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そんなばかな。
犬がしゃべる……だと?
自分のことは棚に上げて、わたしはおそるおそる話しかけた。
「……みゃうん? (……わたしの言葉がわかるの?)」
「わふう……。(わかる……)」
そんな、まさか!
なにこの奇跡の邂逅。
ちょっとややこしいから、猫語と犬語部分を省いて腹を割って話そう。わたしたちは、にゃんにゃんわふわふ話しはじめる。
「(もしかしてあなたも、転生者? いや、転生犬?)」
「(まさか……そっちも? 前世の記憶があるのか!?)」
話せることだけじゃなく、わたしと同じ転生仲間であることが判明した。
はじめてだよ、おんなじ境遇の人と出会ったのは。
人というか、犬だけど。
ここって動物に転生しないといけない世界なの?
「(わたしの名前はココ。わんちゃんのお名前は?)」
「(わんちゃん言うな。俺の名前はフィリップ。シシリアにはフィルって呼ばれてる)」
シシリア……?
彼を抱っこする飼い主の女の子の名前だろうか。会話するわたしたちを、まさか本当に会話しているとは思っていない様子で、少しだけ目元を緩めて眺めている。
「(おまえ、なんでまた、猫になんて生まれ変わってるんだ?)」
「(なんでって、飼い猫最高じゃん。ご飯もらって、おやつもらって、かわいがられて、マグロもらって。飼い犬はイマイチなの?)」
「(おま……、食意地しかないのかよ。そうじゃなくて、この世界、乙女ゲームの世界なのに、なんで猫になってるのかって訊いてるんだよ)」
「(……え? 乙女ゲーム? なに言ってるの?)」
わたしが小首を傾げると、仔犬改めフィリップが、驚愕の表情をした。器用な犬だ。体はのけぞっているのに前脚をぴんと前に伸ばして固まる姿はなかなか愛嬌がある。
「(本当になにも知らないのか!? 攻略対象の兄弟のところで飼われてるのに!?)」
攻略対象?
いや、乙女ゲームくらい知ってるよ。多種多様なイケメンをヒロインが落としていくゲームでしょう? 一回もやったことないけど。
「(本当に、この世界の知識なしに、のうのうと猫生を満喫していたのか……? おまえ、すげぇな)」
素直に感心されて、むっとする。
「(ばかにしてるの? わたしだってマグロばっかり食べるわけじゃないよ!)」
「(マグロばっかり食ってるのか……)」
イルカもちゃんと食べてるよ! 鯨だったけど。
仔犬のくせに呆れた顔をするなんて。そんなかわいい顔しても絆されないからね!
「(この世界が乙女ゲームの世界って、なんの根拠があってそんなラノベみたいなことを言ってるの? 素直に全部話さないと、わたしの必殺猫パンチが炸裂するよ?)」
わたしが前脚の肉球を見せつけると、フィリップはふすんとため息をついた。なんだかしっぽも力なく垂れ下がっている。
「(ここが乙女ゲームの世界なのは間違いない。登場人物もすでにふたり見知ってるし、おまえのところの兄弟を合わせると四人だ。実は、俺の飼い主、シシリアは……悪役令嬢なんだ)」
にゃ、にゃんですと!?
わたしはシシリア嬢をまじまじと見上げた。顔立ちはきつめだが、性格は悪そうには見えない。仔犬を抱っこしている時点で動物好き確定なのに、悪役令嬢?
「(俺はシシリアの破滅フラグ回避のために行動している)」
「(えっ! この子破滅しちゃうの? いい子そうなのに……)」
「(そう! そうなんだ! シシリアは本来いい子なんだ。野犬に襲われてた俺のことを、身を呈して庇ってくれた。優しい子なんだ)」
フィリップが身を乗り出して来る。シシリア嬢が、猫ちゃんが驚くからだめよ、と言いながら抱っこし直した。
なるほど、確かにいい子だ。
そしてフィリップがシシリア嬢のことをとても慕っているのがよくわかる。
慕っているというか、懐いている。本人が気づいているかどうかわからないけど、頭を撫でるシシリア嬢の手をあま噛みして、しっぽをぶんぶん振り回している。
「(この乙女ゲームはヒロイン以外の登場人物の過去が、とにかくシリアス展開でえげつないんだ。おまえの飼い主のジョセフとルーカス、その攻略対象兄弟ふたりも確か、悲惨な幼少期を送っている設定だったぞ?)」
にゃ、にゃんですと!?
うちのジョセとルカが!?
だけど我が家は今のところ平穏な生活を送っている。もちろん兄弟仲もいい。
もしかしてこれからなにか起きる……?
