今世は他人でいい
「このままでは…わたくしのせいで世界が大変なことになってしまいますわ。」
は?
午後の穏やかな光が差し込む庭園。俺、ユリウス・ド・フランクは婚約者のエルザ・ド・モンパンシェ伯爵令嬢とお茶を楽しんでいるわけなんだけど、エルザ嬢とは婚約して2年になるけど、ちょっと変わってるというか、自分の世界があるっていうか。
「えっと…エルザ嬢?どういうことかな?」
とりあえず笑顔で彼女の意図を聞いてみる。彼女はためらっているように顔を伏せていたけど、決意を決めたようにぱっと顔をあげた。
「ユリウス様、わたくし…わたくし、前世の記憶があるのです。そして、この世界の未来を知っているのです。」
はぁ?
この人…何言ってるんだろう。
前世の記憶なら自分にもある。前世ではシングルマザーの母と一つ年下の弟の3人家族で、すごく仲が良かった。物心ついた時から父親はいなかったけど、母さんは俺と弟をめいっぱい愛してくれて、幸せだったなぁ。まぁ俺の前世は置いといて。前世の記憶があって未来を知ってるって、よくある転生ものみたいなゲームとか小説の世界に―ってことかな。
なんか決意に満ちた目で見つめられてるんだけど、意図を確認した方がいいんだよね?
「前世の記憶って…未来を知ってるってどういうことかな?」
とりあえず困惑した顔を作って聞いてみる。
「実はこの世界はわたくしが前世で大好きだった『はじまりのシンフォニア』という恋愛シミュレーションゲームの世界なのです。信じられないかもしれませんが、間違いありません。国の名前や人物名、設定なんかもシンフォニアとまったく一緒で…」
やっぱり転生ものなんだ。てことは俺は攻略対象で、エルザ嬢は悪役令嬢的な感じなんだろうなぁ。この世界には魔法があるし、世界が―ってことは、魔王が出てきたりなんかして、それを倒そうとかなんかしてってことかなぁ。今この世界は魔素っていう、魔力の元になる元素の濃度が急激に上がってるのが問題になってるし。この魔素の濃度が上がると、土地や空気が汚染されて植物が育たなかったり、魔獣を凶暴化させたりと悪い影響が起こる。特に魔獣の被害が最近急増していて問題になっていて、俺たちが通うアカデメイアでもそれに対応するための組織がつくられたばかりだし。ヒロインは聖魔法の使い手で、教会の推薦で入学してきたエマ嬢かな?各国の王侯貴族の子女で構成されてる魔獣対策隊にも入ってるし。
「そのゲームの中で、わたくしは悪役令嬢なんです。ヒロインはエマさんで、わたくしは彼女に嫉妬して、大変なことをしてしまうんです。」
そう言ってエルザ嬢は顔を手で覆った。思った通り。
「落ち着いてエルザ嬢。そのゲーム?っていうのはよくわからないけど、俺は君の話を信じたいと思ってるから。その、大変なことって、君は何をしてしまうの?それに嫉妬してっていうけど、そのヒロイン?っていうエマ嬢に完璧なご令嬢の君が嫉妬することなんてないと思うけど?」
全然話がわかってないけど、あなたのことは信じてますよーっていう感じを出さないと。俺は自分が前世の記憶があるなんて暴露したくないし、バレたくもない。幸せな前世の記憶は幸せを共有できる人とだけ分かち合えばいい。
「いいえ、ユリウス様。エマさんはすごく優秀ですし、聖魔法も使えます。それにすごくかわいらしい方で、今もたくさんの子息が夢中になっておりますわ。ユリウス様もいずれ彼女の魅力の虜になってしまうに違いありません。わたくしこれでもゲームのシナリオ通りにならないように頑張ったんです。でも、攻略対象者の皆様がエマさんにメロメロになって、わたくしを敵対視しておりますわ。わたくし、エマさんとはなるべく近づかないようにして、いじめなんてしておりませんのに。」
顔を伏せながら泣きそうな顔で語ってくれてるんだけど、そこは別に興味ないんだよなー。エマ嬢にメロメロ(笑)っていう子息は単に箱入りでエマ嬢のあざといぶりっ子にやられてるだけだろうし。あれに好感持つことないけど。
「そんなことないよ。あなたがエマ嬢をいじめてなんかないってことは俺がわかってるから、安心して。ね?」
なるべく優しく、微笑んで言う。
「ユリウス様。」
うん。すんごいキラキラな目でうっとり見つめてくる。とりあえずこれでいい。
「それで、君がしてしまう大変なことって?」
「封じの壁に封印されている魔王を復活させてしまうのです。」
やっぱ魔王なんだ。ありきたりだなぁ。
「わたくしは魔王の復活の時に魔素に汚染されて死んでしまうんですが…一番の問題はエマさんとの好感度が一定以上ない攻略対象者は魔王との戦いで死んでしまうことなんです。」
それは大変だー。って、好感度が低いから死ぬってゲームではありだけど現実では相関関係ないと思うけど。なんだかなぁ。
「このままでは、世界が…ユリウス様が…」
そう言う彼女をなだめるために彼女の手を握って微笑む。
「大丈夫だよ。エルザ嬢。」
エルザ嬢は泣きながらも笑みを浮かべて頷いた。
――――――――――――――――――――――――
「エルザ嬢の話なんだけど、どう思う?」
寮の自室に戻って、エルザ嬢とのお茶会からずっと後ろで控えていた護衛のラインハルトにたずねる。
