第十二話 治癒魔法
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五月に入って、私の学園生活が少し変わりました。
魔法の実技、基礎訓練が免除になってしまいました。
滝行を完璧に行って見せたことで、私に基礎訓練はもう必要ないと判断されたのです。
まあ、入学前から魔力制御は完璧にしていましたし。
漏れ魔法が怖いので、寝ている間も含めて常時魔力制御を行っている私に死角はありません。
四月中からも「教えることがない」扱いでしたが、滝行を授業時間いっぱい続け切ったことで基礎訓練は卒業扱いになってしまいました。
これで本年度は魔法実技の授業を受けなくても単位が貰えることが確定しました。
授業が免除されて余った時間をどうするか?
既に決まっています。
魔法実技、応用編。本来二年生に進級してから習うはずの光魔法を前倒しで教わることになりました。
アスター先生が張り切ってゴリ押しした……だけではなさそうです。
国としても早目に治癒魔法の使い手を育てておきたいという思惑があったのだと思います。
一年生に応用の魔法を教えないのは、魔力制御が未熟な者が高度な魔法を失敗すると危険だからです。
魔力制御ができている私に魔法を教えること自体、学園側としても問題なかったのでしょう。
アスター先生が乗り気だったのも事実ですし、私としても異論はありません。
特に危険なイベントは三年生になってからですが、覚えたての魔法をいきなり使うのは不安があります。
特に治癒魔法は絶対に必要になると思うので、急いで習熟したいと思っていました。
思ってはいたのですが……
「それでは始めましょう。」
――ザクッ!
練習台は、ネズミさん。
ネズミ捕りにかかった生きたネズミを数匹、アスター先生が貰って来ています。
そのネズミを、アスター先生がナイフでざっくりと傷付けます。
私は深窓の令嬢ではないので、吹き出すネズミの血を見たくらいで失神しませんが、見ていて気持ちの良いものではありません。
それよりも、笑顔でナイフを振り下ろすアスター先生が不気味です。
「教会には治癒魔法の練習用にわざと怪我をさせるための囚人がいる」という都市伝説が現実味を帯びてしまいます。
怖いから深く考えずにさっさと終わらせてしまいましょう。
「ヒール!」
魔法はイメージが重要です。イメージしだい魔法はでかなり節操なく形を変えます。
特に、光魔法は能動的に働きかける魔法です。応用範囲は広そうです。
普通は「怪我治れ」くらいのイメージで治癒魔法を使うのだそうですが、試しにもう少し詳しいイメージでやってみましょう。
最初に必要なことは止血です。血を流し過ぎるとそれだけで死に至ります。
傷口を閉じるように患部を圧迫するイメージ。
本当は傷口の洗浄や消毒を行った方が良いのでしょうが、今回は省略します。
傷口近くの細胞を活性化させて、組織を接合。
大きな血管や神経を損傷していたらそれも繋がないといけませんが、出血の量から見てそこまで深い傷ではなさそうです。
毛細血管は自然治癒に任せます。免疫の活性化も強め過ぎると却って炎症を起こします。今回は特に必要はないでしょう。
表皮まで繋がったらそこで停止します。
細胞の活性化もやり過ぎれば体力を消耗し、癌化する恐れもあります。
ゲームのように、HPが全快したらMPが無駄になるだけ、では済みません。
患者を診ながら必要最低限の魔法で終わらせる。それが重要です。
薬も魔法も、過剰ならば毒になるのです。
「……はい。ちゃんと治っていますね。」
元気に動き回るネズミを見たアスター先生が微笑んで言います。そして、
「それではもっと深く傷付けてみましょう。」
――グサッ!
ああ、せっかく治したネズミさんが!
