実のねつ造は一切行っていないことを、あらかじめここに宣言しておこう。でなければ読者諸賢は読後、こう思われるに違いないからだ。
こんなこと現実に起こり得るわけない、と。
1
某路線を特急で揺られること二時間弱、私は穿羽市の中央に位置する穿羽駅へと到着した。途中、車窓から眺める広大な海は、陽の光を水面に反射させ、さながら銀紙の紙吹雪が舞い踊っているかのようだった。だがそんな感動は、乗車してから十分足らずでどうでもよくなってしまった。穿羽駅に至る路線は、リアス式海岸に沿って走っているため、カーブがやたら多い。おかげで百回近く身体を左右に揺らされ、穿羽駅に到着した頃には、私はひどい乗り物酔いで半死半生状態だった。そのため駅に隣接しているビジネスホテルをチェックイン後、三時間弱ベッドの上でのたうち回る羽目になってしまった。
アタゴの穿羽市に関する手記はこんな文章から始まっている。
二〇XX年三月二十五日
穿羽駅に到着。気温はやや肌寒いと感じる程度。早速ホテルのチェックインし、穿羽駅の駅長に取材。穿羽市にとって、環境問題というものは根が深い。古くは工場の排水による水質汚染、マイカーブームでの自動車の排気ガスによる大気汚染、最近だとアスベスト等々といった感じだ。そして近年、最も問題となっているのが、駅周辺における違法駐輪並びに放置自転車である。
彼は乗り物酔いに強いタイプのようだ。うらやましい限りである。
私は胃の騒乱がようやく沈静化した頃、窓越しに穿羽駅周辺を見渡してみた。既に夜になっていたのではっきりとは見えなかったが、設置されている外灯にぼんやりと照らされて、正規の駐輪場とは大分離れたところに、大量の自転車が置かれているのが目に留まった。その数たるやおぞましささえ感じるほどで、廃棄物処理場の敷地といっても通じるくらいの量である。
なるほど環境問題専門のジャーナリストとして、アタゴの触角が感じ取ったのも当然だ。しかし勿論のことながら、精神を病むほどのものではない。例えば元々は海上ゴミ廃棄所――いわゆる夢の島――だった埋立地から、地下のゴミが化学反応を起こして有毒ガスが吹き出し大気を汚染した、というようなものなら、ガスによって神経が侵されたという可能性は、著しく低いにしろ、ないわけではない。
取材している最中に、なんらかの出来事がアタゴの身に降りかかり、その結果ああなってしまったというのが最善の推測だろう。
明日手記にある取材を受けた駅長に話を聞いてみようと心に決め、私は早めに床についた。灯りを消した部屋の外から、恐らく地元の不良グループかなんかであろう、自転車のベルが断続的に何回もジリジリジリジリ聞こえてくるのが非常に不快だった。
2
翌朝早朝、私は穿羽駅構内へと足を運び、駅長室の扉をノックした。
アポは一週間前にとっておいた。というのもアタゴの手記に、「あらかじめアポを取っておいて正解だった」という記述があったからだ。私が駅長室の扉をノックすると、背の低い駅長が出迎えてくれた。出迎えたとはいっても、どこかよそよそしく警戒している様子だったが。
「ちゃんと事前にアポを取ったんで、一応は信用していましたよ」
「“一応”とは?」
「“撮り鉄”ってのがいるでしょう」
私は頷いた。鉄道の写真を取る鉄道マニアのことだ。
「以前にどこそこの鉄道雑誌の記者だって身分を偽って、駅員の部屋に入り込んだ奴がいましてね。幸い写真を撮っただけでしたけど、このご時世でしょ。もしあいつがテロリストの一員だったらって思うと、背筋が寒くなりましてね。それ以来、自分の身分をしっかりと明かしてアポを取った人じゃなきゃ、取材は受け付けないことにしてるんです」
取材を申し込んだ際、身分証明書のコピーのファックスまで要求された時は、いささか大げさではないかと思ったものだが、今になって思えばもっともな話だ。
「駅前の自転車については、駅員全員が頭を悩ませてる問題ですから、それを記事にして頂けるのは願ってもないことですよ」
