第二十二話 バレンタイン狂想曲
リアクションありがとうございました。
王立ブルーローズ学園。
そこは貴族の子女を対象とした教育機関であるが、元々は王都に存在するダンジョンを管理する機関であり、またダンジョンに関する研究機関でもある。
特に研究機関はダンジョンそのものの研究から、ダンジョンから得られる資源とその利用方法、ダンジョンに出現する魔物に関する研究と内容が拡大して行き、そこから派生して教育機関が誕生した経緯がある。
施設と予算の規模からすれば、研究機関の方が主で教育機関の方がおまけと言えるかもしれない。
ダンジョンは未知の塊で、研究対象には事欠かない。
そもそも、ダンジョンがどうやって発生するのか? ダンジョンを満たす魔力はどこからどう流れて来るのか?
その根源的な問いに対する答えは誰も持っていなかった。
宝箱から出て来るアイテム類がどこから現れたのかも不明だが、宝箱から出て来る物の中には製法不明の魔法薬や魔道具も数多く存在する。
宝箱から得られたアイテムの一部は研究機関が買い上げ、その詳細や仕組み、人為的に再現できないかと言った研究が日々続けられていた。
そして、生態系を無視するかのように存在する多種多様な魔物。
ダンジョンの魔物は死ぬと魔力に還元されて死体が残らない。
このため、魔物の身体を解剖して調べることもできず、標本を残すこともできず、研究がなかなか進まない分野だった。
それでも地道に研究は続けられた。
ダンジョンに入った冒険者から情報を聞き取ったり。
ダンジョンの外の同種の魔物を調べたり。
弱い魔物ならば生け捕りにすることもある。
また、ダンジョンの魔物であっても稀に死後に魔石以外の物を残すことがある。
俗に「ドロップアイテム」と呼ばれる魔物の身体の一部で、魔力を多く含んだ優秀な素材として重宝されていた。
他にも、ゴーレムのような無機物の魔物の場合は倒した後も死骸が残ることがあった。
そうした魔物の場合、全てを魔力で構築するのではなく、ダンジョンが生み出す鉱物類を魔力で操ることで身体としているからだと考えられている。
「この自動人形、全く動かなくなったな。」
「魔力が尽きて死んだんだろう。後で残った人形を分解して調べてみよう。」
だから、その出来事も単に捕獲した魔物が死んだとしか思われなかった。
◇◇◇
今年もまたこの時期がやってきました。
愛とチョコレートの無駄遣い、バレンタインデー。
その前哨戦となるチョコレート作り講習会も今年で三回目。
年々規模の大きくなるこのイベントは、始めた私達にももう止められません。
今年の参加者には、女子学生だけでなく教職員まで交ざっています。
私達や特別講師のナルシス君ももう三年生、今年で卒業してしまいます。
けれども、この様子ならば来年以降もこの賑やかなイベントは続いて行くことでしょう。
続いてしまってよいのかと言う気もしなくはありませんが。
バレンタインデーで贈られるチョコレートの大半は食されることなく棄てられます。
これは致し方ないことです。
貴族である以上食べるものには気を付ける必要があります。
貰い物のお菓子を食べて毒殺されたなんて知られたら、同情される以前に笑い者になってしまいます。
だから、よほど親しい人からもらったものでもない限り、気楽に食べることはありません。
そして、バレンタインチョコの多くは親しくなりたい人に贈るものです。
まだそれほど親しくない相手から送られた食べ物を食べることはまずありません。
よほど美味しいとか珍しいとならばともかく、素人の手作りチョコレートのために毒見役を危険にさらす気にはなれないでしょう。
私はまだましな方です。義理チョコ以外は自分用と家族用しか作っていません。
お義兄様は分かりませんが、お義父様は毎年喜んで私の送ったチョコレートを食べて下さっているようです。
それから、余ったチョコレートはエリカが食べてくれるので、私の作った分には無駄に棄てられるチョコレートはあまりありません。
私に関してはそんな感じなですが、他の女子の場合はそうはいきません。
貴族の令嬢にとって、如何に良い相手と結婚するかが人生の勝利条件のような面があります。
それはもう必死になります。ほとんど脈の無い相手にもアプローチするほどに。
そこまで真剣ではなく、憧れの殿方にチョコレートを贈ることもよくあるそうですが、いずれにしても食べられることなく廃棄される可能性は非常に高いのです。
この場に集められたチョコレートのどれだけが食べられて、どれだけが棄てられるのでしょうか?
