5 甘いお茶会
クリスティーナの寿命を縮めかけた夜会から一ヵ月が経った。
夜会の翌日はさすがにドキドキしながら登城したが、ジェラルドの態度はそれまでと変わりなかった。
どうやら正体はバレていないらしいと分かり、ホッと胸を撫で下ろす。
ジェラルドからは、
「夜会で偶然クリスティーナ嬢に会ったぞ。本当によく似ているな」
と言われた程度で、それっきりクリスティーナが話題にのぼることもなかった。
そんなある日のことである。
「あの……なんですか、この状況は?」
いつものように男装したクリスティーナの前には、優雅な手付きでティーポットを傾けるジェラルドの姿があった。
場所は執務室ではなく、王城内にある王族専用の庭園のガゼボである。
「なにって、もちろんお茶会だが?」
「……殿下と僕が二人でお茶会する意味あります?」
「まぁ細かいことは気にするな。せっかく準備した菓子もあることだし、たまにはこうやって休憩を取るのも悪くないだろう?」
「はぁ……?」
本来この時間には、ジェラルドの十三回目のお見合いお茶会が予定されていた。
ところが直前になってお相手の令嬢から、体調不良で参上できないと連絡が入ったのである。
そのことをジェラルドに報告すると、主はしばし思案し、エドウィンに何事かを囁いてから、
「クリス、ついておいで」
と、先に立って歩き出した。
意図が分からないながらも言われたとおりについて行くと、そこは王族専用の庭園だった。
クリスティーナが足を踏み入れるのはもちろん初めてである。美しい花々に見惚れていると、
「クリス、手を」
あまりにも自然に手が差し出されたものだから、クリスティーナは反射的に自身の手を重ねてしまった。
慌てて引っ込めようとしたが、ジェラルドはきゅっと握って離さない。
(ひぇ……手、手……しかも夜会のときと違って素手……!)
そのままガゼボまでエスコートされてしまったのである。
促されるままにジェラルドの向かいに腰をおろせば、間髪入れずに給仕の女官達が現れ、小さな円卓の上はティーセットと色とりどりのお菓子でいっぱいになった。
(わ……美味しそう! 特にあのチョコレートケーキ、表面のチョコレートがつやつやしてて、断面に見えるルビー色はラズベリーかな?)
美味しそうなお菓子につい目を奪われていると、ジェラルドが手ずから紅茶を注ぎ始めたものだからギョッとした。
「殿下、お茶でしたら僕が!」
「まぁ任せておけ。いつもクリスにコーヒーを淹れてもらっているからな。お返しに今日は俺がクリスをもてなそう」
オロオロしている間にジェラルドは手際良く紅茶を注ぎ、クリスティーナの前にティーカップを置いた。
「春摘みの紅茶を選んだ。口に合うといいんだが」
王太子殿下の淹れたお茶。一介の子爵令嬢には畏れ多すぎて、飲んでも味が分からない気がする。
(ああっ、でも殿下が期待するような目でこちらを見てらっしゃる……! これに応えられないようじゃ殿下の補佐官失格っ……!)
クリスティーナは意を決してティーカップに手をのばす。
「……い、いただきます」
口に含んだ瞬間、新緑の香りが吹き抜けた気がした。
「あ、美味しい……」
思わず呟くと、ジェラルドが嬉しそうに目を細めた。
「良かった。菓子も、好きなだけ食べるといい。どれからいく?」
「あ、じゃああのチョコレートケーキを……」
(あああ、私ったらなんて図々しいことを! だってだって殿下があんな嬉しそうな表情をなさるから、つい……!)
内心で頭を抱えるクリスティーナとは反対に、ジェラルドはますます上機嫌な様子だ。
「これだな。うん、旨そうだ。俺も一緒に頂こう」
そう言って、いそいそとケーキを取り分け始める。
ルビー色はやっぱりラズベリーで、ケーキは期待した以上の美味しさだった。
だが、もぐもぐとケーキを味わいながらも、クリスティーナの頭の中は相変わらず疑問符でいっぱいだった。
(これ本当にどういう状況? なんで私、殿下に甘やかされてるの?? どう考えたって補佐官の仕事じゃないよね?? 殿下のお考えがさっぱり分からない……)
ケーキを飲み込んだクリスティーナは、上目遣いにジェラルドの顔色をうかがう。
「あの、殿下」
「どうしたクリス、難しい顔をして。ケーキが口に合わなかったか?」
「いえ、ケーキは最高に美味しいです、ホールで食べちゃいたいくらいです。でも、僕ばかりこんなにおもてなしして頂いたのでは、殿下の休憩にならないのではないかと……」
「なんだ、そんなことを心配をしていたのか。俺はこれ以上ないほど癒やされているぞ」
「この状況で、ですか?」
「言っただろう? クリスと一緒にいると心地よい、と」
「!?!?!?」
ポロリとフォークを取り落とす。
「大丈夫か? ああ、クリス、そのまま動かないで」
ジェラルドが身を乗り出し、クリスティーナに手をのばす。ドキドキと心臓が忙しない。エメラルドの瞳が間近に迫る。
「チョコレートが」
動こうにも動けないでいるクリスティーナの口元に、そっと男の指先が触れた。
呆然と見つめる前で、ジェラルドの分厚い舌が指についたチョコレートを舐め取る。
クリスティーナから目を離さないままジェラルドは、
「甘いな」
と、チョコレートよりも甘く囁いた。
その後のことは少々記憶が曖昧だ。
なんとか仕事をこなし、帰宅してからも夢見心地は続いていた。ベッドの中でジェラルドの指の感触と甘い微笑みを思い返しては、一人でジタバタと身悶える。
(ああもう心臓が止まるかと思った! なんだったのなんだったのあれは!? まるでこ、恋人に対するような……。ううん、それはありえない)
だって、ジェラルドにとって自分はクリストファー・エイベル。男なのだ。
(補佐官として信頼して下さってる、ということだよね……)
ならば自分は補佐官として、「クリストファー・エイベル」として、精一杯王太子殿下をお支えするのみだ。
余計なことは考えない。
(少しでも長くお側でお仕えできたら、私はそれで……)
けれど、終わりの日は唐突に訪れた。
行方不明になっていたクリストファーが、六ヵ月ぶりに帰ってきたのだ。