「ヒール!」
先ほどよりも傷が深く、口からも血を吐いています。
肺か消化器官を損傷している恐れがあります。
肺に血が溜まると、自分の血で窒息する恐れもあります。
いずれにしても、止血は最優先です。
太い血管から優先して繋ぐイメージ。
それから、消化器官に穴が開くのも危険です。
胃に穴が開けば強酸の胃液が出てきます。小腸の消化酵素も体を溶かす危険物ですし、大腸には各種腸内細菌がいます。
奥の方から順に組織の傷を塞ぎ、接合していく。臓器から体内に溢れさせてはまずそうなものを出血した血液と一緒に傷口から外に出す。
最後に表皮を結合し、軽く造血作用と免疫を活性化しておきます。
どうやら上手くいったようで、ネズミは再び元気を取り戻しました。
「素晴らしい。ただのヒールでハイヒール並の効果がある。」
治癒魔法には、ヒール、ハイヒール、スペリオルヒール、エクストラヒール、コンプリートヒールと種類があります。
今習っているのは、一番基本のヒールです。自然治癒能力を高めて傷の治りを加速する魔法です。
ハイヒールはヒールの上位版です。
ヒールよりも強力に治しますが、消費する魔力も増えます。
そして一番重要なことは、ゲームと違って魔力の消費量だけの問題ではないということです。
自然治癒能力を高めて治療するヒールは、患者本人の体力を消耗します。効果の高いハイヒールは、その分体力の消耗も大きくなります。
同じ程度の怪我をヒールで治した場合は元気に帰って行ったけれども、ハイヒールで治したら一日寝込んでしまったという話もあるそうです。
体力の消耗以外にも、過剰な回復を行うことによるリスクも大きなものになります。
ヒールで十分な患者にハイヒールをかけることは危険な行為と言っても過言ではありません。
その一方で、通常のヒールでは助からない患者もいます。
怪我が酷かったり、傷が多い場合などにはヒールで治し終わる前に失血死する恐れがあります。
そのような場合にはリスクを冒してでもハイヒールで一気に治す必要があります。
つまり、ハイヒールを使う状況は、命があれば儲けものという厳しい物なのです。
ですから、通常のヒールでハイヒールに近い効果が現れるというのは、とても画期的なことです。
助かる命も増えるでしょう。
治療の詳細をイメージするこの方法は、おそらくより上位の治癒魔法でも有効だと思います。
私は引き続きこの方法で練習して行こうと思います。
「では、次はこうしましょう。」
――ザックリ!
あああ、今度はネズミさんの前脚が切断されてしまいました。
部位欠損の修復には、まだ習得していないエクストラヒールが必要です。
ですが、この状況ならば――
「ヒール!」
まずは魔法で痛み止めを行います。
痛みで暴れていたネズミさんが急におとなしくなりました。
闇魔法ならば鎮静効果のある魔法も存在するでしょうが、光魔法の場合は活性化する方向なので、脳内麻薬をドバドバ出す感じで麻酔の代わりにします。
つまり、ネズミさんはラリっています。
ともかく、ネズミさんがおとなしくなったところを見計らって捕まえ、同時に切り落とされた前足を拾います。
そして、慎重に向きを合わせ、切断された前足を切断面に押し付けます。この作業は魔法ではなく手でやった方が早いです。
後は切断された組織を接合して行けばよいだけです。
骨を繋ぎ、血管を繋ぎ、神経を繋ぎ、筋肉と腱を接合し、最後に皮膚を閉じ合わせる。
失った部位を再生することは自然治癒能力だけでは不可能ですが、切り取られた部位を接合するだけならばヒールでも可能です。
実際、ネズミさんは元気に動き回っています。
接合した前脚も自然に動いているし、ちゃんと神経も繋がっているようです。
欠損した部位を無くしたり、時間が経ち過ぎて組織が壊死したら無理ですが、切断された四肢であってもヒールで治せることが判明しました。
ただ、私の方法では集中力と、人体の構造に関する知識が必要になります。
傷が治る過程を細かくイメージする必要があるため、深い傷には有効でも多数の傷をまとめて治すには向いていません。
一人の重症者を助けることはできても、数多くの負傷者に対応することは難しい。
この辺りは今後の課題ですね。
それから、前世の人の大雑把な医学知識でもヒールの性能を向上させることができました。
余裕があったら医学の勉強をするのも良いかも知れません。
この世界の医学では解剖学的な知識はあまり期待できないのですが、患者の症状を詳しく診ることができれば治癒魔法の効果も上がりそうです。
それから、問題がもう一つ。
アスター先生の笑顔が怖いです。
笑顔のままネズミさんをザクザク突き刺す様子は何ともサイコです。
アスター・カーディナルは基本的に善人です。
ですが、善意に満ちた人ならば何の問題も起こさないとは限りません。
彼にとって、ネズミの命は取るに足らない軽いものなのです。治癒魔法の練習に使うから生かしているだけです。
そこに、生命の尊厳など全く考えていません。
命さえも軽く見る男、それがアスター・カーディナルの正体です。
もしかすると、自分と直接かかわらない他人の命も同じくらい軽く見ているのかもしれません。
ゲームのシナリオで、そんな場面はありましたっけ?
……そう言えば、いくつかのイベントではアスター・カーディナルが発端となる何かをしでかしています。
何かをしてやろうという悪意は一切なく、興味本位の軽い気持ちでことを起こし、後は放置の投げっぱなしです。
アスタールート以外では、イベントの冒頭で何かやらかし、後は最後まで顔も出さない無責任ぶりでした。
ゲームのアスター・カーディナルとこの世界のアスター先生がどこまで同じなのかは分かりませんが、要注意人物であることは間違いありません。