下手に希望を持たせてもいけないので、アタゴの現状と、彼の取材が記事になることはない旨を、私は駅長に伝えた。
にこやかだった顔面に、見る見るうちに影が差した。
「そうですか、で、あなたはアタゴさんの病気の原因を探りにここへ来たと」
「はい」
「そうですか。へぇ、そうですか」
明らかにやる気を失ってしまっている。このままだと上手いこと理由を付けて帰されるのがオチだ。その前に、必要な情報を聞き出さなければならない。
「アタゴの手記には、あなたのことが書かれていました。勤勉で人当たりのいい良い駅長さんだって」
「はぁ」
「アタゴは母子家庭でしたんで、どこか父親の威厳みたいなものを、駅長さんの中に見たんでしょうね」
「ほうほう」
駅長の口元がほんのわずかに緩んだ。
「なので、街の美観のためだけでなく、この穿羽駅の駅長と駅員さんたちのためにも、一日も早く自転車問題を解決したい、と手記の最後につづられていました」
「なるほどなるほど」
もちろん、そんな記述はない。
「それで、アタゴさんの何を聞きたいんですか」
駅長の機嫌を取り戻しアタゴの動向について聞いたが、残念ながら有力な情報は得られなかった。少なくとも彼の様子は健康そのものだったし、挙動や口調あらゆる点を鑑みても、完璧な健康に見えた、と駅長は語った。
私は一礼して駅長室を出た。入った時と打って変わって、満面の笑みでぶんぶん腕を振って挨拶をしてくれた駅長が、なんだか微笑ましかった。
四十メートルはあろうかという長い階段に設置されたエスカレーターを降りると、ロータリーが現れ、それに沿って西へ百メートルほど移動すると、早速違反駐輪している自転車が目に留まった。
種類は様々。ママチャリからマウンテンバイク、三輪車まである。警察が警告のシールをハンドル部分にべたべたくっ付けているが、ほとんど意味をなしていない。大量の自転車の奥に設置されているフェンス上部の、“ここに自転車を置かないでください”という看板が虚しく叫んでいる。完璧に無視され風雨で錆びついたその様は、あわれとしか言いようがない。
歩みを進めると、さらに自転車の数が増した。放置自転車らしく、ざっと見て五分の三は既に使い物にならないものだ。塗装が剥げたもの、ハンドルが取れたもの、ブレーキが壊れたもの、タイヤがパンクしたもの、スポークが数本無くなっているもの、サドルのゴムが腐って剥がれ落ちているもの、云々。自転車の死体安置所と比喩しても、決して大げさではない光景だった。
アタゴの手記によると――
二〇XX年三月二十六日
駅長から話を聞く。自転車の問題は、私の想像をはるかに超える規模のよう。早速現場を視察することに。駅前。ロータリーの周囲にそって、おびただしい数の自転車あり。地方といっても大きい街なので客が多いのは確かだが、明らかに駐輪場から離れているし、数も段違いに多い。駐輪場のキャパシティと自転車を使用している人口が釣り合ってないのが、この問題の一員であると予想する。
散策途中、業者の話を聞く。業者から、奇妙な自転車の話を聞く。
記されている通りの光景だ。それより気になるのは、“奇妙な自転車”という記述だ。奇妙――一見するとこの自転車の群れが奇妙そのものなのだが、どうやらそうではないらしい。“業者”とあるが、恐らく自治体に雇われている自転車を撤去する業者のことだろう。こういった業者は早朝に作業するのが常なので、来るまで近くのベンチに座り、待つことにした。
待つこと三十分。一台のトラックがやって来た。その荷台には自転車。間違いない。早速駆け寄り、自転車を荷台に積もうとしている男性に声をかけた。
「あんだよっ」
と、どすのかかった声で怒鳴られたので焦ってしまったが、こっちの身分を明かすとすんなり話を聞いてくれた。ちなみにアタゴの手記の行間に、声をかけた業者がものすごく態度が悪くて腹が立ったという旨のメモがあったところを見ると、どうやらアタゴが取材をした業者とは別人のようだ。