もったいないお化けが出て来そうなレベルでチョコレートが無駄遣いされています。
まあ、実際に捨てるのは受け取った男子側なので、作る側はあまり気にしていません。
意中の相手に食べてもらえることを夢見ながら、わいわいがやがやと楽しくチョコレートを作っています。
せめて自分の作った分くらいは無駄なく美味しく食べられるようにしたいところです。
「キャアー!!」
その時、突然悲鳴が上がりました。
参加者が増えて手狭になった調理実習室の片隅で何やら騒ぎが起こっているようです。
いったい何が……え?
そこには、何やら得体の知れないものがありました。
それは不格好な、ギリギリ人型と呼べそうな、こげ茶色の粘土細工のような物体です。
それが、動いています。
こんな不自然な生物は見たことありません。
存在するとすれば人為的に作られた魔法生物か……あるいは、魔物です。
この場合は魔物と判断すべきでしょう。魔法生物のような希少なものがこんなところにいるはずがありません。
それにしても、何処から入って来たのでしょう?
ゴブリンくらいの小さな体ですが、人の多い調理実習室に誰にも気付かれずに入り込めるとは思いません。
いえ、今は考えている場合ではありません。
私は杖を取り出しました。
まずは魔物の被害を防がなければなりません。
私は何時でも魔法を放てるように準備しつつ、魔物の様子を窺います。
いきなり攻撃はしません。
下手に攻撃して魔物が暴れ出したら、被害が拡大してしまいます。
幸い、魔物は積極的に人を襲う気配はないので、今のうちに生徒の避難を済ませてしまいたいところです。
魔物が人を襲わずに何をしているかと言えば――あ、魔物が動き出しました。
動き出した魔物は、近くにいた女生徒を無視して机の上のチョコレートに飛びつきました。
「ああ! 私のチョコレートが!!」
「ダメ、逃げるのよ!」
チョコレートの制作者らしい女子が騒いで友達らしい女生徒に止められています。
そちらの騒ぎを無視して、魔物はチョコレートを……吸収した!?
食べたのではありません。魔物の体の表面から吸い込まれるようにチョコレートが消えました。
いえ、もしかすると同化かもしれません。
取り込んだチョコレートのデコレーションが魔物の体に模様として現れています。
そして、チョコレートを吸収する度に少しずつ大きくなっているようです。
もしかして、この魔物はチョコレート製のチョコレートモンスター!?
外からやって来たのではなく、この調理実習室でチョコレートの中から誕生した?
あるいは、今まさに誕生しようとしているのかもしれません。
人を無視してチョコレートを集めているのは、自身の体を作るためでしょう。
調理実習室にあるチョコレートを吸収し尽したら、あるいは魔物が十分に成長したと判断したら、次の行動は予測できません。
今のうちに生徒の避難を終わらせてしまいたいところです。
「魔物を刺激しないように注意して、慌てず、騒がず、迅速に避難しなさい。」
カルミア様が避難誘導を行っていますが、パニックを避けるために少しずつ順々に出て行っています。
チョコレートが全て魔物に取り込まれる前に避難が終わるか、微妙なところです。
それでも、的確な避難誘導が功を奏して室内の生徒の数はだいぶ減って来ました。
一方で、チョコレートもどんどん無くなって行っています。
既にテーブル三つ分のチョコレートが魔物に取り込まれています。
魔物がチョコレートに専念しているおかげで被害を出すことなく避難が進んでいますが、結構なハイペースでチョコレートが消費されて行きます。
そしてまたテーブル一つ分のチョコレートを平らげて次のテーブルへ……行く途中で動きを止めました。
ここにきて行動を変えましたか。魔物の視線の先は――ナルシス君!?
ついにターゲットをチョコレートから人に移しましたか!? ……いえ、ナルシス君は自作のチョコレートを抱えています。
他の生徒の作ったチョコレートとは頭一つ飛び抜けてできの良いチョコレートです。チョコレートモンスターとしては看過できなかったのでしょう。
ここはチョコレートを投げ捨てて逃げて欲しいところですが……
「くっ、魔物に奪われるくらいなら……」
ナルシス君、いきなりチョコレートを食べ始めました。
流石はナルシス君。ここぞという場面で根性が据わっています。
普段は社交的で、場の空気を読んで周囲への配慮を忘れないナルシス君ですが、どうしても譲れないことに関しては頑なな一面があります。
徹底的に根回しをして、断り辛い空気を作りまくったうえでナルシス君に交際を申し込んだ女子が、それでもきっぱりとお断りされたことは伝説となっています。
その確固たる意志を貫く姿勢は尊敬に値しますが、ここでは安全を優先して欲しかった!
仕方ありません。少し予定より早いですが、魔物との戦闘に入りましょう。
まずは魔物をナルシス君から引き離して……おや?
