第十九話 王都散策
・2025年8月24日 誤字修正
誤字修正ありがとうございました。
評価設定、ブックマーク登録およびリアクションありがとうございました。
体育祭も終わり、文化祭も終わり、その後片付けも終わったある日のこと。
私は一人王都の街を歩いていました。
学園生活で必要な物はだいたい学園内で揃いますし、それで間に合わない場合は使用人が調達して来るのが普通なので、生徒自ら王都の街に出歩く必要はほとんどありません。
特に学園の敷地内に建てられた学生寮に入寮した生徒は卒業するまでの三年間学園から一歩も外に出ないで過ごすことも可能です。
まあ、だいたいの生徒は「学生のうちに遊ばなければ損」とばかりに休日には街に繰り出して遊ぶようです。
私は学業優先なのでたまに友人の付き合いで遊びに出るくらいですが、それとは別に王都の地理を把握する目的で度々街を歩いていました。
そんな私が今来ている場所は、貴族があまり立ち寄らない区画です。
王都は幾つかの区画に分かれています。
王宮を中心とした官公庁の施設が集まった行政区。
貴族向けの邸宅が集まった貴族街。
多くの商店が軒を並べる商業区。
職人の集まった工業区。
平民の住居が集中した平民街。
そして貧民や浮浪者、故郷を追われた流民などが不法占拠してできたスラム街。
貴族の学生が遊びに向かうのは、貴族向けの商社が店舗を出している貴族街と繁華街を中心とした商業区の一部までです。
世間知らずな貴族が護衛無しで遊びに出かけられる範囲がこの辺りまでということです。
王都はそれなりに治安が良いのですが、貴族に慣れていない庶民ばかりの場所で貴族の作法を押し通せば無駄なトラブルを引き起こします。
ただ、同じ商業区でも裏の歓楽街で非合法すれすれの遊戯に興じて問題を起こし、最終的にイントリーグ家のお世話になる者も時折出て来るそうです。
学園ではあまり王都で遊び過ぎないように注意していますが、学業への影響だけでなく犯罪に巻き込まれないようにという意味もあります。
私は元庶民と言うこともあってもう少し広い範囲を行動しています。
元庶民も十歳までの事でそこまで庶民の暮らし全般に詳しいわけでもありませんが、前世の経験と今生で勉強した知識も合わせて少しずつ行動範囲を広げて行きました。
今いるのは、工業区です。
腕の良い鍛冶屋がいると聞いてやって来ました。
目的は武器の調達です。
私は騎士科の剣術の授業も受けて帯剣の許可を得ています。
これまでの戦闘イベントでは光魔法を使った支援役に徹していましたが、私自身は剣も魔法も使う戦闘スタイルを目指しています。
女子剣士剣術部の部活やダンジョンに単独で潜った時には学園の備品の剣を借りて使っていましたが、そろそろ自分専用の武器を調達しようと思ったしだいです。
ダンジョンで頑張ったので資金もたまりましたし。
今はその帰りです。
職人気質の頑固な鍛冶屋を納得させるためにひと悶着ありましたが、どうにか剣を作ってもらえることになりました。
注文したのは、短剣を二本。
短剣を両手に構える双剣のスタイルです。
私の攻撃の主力は光魔法です。
射程も長く、威力も高く、速度は最速。
攻撃用の光魔法は殺傷能力が高い半面、ストッピングパワーに欠けます。
そこで、剣の方は威力や間合いの長さよりも手数を優先しました。防御用の剣です。
ただ、さすがに短剣に杖を嵌め込むことはできませんし、双剣で両手が塞がるので杖が持てません。
そこで、杖は防具の方に装着するようにしました。
杖は別に手で握らなくても、体に触れていれば機能します。
なので、内側に杖を固定できるように細工した革製の籠手を注文しました。特注です。
これならば、腕ごと対手に向ければ杖の先で魔法の対象を示すことができます。
なかなか良い買い物をしました。
希望に則した買い物ができて上機嫌な帰り道でしたが、なんだか雲行きが怪しくなってきました。
いえ、今日の天気は快晴です。
天候の話ではなくて、鍛冶屋を出てしばらくしてから、何やら視線を感じるのです。
ねちっこい、悪意ある視線です。
