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第六部:母親の真実と、対話の始まり

その日の深夜、シニェデはふと喉の渇きを覚え、リビングへ向かった。キッチンの明かりは消えていたが、リビングのソファの向こうから、かすかに母親のすすり泣く声が聞こえてくる。シニェデは足音を殺して、リビングの入り口からそっと中を覗いた。母親は、テーブルに突っ伏して泣いていた。その手には、一枚の紙が握られている。それは、シニェデがコンクールで受け取った、先生の講評だった。


「どうして…どうして私は、いつもこうなんだろう…」


母親の独り言が、震える声で漏れる。彼女は、生まれてからこれまで一度も自分を明確に否定されたことがなかった。優しく、まっすぐなシニェデにとっての祖父母に育てられ、常に自動的にいい子だった。善人の周りには善人が残る。そうしてこれまで幸福を得てきた。だからこそ、自分の心の中に潜む「ゲスさ」に、気づくことができなかったのだ。何かあれば、それが自分のせいだと確かめる前に、その場から離れてしまう。それは、自分の内側にある「悪」を観測することへの、根深い恐怖だった。


かつて、職場に「従業員の契約を終わらせる」という噂が流れたことがあった。周囲の同僚たちは、自分は大丈夫だろうと噂話をしていたが、彼女はそれを、まるで自分だけを指しているかのように感じた。自分の評価が悪かったのではないか、自分の存在が、誰かの邪魔になっているのではないか。そう考えると、怖くてたまらなくなった。彼女は、噂の真偽を確かめることもなく、自ら退職を選んでしまった。その時も、彼女の心の中では、「私は、誰にも迷惑をかけない、素晴らしい選択をした」という、自分にとって都合のいい「正しい」概念が、独り歩きしていた。


「お母さん…」


シニェデの声に、母親はハッと顔を上げた。彼女の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。

「シニェデ…どうしてこんな時間に…」


「ママ、どうしたの?」


シニェデの問いかけに、母親は言葉に詰まる。

「なんでもないのよ。ただ、あなたのコンクールのこと、もう一度考えていたら、なんだか、苦しくなっちゃって…」


母親は、そう言って、再び顔を伏せた。その時、シニェデの脳裏に、父親の言葉が蘇る。「感情をただ垂れ流すだけの行為に対してだ。感情を観測し、体系化し、新しい概念を創造する行為は、最高の理性だ」。母親は、まさに今、感情をただ垂れ流すだけの状態に陥っている。しかし、父親の言葉は、あまりにも鋭すぎる。彼女の心に刺さり、その矛盾を抉り取るような論理は、彼女がこれまで築いてきた「いい子」という概念を根底から否定してしまう。だから、母親は、その言葉を感情的に受け止め、正面から向き合うことができないのだ。


その時、リビングの扉が静かに開き、父親が入ってきた。彼もまた、シニェデと同じように、母親の泣き声に気づいたのだろう。


「また、そんなことをしているのか」


父親の声は、いつものように冷たく、鋭かった。しかし、その奥には、かすかな悲しみと、諦めのような響きが感じられた。

「私は、ただ…」


「お前の『正しい』は、いつも他人や過去に責任を押し付けることで成立している。それは、お前自身の内側にある矛盾から目を背けているだけだ。いつまで、その『つまらない概念』に囚われているつもりだ?」


父親の言葉に、母親の心は再び閉ざされていく。しかし、今回は違った。シニェデは、母親の心と、父親の言葉の間に立ち、静かにピアノを弾き始めた。それは、昨夜の演奏よりも、もっと穏やかで、しかしもっと深い、母親の心に寄り添うようなメロディだった。


「お母さん、お父さんの言葉は、きっと、お母さんを傷つけたいんじゃないんだよ。お父さんの言葉は、お母さん自身の内側にある『ゲスさ』を、観測してあげようとしてくれているんだよ」


シニェデは、ピアノを弾きながら、優しい声で母親に語りかける。

「お母さんが、コンクールの講評を何度も見返すのは、自分がもっと良い母親になれたはずだって、自分を責めているからじゃないの?職場の噂話に怯えて、逃げ出してしまったのも、本当は、自分自身の力で、もっと前に進みたいって、思っていたからじゃないの?」


シニェデの言葉に、母親はハッと顔を上げた。彼女の目には、シニェデの言葉が、父親の論理とは全く異なる形で、心の奥底に染み込んでいくのが分かった。父親が論理という「剣」で切り裂こうとした母親の矛盾を、シニェデは「音楽」という「光」で、優しく照らし出してくれたのだ。父親は、その光景を静かに観測していた。そして、母親が泣き止んだ後、二人に語りかける。


「私たちは、シニェデが生まれた時、約束した。子供が自分の力で生きていけるようにすることだけが、親の責任だ、とな。お前は、いつもシニェデの評価や行動に執着する。それは、お前自身が、自分の力で生きていくことを、どこか諦めてしまっているからではないか?」


父親の言葉は、いつものように鋭かった。しかし、その言葉に宿る真意を、母親は初めて理解できた。彼は、自分を否定するために言葉を投げかけているのではない。彼女自身が、自分自身の力で生きていくための「楽しい概念」を創造できるよう、導いてくれているのだと。

量子とは概念を物理的に観測したものであるという仮説を衝動的に物語にしたものです。考察は自由ですし、同時多発的にみなさまにも起きた事だと思うので、批評はしていただいても構いませんが、批判はご自身でなんらかの概念でしていただければと思います。(優しく見守ってください。概念の二次創作は二次創作とも思いませんよ。恐らく私が思いついた事も何かの積み重ねで二次創作的な出力に過ぎないのです。)

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