***VS山田くん***
2人の衝撃的なキッスシーンに、遂に私は立っていられなくなりその場にへたり込んでしまった。
ドキドキが止まらない。
通路の手前で、トンビ座りしている私を通り過ぎていく人たちが好奇の目で通り過ぎていくのが俯いていても良く分かる。
中には「大丈夫ですか?」と優しく声を掛けてくれる人も居たけれど、私はその都度「大丈夫です」と答える事しかできなかった。
どうして他の人たちは、あの状況を見て平気でいられるのだろう?
さすがにSEXまでは行かないと思うけれど、人通りのある場所でのキッスシーンだよ。
そんなを見せられて、普通に居られる方が不思議。
なのに周囲の人たちは、まるで私がおかしな人みたいな反応。
「地味メガネ先輩、こんな所で、しっこでも漏らしたんですか?」
突然、聞き覚えのある声の持ち主に、下品な言葉を掛けられて動転していた心が立ち直った。
「そんなわけないでしょう。失礼ね! だいいち私は地味メガネじゃないし!」
自分でも分かっているのだけれど、ソレを他人から言われるのは苦痛。
しかも声を掛けてきたのは、文芸部の1年生で才能のない山田とくれば尚更。
怒ったせいで、それまで砕けていた腰の力が戻り、知らない間に立っていた。
「でも先輩がヘタリ座りしていたところ、薄っすらと濡れているぜ」
「ヘタリ座りじゃない!トンビ座り‼ 濡れているように見えるのは体温と床の温度差のためによる結露よ‼‼」
濡れているという濡れ衣を着せられて、超慌てる。
たしかに、おしっこは漏らしていなくて、床が濡れたように見えるのはただの結露。
だけど突然のキッスシーンを見た後に言われるのは、あまりにもタイミングが悪すぎる。
私は慌てて床に薄っすらと着いた結露を靴底で擦って消そうとして、その拍子に足を滑らせてしまった。
「キャッ‼」
濡れた床は滑りやすい。
モールの天井がユックリと流れて行く。
時が、その速さを遅い方向に変えるのは、命に危険が迫ったとき。
現実的に言えば“時”の長さは不変なので、実際には脳が事態に対応するため急激に処理速度を上げたから、そのぶん遅くなったように感じるだけ。
たとえば山での滑落の場合は、物凄いスピードで落下しているにも関わらず、掴めそうな木の枝がハッキリと見えて咄嗟に掴むことができて助かったという話も聞いた事がある。
しかしココには掴まる木の枝もない。
石と同程度の硬度のあるコンクリートの床に後頭部を打ち付けて、私は死んでしまうのだ。
嫌だ‼
私はマダ死にたくはない!
絶対に小説家になりたいという強い信念を持ち、小説の執筆に今まで励んで来た。
今日、こうしてこのモールに来たのも小説のネタ探しのためだし、1人で来たのは誘う(または誘ってくれる)友達が居ないから。
とうとう床に叩きつけられると思い、怖くて強く目を瞑ってしまった。
首が後ろにしなる。
意外に痛くはない……逆に柔らかい感覚で少しフワフワする。
痛みが無いのは体内からアドレナリンが大量に噴き出しているからで、フワフワしているように感じるのは屹度魂が肉体から離れようとしているからなのだろう。
あー! でも死にたくない‼
痛くたっていいから、生きていたい。
生きていてさっきの祐介くんじゃないけれど、誰かとキッスくらいはしてみたかった……。
急に目の前に暗い影が迫ってきた。
目を瞑っていたって分かるくらい、黒い影。
きっと死神が迎えに来たのだ。
……と、言うことは、コノ死神を蹴散らしてしまえばワンチャン死なないで済むかも!
私は死神の動向の一部始終を見逃さないために、キツク閉じていた目をカッと開けた。
「どーした……?」
凄い低い周波数の声が、ユックリとした口調で耳に届く。
見開いた目に映るのは、私の魂を喰らおうと近付いて来る“おどろおどろしい”死神の顔。
「キャー‼」
パチーン‼
私はまるでゴキブリを叩くように、死神の頬を打った。
(ちなみに私はゴキブリやハエを叩いて殺したことはありません。って言うか先ず殺さずに家から追い出すようにしています)
「イテーなオイ! 落とすぞ!」
死神だと思って思いっきりぶん殴ったけれど、それは死神では無くて人だったので驚いた。
「ご、ごめんなさい! そー言えばなんで君、こんな所に居るの?」
「ショ、ショッピングモールに遊びに来ちゃ悪いかよ!?」
「一人で!?」
私自身が一人で来ているのを棚に上げて、驚く。
「違うよ」
「でも一人じゃない」
「さ、さっきまでは1人じゃなかったんだよ‼ ところで地味メガネ……いや、椿先輩こそ、なんで1人でココに居るんだ? それになんでヘタリ込んでいたんだ?」