とりあえず気が付いていないふりをして歩いていると、何だかガラの悪い男がたむろして道を塞いでいます。
商業区と違って、工業区は狭い道が入り組んでいます。広い道もあるのですが、貨物用の馬車が頻繁に通るので職人に用のある人は狭い路地を通ります。
人の通る路地は狭いので二、三人が端によることもなくたむろしているだけでぶつからずに通り抜けることが困難なほどに邪魔です。
蹴散らして進んでも良いのですが、ここは素直に脇道に逸れることにします。
工業区は細い路地が入り組んでいるので回避ルートに事欠きません。
ですが、入った脇道でも道を塞ぐ者がいるので、さらに別の道に進路を変えます。
そんなことを何度か繰り返しました。
これはもう確定です。
何者かが私をどこかに誘い込もうと誘導しています。
道を塞いでいる者も、同じ顔が二度三度と現れます。
私が通り過ぎた後に先回りして別の道を塞ぐように移動しているのでしょう。
計画的な犯行のようです。
これはおそらくゲームのイベントです。
この時期に発生するイベントは、誘拐イベントと呼ばれるものです。
ヒロインが誘拐され、それを攻略対象が救出するというベタな展開です。
好感度が一定以上の攻略対象に対して発生するので、二学期の三ヶ月の間にヒロインは最大四回誘拐されます。
五回でないのは、ニゲラ王子とローレルのイベントがセットになっているからです。
好感度の条件を満たしていれば、ニゲラ王子かローレルのどちらか一方、または両方のイベントCGと会話イベントが見られます。
今の状況は、ケールかアスター先生の誘拐イベントですね。
ニゲラ王子とローレルの場合は王国転覆を目指す反政府組織の暗殺者の、ガザニア先輩の場合はラバグルト公爵家と対立する派閥の貴族に雇われたゴロツキの襲撃を受け、形勢不利と見て逃げ出す敵がヒロインを攫って行くのです。
完全にとばっちりで誘拐される格好です。
ヒロインが一人でいる時にさらわれるのは、ケールかアスター先生の場合です。
どちらの誘拐イベントなのかは、すぐに分かります。
やがて、少し開けた空き地に出ました。
確かこの辺りは倉庫が集まっていて、普段は人気のない場所だったはずです。
しかし、今はその空き地をぐるっと取り囲み、逃げ場を塞ぐように人が並んでいました。
背後で私の入ってきた路地もすぐに塞がりました。
彼らは全員同じような奇妙な格好をしていました。
白いゆったりとしたローブを身に纏い。
白い三角の帽子を頭にかぶり。
白い仮面で顔を覆っています。
この格好は、邪神教団。アスター先生の誘拐イベントです。
まあ、予想はしていました。
ほとんどの恋愛イベントをスルーしまくった結果、誘拐イベントが発生するほどに好感度が上がっているのはアスター先生くらいです。
ケールの誘拐イベントの場合は、犯罪者グループによる人攫いになります。
ざっと見た感じ、素人集団ですね。
邪神教団は色々と危険な犯罪行為も行っていますが、そうした荒事を中心となって行うのは教団の中でも極一部の者だそうです。
教団の信者の多くは教会の威光で救われなかった社会的弱者であり、元から暴力的な犯罪者ではありません。
彼らは確実に包囲して私を逃がさないために集められた人手なのでしょう。
他の誘拐イベントと異なり、アスター先生の場合だけは最初からヒロインを目的とした誘拐です。
なぜならば、私は教会が「聖なるもの」と定めた光魔法の使い手だからです。
邪神教団は教会に対するアンチテーゼとして生まれた集団です。
土着の宗教の神を邪神に貶めたとか言ったものではなく、教会の教えを否定するために邪神という女神ラフレシアに対立する存在を持ち出したのです。
キリスト教に対する悪魔崇拝のようなものでしょうか。
だから、邪神教団は教会の逆を行います。
教会が光魔法を聖なるものと言うならば、邪神教団は光魔法を悪しきものとして貶めます。
邪神と言うのも教会の説く神話の中で女神によって封じられたとされる悪しき神のことです。
彼らの白で統一された装束は、教会の聖なるシンボルとして扱われた光を弾き返すためのものだそうです。
そんな邪神教団が光魔法の使い手を誘拐して何をするか?