魔物がナルシス君を放置して別のテーブルへ向かいました。
ナルシス君の行動に呆れたのか、人の食べたチョコレートに手は出さない、みたいなチョコレートモンスターなりのこだわりがあるのか。
いずれにしても、今のところ人を襲う気配はないのでもう少し様子見です。
やがて、調理実習室から私以外の生徒がいなくなりました。
そして、チョコレートも無くなりました。
結構ギリギリでしたが、避難が間に合いました。
まあ、調理実習室から退避しただけだからまだ近くにいるだろうし、チョコレートを持ったままの生徒もいるでしょう。
もうしばらくは魔物の足止めをしておいた方が良いです。そのために私が残りました。
そう長時間足止めする必要はありません。
しばらく待てば武器を取りに行った剣術女子が帰って来るだろうし、教職員や警備員も駆けつけるはずです。
その前に片付けるつもりではありますが。
不安要素は、初見の魔物なので強さや能力が不明なこと。それから、室内なのであまり派手な大技は使い難いことです。
いざとなったら躊躇なく強力な攻撃を撃ち込むつもりですが、学園の設備を無意味に破壊することは避けたいです。
「ガァアー!」
ここまで人を襲う様子の無かった魔物ですが、流石に眼前に立ち塞がって行く手を阻めばこちらを敵とみなして威嚇してきます。
大量のチョコレートを吸収した魔物は、既に人の背丈を超えた大きさになっています。相変わらず不格好ですが。
大きさに応じた強い力を有していることは間違いないでしょう。
その他にどのような能力を持っているのかは未知。
とりあえず、一当てして様子を見てみましょう。
「ハッ!」
振り回される魔物の長くて太い腕を掻い潜って一撃を入れます。
……脆い!
魔物の胴体に打ち込んだ拳は、さしたる抵抗も無くその胴体を陥没させました。
魔物の体がチョコレートでできていることを考えれば、さして不思議なことではありません。
しかし――
「やはり、再生しますか。」
体がチョコレートでできているという時点で不思議生物です。
多少壊しても元に戻ることは想定していました。
けれども、その再生速度がかなり速いです。
その後色々と試してみましたが、頭をかち割ろうと、手足をもごうとすぐに元に戻ってしまいます。
穿った穴はすぐに塞がり、切り離した部位はくっ付ければ元通り。
攻撃力とかは大したことありませんが、実に厄介な相手です。
たぶん、剣とか槍とか武器を使っても効果は薄そうです。一点攻撃の穿光もあまり効きそうにありません。
切り離した部分が別個体となって無限増殖しなくて良かったです。弱くても数が多くなると抑えきれなくなります。
ただ、手足を切り離して届かない場所に置いても、新しい手足を生やしてしまうので動きを封じることができません。
切り離された手足を回収しに行くので時間は稼げますが。
さて、どうしましょう。
最終的に魔物を倒す方法がありません。
ないこともないのですが、実行するには問題があります。
本来チョコレートの体がまともに動くはずはないのだから、魔物を魔物たらしめている核のような部分があるはずです。
ただ、その核がどこにあるのか、どのような形をしているのかも不明で、誰にも気付かれずに調理実習室に侵入してきたことからかなり小さなものであることが予想されます。
適当に攻撃しても核を破壊できる可能性は低いでしょう。
この魔物を倒すために、考えられる方法は二つあります。
一つは、魔物の体全体を一気に破壊する強力な攻撃を叩き込むこと。
どこに核があるのか分からなければ、全部潰せば良いのです。
マキシマムレーザーならば確実です。
その代り、調理実習室は全壊します。隣の建物も被害を受けるでしょう。
今のところ、チョコレート以外の目立った被害を出していない魔物に対してそれだけの被害を出してまで討伐すべきかというと少々疑問です。
マキシマムレーザーは最後の手段です。
もう一つは、魔物の体を構成するチョコレートを削り取って再吸収させないようにすること。
魔物が再生すると言っても、材料であるチョコレートが無ければ元には戻りません。
体の部位を失う毎に魔物は縮んで行き、最終的にはマキシマムレーザーに頼らずとも核ごと粉砕できるほどに小型化するはずです。
ただ……魔物から削り取った体の部位を最も簡単確実に処分する方法は、食べてしまうことなのです。
他に確実にチョコレートを取り返されない手段は、現状では用意できません。
ですが、一度魔物に吸収されたチョコレートを食べるのは抵抗があります。
それに、貴族の令嬢が貴族の殿方に贈るために作っていたチョコレートです。何が混入されているか分からず危険です。
そもそも、一人で食べきれる量ではありません!
困りました。さて、どうしましょう?