ラインハルトはこの国唯一の学園の1年下の後輩で、彼が1年生の時に上級生も参加している闘技会で優勝したのを見て、自分の護衛にスカウトした。
「『はじまりのシンフォニア』って聞いたことないなー。マイナーなのかな?」
「そこなの?」
「いやーだって気になるし。有名なそれ系のゲームは詳しいつもりだったんだけど。母さんもよくやってたし。」
「まぁ前世の記憶があるって言っても、全く同じ世界の同じ時代の人ってわけでもないだろうしねぇ。」
「まぁそっか。」
確かに、俺たちの前世の母さんはオタクで、恋愛シミュレーションゲームとか、アイドル育成ゲームとかよくやってたなぁ。ここに母さんもいたら良かったのに。
「母さんいたらなーとか思ってるでしょ?死んでもマザコンは治んないんだなぁ。」
前世の弟にはお見通しみたいだな。俺はマザコンじゃないけど。
ラインハルトも前世の記憶がある、前世の俺の弟。今世では血のつながりはないし、平民の孤児として生まれたラインハルトと、この国の王太子として生まれた自分とでは身分の差も大きい。身体能力が限界突破している彼は、騎士科に特定性で入学したらしい。で、闘技会でラインハルトを見て、すぐに弟の雨実だって気がついた。雨実は学園の代表生としてで入学式のときに挨拶している俺を見て気がついてたらしい。
そんな訳で、ラインハルトは信頼できる護衛で一番の理解者で、血が繋がってなくても一番の家族。
「てか、魔王って魔族の王だよね?封じの壁に本当に封印されてんの?」
お茶の用意をしながらラインハルトがたずねる。
「封じの壁ってただの観光地だと思ってたけど、違うの?」
「一応、教会の経典に載ってる聖地だよ。経典では、光暗戦争の最終決戦の場所で、光明神が暗黒神を打ち破った場所ってことになってる。光明神の御技が顕現されて残ってるのが、うちの国の首都にある、あの壁みたいだよ。」
ラインハルトが用意してくれたお茶を飲む。うーん、美味しい。我が弟は昔から料理とか家事が得意だったけど、お茶入れるのもうまいんだなぁ。
「ふーん。見た感じなんてことない壁に見えるけど。壁に書かれてる魔術式もデタラメっぽいし。」
「確かにあれは今の魔術式から見るとデタラメだけど、今から1080年前の出来事ってことになってるからね。壁ができたのも壁の体積魔素濃度からそれくらいの時期だってわかってるから、大昔の術式の模様かもしれないし。エルザ嬢じゃないけど、何か封印されてるってこともあるかもしれない。」
「へー。エルザ嬢の話、信じてんだ?」
向かいに座っているラインハルトの顔はニヤニヤしてる。やな感じだなぁ。
「さすが婚約者様?」
そう言うラインハルトは顎を少し上げて目を細めた。これは雨実の昔からの癖だ。人を馬鹿にする時の。
「その顔やめなさい。」
そう言って額にデコピンするとラインハルトは
「ははっ。」と歯を見せて笑った。前世から見た目もほとんど、というか全く変わってないラインハルトは黒髪黒目、国宝級イケメンの俳優似で、俳優より整ってるんじゃないかぁってくらいのいい男。前世では母親に瓜二つだって言われていた。外国人の父親に似たらしい、金髪で青みがかった目だった自分とは兄弟に見られないことも多かった。まぁ、俺も前世からほとんど容姿変わってないんだけど。目の色が前世よりよりスカイブルーになったくらいかな。
「婚約は関係ないけど、ありえない話じゃないなとは思ってるんだよね。今の状況を考えると、魔素濃度とか魔獣の問題もあるし。ただ、魔王っていうのがねぇ。封じの壁に魔王が封じられてるっていうのは俗説だけどね。」
「ふーん。」
気のなさそうな相槌に、思いのほか真剣さが含まれているようでちょっと驚く。てっきり、ラインハルトはこの話を信じてないというか、問題視してないのかと思ってたけど。
「それで、宇宙はどうすんの?」
雨実に前世の名前で呼ばれると、魔法があって身分制度があって、封建的でファンタジーな今世が現実的じゃない感じがしてくる。うーんと考えるように目を上に向けて答える。正直に言えば、エルザ嬢の話には全く興味がないし、どうでもいいなーと思ってるんだけども。
「ほんとはどうでもいいんでしょ?宇宙は?」
図星を指される。前世の弟はなんでもお見通しだ。
「そうだけど。そう生まれたからには責務を果たさないとね。王太子として、懸念事項には対応しないと。とりあえず、様子見かなー。エマ嬢とエルザ嬢がシナリオの中心なら、彼女たちの動向を把握しておきたいかな。」
「どうやって?」
弟よ。なんか嫌な予感って顔に書いてあるよ。
ラインハルトの質問に、にっこりと満面の微笑で答える。
「もちろん。二人を監視するんだよ。おまえなら二人の動向を監視しながら俺の護衛をこなすくらい、簡単だよね?」
「あー、この世界にも労働基準法って必要だろー。」
前世では弟に詐欺師の笑顔って言われてたけど、それ以外の人には天使の微笑って言われてた笑顔で、文句を言う前世の弟に微笑んだ。
――――――――――――――――――――――――
ある日の昼下がり。
エマ嬢が魔獣討伐隊のメンバーを集めてミーティングを開いた。彼女は例によって自信に満ちた笑顔で、皆に提案を始めた。