邪神への生贄として捧げるのだそうです。ベタですねー。
光魔法の使い手は、そのほとんどを教会が確保し厳重に管理しています。
普段は教会の奥で生活し、外出する時も護衛が付くので、実は弱小の邪神教団では手が出せません。
そんな中、単独で王都を歩き回る私はまたとない獲物だったのでしょう。
確実に確保するために、これだけの人数を繰り出してきました。
でも、付き合って攫われてあげる義理も無いのでさっさと逃げましょう。
ケールの誘拐イベントの場合は他にも誘拐された人がいるので、一度わざと捕まってまとめて救出する手もあったのですが、邪神教団相手ではその必要もありません。
見た感じ、荒事に慣れていない人が大半のようです。
普通ならばこれでも十分すぎる戦力です。
年若い女学生一人捕まえるのに、成人男性がニ、三人いれば十分にお釣りが来ます。
この人数はあくまで私に逃げられないように包囲するためのものでしょう。
色々と普通じゃなくて済みません。
私が攻撃魔法を使えることも知らないでしょう。
教会のイメージ戦略で光魔法に攻撃的な魔法が存在することはあまり知られていませんし、私が攻撃魔法を開発したことはアスター先生にも教えていません。
歩くセキュリティーホールに手の内は明かしませんよ。
ただ、光魔法の攻撃魔法は殺傷能力が高すぎます。
視界の範囲内にいる全員を一瞬で皆殺しにすることも可能です。
さすがに大量虐殺はやり過ぎです。
それに、この程度の相手に魔法は不要です。
素人が束になってかかって来ても問題ありません。
剣術女子を舐めないでください。
注文した剣はまだできていませんが、素手で十分です。
問題は……素人でない人が一人交じっていることでしょうか。
その素人でない一人が私の前に進み出ました。
「お嬢さん、悪いが我々と一緒に来てもらおう。」
「お断りします。門限までに帰らないといけないので、あなた方に構っている暇はありません。」
そう言って、私は左足を軽く引き、腰を落としました。
外からは分かり難いですが、戦闘態勢です。
目の前の男には通じたらしく、こちらも拳を構えます。
そして、私達はお互いに間合いを測りながらじりじりと動きます。
いきなり殴りかかってこないあたり、単に喧嘩慣れしているのではなく、何らかの武術の心得があるようです。
しばらく地味な間合いの攻防を続けていましたが、荒事は目の前の男一人に任されているのか、他の教団員は近寄ってくる様子はありません。
乱戦ならば乱戦なりのやり方はありますが、他の者が手を出さないのならば目の前の男をまずは倒してしましましょう。
私は勝負を決するべく、わずかに深く間合いを詰めました。
「シッ!」
素早くしゃがみこんだ私の頭上を、音を立てて拳が通り過ぎました。
誘いだったことは分かっているはずなのに、躊躇なく打ち込んできました。やりますね。
そして、空ぶったのに体勢も崩れていません。
突き出した拳も即座に引き戻し、すぐにでも次の攻撃に移れる体勢です。
ですが、次の行動に移る余裕は与えません。
私の攻撃は、しゃがみこんだ時点から始まっています。
――前掃腿
相手の踏み込んだ足を狙って払いますが、足を上げて躱されてしまいしまた。
ですが、これは片足の浮いた不安定な状態。つまり、隙です。
――後掃腿
即座に相手の軸足を狙って刈りました。
「クッ!」
ギリギリで転倒することを免れたようですが、完全に体勢が崩れました。
ここで決めます!
一気に間合いを詰めて、しゃがんだ状態から起き上がる勢いも上乗せして、
――猛虎硬爬山!
不自然な体勢から咄嗟に防御しようとしたのは大したものですが、不完全な防御を払いのけて必殺の一撃を叩き込みます!
