第十六話 二学期
・2025年4月6日 誤字修正
誤字報告ありがとうございました。
評価設定、ブックマーク登録およびリアクションありがとうございました。
九月になりました。二学期です。
夏休み中の臨海学校、林間学校での事件は関係各所に大きな波紋を投げかけた、はずです。
学生の身分ではその辺りの詳しい情報は入って来ませんので想像ですが。
去年の大蛸ならば珍しい動物が迷い込んだだけという扱いもできました。
けれども、今年は海賊(ほとんど難民でしたが)や魔物の襲来です。
どうにか無事に乗り切りましたが、本来怪我人や死人が出ても不思議ではない状況でした。
王家の保養地でそのような事件が起こったら、警備体制の不備が疑われてしまいます。
カルミア様によると、王宮、政府、軍部とそれぞれかなり慌ただしく動いているそうです。
その影響が私達学生に及ぶのはまだ少し先になります。
さて、新学期に入って私達の学生生活にも変化がありました。
私とカルミア様で始めた園芸部に新入部員が入りました。
「普通科一年のミムラス・チェリッシュです。よろしくお願いします。」
後輩です。
小柄で可愛らしい女子生徒が入部しました。
チェリッシュ男爵家の御令嬢です。
この国では男爵以上の爵位は領地と直結しており、ミムラス嬢の父親であるチェリッシュ男爵はチェリッシュ男爵領の領主になります。
爵位は、おおよそその領地の豊かさを示します。
一番下の男爵領は、領地そのものが小さいか、領地は広くても土地がやせていて農耕に向かなかったり魔物が多くて開拓が進まなかったりして豊かになれない領地です。
未開拓地が多くあるならば開拓を進めることで豊かになり、陞爵されることもあり得るのですが、簡単に開拓できるならばとっくにやっています。
特に王都から離れた辺境の地では開拓を進めるにも資金や人員の導入も困難で、そんな面倒な土地の開発をやりたがる貴族はまずいません。
そこで、平民が功績をあげて準男爵や騎士爵に叙された後、さらに功績をあげて正式な貴族になる場合はだいたいこの手の面倒な領地が与えられます。
そんなことを繰り返してきた結果、田舎の下級貴族=平民から成り上がった歴史の浅い貴族として上級貴族から蔑まれることも多いのだそうです。
チェリッシュ男爵家もそうした田舎の下級貴族に当たりますが、それでも百年くらいの歴史があります。
貴族家に拾われて平民から成り上がった初代の私とは歴史の重みが違います。
私が下級生も含めて序列最下位になる理由はここにあります。こればかりは個人の努力ではどうにもなりません。
私のことはともかくとして、チェリッシュ男爵領では代々少しずつ開拓を進めて農耕地を広げてきたのだそうです。
ただ、農耕に向いた土地でないのか、なかなか収穫量が安定せず、豊かになれなくて困っているそうです。
そんな話を聞きつけたカルミア様が、ミムラス嬢を園芸部に誘いました。
スポンサー第一号です。
夏休みの間にチェリッシュ男爵領の土のサンプルを取り寄せてあり、品種改良して土壌に合った作物を開発します。
幾つか候補となる作物ができたら、実際にチェリッシュ男爵領で試験栽培をしてもらう予定です。
領主の娘がいるので、その辺りの段取りはスムーズにいきそうです。
ミムラス嬢もかなり本気で取り組んでいます。
入学時点から農業や植物に関する勉強をするつもりで、授業の他に図書館で自主的に勉強もしていたそうです。
それをカルミア様が見つけて園芸部に勧誘しました。
手続きの関係で、正式な入部は二学期に入ってからですが、夏休み中から体験入部扱いでちょくちょく園芸部に顔を出していました。
チェリッシュ男爵領からは土だけでなく、栽培されている小麦と幾つかの野菜の種も持ち込まれているので、それらを基に品種改良を行います。
一番の狙いはチェリッシュ男爵領で安定して収穫できる小麦の品種ですが、小麦が不作の時に代用食になり得る豆や芋類、あるいは特産品になり得る野菜なども視野に入れています。
さりげなく米も育てていますが、家畜の飼料用としては認識されているので、土壌や気候に合えば試してもらおうという程度です。
カルミア様は、人間用にはもち米を作って、米っぽさが目立たない餅として提供することを考えているみたいです。
酒米は……今は置いておきましょう。
チェリッシュ男爵領向け以外の作物についても品種改良を試みています。
こちらは収穫量が多い、作物の味が良いなど目立った特徴を持つ作物を狙っています。
カルミア様が力を入れているのが、酸味を抑えてそのまま食べられるイチゴの品種です。
確かにこの世界のイチゴは酸っぱいんですよね。普通はそのままでは食べません。
私は食べたことありますよ。
まだ貧乏な平民の子供だった頃、よく野イチゴを摘んで食べていました。
無茶苦茶酸っぱかったです。
それでも貧しい家庭の子供には御馳走でした。