「皆さん、最近の魔獣被害が深刻化しています。私たち討伐隊として、この問題に対処するためにも、首都の封じの壁を視察しに行きませんか?」
エマ嬢が封じの壁への視察を提案した際、魔獣討伐部隊のメンバーたちはすぐにその案に乗り気になったようだ。
ラインハルトの報告通りか。
「封じの壁と魔獣討伐に何か関係があるのかい?ただの観光なら、時間の無駄だと思うんだぞ。」
ユニオン王国の王太子、フレッド=W=ユニオンだ。魔獣討伐部隊のメンバーのほとんどがエマ嬢にメロメロ(笑)ならしいけど、彼はそうじゃないらしい。ラインハルトの言ってた通りだな。
常識的な人がいて嬉しいよ。
アルフレッド王太子の発言に一瞬、場が静まり返った。他のメンバーたちはエマ嬢にごにょごにょ言って機嫌をとっている。
ラインハルトによれば、エマ嬢は攻略対象者たちを茂みに隠れて待ち伏せしたり、木に登って彼らが通るのを待ったり、「きゃっ、こんなところで会うなんて」とわざとらしく言って彼らが一人でいるところに突撃したりしているらしい。完全に不審者でしょ。ラインハルトは「99%記憶持ちの転生ヒロイン」って言ってたけど、封じの壁の話を持ちかけてくるあたり、100%転生ヒロインで間違いないだろうな。
そんなことを考えていると、突然エマ嬢が
「ユリウス様、どうお考えですか?封じの壁を視察に行くべきかどうか、ご意見を伺いたいのですが。」
と言った。
なんで急に俺に振ってくるのか。面倒くさいなぁ。
誰かが俺の腕をちょいちょいと引っ張った。顔を向けると、不安そうな顔でエルザ嬢が見つめていた。彼女の瞳には明らかな恐れが映っていた。
俺はエルザ嬢を安心させるように微笑みむ。
俺としては行く理由も特になければ、行かない理由もない。
「特に行かなければならない理由はないけど、行くべきでない理由もないし。とりあえず行ってみようか?」
俺の言葉にエマ嬢はぱぁぁっと効果音が聞こえそうなくらいに破顔して、満面の笑みを浮かべた。一瞬、すごい勝ち誇ったような顔で彼女がエルザ嬢の方を見たの、見逃してないから。
エルザ嬢の方を見ると、顔が真っ青で、俺の腕に触れる指は震えていた。
「大丈夫だよ。」
なるべく優しい響きになるように言う。彼女は俯きがちにこくりと頷いてくれた。
他のメンバーたちが賛成の声を上げるなか、アルフレッド王太子はこちらの様子を怪訝そうに見つめていた。
――――――――――――――――――――――――
視察当日。
馬車に乗り込むとき、俺は少し気が重かった。エマ嬢が、他の人たちからの誘いを断って、わざわざ俺たちの馬車に乗り込んできたからだ。エマ嬢と一緒に座るラインハルトとエルザ嬢を見て、俺は心の中でため息をついた。彼女は気にしていない様子で、楽しげに話し続けているが、俺にとっては少々うんざりする状況。
馬車は学園から1~2時間ほど走り、王国の首都の中心にある封じの壁へと到着した。そこは観光名所としても知られており、広場には観光客や礼拝に訪れた巡礼者が大勢集まっていた。食べ物の屋台や土産物屋が立ち並び、賑やかな雰囲気が広がっている。
「ここが封じの壁か…」
「ラインハルトは初めてだっけ?」
俺は馬車を降りて広場の中心にそびえる巨大な壁を見上げてつぶやいたラインハルトに尋ねる。
「実際来たのは初めてになります。」
周りに人がいるのでしっかり敬語でラインハルトが答える。TPOをわきまえてくれてるんだけど、雨実に敬語を使われるのには慣れないんだよなー。
「そっか。」と答えて自分も壁の様子を見る。錬金術の活躍する某超人気漫画にでてくる真理の扉のような見た目の封じの壁は、古代の遺跡らしく厳かに広場の中央にたっついる。
エマ嬢が壁に興味津々の様子で近づいているのが見えた。他のメンバーがわらわら彼女をとり囲んでいる。
「ユリウス様、ここに来て本当によかったのでしょうか…」
声の方に振り返るとエルザ嬢が不安そうにこちらを見ていた。俺は優しく微笑んで彼女を安心させるように努めた。「大丈夫だよ、エルザ嬢。何かあれば、俺たちがしっかり対処するから。」
しかし、その直後、眩しい光が突然広場全体を包み込んだ。同時に、黒い霧が一瞬で広場に広がり、人々の視界が遮られた。
「な、何が起こっているんだ?」光ともやのせいで視界ははっきりしないけど、慌てた声や叫び声で広場にいた観光客や巡礼者たちは驚き、混乱しているのがわかる。
まずいな。何が起こったかわからないけど、とにかく一般人の安全を確保しないと。
「ラインハルト!」
「何?」
びっくりした。
こいつ気配ないから、見えないとほんとびっくりする。
思っていたよりずっと近くで呼びかけたラインハルトからの返事に驚いていると、
「とりあえず、一般人の避難優先でいいっしょ?」
という声が聞こえた。
さすがわかってる。
「よろしく!」と返して、状況確認に務める。市民の避難はラインハルトに任せておけば大丈夫。
黒い霧のようなもやが一か所に集まりだしている。まるで球を描くように集まったかと思うと、突然霧散した。
もやがなくなると、広場の中心に不気味な魔術式が構築されているのが見えた。見たことない魔術式だけど、いい感じはしないな。急いで防御の魔術式を展開する。向こうの魔術式は発動まじかで赤い煌めきをはなった。
まずい…間に合わない…!
