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わたしは猫である。
名前はまだない……と、先人ならぬ先猫に倣って言い放ちたいところだけど、ココというかわいい名前を飼い主様ご家族にいただいた。
だからわたしはココ。
呼びやすいところが気に入っている。
まあ、わたしの口からは、にゃん、しか出てこないけど。
ふわふわの銀色の毛並みにブルーの瞳、しなやかな体躯に、ピンクの肉球、そしてすんなりとまっすぐなしっぽ。ほかの猫に会ったことがないからわからないけど、たぶんなかなかの美猫だと思う。
姿見に映るわたしはまるで高貴なお猫様だ。
そんなわたしには秘密がある。
前世の記憶があるということ。
この世界とは別の世界で人間として生まれて、ある程度生きて死んだ。そのあたりはおもしろい話でもないので割愛する。
人並みに紆余曲折あって、わたしは死ぬときに神様に祈った。無神論者だったけど、死ぬまでに少し時間があったから気まぐれに祈った。
輪廻転生があるとしても、もう人間は勘弁してください。
もし生まれ変われるのなら、優しい飼い主にかわいがられる犬か猫になりたい、と。
神様って本当にいるんだね。
その最期の願いが届いたのか、わたしは異世界でハッピー飼い猫ライフを満喫している。
なんで異世界と断定しているかというと、この世界の人たちは魔術を使うから!
魔法じゃなくて、魔術。名称が違うだけで魔法も魔術も根本は同じものだと思っている。
生活の至るところに魔術が組み込まれていて、前世のわたしがいた世界に匹敵する生活水準。魔力がエネルギー資源で、魔術が科学技術なのかなと思っている。
わたしは猫だから、詳しいことはわからない。
そういう難しいお話は人間さんたちにお任せします。
わたしの飼い主は、若い美男美女のご夫婦と五歳のやんちゃ盛りの息子の、絵に描いたような幸せなご家族だ。
この家の主人で旦那様のアルフレッド・ガーランド、二十六歳。シルバーの長い髪を三つ編みにした、アイスブルーの瞳を持つ冷たい相貌の美丈夫だ。とはいえ家族と飼い猫のわたしに対してだけ、その鋭い切長の目は途端に優しくなる。
ほら、わたし、愛され猫ちゃんだから。
お仕事の邪魔をして書類の上に寝そべっても怒らないし、気まぐれに肉球を触らせてあげると頰を緩める、かなりの猫好きさんだ。
奥様はエリス・ガーランド、二十四歳。さらりとした桜色の髪に榛色のぱっちりとした瞳を持つ、優しい面立ちの美女だ。美女というか、年齢よりも若々しく見えるから美少女っぽい。顔立ちは清純派アイドルみたいな愛らしさなのに体はグラビアアイドルっていう、男の理想みたいな容姿をしている。
ちなみにわたしは奥様が拾ってきた子だ。
産まれたばかりの頃、わたしはほかの兄弟よりも体が小さく弱かったせいなのか、早々に母猫から養育を放棄されて、家族の輪から弾き出されることとなった。
動物の世界はシビアだ。育つかわからない弱い仔猫にやるミルクはないという。
まだ乳飲み子だったわたしは、行き場もなく、周囲を彷徨った挙句、道で野垂れ死にしかけていた。
朦朧とする意識の中、わたしを優しく抱き上げてくれた奥様は命の恩人だ。
わたしが旦那様に似た色を持っていたから、縁を感じたんだって。
いつか恩返しをしたいけど、わたしにできることなんて愛嬌を振り撒くことだけ。にゃん、と鳴きながら後脚で立ち、前脚の肉球を合わせてありがとうポーズを決める。
奥様は頰を染めて身悶えしてからおやつをくれるので、たぶんわたしの感謝は微塵も通じていない。
おやつをはみはみしながら、ため息をつく日々。
旦那様と奥様の息子であるジョセフは、奥様の髪色と旦那様の瞳の色を受け継いだ男の子で、顔立ちはどちらかというと奥様寄り。成長したら顔立ちが変わってくるかもしれないけど、どっちにしても美男子になるだろう将来有望株。
ガーランド家は、魔術師伯? というこの国でも有名な強い魔術師が生まれる貴族のお家で、仔猫のわたしにとってはテーマパーク並みに広いお屋敷に暮らしている。
たまに迷子になるけど、首に巻かれた鈴つきのピンク色のリボンにかけられた魔術のおかげで必ず見つけてもらえるので、今のところ遭難はせずに済んでいた。
このまま幸せな猫生を満喫して老後を迎えることがわたしの夢だ。
さすがに猫と番って仔猫を産もうと思うほど精神が猫に染まっていないので、野良の雄猫には注意している。
ガーランド夫妻がいい人たちだからか、使用人さんたちもお客様もとっても優しい。
まあ、悪い人がいたら、わたしが密告しちゃうからね!