私がアタゴについて訊くと、
「変な人だと思ったね。だってよ、いきなりチャリンコ見しちくれって来たんだぜ? こう言っちゃなんだが、小汚い恰好でよ。よくいるんだホームレスで厄介なのが。無断で持ってってからよ置いてるチャリンコ。多分どっかで売っ払って金にでもすんだろね」
なるほど。自転車による問題はこういった方面にも広がっているらしい。アタゴの手記には記載されてはいない。件の業者から聞き出せなかったのだろう。
続いて訊いた。
「最近、あなたのような業者の間で、自転車についての奇妙な噂など耳にしたことはありませんか」
「噂? 噂ねぇ」
業者は十秒ほど考え込んだ後、「そうだ」と顔をあげた。
「確か隣町の奴に聞いたかな。なんつったか、混ざった自転車だったか」
「混ざった自転車?」
「詳しいことは俺も分かんねぇんだけどよ、うん、確か混ざった自転車だったわ。そいつを見たって」
どこの業界にも俗にいう都市伝説のようなものはあるものだ。死体を洗うバイトだの、ミミズが入ったハンバーガだの、確固たる証拠は何もないがネームバリューだけはやけに強いのが共通の特徴だ。
そして、この混ざった自転車だが、何がどう混ざっているのだろうか。残念なことにそれ以上の詳しい情報は聞き出すことができなかった。しかし、隣町で同じく自転車の撤去作業を行っているという業者の住所を聞き出すことはできた。去ってゆく業者のトラックに一礼し、私は穿羽駅へと小走りで戻った。駅員から、近くで借りれるレンタカーの店がないか訊くためだ。
アタゴの手記の続き
穿羽駅前の写真、自転車を中心に約五十枚撮影。その後、近隣住民から簡易的な取材を行う。意見はおおよそ予想通り。迷惑だ、危険だ、行政は何をしている、云々。
夜ホテルにて、自転車のベルの音を聞く。かなり多い。予想するに地元の不良グループであろう。
明日の予定。午前は隣町の業者に奇妙な自転車についての取材。午後は戻り、市役所へ取材。夜、駅前に張り込み、自転車放置の瞬間撮影予定。
徒歩で五分のレンタカー営業所に赴き、軽を一台レンタルした。
隣町の滑皮町には、車で三十分ほどで到着する距離なのだが、営業所の店員の話によると、滑皮町へ通じる道路はかなり渋滞しているらしく、結構な時間のロスを覚悟しなければならないとのことだった。不安に駆られつつも車を走らせた。
不安は見事に的中し、かなりの渋滞に巻き込まれてしまった。苛立ちの強さと比例するかのように、時間が早く過ぎてゆく。とんとんと人差し指でハンドルを叩きつつ周囲に目をやると、歩道沿いに停められている自転車が見えた。一台や二台ではない。使用されている感じもない。どう見ても放置自転車である。さすがに駅前ほどではないが、それでも明らかに歩行者の迷惑になる量だ。
私はただただ純粋に疑問を感じた。一体どうやったらこんなにも自転車を放置することができるのか。手持ちの自転車を市民総出で集めたとして、やっとどっこいどっこいになる、それほどの数である。もしかすると、穿羽市の人口より自転車の数の方が多いのではないだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎった。しかし、渋滞とあちこちから鳴り響くクラクションのせいで、思考はすぐさま苛立ちに塗りつぶされてしまった。
一時間以上かかってやっと、滑皮町の中心街へ入ることができた。穿羽市と景観は非常に似ているが、一つだけ明らかに点は言わずもがな、自転車の数である。駅前、商店街、歩道、どれを見ても、駐輪場以外で自転車を見ることはほとんどない。こうやって比較すると、穿羽市がいかに異常かが判る。
教えられた住所は『滑皮集積所』というところで、主に滑皮市内の放置自転車を始め、放置された車やバイクを保管する市営施設だった。“主に”とは隣の穿羽市まで出向いて放置自転車を撤去しているからである。市内の集積所だけでは間に合わない、と数か月前に穿羽市から依頼を受けたらしい。施設の責任者曰く、「ただでさえ財政が圧迫されてるというのに、まったくいい迷惑ですよ」とのことだ。