謎の魔術式が発動する刹那、誰かが俺よりも早く魔術式を展開し、広場全体が防御の魔法に包まれた。謎の魔術式からは巨大な魔法の砲撃が放たれる。間一髪、誰かのおかげで助かった。誰だか知らないけどグッジョブ。
「ユリウス!」
ラインハルトの声が聞こえた。
「状況は?」
「魔術式の発動前に広場から避難してもらった。この光、どうやら広場をおおってるみたい。あっちの魔術式の発動範囲もこの広場の範囲内だろ。」ラインハルトが駆け寄り、俺に告げた。
「よかった…とりあえず、この攻撃をどうにかしないと…」次の行動を考えようとしたその時、突然、光が晴れ、視界がクリアになった。突然攻撃もやみ、魔術式も消えていた。
視界が完全に晴れ、広場の状況を確認する。
広場の中心にあったはずの封じの壁は、まるで最初から何もなかったかのように、跡形もなく消えていた。
静寂の中でエルザ嬢の震える声が妙に響き渡った。
「魔王が…復活したのですわ。」
――――――――――――――――――――――――
フランク神聖王国の王宮、謁見の間。
かれこれ一時間はまたされている。あの後、父親である国王に呼び出しをくらってこうして待ってるわけなんだけど…
親子で会うのに謁見の間で会うのってどういことなんだろうねぇ。自分も別に彼に対して何の感情も持ってないけど、向こうから愛情を感じたこともない。理由はわからないけど、別にこの世界で両親の愛なんて求めてないし、何より父親って、前世でも交流なかったから、特にどう接していいのかわからないんだよね。
ようやく扉が開いて、父上が姿を現した。
頭を垂れて父上が座るのを待つ。
「封じの壁で何があったのか、詳しく話せ。」
挨拶もないのか。
顔を上げて
「父上、私たちは封じの壁を視察していた際、突然魔術式が発動し、攻撃を受けました。広場にいた人達に被害はありませんが、討伐隊の数名が軽傷を負っています。また、メンバーのレオ=エーデルバイン=イシュヴルが行方不明となっています。」俺は淡々と報告する。
父上の顔には微かに苛立ちが浮かんでる。それでも感情を抑えたまま続けた。「レオ=エーデルバイン=イシュヴルか…。国際問題になるぞ。」
レオはノブゴロド王国の伯爵家の子息だ。確かに国際問題になる可能性もあるけど、
「現在、討伐隊のメンバーでレオの捜索を最優先で行っております。つきましては、兵士の一部を捜索に回していただけませんか?」
俺がそう言うと、ため息を一つついて父上が答えた。
「よかろう。ノブゴロドにばれる前に見つけねばならん。」
「原因は?」
短い父上の問いにこちらも簡潔に答える。
「不明です。捜査中としかご報告できません。」
「お前の責任で、この件には対処しろ。逐一報告をするように。」
いら立ちを隠さずに言われた。
「承知しました、父上。」
一礼して父上が謁見の間を出るまで頭を下げる。
バンという音がして、ようやく頭を上げ、ふーっと一息ついてから部屋を後にした。
王宮を後にして、学園の寮への帰り道。ぼんやりと前世と今世の家族について考える。前世では、俺には母と弟がいて、母さんは優しく、いつも俺たちを愛してくれた。弟の雨実とは時にはケンカもしながらも、心の底では深い絆で結ばれていた。
その記憶があったから、今世の家族との関係が冷え切っててもさみしさを感じずに済んでるんだろうなぁ。
本当に、前世の自分は幸せ者だった。
学校の寮に戻ると、ラインハルトが俺を出迎えてくれた。
「ほんとに戻ってきたんだ。久しぶりの帰省なんだし、むこうに泊まってくればよかったのに。」
ラインハルトはそう言いながらお茶を入れてくれ、その香りが部屋に広がる。
「まぁ、帰りたい家ってわけでもないしねぇ。お前がいるこっちの方が落ち着くし。」
俺の本心に
「何それ。」と言ってラインハルトがはにかんだ。存外、うちの弟は照れ屋さんだ。
「たまにさ、どうせ今世でも巡り合うなら、もう一度兄弟だったほうが良かったなって思うんだよね。そっちの方が、ほら。いろいろやりやすいし。」
