***父の出張***
「ただいまー」
「おかえり」
夕方に家に帰ると、もう父が帰っていた。
「早いのね」
「もう先方は夜だからね」
父は商事会社に勤めていて、顧客は海外に沢山いる。
今は北米大陸担当だから時差は14時間以上もあり、日本では土曜でもアメリカやカナダでは一日前の金曜日にあたる。
「映画の方は、どうだった? チャンと楽しめたかい?」
「ええ、もう祐くんの特訓のおかげで、それに観ている最中もチャンとフォローしてくれて助かったわ」
「祐介のおかげで胡桃も出来ることが増えて行くな」
「ホントそうね。親も子も一緒に育って行くのね」
母が夕食の準備を始めようとすると、いままで珈琲を片手に寛いでいた父も母を手伝うために席を立とうとしたので、僕は父を制して母の居るシンクの方に向かった。
「あら祐くん、良いの?」
「うん、せっかく遊ぶんだから気にしなくていいように、勉強の方は金曜日のうちに大体は済ましておいた」
「さすが祐くん! じゃあ、お野菜洗ってくれる?」
「OK!」
いつの間にか父もキッチンに参入して家族3人で仲良くその日の夕食を作って食べた。
嫌な予感がした。
父が母の家事を手伝うことは、珍しくはない。
けれども休日の土曜日の仕事もあったので心配していると、食事を終えて珈琲や紅茶を飲みながら家族で寛いでいる時に父は言った。
「あす昼前の便で、アンカレッジに行く」と。
父は商事会社に勤めているが営業職ではなく技術職なので、そう頻繁に世界を飛び回ることはない。
だけどなにか問題が起きれば現地に飛ばなければならないし、技術職だけに問題が解決するまで日本に帰って来ることはない。
つまり、数日や1週間程度の出張では無いと言うことだ。
例え数日や数週間でも、家族が家に居ないのはやはり寂しい。
母は紅茶を飲みながらオーロラが見られるとか、サーモンが美味しいとか、今度家族みんなでアラスカ鉄道に乗ってみたいとか、クマに気をつけてとか言ってワザと明るく振舞っているように見えた。
いや、実際に母は場を暗くさせないために気丈に振舞っているに違いない。
母は一家のムードメーカー。
だから自分が落ち込んでしまっていると、僕たちも暗い気持ちにさせられる。
「明日、お父さんを空港まで送って行ってあげるんだけど、祐くんはどうする?」
珍しく母の言葉に歯切れが悪いのは、今日映画鑑賞と買い物に駆り出したためだろう。
連日のように連れ出したのでは、僕の勉強やプライベートが心配になるらしい。
僕は特にプライベートでの用事が無い事と、宿題はもう済ませてあることを伝えたうえで一緒に空港にお見送りに行くことを伝えると、母はホッとした顔で優しく頷いた。
食後のティータイムを終えて、僕は母の食器洗いを手伝った。
父は明日の準備で忙しいからと勝手に思ってしまった僕のフライング。
もう何度も海外出張を経験している父が、僕たちが修学旅行に行くときのように旅支度に焦ることはない。
それよりもいま母の隣にいる、僕のこのスペースを父のために開けておいてあげるべきだったのだと後悔した。
食器を洗い終えて、お風呂も済ませ、寝るまでの間に勉強をして最後に就寝前のトイレと歯磨きを済ませようと洗面所に向かうと、丁度歯磨きを終えた父が洗面所から出て来るところだった。
父は僕に少し寂しそうに笑うと、僕の肩をポンと叩いて「留守中、母さんを頼んだぞ」と言い、僕は父に「うん」と小さな声で力強く返事をした。
その夜はベッドに入っても、なかなか寝付くことができなかった。
幼稚園の時に家族でお花見をしたことや、小学生の時にキャンプや海水浴に行ったこと。
他にも色々な所に旅行に行ったし、色々なことを体験させてもらった。
そうさせてもらったことで、両親に愛されて育ててもらったことで、今の僕がある。
僕ももう高校生。
200年も前の時代なら、もう立派な大人の一員として扱われる年齢。
これからは、僕も然りと家族を見守っていかなければならない。
そう思いながら、窓の外に光る星々を眺めていた。