敷地内を歩くとほどなくして、山積みになった大量の自転車が現れた。どれもこれも錆と泥にまみれ、痛々しい様相だ。かつては人を乗せて悠々と走っていただろうにと思うと、余計にこれらを捨てた人々への怒りがこみ上げてきた。
さて問題の奇妙な自転車だが、一目見た限りでは全く判らない。というより、正常な自転車と奇妙な自転車の違いが判らない。もしかしたら奥の方にあるのかもしれないが、さすがにショベルカーを使って山を切り崩すわけにはいかない。どうしたものかと山の周囲を歩きつつ考えていると、唐突にあっけなく、いきなりそれが見つかった。
奇妙。まさにその言葉の通りだった。
ハンドルはギア式で、左右のブレーキの太さは違い、サドルの模様は花柄。ペダルと車輪はマウンテンバイクもので、ボディはママチャリ。チェーンではなくブレーキロープがクランクセットに巻かれており、スタンドは両足と片足の両方が設置されている。さらに言うなら、前後の車輪の大きさが違い、何故かベルがサドルの真下にくっ付いている。
その自転車は確かに、“混ざっている”自転車だった。
二三箇所の改造やチューンナップなら解るが、これはそんな次元の代物ではない。誰かが悪ふざけで作ったか、そうでなければどこぞの悪趣味な芸術家がこしらえた前衛芸術であろう。ただ、妙な印象を持った。人工物という感じがしないのである。パーツごとに注目すれば種類はばらばらだし、統一感は皆無だ。だが全体を見ると、何故か調和して見えてしまう。
集積所の責任者を呼びつけ、このような自転車を見たことがあるか、と尋ねたところ、
「私は三回目です。見た目がこうなんで気持ちのいいもんじゃないですが、実害があるわけではないですし、あまり気にはしませんがね」
私は続けて尋ねた。
「ここ以外の集積所でも、こんな自転車が見つかったという話は聞いてないですか?」
「何度か耳に入ったことはありますよ。でも、どれも飲みの席での話なんで、本当かどうかは保証できませんがね。先月の中旬ごろだったかな、隣の穿羽の集積所で、業者がこんなへんてこな自転車を見たり、実際に駅前から運んだっていう噂話が立ち始めたのは」
「ということは逆に言うと、それ以前にこんな自転車を見たことはなかったと?」
「えぇ。私の場合はですけどね」
責任者と話している内、喉の奥に違和感を覚え始めたので、私は会話を切り上げ集積所の外へ出た。責任者も「やっぱりあなたも変になりますか喉が」と言っていた。
喉の奥――正確には咽頭部全体――に若干の痛痒が生じ始めていた。集積所を振り返った。どうやら山積みになった廃棄物から、何らかの科学物質が発生しているらしい。これは下手すると、大気汚染を始め、水質、土壌汚染に繋がる可能性がある。
私はレンタカーに戻ると、穿羽市へと戻るため、車を走らせた。
穿羽市に向かう間、私はある疑問を抱いていた。アタゴの手記についてだ。滑皮市に取材に赴くと記述があるのは二十六日の分だが、その翌日の二十七日の記述がないのである。彼は環境問題のジャーナリスト。そんな彼が、先の集積所で取材をした際、発生していると思われる科学物質についての記述を一切行っていないというのは、どうも腑に落ちない。
いずれにせよ、再び穿羽市に戻らなければならない。だがまたしても渋滞に巻き込まれ、はやる気持ちが焦りとなり、私の心から平穏を容赦なく奪っていった。
3
二〇XX年三月二十八日
昨日考えた上で、私はこう結論付けた。
雷。
それが全ての始まりだ。
この日のアタゴの手記には、この三行以外の言葉は書かれていない。いや、一応書かれてはいる。得体の知れない奇妙な絵らしきもの――ぐちゃぐちゃの丸と線――が。さらにその周りに文字が書かれているのだが、相当な筆圧で書いたらしく、紙が破けて皺だらけになっているせいで、判読不能になっている。