俺が本心でそう言うと、ラインハルトは目に視線を向けた。その視線がすごく寂しそうで、何とも言えない気持ちになる。なんだろう…
ラインハルトとは一度口を結んでから、視線を俺からそらしてつぶやいた。
「まぁ、でも、俺は今世は他人でよかったと思ってる。」
軽く流すような調子だった。
理由を追求したいような気もするけど、きっとラインハルトも理由を聞かれたくないんじゃないかな。
「そっか。」結局適当に相槌をうって流した。話題を変えよう。
「封印の壁でみた魔術式なんだけどさ。現在のものじゃないし、古代のものだろうと思ってちょっと確認したんだけど、攻撃用の魔術式だったんだよね。時限式の。」
ラインハルトはお茶を飲みながら、少し考え込んだような表情を浮かべた。
「あの魔術式か…あの一瞬でそこまで分かるなんて、さすが。」
「まぁ、そういうのは得意だしねぇ。問題は、ずっと動かなかった時限式の古代の術式がどうして発動したかってことなんだけど。発動させるためには、魔素を術式に込める必要があるんだよね。」
「そうすると、壁に近づいてたエマ嬢は怪しいか。彼女絶対ゲームのシナリオ知ってるし。シナリオ通りに動かないエルザ嬢の代わりに自分がっていうのはあり得るよなー。」ラインハルトは自分の言葉に考えを巡らせているようみたいだ。
「魔王が復活って言っても、魔王らしき奴は出てこなかったよねぇ。魔術式が発動しただけで。あの黒いもやもやが魔王ってこともないだろうし。」
「あのもやは魔素だよ。視認できる濃度だから、触れたら汚染されそうなもんだけど。なんでかみんな汚染されなずに済んだな。まぁ良かったことなんだけど。」
ラインハルトの言葉に少し考える。
魔素と一緒に現れた白い光。あれは聖魔法だった。あの光のおかげで魔素の汚染を防げたのかもしれない。
「レオが行方不明になってるのも気になるしなー。知らべることいっぱいだな。」
ラインハルトは腕を上げて伸びをしながら言った。
「最優先はレオの捜索かな。彼、実際はノブゴロド王国の国王の隠し子なんだよね。伯爵家に預けられているけど。」
「えっ、そうなの!上流階級って怖いわー。」
「そうなんだよ。彼が見つからないと確実に国際問題だからね。何とか見つけ出さないと。」
俺がそう言うと、ラインハルトは「はーっ」と息を吐いた。変な顔になってるよ。
「まぁ、一つずつ解決するしかないよ。」
俺がそう言うと、ラインハルトは小さく頷いた。
「そうだな。俺たち、まだ会ったばっかだし。」
その言葉には妙な重たさが含まれている気がした。
――――――――――――――――――――――――
封じの壁での事件から一か月。
レオの行方は依然として掴めていない。討伐隊のメンバーや王国の兵士たちが総力を挙げて捜索しているけど、手がかりは一切見つかっていない。その間にも、魔獣の被害は増大しているし、国王からもせっつかるし。どうしたもんかなぁ。
「エマ嬢がさ、魔王が復活したって言って回ってるんだよね。討伐隊のメンバーをそそのかして。」
エマ嬢の監視をしているラインハルトが報告してきた。
「なんか討伐隊のメンバーに、魔王の復活は確実だって煽ってるらしい。」
「シナリオによると、魔王をみんなで討伐しに行くわけだもんねぇ。」
気のない返答をすると、ラインハルトがニヤッと笑って
「このままだと、ユリウスはやばいんじゃないの?エマ嬢との好感度が一定以上ないと、魔王討伐で命を落とすって話じゃん。」
と言った。冗談じゃない。
「魔王の討伐には行かないし、彼女の好感度も上げたくないなー。」
「好感度は置いといて、一回彼女と話した方がいいんじゃない?シナリオ知ってるのは確かなんだし。エルザ嬢も一緒に同席してもらってさ。シナリオの内容すりわせれば、この後何か起こるかわかるかもしれないし、レオの手がかりもつかめるかも。」そう言ったラインハルトは真剣な表情になっていた。
「確かにね…。」
はぁーーっとため息をつく。ほんとに気が進まないなぁ。