これが、もっと貧しいスラムの孤児だと、道端に生えている雑草まで食べるそうです。あんな苦いだけの草をよく食べる気になります。
それはともかくとして、栽培されているイチゴは野生の野イチゴよりはましですが、生で食べるには酸味が強すぎます。
カルミア様の試みが上手くいけば、イチゴの乗ったショートケーキを作ることができます。
全ては上手くいけばの話ですが、勝算はあります。
カルミア様の植物魔法は予想以上の威力がありました。
植物の成長促進だけでなく、品種改良の方向性もある程度コントロールできるそうです。
どの品種とどの品種をかけ合わせればどんな特性が引き継がれるかだいたい分かり、ある程度誘導できるのだそうです。
品種改良は本来、望む性質を持った作物ができるまで時間をかけて何度も何度も試行錯誤するものです。
それが、植物魔法を使うことで高確率で狙った特性を発現し、成長が速いので短い期間で何度も試せます。
さらに、私の光魔法による成長促進も重ねがけ出来ます。
治癒魔法を応用して成長を早める魔法を作ってみたのですが、植物魔法の成長促進とは別扱いらしく、重ねがけで効果が上がります。
しかも、植物魔法と光魔法の相乗効果でより強まっているらしく、ものによっては種を植えてから二、三日で収穫できたこともありました。
夏休みの間も何度か品種改良を行っていて、既にチェリッシュ男爵領で試験栽培してもらう候補の作物も幾つかできています。
それと、酸味を控えたイチゴの試作品も。
チェリッシュ男爵領での試験栽培結果と、品種改良したイチゴなどの作物が注目を浴びれば、カルミア様個人の能力が認められ、さらなる出資者や協力者が現れる可能性が上がります。
ラバグルト公爵家に比べればささやかでも、実家から見放されたときに個人の人脈があればできることが増えますし、カルミア様の価値を高めることでラバグルト公爵家としても切り捨て難くなります。
ここまでは順調です。
最初の予定では、試作品の作物で興味を引いて出資者を募るつもりでしたから、ミムラス嬢を引き込んだのは僥倖でした。
さて、園芸部の新入部員はもう一人います。
「魔法科一年のアイビー・フラワーガーデンです。」
序列第二位、アイビー殿下です。
学園内では家格による序列よりも先輩後輩の関係の方が優先されるので、同級生以外の序列はあまり気にする必要はないのですが、さすがに王族は別扱いです。
ミムラス嬢は序列では私よりも上ですが、後輩なので「ミムラスさん」と呼んでも問題ありません。
でもアイビー殿下は「アイビー殿下」です。気楽に後輩扱いすると問題になることがあります。
特に序列第一位ニゲラ殿下と一緒にいると面倒です。
ニゲラ殿下はアイビー殿下に対抗意識を持っているようなので、しっかりニゲラ殿下の方を立てておかないと睨まれてしまいます。
ニゲラ殿下だけでも大変なのに、これ以上王族と関わりたくありません。
そもそも、アイビー殿下はどうして園芸部に入部する気になったのでしょう?
あまり王族向きの部活ではないのですが。
「よろしくお願いします、義姉上。」
「……ニゲラ殿下とはまだ婚約の段階だから、義姉は止めていただけますか、アイビー殿下。」
カルミア様も困惑しています。
ミムラス嬢と違ってカルミア様が勧誘した人材ではなさそうです。
ミムラス嬢が連れてきたということもないでしょう。
同じ一年生ではありますが学科も異なりますし、男爵家令嬢では王族との接点なんかありません。
……序列最下位の元平民が変に王族と関りを持っていたりしますが、それは例外です。
もちろん私でもありませんよ。
アイビー殿下と接触したとニゲラ殿下に知られたら、その後の殿下の行動が読めません。
一番可能性があるのがカルミア様だったんですよね。
ニゲラ殿下の婚約者ということは将来はアイビー殿下の義姉になります。王族全員と面識があっても不思議はありません。
つくづく公爵家令嬢と言うのは雲の上の人です。
その分王家を巻き込むことの危険性も私より知っており、意味も無くアイビー殿下を招き入れることは無いでしょう。
確かに王族であるアイビー殿下が味方になれば色々と心強いのですが、下手をするとニゲラ殿下と敵対関係を疑われることになります。
ニゲラ殿下とアイビー殿下は実の兄弟であると同時に王座を争うライバルでもあります。
ニゲラ殿下がクーデターを画策し始めたのなら仕方がありませんが、現時点でニゲラ殿下と敵対するのは得策ではありません。
殿下に睨まれるだけなら良いのですが、下手にニゲラ殿下を追い詰めて内乱王子になられたら目も当てられません。
カルミア様ならばそのくらい理解しています。アイビー殿下に接触するにしても、もっとこっそりやるでしょう。
つまり、誰かに誘われたのではなく、アイビー殿下の方からやって来たのです。
まあ、園芸部は活動を秘密にしているわけではないし、調べればカルミア様が所属していることも分かります。
ですが、アイビー殿下の目的は何なのでしょうか?