私は滑皮市から戻るとすぐに、穿羽市役所へと足を運んだ。市役所は昭和初期を思わせるモダンな造りになっていて、建物内も赤レンガを敷き詰めた床や、木製の窓枠やガラス戸等々、良い意味で古臭い。
私は、全てLEDになっている照明に違和感を感じつつ、三階の生活環境課へと足を運んだ。昨今の自転車に関する問題に関連し、環境への汚染等の報告がないか調べるためだ。
数人の役員から話を聞いた結果、自転車撤去を委託している業者を中心に、喉の違和感や炎症といった症状の訴えが出ていることが判明した。しかしそれ以上に深刻な症状は出ておらず、喉の違和感も全員数日で回復しているので、特に問題ではない、とのことだった。
即ち、廃棄所から刺激性の科学物質が発生している可能性は限りなく高いが、深刻な汚染物質ではないので、大丈夫じゃないかと楽観視している、というわけだ。正直どうかと思ったが、実際私の喉もほとんど治ってきていたので、異議を申し立てることはしなかった。
私が課室を出ようとした時、ふと壁のホワイトボードが目に入った。『4月予定』とあり、日々の行事や会議の予定等が書かれていた。その右端――丁度二十日の欄の真横――に、半分消されているが、明らかに“雷”という文字が赤ペンで書かれていた。
私は近くにいた役人に尋ねた。
「すいません、あの雷っていうのは何ですか」
「あぁ、落雷の雷ですよ。先月の二十日にかなり大きな落雷がありましてね。市の真ん中に落ちたもんですから、停電とかボヤ騒ぎが起きたんです」
落雷。アタゴの手記にも雷の記述があった。私は続けて尋ねた。
「どこに落ちたか分かりますか」
「えぇ。第三駐輪場です、穿羽駅のすぐ近くの――」
私は役員に礼も言わず、課室を飛び出した。エレベーターを待つのももどかしく、二段飛ばしで階段を駆け下りると、一目散にレンタカーへと駆け戻った。途中何人かの市民にぶつかってしまったが、それどころではなかった。私の直観が、早く早くと肉体を突き動かしていた。一秒でも早く、落雷のあった場所へ向かえと。
第三駐輪場、いや“元”第三駐輪場に到着するころには、既に夕方になっていた。薄雲が空にかかっていて夕焼けがないせいか、辺りはかなり薄暗い。道端の電灯は既に灯りをともしていた。背後の穿羽駅構内からは、列車の到着を知らせるアナウンスが漏れている。
かつて第三駐輪場だった敷地には、黒く焦げたコンクリートの地面以外何も残っていなかった。赤いカラーコーンと黄色と黒のコーンバーに囲まれており、中には入ることはできない。目を凝らすと、敷き詰められたコンクリートの間から、雑草がたくましくも芽を覗かせていた。
雷が全ての始まり――と、アタゴは手記に記していた。“始まり”とは何の始まりを指すのか。自転車問題のことか、いや、この問題が表面化したのは五年前のことだ。だとすれば一体何が始まったというのか。
ビュオっと突風が吹き、風音が耳元で鳴った。春一番だろうか。途端に肌寒さを覚えた。たった一人で暗がりの火災現場跡に佇んでいるという自分の境遇が、妙に情けなく感じた。これ以上ここにいたとしても、得られるものは何もない。手記の内容からして、アタゴの身に何かが起こったのは二十七日なのは間違いないが、それがいったい何なのか、手がかりはここで途切れてしまった。
私はズボンのポケットに両手を突っ込んで、そのままホテルへ帰り始めた。
ちりんちりん。
その時私の耳に甲高い音が飛び込んできた。立ち止まって耳を澄ます。すると再び聞こえた。
ちりんちりん。
紛れもなく自転車のベルの音だった。自転車が来たのかと後ろを振り返ったが誰もいない。駅構内のアナウンス、そして列車が入ってくる音に混じって、なおもその音は聞こえてくる。ちょっとしたことなのだが、どうも気になって仕方がない。というのもその音は、確かに自転車のベルの音なのだが、どこか湿っぽく、濁った響きを持っていたからだ。
音の出どころを探りながら歩いていると、周囲を倉庫らしき建物に囲まれている袋小路に行きついた。辺りには当然外灯はなく、唯一の光源は駅構内から漏れ出している灯りだけだ。