――――――――――――――――――――――――
その日の午後、エルザ嬢も誘ってエマ嬢を呼び出し、寮の談話室で彼女と話をすることにした。
エマ嬢はいつも通りの明るい笑顔を浮かべて
「ユリウス様にお誘いいただけるなんて、うれしいです。」
と言った。
うん。すごいぶりっ子。
「エマ嬢、今日は時間をとってくれてありがとう。ちょっと話がしたくてね。」
封じの壁で何が起きたのか、君に知っていることを教えてほしい。」俺は穏やかに問いかけたが、その言葉には鋭さを込めた。
エマ嬢の笑顔が一瞬、硬直したが、すぐに元の調子を取り戻して答えた。「何のことですか?私はただ、視察に参加していただけです。」
しかし、俺は引き下がらなかった。「君が視察の際、封印を解くために壁に魔素を注いだという話を聞いた。エルザ嬢がシナリオ通りに動かないので、君が代わりにやったのか?」
エマ嬢の顔色が一瞬青ざめたが、すぐに開き直ったように微笑んだ。「そう、確かに私がやりました。だって、シナリオは進めなければならないんですもの。エルザ嬢が動かなかったから、私が代わりに行動したのです。」
エルザ嬢は驚きと恐怖に満ちた表情でエマを見つめた。「エマさん、どうして…そんなことを…」
エマ嬢は笑顔を浮かべたまま答えた。「これはゲームのシナリオですから、私はただその役割を果たしただけです。そして、シナリオでは学園の記念祭で、魔王が姿を現すんですよ。」
彼女はどこか楽し気だった。それに対して、エルザ嬢は青ざめている。
「エマ嬢…その魔王っていうのは、どういう存在なのかな?倒す方法とか、何かあるの?シナリオ的に。」
できる限り冷静に問いかける。彼女の答えは予想外のものだった。
「シナリオでは、レオが魔王なんです。レオは心に深い闇を抱えていて、それが封印の壁に封じられてた古代の悪しきものと共鳴してしまうんです。倒すには、私の聖魔法の魔術式が必要ですよ。」
なんか、こちらを小ばかにしてるのか、自分が必要でしょアピールなのか、彼女は上目遣いでそう言った。
エルザ嬢は口を引き結んで何も言えずに震えていた。
「レオが魔王って…倒して問題ないわけ?レオはどうなんの?」
俺の後ろに控えていたラインハルトがそう言うと
「だぁかぁらぁー、私の聖魔法で浄化してあげるんでしょ?そうすれば、レオは正気を取り戻して、物語はハッピーエンド。私はハーレムエンドで、ユリウス様と結婚するんです。きゃっ!」
昭和の少女漫画みたいに両手を口の前で広げて、エマ嬢がそう言った。
この流で何で俺と結婚することになるのかなぁ。
すんごいやなんだけど…
ラインハルト…明らかに笑いをこらえているし。
「その、俺と結婚とかっていう話は置いておくとして。まとめるとエマ嬢の魔術式で魔王?のレオを助けることができるってことでいいんだよね?」
エマ嬢にそう念をおして確認すると、彼女は胸を張って自信ありげに
「そうですっ!」と答えた。
なんだ。それなら別にたいしたことないじゃない。エマ嬢ががんばってくれるんだし。
「でも、好感度によっては攻略対象者の死亡フラグがあるんです。今の好感度をエマさんはごゾンデなんですか?」
「はぁ?」
エマ嬢の返事、怖いなー。
「っん、やっぱりエルザ様も転生だったんだ。自分が悪役令嬢だからって、邪魔しないでもらえます?」
「邪魔するって。この世界はゲームじゃありませんわ。死んでしまっても、やり直せないんですのよ!」
エルザ嬢の声は震えていたけど、その瞳には揺るぎない決意があった。彼女の言葉に、エマ嬢は一瞬驚いたような表情を浮かべて、すぐにかわいらしく笑い返した。
「やり直せない?フフッ、エルザ様、それはあなたがシナリオを理解してないからでしょ。この世界はゲームなんですよ。私はそのヒロイン。シナリオに従えば、必ずハッピーエンドにたどり着くんですっ。」
「それなら、ユリウス様はどうなりますの?」
急に俺?
「ユリウス様のあなたへの好感度が規定値を超えているとは思えませんわ!」
エルザ嬢の言葉に、エマ嬢は本性を現した!