「避難はほぼ終わりました。こちらの状況はどうですか?」
その時、カルミア様が戻ってきました。
避難誘導は一段落したようです。
「強い魔物でもないので足止めは難しくありませんが、倒すのは大変そうですね。」
私の方も状況を簡潔に伝えます。
そろそろ方針を決めたいところですが、決め手に欠けます。
このままでは人数が増えたところで有効な攻撃方法がありません。
むしろ、スラム街の孤児集団を連れてきた方が効果的かもしれません。魔物だろうと遠慮容赦なく食い尽くしてくれるでしょう。
「それで、これはゲームのイベントではないのですか?」
「はい。ゲームのイベントには存在しない魔物です。小説の方はどうですか?」
「小説にも出てきません、このような珍妙な魔物は。」
私達は小声で確認し合いました。
既にカルミア様とは情報のすり合わせを行っていますが、何か予想外の出来事が起こったら念のために互いに確認すると決めていました。
まあ、それとは別に今回の一件はイベントっぽいです。
バレンタインデーに合わせるようにチョコレートモンスターが現れたのです。作為を感じます。
けれども、ゲームのイベントでないことは確かです。バレンタインデーは三年間毎年好感度確認のイベントです。
小説では魔物との戦闘も少なめだということなので、カルミア様が覚えていないのならば確かに出てこないのでしょう。
こんな特徴的な魔物、忘れるとか思い出せないとか言ったことは無いと思うのです。
あれ? こんな魔物の話をどこかで聞いたような気が……
バレンタインデー、チョコレート、魔物……あ!
「思い出しました! これ、購入者特典の書き下ろしショートストーリーです!!」
「え?」
ゲームの初回特典として、原作者書き下ろしのショートストーリーが封入されていました。
そのエピソードに登場するのがこのチョコレートモンスターです。
ゲームのイベントとは無関係なので忘れていました。
「それで、そのショートストーリーではどういった結末になるのですか?」
「最後はニゲラ王子が魔物によって大量のチョコレートを食べさせられることになります。」
「それは……拙いですね。」
はい、とても拙いです。
物語的には落ちが付いて終わりの喜劇ですが、それが現実になると問題です。
ニゲラ殿下が学園内で魔物に襲われたという時点で責任問題が発生して面倒なことになります。
この時期に学園がごたつくと、その混乱に乗じて何かやらかす者が現れかねません。
今まで頑張って裏工作を行って固めた守りに綻びが生じかねません。
「いったい、どういう魔物なのですか!?」
「確か……物に憑りつくゴースト系の魔物で、本体に自我はなく、憑いた物に込められた思いに従って動く、だったはずです。」
器物系の魔物と非常に紛らわしい魔物です。
鎧に憑けばリビングメイル。石像に憑けばガーゴイル。死体に憑けばアンデッド。
倒されたゴーレムの残骸に憑りつけば、倒されたゴーレムが復活したかのように振舞います。
「すると、チョコレートに憑りついた魔物の目的は……」
「男性にチョコレートを食べさせることでしょう。」
「それなら、ナルシスさんが無事だった理由も……」
「自分でチョコレートを食べたからですね。」
ここまで大きな被害が出なかった理由は、女子ばかりだったからでしょう。
ナルシス君が無事だったのは偶然です。危うく犠牲者第一号になるところでした。
ですが、これからやって来る教職員や警備員も男性ならば魔物の被害を受ける恐れがあります。
特典ショートストーリーでは攻略対象全員、つまりローレルでさえチョコレートを強制的に食べさせられているのです。
ナルシス君に倣ってチョコレートを食べながら戦いますか? なんかシュールです。
増援が来ても、それはそれで面倒なことになりそうです。
いっそマキシマムレーザーで跡形もなく消し飛ばすのが一番面倒がなくてよいのですが、それをやっちゃうと後始末が凄く面倒になります。
本当に、どうしましょう?
あれ?
ちょっと待ってください。
あれがゴースト系の魔物だとすれば……
「浄化!」
魔物は動かなくなりました。
もう大きなチョコレート人形です。不格好ですが。
「終わったの……ですか?」
「終わりました。あれはもうただのチョコレートの塊です。」
その後、やってきた教職員や警備員に状況を話し、魔物だったチョコレートの塊は魔物の研究機関が引き取ることになりました。
中断したチョコレート作り講習会は三日後に再度行われました。
本来ならば安全確認等で調理実習室の使用許可が下りるまでにはもっと時間がかかるはずでした。けれどもそれではバレンタインデー当日に間に合わなくなります。
こういう場合の乙女の行動力を舐めてはいけません。しかも、ただの乙女ではなく貴族の令嬢たちです。
多数の要望に学園側が折れ、チョコレート作り講習会は無事開催されました。
それにしても……本当に出ちゃいましたね、もったいないお化け。