ぢりぢりぢり……。
やがて音は頻度を増し、ほとんど間断なく鳴るようになった。まるで小学生が悪戯で鳴らしているようだ。しかもよく聞くと二つの音が重なっており、粘るような音も混じっているのが判った。問題の音は、私の左手、倉庫とブロック塀のわずかな隙間の中から聞こえている。私はそうっとその間を覗き込んだ。
見えたのは、二台の自転車だった。そして私は絶句した。私が見たのが普通の自転車だったらどんなに良かったことか。勝手にベルを鳴らしているだけのオバケ自転車の方が、遥かに可愛げがあった。
二台の自転車は、前後のタイヤを絡ませ合い、ボディをこすり合い、ブレーキを軋ませ合いながら、不気味に蠢いていた。チェーンが伸びハンドルにかかり、擦り合わせられている二つのクランクセットの間から、オイルがぴちゃぴちゃと滴り落ち、ブレーキロープはドクンドクン脈打ち、複雑に絡み合っている。
その二台の自転車は、生殖行為を行っていた。私は直感的にそう理解した。
自転車という無機物に、生殖という言葉はあまりにもふさわしくない。だが、私の目の前で繰り広げられていた光景は、生殖としか言いようのないものだった。
ぢりぢりぢり、とけたたましくベルが鳴っている。その音は嬌声だと感じた瞬間、私は猛烈な吐き気を感じ、たまらずその場で嘔吐した。
ぢり……。
瞬間、それまで鳴り続けていたベルの音が止んだ。涙でかすむ視界を前に向けると、二台の自転車がこっちを向いていた(ハンドル部分を頭とすればの話だが)。少しの間の後、突然片方の自転車が、ぎぃーっとブレーキを盛大に軋ませライトの光を私に浴びせた。
暗がりでの突然の光にたまらず目がくらんだ。そして、私の左肩に衝撃と激痛が走った。
悲鳴を上げ私は倒れた。いまだに光の残像が残る目で懸命に自分の肩を見ると、服ごと肉がぱっくり裂けていた。血が一気にあふれ左腕を濡らす。前方からはひゅんひゅんと、ブレーキロープを鞭のように跳ねさせつつ、自転車が接近してきている。
私は即座に起き上がると脱兎のごとく逃げ出した。すぐさま後ろでパァンという音が聞こえた。ブレーキロープが地面に打ち下ろされた音だろう。
ほとんど混乱状態の頭のまま、私は闇雲に路地という路地を曲がり、道という道を突っ切り、首を斬られた鶏のように、体力が底をつくまで走り続けた。
気がつくと、私は完全に迷ってしまっていた。見知らぬ路地の片隅で、激しい呼吸と脈拍のまま、がくがく震える両膝を抱え座り込んだ。周囲から音は全く聞こえない。耳鳴りと、体内で響く脈の音のせいだ。
暗闇の中でさらにきつく目を閉じる。だが、あの光景はしっかりと目に焼き付いてしまった。忘れようとすればするほど、そのイメージは克明になってゆく。
「これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ、これは夢だ……」
何十、何百回と繰り返しつぶやいた。この“現実”が悪夢となってくれと切に願いながら。
だが、私の願いは無慈悲に裏切られてしまった。
ぢりん。
自転車のベルの音が聞こえたからだ。私は「ああ!」と叫び声を上げながら立ち上がった。
ぢりん、ぢりん、ぢりん、ぢりん、ぢりん、ぢりん。
自分の身を包み込んでいる暗闇のあちらこちらから、自転車のベルが聞こえてくる。一つや二つではない。十、二十、三十……その数はどんどん増えてゆく。
やんわりとした光が見えた。光は私を取り囲みつつ、じわりじわりと接近してくる。
「来るな……」
私は言った。声はかすれ切っていた。
ぢりん!
何百もの重なったベルの音が一斉に響いた。次の瞬間光が強まり、私の周囲を明々と照らし出した。
おびただしい数の自転車が、密集していた。各々がランプを私に向け、しきりにブレーキを軋ませ、ペダルを回し、ベルを鳴らしている。その動きは不気味なほど統率がとれており、ナチスや北朝鮮の軍隊の行進を思わせる。
ぢりん! ぢりん!