「はぁぁ?うぬぼれてんじゃねぇよ。あんたなんかより、私の方が愛されてんの。わかる?あんたの思い込みでユリウス様が危ないとか…笑えるんですけど。」
エマ嬢、前世はクラスカースト上位のきつめギャルか、カースト負け組だったのをこじらせてるかのどっちかだろうなぁ。後者かな。
エマ嬢の言葉にエルザ嬢は言葉を失ったように、うつむいていしまった。
申し訳ないけど、別にエルザ嬢に対して特別な感情ないしなぁ。エマ嬢にはもっとないけども。
手をパンツと叩いて、場の空気を変える。2人がこっちを見てくれたのでにっこり笑って告げる。
「はい。それじゃあ、今わかってることは、記念祭の日に、魔王になったレオが現れる。そして、聖魔法でレオを助けてあげることができる。そうだよね?」
二人が首をこくんと下げてた。
「それじゃあ、それに備えて、準備をしようね。この世界はゲームじゃないけど、せっかくの情報だし、備えておいて損はないから。ただ、レオの捜索はこれまで通り続けます。」
――――――――――――――――――――――――
さてさて。
特に何の進展もなく、記念祭当日がやってきました。
中止にする話も出たんだけど、伝統行事だし、こんな時勢だからこそ、生徒の息抜きというか、楽しいことをした方がいいっていうのもあって、予定通り実施されます。
記念祭は、学園にいろいろなお店が出店されたり、劇やショーが催されるんだけど、生徒はお客さんで準備のしなければ提供もしないので、前世の学園祭とか文化祭と雰囲気は似てるけど全く違う行事になってる。
みんなで企画して準備してっていうのは青春だったなぁとは思うけど、ずっと生徒会長だった自分は正直面倒であんまり行事は好きじゃなかったんだよね。
雨実は運動系の行事だけはりきってたなぁ。
さて。
エマ嬢とエルザ嬢に聞いたところによると、魔王ことレオは、記念祭の最後に催されるパーティの最中に中央広場に現れるらしい。
いかにもゲームって感じの設定だけど、レオはシナリオ通り広場に現れた。
彼からは黒い霧のようなオーラが体から立ち上がっていて、その闇は空気を歪めるほど濃密で、重苦しい雰囲気を広場全体に漂わせてる。レオの瞳は、以前の澄んだ青ではなく、深い闇を湛えた赤黒い色に変わっていた。
魔王って感じではある。
でも、なんだかなぁ。
ゲームだの小説だのの世界の生まれ変わった人は、シナリオ通りの展開をどう感じるのが正解なんだろう。わかってることがそのまま起こるのって無機質でつまんなくない?
シナリオ回避とか阻止とかあるんだろうけど、そもそもさ、生きてる以上、自分は自分としてしか生きられないじゃん?元のキャラクターと全然違う存在なのに、なんでイベントとかなんとが起こるわけ?
すっごい現実逃避をしている間に、広場はパニックになっていたのを、予定通りラインハルトがさばいてみんなを非難させている。
広間には魔獣討伐隊のメンバーもとい攻略対象者とエマ嬢、エルザ嬢、ラインハルトが残った。
そう、驚くべきことに、ラインハルトは攻略対象者じゃないんだって!
どう見ても一番いい男だし、ラインハルトと比べたら攻略対象者なんてアリみたいなもんなのに。
アリのような彼らはヒロインだっていうエマ嬢を取り囲んでいた。さながら兵隊アリと女王アリだね。
「宇宙…じゃなくて、ユリウス。戻ってこい。」
ラインハルトにそう声をかけられる。
レオ…えーっとここでは魔王って呼んだ方がいいかな?
魔王が何やら攻撃の魔術式を展開したかと思うと、彼を取り巻いていた黒いもやが無数の針のようにこりらに飛んできた。
防御の魔術式を展開する。攻撃力はそんなに大したことはないみたい。これなら、エマ嬢のへっぽこ魔術式で何とかなるのかもしれない。
彼女、授業もまじめに取り組んでないから、実力的にはいまいちなんだよね。
内包する魔素の量と耐性が高いから、潜在能力は高いはずなんだけど。
「エマ!!」
攻略対象者たちは盛り上がっているみたい。
エマ嬢は本人の申告通り、シナリオ通りにことを勧めるために浄化の魔術式を展開した。
その術式は…微妙な出力だけど…
大丈夫かな。
心配した通り、一度目の浄化は完全ではなかったみたいで、魔王は少し苦しそうな表情をして顔を手で覆った。何か、ぶつぶつ呟いている。
エルザ嬢から聞いたゲームの情報からすると、今は魔王になってしまったレオの孤独な心境、彼の過去の回想と一緒にノスタルジックに語られているところだろう。
以下、参照。
―誰からも必要とされない。
ー誰からも愛されない。
ー頼んでもいないのに…勝手に生んだくせに…
母親は王宮のメイドだった。身分は低くかったが、容姿が良かった彼女は、男を渡り歩いて生きてきた。そして、最上位の上玉を引いた。しかし、結果は彼女が望んだものではなかった。彼女は不要なこどもを引き渡し、莫大な金を手に入れて姿をけした。
仮にも王の落胤を野放しにはできない。何に利用されるかわからない、不安分子の彼は、とある貴族に預けられた。貴族の家は暖かく、彼を歓迎した。優しい両親と兄弟。互いに慈しみあっている彼を見ると、どうしようない衝動が彼を襲った。
ー自分の居場所ではない。あそこには入れない。
一度、本当の父親に追う機会があった。わずかな期待と緊張が支配した中で、父親であるはずの男の反応は、何もなかった。どうせなら、嫌なものでも見るように、蔑むように見てくれればよかったのに…
乾いた心を理解してくれた人がいた。でも、
ー彼女だって、別のやつをみてる。本当の王子を求めてる!