フィリップの言うことを完全に信じたわけではないけど、不安の芽は摘んでおくに越したことはない。
「(ふたりになにが起きるの!? 教えて!)」
わたしが身を乗り出すと、しっぽを引っ張られて引き戻された。
振り返って、あ……、となった。
ルーカス、めちゃくちゃ拗ねてる。
わたしが仔犬に夢中になっていたのを咎めるように、自分の膝をぱしぱしと叩いた。
抱っこしたいのね。仕方ないなあ。
わたしはすくりと立ち上がると、ルーカスの足の間に体を滑らせ、フィリップの方を向いてお座りした。
ルーカスはこれは自分の猫だと威嚇するようにフィリップをにらんでから、わたしをぎゅむっと抱き締める。
ルーカスの猫ちゃんだから、ほら、機嫌直して。首は締めちゃだめだよ、死ぬから。
「(……大丈夫か? 耳、食われるぞ?)」
「(いつものことだから平気だよ。それより、ふたりに一体なにが起こるの?)」
フィリップはわたしを見て、ルーカスを見て、わたしに戻した。
「(起こると言うか……本来ならもう起きているはずなんだ)」
「(どういうこと?)」
「(まず、おまえの頭をよだれまみれにしているそこのルーカス。ガーランド家の悲劇は、ルーカスが魔力制御できずに産まれたことによって、母親を死なせてしまうところからはじまるんだ)」
「(!!??)」
それは確かに、わたしが特異体質でなければ起こり得たかもしれない未来だった。
戦慄するわたしにフィリップは続けた。
「(ガーランド家の当主は妻を救えなかった後悔から、失意のまま数年後に魔力暴走を起こして死に、母親だけでなく父親も失った兄ジョセフの恨みはルーカスに向くことになり、魔力の問題でも弟に対して劣等感を抱いて苦悩する。兄に恨まれ家族の愛情を知らずに育つルーカスは、魔力によって人を寄せつけず、ほとんど人と接することなく、母親殺しの贖罪を背負って成長することになる。それがヒロインに出会うまでのガーランド兄弟の過去だったはずだ)」
なんというか……悲惨過ぎる。
旦那様まで死んでしまうの……?
だけど奥様を失っていたら……旦那様のことだから、きっと深い後悔をしたはず。
わたしは奥様も旦那様も大好きだ。ふたりが死んでしまうくらいなら、神様にお祈りして自分の命と引き換えにしてもらうことも辞さない。
もちろんジョセフとルーカスもわたしの大事な家族。ふたりが仲良く過ごせるように、猫の手を一本でも二本でも貸すよ。あ、しっぽもね。
だけど、乙女ゲームってそういうものだった?
わたしが知ってるのは、キラキラした恋愛物語だったはずなんだけど。
なんかこう、学園的なところで、きゃっきゃっしながら勉強をそこそこに恋愛するやつじゃないの?
もしかしてわたし、知識が古い?
フィリップはしゃべり方からして十代の男の子っぽいし、わたしの精神年齢がバレるとなんか、敬語とか使われそうで嫌……。
ここはフィリップに合わせておくのが得策か。
「(そ、そうにゃんだ……)」
「(猫語が混ざってるぞ?)」
いや、これは普通によく使うやつ。
「(でも、なんでフィリップは乙女ゲームなんて知ってるの? 雄だよね?)」
「(言い方……。なんというか、好きな声優さんにつられて……?)」
フィリップは恥ずかしいのか、目元を前脚で覆った。
なにそれ、かわいい。今度真似しよう。
「(とにかく俺は、シシリアが平穏無事に生きていてくれたらいいんだ。俺はシシリアの忠犬だから)」
忠犬フィル公……!
わたしだってガーランド家の人たちが幸せに暮らしていけるのなら、どんな苦難にだって立ち向かう。
だけどまあ、たとえここがその乙女ゲームとやらの世界だとしても、実際のところ奥様はぴんぴんしてるし、旦那様といちゃいちゃしてるし、なんならすぐにまた子供が産まれそうなくらいラブラブだ。
ジョセフとルーカスの仲も良好。
なにも問題ないんじゃない?
「(もしその乙女ゲームの世界だとしても、奥様が生きてるからそのシナリオ通りにはならないんじゃないかな?)」
「(物語の強制力をあまく見ない方がいい)」
「(え?)」
聞き返したところで、ジョセフがこちらへと歩いて来るのが見えた。
おんなじ年頃の黒髪の男の子と一緒に。
フィリップ(1歳未満)
ココと同じ転生者
飼い主のフラグ回避のために奮闘するシェパードの仔犬