会心の一撃に、男は声も無く沈みました。
それなりに鍛えていたようですが、まだまだ功夫が足りません。(殺してはいませんよ)
周囲を見ると、戦闘要員の男が倒されるとは思ってもいなかったのでしょう、明らかに動揺しています。
強い一人で勝てなかったのなら、後は数で押すくらいしか手はないはずですが、それを実行する指揮官はいないようです。
助かりました。
武器も持たない素人集団が数で来ても倒し切る自信はありますが、これだけの人数を叩き伏せるには時間がかかります。
虐殺してよいのならば一瞬で終わりますが。
ここであまり時間を取られると寮の門限に間に合わなくなります。
門限破りをすると、寮母さんに絞られます。それはもうこってりと。
邪神教団よりも、よほど恐ろしいです。
相手が混乱しているうちに、さっさとずらかりましょう。
逃走経路は既に目星を付けてあります。
まずは、道を塞いでいる邪魔な教団員を殴り倒して……おや?
「全員その場を動くな!」
気が付くと、私を包囲していた邪神教団が、さらにその外側から包囲されていました。
あれは、王都を守る衛兵です。
目の前の敵に集中していて気が付きませんでした。私もまだまだ未熟です。
邪神教団は教会に対する嫌がらせやら犯罪行為やらを繰り返していて非合法扱いの組織です。
それ以前に、これだけ怪しい連中が大勢で怪しいことをしていれば、衛兵だって動きます。
終わったー。
終わりました。
衛兵の事情聴取に付き合っていたら、どれだけ時間を取られるか分かったものではありません。
これでは門限に間に合いません。
さすがに衛兵を蹴散らして逃げるわけにはいきません。
できないとは言いません。
でもやったらお尋ね者です。
はぁ~。
あれ? 衛兵の中に何だか見たような顔が……
「フリージアか? こんなところで何をしているんだ?」
それはこちらの台詞です、お義兄様!
お義兄様は学園を卒業してから王都で仕事をしているという話でしたが、その現場に遭遇したようです。
立場的に、衛兵になったわけではないと思うのですが。
後で聞いて見たところ、業務上の秘密で話せないことも多いようですが、王都の治安を守る仕事だそうです。
邪神教団が怪しい動きをしているという情報があり、調べていると教団員が集まって何かしていたので手勢を集めて一網打尽にしたらその中に私がいたという流れです。
邪神教団が光魔法の使い手を狙っていることは知られていましたが、私が狙われているとは思っていなかったそうです。
私の存在は学園の外にはほとんど知られていません。
光魔法の素質が希少だからと言って、国民に向かって大々的に発表するようなことではありません。
学園内ならば魔法科の生徒を中心に知られていますが、学生を守る意味から学園内の情報はあまり外には出回りません。
学生から少しずつは洩れますが、私個人を特定できるほどの情報が出回ることは考えにくいのです。
だから、少なくとも学園に在籍している間は「光魔法の素養を持つ子供」としての私が狙われる可能性はまずない。
そう考えられていました。
アスター先生がどこかで喋らなければですが。
お義兄様が身元を保証してくださったおかげで、私は即座に開放されました。
どうにか門限には間に合いましたよ。セーフです。
まあ、その場は解放されただけで、後日事情聴取は受けました。
あったことを正直に話しましたよ。隠すこともありませんし。
前世の記憶とかゲームのイベントとかは事件とは関係ないので話す必要はありません。
私は被害者なので、あったことをありのまま証言すればそれでよいのです。変な追及をされることもありません。
ただ、邪神教団の戦闘要員と戦って倒したことも、お義兄様の義妹だということであっさりと納得されてしまいました。
お義兄様、職場で一体何をやらかしたのですか!?
・前掃腿
しゃがんだ体勢から繰り出す回し蹴り。
・後掃腿
しゃがんだ体勢から繰り出す後ろ回し蹴り。
どちらも足元を狙う蹴りなので、急所に対する必殺の一撃にはなりませんが、相手の体勢を崩すことができます。また、立ち技中心の格闘技では低い体勢からの攻撃を見慣れていないことも多いので、奇襲として優れています。
ただ、いくら急所を狙わない技でも、転んで頭を打って死ぬことはあり得ます。素人がふざけてまねしてよい技ではありません。
・猛虎硬爬山
八極拳の開祖、李書文が得意としたとされる絶招(必殺技)。
「虎が茂みを掻き分けながら進むように、敵の防御を掻き分けて進む必殺の攻撃」だそうです。
単一の強力な攻撃と言うことではなく、フェイント等も交えて防御をこじ開けて攻撃を届かせる連続攻撃のようです。