この間も、旦那様が不在中に旦那様に横恋慕する悪い令嬢が家に押しかけてきて、玄関先で奥様を責め立てて来たから、わたしが追い払ってやった! ……と言いたいところだけど、わたしはしがない猫でしかないので、すぐさま旦那様を呼んで助けに来てもらった。
屋敷の壁に緊急時に鳴らすチンベルっぽいベルがあって、それを鳴らすと旦那様が来てくれるシステムらしく、わたしは前脚でめちゃくちゃチリンチリンした。
すぐに旦那様が駆けつけてくれてことなきを得たけど、怒り心頭の旦那様、死ぬほど怖かった。
周囲の体感温度が五度は下がったのを感じたよ。わたしが怒られているわけじゃないのに、思わずイカ耳になってしっぽをお腹の下に隠してしまった。
あれを好きになれる令嬢の視力が心配。
奥様よりも自分の方がふさわしいとか言っちゃってる時点で視力死んでたけどね。
うちの飼い主様は美男美女のお似合い夫婦だからね!
しっぽをピンと立てて足取り軽くご機嫌に歩いていると、ジョセフと出くわした。
「ココ!」
「みゃん」
ジョセ、元気?
って、聞くまでもなく元気だよね、元気有り余ってるよね。五歳だもん。
抱っこする?
ジョセフが抱っこしやすいように体の力を抜いた。
わたしを持ち上げたジョセフはいつも以上に興奮している。
なにかあった?
「ココ聞いて! 僕、お兄ちゃんになるんだ!」
にゃ、にゃんですと!?
それはつまり奥様のお腹に赤ちゃんがいるってこと?
ええっ! 家族が増えるの!?
ジョセフに抱っこされたまま旦那様と奥様のところへ移動する。
ソファにかけた奥様も、傍らに寄り添い立つ旦那様も、すごく幸せそうに微笑み合っている。映画のワンシーンみたいに。
ジョセフが奥様の隣に座ると、わたしの目線は奥様のお腹あたりで、ふすふすと鼻を鳴らしながらそこを凝視した。
ここに新しい命が。
そしてわたしは、はっとした。
わたし……というか、猫って、妊婦さんに近づいていいの?
家猫だし、拾われてから獣医さんにもかかっているし、もちろん寄生虫なんていないと思うけど……。
心配だからあんまり近づかない方がいいよね?
恩を仇で返したくないし。
「ココがずっと母上のお腹を見てる……」
「わかるのかしら? ココはとても賢いから」
人間並みの知能を持ってるからね。
ネコ科の本能に逆らえずに猫じゃらしに夢中になったりするけど、見た目は猫、頭脳は人間だよ。
「ココ、エリスの腹には赤子がいるんだ」
ジョセから聞いたよ、旦那様。
耳をぴくぴくさせて聞いているアピールをすると、旦那様の大きな手のひらがわたしの背中を撫でた。強めの撫で撫で、気持ちいい。
「私がずっと付き添っていたいんだが、さすがにそれは叶わないからな……ココ、エリスのことを頼んだぞ」
また変なお客が来たら、お腹の赤ちゃんに影響するかもしれないもんね、わたしがんばって追い払うよ!
必殺肉球パンチをお見舞いするよ!
「父上! なんで僕じゃなくてココなの!? 僕だって母上を守れるのに!」
お兄ちゃんの自覚が出て来たのか、むすっとしたジョセフに、ぽんと肉球を押しつける。
ふたりで赤ちゃんを守っていけばいいんだよ。
それにわたしは寄生虫問題であんまり奥様に近づけない。その分奥様に寄り添う仕事はきみに任せる。頼りにしてるよジョセ。
「ココが慰めているぞ、ジョセフ」
「僕の方がお兄ちゃんだぞ、ココ」
「にゃん」
頭を擦りつけて媚を売ると、すぐに相好を崩す。この家の人たちは猫にあまい。
来年には赤ちゃんが産まれるのかぁ。
楽しみ!
ココ・ガーランド(1歳未満)
猫生満喫中の転生者
アルフレッド(アル)・ガーランド(26)
魔術師伯(伯爵) 猫好き
エリス・ガーランド(24)
ココの命の恩人 猫好き
ジョセフ(ジョセ)・ガーランド(5)
ココのお兄ちゃん 猫好き