私はその時、あまりにも非常識な状態に置かれていたせいか、激しい動揺と恐怖を感じつつも、脳の一部分だけ恐ろしく醒めていた。その醒めた部分が私の身体に命令を出した。最前列にいる自転車の中で、最も老朽化が激しいものを即座に選び出すと、その自転車を蹴倒し、サドルを引っこ抜いた。ベルを鳴らしピクピク痙攣しているそれを何度も踏みつけて黙らすと、私はサドルを両手に持ってぶんぶん振り回しながら、自転車の群へと突っ込んでいった。
サドルの下部で、次々自転車を殴り倒した。時に前輪で顔面を弾かれたり、ハンドルで腹部をえぐられたり、ブレーキロープで叩かれたりした。しかしその時の私は、いわゆるタガが外れた状態にあった。痛みなど全く感じなかったし、完全に本能に任せて行動していた。
生きるために敵を殺すという、太古の昔より綿々と受け継がれてきた、人間の種としての生存本能だ。
翌日、私は穿羽駅付近の路地裏で、血にまみれた姿で発見された。警察に保護され穿羽市内の病院に搬送された私は、応急処置を施された後、警察の事情聴取を受けた。
私は自分の見たこと、そして自分の身に起きたこと全てをありのままに喋った。そして、警察からは、全く相手にされなかった。予想通りの結末だった。かのガリレオが、天動説を否定し異端審問にかけられたように、人間にとって信じたくないことは、人間に疑われてしまう。人間にとっての真実は、真実にしたいことだからだ。
私は学生時代勉強した、“ユーレイ・ミラーの実験”のことを思い出した。一九五三年アメリカ、シカゴの大学院生だったユーレイとミラーの二人によって行われた、生命の起源を探る生命科学実験である。フラスコ内に、メタンや二酸化炭素、水素などを混ぜた地球の原始大気を疑似的に作りだし、そこに放電――原始地球における落雷、即ち化学エネルギー――を起こした結果、アミノ酸をはじめとする生命の基礎となる有機化合物が合成された。
今現在ではこの実験は否定的に扱われている。有機合成こそ行われるが、生命発生の要因にはなり得ないと考えられているからだ。なるほど確かにそうかもしれない。だが、だとしたら私が穿羽市で見たものは一体何だったのか。あの自転車は一体どこから生まれたのか。
考えられるのは落雷しかない。穿羽駅の裏、第三駐輪場に落ちた雷の化学エネルギーによって、自転車を構成する無機物が化合し有機物になり、自転車を生物へと変えてしまったに違いない。
私は怖い。あの自転車たちが、どこか暗い路地裏で密かに生殖行動を繰り返し、新しい自転車を増やし続けていると思うと。それよりも怖いのは、彼らが“進化の途中”にいるということだ。彼らは生殖をしている。異なる二つの細胞を組み合わせて、新しい命を誕生させている。私が滑皮市の集積所で見たあの“混ざった自転車”は、正常な発生が行われなかった自転車、いわゆる奇形だったに違いない。
穿羽市において始まった自転車の進化は、決して楽観視できない問題だ。私を襲撃した彼らは、明らかな意思を持っていた。私を外敵と見なし排除しようとしたわけだ。これは彼らが、一種の生物として独立しつつある証拠である。
私は懸念する。果たしてこの自転車の進化は、穿羽市に限ったことなのだろうか。過去に私が訪れた様々な街で、放置自転車を見かけない街はなかった。
疑問は感じないだろうか。あれほど自治体が口を酸っぱくして、立て看板や巡回までして注意を促しているにもかかわらず、一向に数が減らないのはどうしてだと。もしかするとそれは、単に住民が注意を無視しているだけでなく、自転車そのものが知らず知らずのうちに増えているのかもしれない。
私は都内の某病院にて、これを執筆している。私のこの話を荒唐無稽と笑うなら笑うでよし、信じてくれるならそれに越したことはない。確かなのは、ここに書かれていることは紛れもなく私が体験した事実だということだ。ここまで読んだ方の中には、実際に穿羽市に足を運び、事実を確かめたいと思った方もいらっしゃるだろう。そう思う方は行けばいい。私は勧めないが。
最後に二つ、付け加えておきたいことがある。
一つは、駅構内の列車の中から、敬礼をしている駅長の姿を見た際に、窓に映った光の反射なのかもしれないが、駅長の左ふくらはぎの辺りから、光る何かが飛び出しているように見えたことだ。それは、自転車のチェーンに非常によく似ていた。
もう一つは、最近、喉の奥の方に金属に似た、えぐい苦みを感じているということだ。
了