純粋に園芸に興味があるのか?
カルミア様に自然に会える場所として園芸部を利用するつもりなのか?
それとも……
「フリージア先輩も、よろしくお願いします。」
……距離が近いです、アイビー殿下。
そして、何故に手を握りますか?
と言いますか、さっきカルミア様とミムラス嬢にも同じことしていましたよね。
ミムラス嬢なんか、顔を真っ赤にしていましたよ。
ニゲラ殿下の弟だけあってかなりのイケメンが、至近距離からイケボで囁くのです。
ミムラス嬢の反応も当然でしょう。
むしろ、慣れた様子でスルーしたカルミア様がクールです。
カルミア様が慣れきってしまうほど日常的にこんなことを繰り返しているのですか、アイビー殿下!?
え、私ですか?
私、というよりも前世の人が荒ぶっています。
どーせ、俺が同じことをするとセクハラになるんだろ!
イケメン無罪?
ふざけんな、コンチクショー!
爆ぜろリア充! くたばれイケメン!!
……という感情を顔に出さないように苦労しました。
曖昧な笑顔でごまかす日本人の必殺技炸裂です。
おや、アイビー殿下、一瞬ちょっとだけ不満そうな顔をしませんでした?
もしかして、私にもミムラス嬢のような反応を期待していましたか?
天然たらしじゃなくて、わざとやってんのかい! ふざけんなこのナンパ野郎!!
まあ、女子と仲良くしていると女子のネットワークの情報が多少は入って来るから重要なことではあるのですが。
女子を見下すニゲラ殿下よりはよほど良い態度です。
ただ、出会う女性を片端から口説くのはいかがなものかと。
そのうち刺されても知りませんよ。
それにしても、アイビー殿下はこんなキャラだったんですね。知りませんでした。
ゲームではアイビー殿下はほとんど登場しません。
「ざまぁルート」で失脚したニゲラ王子に代わって王太子になる場面と、「皆殺しルート」でニゲラ王子の起こしたクーデターに対するカウンタークーデターの旗頭として登場するだけです。
お義兄様もそうなのですが、ゲームでは台詞も少ないチョイ役です。
原作小説で、この二人は「ゲームではほとんど出てこない」と記載されているのでそれに合わせたそうです。
小説版では重要な役割を持ち、人気も高いキャラクターということでゲームでもちょっとだけ登場させています。
ちなみに、アイビー王子の声は、ニゲラ王子の声優さんがちょっとだけ声色を変えて当てています。
とにかく、これはゲームのイベントには無い展開です。
後でカルミア様にも確認する必要がありますが、小説の展開でもないでしょう。
園芸部での活動は小説にもゲームにもない行動です。
正直、このタイミングでやって来たアイビー殿下の意図が読めません。
「農業は国の礎です。園芸部で農作物の品種改良を行うと聞き、国のためにも何か手伝えないかと思い来ました。」
何だか突然王族らしいことを言い出しました。
この国はいくつかの重要な問題を抱えています。
例えば、国防の問題。
この国は仲の悪い二つの大国に挟まれている関係上、軍事的には綱渡り的な危うい関係が長いこと続いています。
大国の都合で紛争を仕掛けられたり、大国同士の小競り合いに巻き込まれたりするのです。
そのため、せめて大国に舐められない程度の軍事力を持ち、紛争が発生したら全力で勝ちに行って、大国にもたまには痛い目に遭わせるべきという主戦論を主張する者が少なからずいます。
ニゲラ殿下もそのような主張を時々します。
そうした国防の問題と同様に重要な問題として挙げられるのが、食糧問題です。
実はフラワーガーデン王国の食糧自給率は、前世の日本ほどではありませんが、低めなのです。
自給率100%を切っているので、輸入が止まると国民が飢えます。
今は仲の悪い二大国の間で三角貿易を行って外貨を稼いでいますが、その二国が仲良くなってフラワーガーデン王国を通らない直通の交易ルートを開拓されると窮地に立たされます。