心によどんだ灰汁は彼は飲み込んで…
今ではもう何もわからない。
きっと今、ゲーム画面にはこんな感じのナレーションが展開されているんだろうなぁ。
「宇宙。エマ嬢、無理なんじゃないの?もう3回もおんなじ魔術式展開しているけど、全然効いてないじゃん」
ラインハルトは呆れてるみたいだった。
そうだよねぇ。
「でも、聖魔法じゃないとあれは浄化できないでしょ。それ以外の方法って言うと、最悪の方法になっちゃうし。」
そんな話をしている時だった。
エマ嬢の術式が消滅すると、先ほどとは比べ物にならないほどの魔素で、魔王が魔術式を展開した。
「あれは、やばいな。」
ラインハルトはそうさらりと言って、広場全体に防御の魔術式を展開してくれた。
この広さに展開するの大変なんだけど、軽くやってくれる。
空に黒い閃光が光ると、隕石のような黒い塊が降り注いだ。
「きゃ―――――」
「エマァァァァ――――」
彼らは相変わらずだ。確かに、こうやってみると、この世界はゲームなのかもしれないって気になってくる。あんまりに、芝居チックで。
防御の術式で守られているので、なんの被害もないのに。
「ユリウス様…どういたしましょうか?」
エルザ嬢は不安そうだ。
このままじゃらちが開かないし、仕方ない。
腹をくくって、魔術式を組む。ありったけの魔素を使っておこう。念のため。
俺の組んだ魔術式は白い光を放ちながら展開した。その温かい光は魔王を包み込む。
魔王は苦しそうに悶えている。
やがて一度背中を反らせたかと思うと、魔王はガクッと脱力して動きを止め、倒れ込んだ。
ほんとに浄化の魔術式で済むんだ。魔王ってもっと倒すの大変なものだと思ってたよ。
これで死亡フラグってどうなってるんだろうって感じだけど、逆にゲームの設定に感謝かもしれない。
たぶん、ファンタジー要素がおまけ程度の恋愛シミレーションゲームなんだろうなぁ。
「これで終わり?てか、ユリウス聖魔法使えたんだ。」
ラインハルトの言葉に振り向くと
「ユリウス様、いつの間に聖魔法に目覚められたんですの?シナリオでは、セカンドシーズンまで聖魔法は使えませんのに。」
と目を真ん丸にしたエルザ嬢と目が合った。
今、聞きたくない単語が聞こえた気がするなー。
「まぁ、能力は隠しておくものでしょ?」
エルザ嬢の言葉は気にしないことにして、前世の弟に答える。
何でか、その時、雨実の顔がさみしそうで、すごく遠いところにいるみたいに感じた。自分のすぐ後ろにいるはずなのに。
その時、強力な魔素の波動を感じた。
封じの壁で感じたような、嫌な感じ。バッとそちらに顔を向けると、そこには見たことのない魔術式が構築されていた。
なんだ、あれ。
思わず鳥肌が立って、冷や汗が流れるのを感じる。
「あれは…やばい」
ラインハルトはそう言って、魔術式の方に向かっていった。
「ラインハルト!」
叫んで呼ぶ。
「あと頼む!!」
ラインハルトがそう言った瞬間、魔術式が展開された。
それと同時に、別の強力な魔術式が現れる。見たことのないその術式は、もう一方の術式を阻害するように、展開された。
広間が黒い球に包まれたかと思うと、それがはじけた。
瞬間、とてつもない衝撃が起こる。
地響きがなったように地面が揺れ、衝撃風が吹き荒れた。
「エルザ嬢!」
近くにいた彼女の腕をつかんで、彼女が吹っ飛ばされるのを何とか防ぐ。
防御してなければ自分も吹っ飛ばされていた。
エルザ嬢は、さっきの衝撃で気を失ってるようだった。
辺りには黒いもやと砂ぼこりが吹き荒れて、視界がはっきりしない。
「雨実!!」
心臓がうるさい。大丈夫、あいつなら、大丈夫なはず。
だって…
さっきの雨実の顔が頭から離れない。
またこうして巡り合って、きっとこれからも一緒にいるんだ。
祈りを込めてあたりを見渡す。視界がはっきりしないけど、他のメンバーはみんな倒れてエルザ嬢のように気を失っているようだった。
風がやみ、砂ぼこりが落ち着いてきた。
広間だった場所の真ん中に誰かが立っているのが見えた。
黒いもやを纏ったそれは、明らかに人じゃなった。
背中には黒い羽のようなものが数枚生えている。頭には渦を巻いた黒い角が生えているのが見えた。
さっきのレオとは全然違う。場を支配するような気配に、あまり濃い魔素にのどが詰まるように感じる。
ゲームのシナリオなんて…軽く考えてたんじゃないか?
魔王は、レオなんかじゃなくて…
弟を探したいのに、その、人ではない何かから目が離せない。
ゆっくりと、それはこちらに振り向いた。
その顔は…
弟と同じ顔をしていた。
端正に整ったあの、顔。紅の瞳は金の虹彩を寂しそうに煌めかせて、それは軽く笑った。
「だから言ったしょ?今世は他人でいいって。」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ユリウス…死にませんでした。