そこまで行かなくても、大国の都合で国民が飢えかねないというのはとても困った状況です。
国防に勝るとも劣らない重要な問題なのですが、軍事に比べると地味と言いますか、「交易で儲かっているのだから問題ない」という雰囲気が漂っていたりします。
そんな中、農業の重要性をきちんと認識しているアイビー殿下は王族として優秀です。
また、カルミア様が園芸部で農作物の品種改良を行うことは、特に秘密にしていたわけではありませんが宣伝もしていません。
アイビー殿下はその辺りをきっちり調べたうえで来たのです。
おそらくは農作物の品種改良の話は建前で、狙いはカルミア様でしょう。
カルミア様に対して何がしたいのかは分かりませんが。
ゲームにおけるアイビー王子はニゲラ王子失脚後の穴埋め要員、小説ではもっと積極的にカルミア様の協力者になるそうです。
ただし、今現在のアイビー殿下が私達の味方になるとは限りません。
園芸部に入部したから味方と呼べるほど単純ではありませんし、小説では私とは敵対しているのですよね。
ゲームでも小説でもなくこの世界の今の私ならば敵対する理由はありません。
ただ、味方になる理由もありません。
元から王家と縁の深い公爵家令嬢のカルミア様ならばともかく、元平民の私は王族との接点なんてニゲラ殿下のクラスメイト以外にありません。
一応生徒会メンバーという接点もありますが、ニゲラ殿下とは特別親しいわけでもない(目を付けられていますが)し、アイビー殿下の興味を引くようなことは特にありません。
カルミア様にしても、小説でアイビー王子が協力する理由は、ヒロインとの相乗効果で暴走が加速するニゲラ王子の後始末にアイビー王子もかりだされたことがきっかけだそうです。
私はニゲラ殿下とは距離を取っていますし、変に煽らないように注意しています。
その結果、ニゲラ殿下は大きな問題を起こしておらず、ニゲラ王子の暴走が発端となるイベントが幾つか回避できました。
ニゲラ殿下の小さなやらかしは幾つもあって、カルミア様が対応していますが、小説と比べても軽微なものばかりだそうです。
ただ、アイビー殿下とカルミア様が協力する前提が消えてしまいました。
いきなり敵対することは無いでしょうが、味方と呼べるほどの信頼関係はまだありません。
とりあえずは様子見ですね。
入部を拒否できるだけの理由もありませんし。
当面は園芸部の活動を通してアイビー殿下と信頼関係を構築することにしましょう。
今のところ、懸念事項はニゲラ殿下がどう思うかです。
見る人が見ると、園芸部は反ニゲラ殿下派の巣窟になりかけています。
正論による説教を繰り返してニゲラ殿下に敬遠されてしまったカルミア様。
一年生の頃から学年主席を譲らず殿下に睨まれている私。
そこに王位をめぐってライバル関係にあるアイビー殿下が加わったのです。
ニゲラ殿下から見てとどう思うでしょう?
私とカルミア様だけだったらまだ良かったのです。
生徒会役員という繋がりがありますし、ニゲラ殿下に疎まれている私をカルミア様が懐柔して自分の趣味を手伝わせている、傍目からはそう見られます。
まあ、ニゲラ殿下本人は園芸部には近付かないでしょう。カルミア様がいるので。
ニゲラ殿下に取り入ろうとする者も、下手にちょっかいをかけて来ればカルミア様の説教が待っています。
むしろ、怖いのはニゲラ殿下に反感を持つ者が続々と集まってきてしまうことでしょう。
一大勢力となったら、ニゲラ殿下が追い詰められたと思い込んで暴走しかねません。
まあ、その辺りはカルミア様とアイビー殿下にどうにかしてもらいましょう。
園芸部は真面目に園芸部の活動を行う所です。政治活動を始める人には出て行ってもらうだけです。
そんなわけで、アイビー殿下もちゃんと農作業してもらいますよ。
・ミムラス
誕生日:7月4日
花言葉:援助の申し出
ミムラス嬢は花言葉優先で名前を付けました。




